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May 27, 2024

第77回カンヌ国際映画祭報告(3)ダフネ・ヘレタキス インタビュー
槻舘南菜子

[ cinema , interview ]

カンヌ国際映画祭には、四つの短編部門が存在する。公式部門には、コンペティションと学生映画(Le Cinef)部門 、そして、併行部門である監督週間短編部門(ノンコンペティティブ)と批評家週間短編部門(コンペティション+特別上映)である。とりわけ公式部門と批評家週間部門のコンペティションにノミネートすることは、ヨーロッパを出自にするか否かに関わらず、初長編を製作するに当たっての大きな飛躍となる。なかでも批評家週間は、短編部門にノミネートした監督に対して初長編へのディベロッピングをそれぞれの段階によって支援する「Next stepプログラム」を設けており、このシステムによって多くの若手作家への長編製作が実現に至っている。今年、この批評家週間コンペティション部門に選出されダフネ・ヘレタキス監督の待望の新作『What We Ask of a Statue is That it Doesn't Move』は、今年の全部門を通じてもっとも優れた短編の一本だと言えるだろう。彼女の新作であり、来るべき初長編についても話を聞いた。


STILL2.jpegーーー前作『列島、露わにされた花崗岩』(2014) はもちろんですが、初期の作品からあなたは母国であるギリシャを舞台に撮影してきました。神話的な都市、アテネで生きる人々、彼らを取り巻く風景、彫像や神殿を被写体としています。ギリシャ危機後に映画の制作を始めたにも関わらず、あなたの映画はその社会の問題や貧困を映し出しているわけではなく、常にある種の幸福感のようなものに満ちています。あなたがギリシャで捉えたいものとは何なのでしょうか。

ダフネ・ヘレタキス(以下、DH) 私は映画を介して、ある種の出会いの場をつくりたいと思っています。それはカメラの存在なしには成り立たない空間であり、私にとってカメラは他者に働きかけるための一種の道具、武器なのです。アテネは混沌とした都市で、美しいものと醜いもの、古いものと新しいもの、貴重なものと凡庸なもの......このように多くの矛盾が共存しています。私はこの矛盾に強い関心を持っています。心に残った場所や顔を、ある時代の「日記」として、そして、痕跡や記憶として捉えるのを好んでいます。都市は変化し、私たちも変化する。それが、私にとっては、世界を捉え、私たちの現在の生活をめぐる一種の想像の美術館を保持する方法なのです。

ーーまた、あなたはフィルムというフォーマットに強いこだわりを持っています。フォーマットの選択(フィルムの使用)について教えていただけますか。

DH フィルムでの撮影は時には悪夢のようなものです。ですが、もう止めようと思っても、どの作品でも最終的にはフィルムという選択肢に戻ってしまいます。壮大な愛の物語のようなものなんです。私は実験映画を介してフィルムの使用方法を学びました。パリの実験映画のコーポラティブ「コレクティフ・ジュヌ・シネマ」で数年働いていましたし、「エトナ」や「アボミナブル」のようなパリの小さなラボで作品の現像作業を行いました。フィルムは現実を変容させ、リズムを与え、また同時に制約も与えます。たびたび、フィルム撮影はそれにかかる時間のためにフラストレーションも与えるでしょう。一度撮影したものは消せないし、後戻りもできない、そして、古臭いメディアであり、また、ある種の映画の考古学である。私はその伝統の一部でありたいと思っています。

ーー作品にも登場し、インスピレーションを与えたギリシャの詩人ヨルゴス・マクリスについて話していただけますか。

DH ヨルゴス・マクリスは、20世紀初頭に生きたギリシャでもあまり知られていない詩人です。第二次世界大戦直後、ギリシャもまた内戦から脱却し、すでに巨大な観光事業に傾倒していた時代に、仲間たちとともに「マニフェスト第一号」を書いた。彼は、イタリア未来派やシュルレアリスムのような、シチュアシオニスト以前と呼べる運動の一員でした。彼はユーモアのセンスに溢れたメランコリックな挑発者であり、文字通りではなく詩的な発想で、すべてのアテネの古代遺跡の破壊を呼びかけました。彼のマニフェストは今日に至るまで部分的に検閲されたままです。 パルテノン神殿を爆破する方法も書きましたが、出版社側がそれを本文に含めないことを望んだとも言われています。

