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May 24, 2024

『美しき仕事』クレール・ドゥニ
池田百花

[ cinema ]

メイン.jpg かつてアフリカのジブチで外国人部隊の上級曹長を務めていたガルー(ドニ・ラヴァン)は、フランスの自宅で回想録を書いている。彼自身の声によってそれが静かに読み上げられると、画面には、当時彼が指導していた部隊の兵士たちが日々の訓練をする様子が映し出されていくのだが、そこで彼らがまとっている白いユニフォームは、緑がかった青い空や海の背景とコントラストをなすと同時に、こうしたアフリカの大地の色の反射で輝いているようにも見える。まさにこの最初の場面から、演出の面で、人物と風景を別々に撮るのではなく、風景のなかに人物の痕跡があるようにしたかったというドゥニの眼差しによって切り取られるショットに誘われていく。
 そうして彼女が見つめる兵士たちの日常的な身振りの一つ一つは、訓練を始め、洗濯やアイロンがけをしているときの身振りに至るまで、まるでダンスをしているかのように美しい。おそらくそれが最も端的に表われているのは、彼らがトレーニングをしているところに、ハーマン・メルヴィルの未完の小説をもとにベンジャミン・ブリテンが作曲した『ビリー・バッド』というオペラが流れる場面で、ここでは、人物たちの動きと音楽、さらにはこの土地に吹く風の音がぴったりと重なり合っている。実際、映画の内容もメルヴィルの小説と呼応する部分があり、小説の主人公を思わせる新兵のサンタン(グレゴワール・コラン)は、部隊に入って間もなく活躍して英雄的な存在になり、ガルーが憧れを抱いていた上官のフォレスティエ(ミシェル・シュボール)からも一目置かれるようになる。そしてサンタンに対する嫉妬に駆られたガルーは、ついに、彼に対して行き過ぎた言動に及んでしまったことから、自分自身も予期せぬ運命に陥ってしまうのだ。
 しかし外国人部隊という特殊な場所でこうした物語が展開されながら、映画では、少なからず複雑な事情を抱えてこの場所にやって来たであろう兵士たちの過去が語られることはない。例えば、外国人の兵士が、ペアになったフランス人の兵士と一緒に洗濯物を干しながら、シャツや靴下という単語を教わる場面があるように、彼らの対話は、過去にさかのぼることはなく、この土地で新たな人生を築いていくための言葉に限られている。さらに、訓練のなかで、上半身が裸になった兵士たちがぶつかり合い、お互いの体を手で抱えるようにして触れる場面も、ある種の言葉を介さない対話と言えるかもしれない。すると、こうして様々な形で交わされる対話を含め、映画のなかで丁寧に描かれる彼らの日常的な身振りは、それぞれが過去に負った傷を治癒したり回復したりする動きに見えないだろうか。つまり、彼らにとって、日常を形づくるシンプルな動作を繰り返していくことは、自らのうちに抱えた複雑な痛みを和らげていくことにつながっているのではないか。だからこそ、兵士たちが行っている訓練も、戦争という有事に備えるためのものでありながら、詩的で美しく、そこに流れる空気にも優しさがあるように感じられる。
 だとすれば、こうして積み重ねられる身振りの最後に用意されたあのラストシーンについては、どんなことが言えるだろう。そこでは、自ら蒔いた種でジブチからフランスへ送還され、すべてを失ったかのように見えるガルーの顛末が明かされるのだが、脈絡のない二つのショットが唐突につなぎ合わされている。まず、彼がベッドのシーツを丁寧に整え、その上に身を横たえて、自分に向けた拳銃の引き金を引こうとする場面があり、その後画面が切り替わると、違う服を着てダンスホールに一人で佇む彼の姿が現れ、曲に合わせて踊り始めるのだ。一つ目のショットは、ガルーがジブチに駐留していたときにアイロンがけをしているショットが反復されていたように、それまで彼が行ってきた慣習的な身振りの延長に置かれている。ところが映画は、そこで彼が自ら死に至る場面では終わらない。そのすぐ後に登場する二つ目のショットのなかで、ガルーは、それまで行ってきたあらゆる規則的な動きから逸れていくように、実際に映画のフレームからも時折はみ出しながら、一心不乱に踊り狂う。ジブチでのガルーや兵士たちのダンスにも似た身振りが、シンプルであるがゆえに治癒や回復につながり、穏やかな美しさを持っていたとすれば、ラストシーンで踊るガルーのダンスは、一見それまでの身振りとは異なっている。しかしわき目も振らずただ音に身を任せて踊る彼の身体も、やはりそのシンプルさゆえに強度を持ち、光が点滅する暗闇と一体になって拡張していく。その温かな暗闇のなかに、この世界にとどまって生きていくことの希望が見えたような気がした。

5月31日(金)より、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下他全国順次ロードショー

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