ーーカメラの前でも後ろでも、この作品ではあなたの存在がとても印象的です。これまでの作品では、カメラを介して被写体に話しかける、あるいはオフの声として参加していたはずです。しかし今回はエキストラではなく、映画の登場人物としてあなたはカメラの前に立つことを決めました。その必然性は何だったのでしょうか。

DH カメラの前に立つのは特に好きではありませんし、オフの声を録音しなければならないたびに拷問を受けるような気分にはなります。しかしこの作品で、私が撮影したすべての異なるパート全体に統一性を持たせる唯一の方法は、それらが私の想像から生まれたと仮定することだとすぐに気付いたんです。この作品では、私という登場人物が不動から動きと感情へと変化していく。その冒険の上に成り立っているんです。にもかかわらず、どうして私は隠れる必要があるのでしょう!また、監督が自分自身を登場させる、ちょっとした日記のような映画がとても好きで、誰かがどこまで、どのような形で自分自身をさらけ出すのか、いつも強い関心を持っていたこともあります。私にとっては、自分を見せるということは、観客の手を引いて冒険を続けるようなもので、それは常に鏡であり、二重のものであり、私自身の延長だと考えています。

ーー私はあなたの作品でたびたび登場するダンスシーンが大好きです。今回はミュージカルシーンがありますが、あなたにとって初めての試みですね。撮影はどのようなものでしたか。なぜあえてミュージカルという選択をされたのですか。

DH ミュージカル・シーンは当初予定していたものではなく、撮影中に必要性を感じて撮影を決めました。なぜなら、どうやって作品を終わらせるのかを決められていなかったんです。セクトの起こす最後のアクションとして、ヨルゴス・マクリスが夢想したようにパルテノン神殿を爆破するのか、あるいは別の何かを爆破するのかと考えました。でもすぐに、それは私が作品で語りたいこととは違うと気付いたんです。だからもっとより文学的な語りを見つけなければならず、ミュージカルというアイディアが浮かびました。ミュージカルはある種、叙情的であり、直接的で、そして、現実からずれていてメランコリックでもある。そして、長年一緒に仕事をしてきた共同制作者であり、パートナーのコスタスに作詞を依頼しました。なぜなら彼は、この映画と制作のプロセスについてすべて知っていたからです。そして作曲家のコルニリオス・セラムシスが彼の歌詞をもとに作曲してくれました。歌手ではない友人たちを、街の見知らぬ場所で撮影することは、私の人生で最高の経験のひとつでした。とても刺激的で、とても感動的な体験でした。私たちは拡声器を準備して、彼らがリズムを保てるように大音量で曲を流したので、アテネの街が一晩だけ、映画のサウンドトラックのようなものになりました。その後、スタジオですべて歌の部分を録り直しましたが、サウンドをシンクロする際に彼らの歌の調子が狂うことがあったので、ポストプロダクションでつくり直す必要はありました。 ですが、私はあえてそれらの少し不器用さであり、儚さを残しました。それがこのシークエンスをとても美しいものにしているのだと思います。

ーー初長編映画のプロジェクトについてお話しいただけますか。

DH 本当に長い間取り組んできた企画で、いくつかの段階を経て、ようやく資金調達の最終段階に入りました。数ヵ月後にプリプロダクションを開始する予定です。しかし、何年も前に想像されたものなので、私の現在の欲望に対応するよう脚本に手を加えるつもりです。これまでの作品と比較すると、フィクションの側面が強く、若い女性二人が街を旅し、多くの人々と出会うというものです。現在、形式をもう少しハイブリッドなものにし、自分自身にもっと自由を与えるような作品にする方法を模索しています。

カンヌ国際映画祭批評家週間短編部門


Daphné Hérétakis.jpegダフネ・ヘレタキス Daphné Hérétakis
1987年生。パリ第8大学にてドキュメンタリー映画制作を学び、かつ、フレノア(国立現代アート・スタジオ)にて修士号を取得。ドキュメンタリーとフィクションの境界を行き来し、親密さと集団性の間で物語を紡ぎ、ロッテルダム国際映画祭、ポンピドゥーセンター「Hors pistes」やVision du réelなど多くの映画祭で作品が上映されている。現在はフランスとギリシャを行き来しながら活動をしている。



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