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June 7, 2024

『違国日記』瀬田なつき
結城秀勇

[ cinema ]

 「あなたを愛せるかどうかはわからない」。心底憎んだ姉の娘であり、交通事故で両親を失い孤児となった朝(早瀬憩)を自分の家に引き取ろうと決意する葬儀場の場面で、槙生(新垣結衣)はそう言う。原作漫画のシャープな描線を彷彿とさせるメイクの槙生と、ショートボブで全体的に小さくくりっとした朝の顔(そう、瀬田なつき作品の主人公と言われて微塵の違和感もないような)とが、真正面の切り返しで並ぶ。年齢が20歳離れた彼女たちは、文字通り大人と子供ほども違う別種の生き物だ。しかし彼女たちが一緒に暮らすことは、既存の関係性に自分たちを当てはめることではないし、どちらかがどちらかに近寄ることでも似ることでもなければ、「愛せるとわかる」ようになることですらないことを、原作をお読みの方はすでに知っていることだろう。槙生と朝は違う。「違う」ということをなにひとつ踏みにじらない。たったそれだけの理由で、『違国日記』という映画をひとりでも多くの観客に見てほしいと思う。
 槙生と朝は違うと書いたが、彼女たちの違いがより際立つのは、この場面ではなくて一緒に暮らし始めてから、むしろ一緒にいることが当たり前になってからだ。それはいわゆるキャラクターの性格やら設定やらが時間をかけて明らかになっていくというようなことではない。槙生が猫背気味にゆったりと太いパンツで立ち歩き(この映画を見て、新垣結衣ってこんなに身長が高かったんだと思った)、軽音部に入った朝が身長よりヘッド分だけ高いベースを背中に背負って、ケースのファスナーに付けられたキーホルダーを頭上でぴょんぴょんぴょんぴょん揺らしながら走り回るとき、ああ彼女たちはこんなにも違う、と思う。そう思うときにはもう、彼女たちが一緒にいる空間ができていて、一緒にいる時間が積み重なっている。
 そしてそれをかたちづくるのは、実は彼女たちふたりだけではなくて、醍醐(夏帆)やえみり(小宮山莉渚)といった彼女たちの住む部屋を訪れる友人たちでもあるし、またこの部屋自体でもある、とも言える気がする。「大人」なのに片づけが苦手な人がいることに朝は驚き(そしてたぶん「包むに団で〜パオダン!」とか言い出す「大人」がいることも彼女は知らなかっただろう)、本や紙や布や地球儀などで埋め尽くされた部屋にひらけた空間をつくっていく。そうしてつくりだした空間で、朝はふらふらと揺れ、くるくる回り、屈伸したりして、槙生はそれを見て、狼狽え、戸惑い、微笑む。彼女たちが一緒にいることとは、ちょうどいい距離でピッタリ止まることではなくて、つねに行き過ぎたり離れすぎたりし続けることだ。リビングと仕事部屋を仕切る、あの決して一発でピッタリと閉まることがない引き戸のように。
 だから、最初にふたりは「大人と子供ほども違う」と書いたがそれは間違っている。「大人」は「大人」でも違うし、「子供」は「子供」でも違う。「子供」が「大人」になれば違いがなくなるわけじゃない。でも、違いを生きることに努力と経験とを積み重ねてきた槙生の友人たちほどの余裕を、朝の友人たちは持てない。朝とともにふわふわくるくるしているように見える彼女たちも、時として、尖ってザラついている。両親を失って悲しいのかどうかわからない、食べたいものがなんなのかもわからない朝。恋人ができたと朝に打ち明けるえみり。自分に期待してがっかりしたくない三森(滝澤エリカ)。能力ではなく、自分ではどうしようもない要素によって判断が下されることに、怒りを露わにする森本(伊礼姫奈)。
 高校の入学式の日、帰ってきた朝は洗面所の鏡を見つめる(この場面で、瀬田なつきが20年前に撮った『とどまるか、なくなるか』をつい思い出してしまう)。記憶の中の母親が、朝を責める。「だって勝手に死んじゃったほうが悪いんじゃん」と吐き捨てるように呟き、朝は歌を歌い出す。
♪まあっか〜なたいよ〜う し〜ず〜む〜さ〜ばく〜に
 彼女が歌う「怪獣のバラード」は、彼女が中学時代に合唱部だったことを示したり、後にバンドのボーカルをつとめることになることを示す、説話的な必然のためだけにあるのではないと思う。悲しいのかどうかもわからない、なにが食べたいのかもわからない、どんな自分になりたいのかもわからない、自分の感情や欲望の中で迷子になった朝は、それでもサビでこう歌うだろう。「海が見たい 人を愛したい」。
 ふわふわくるくるしたり、尖ったりザラついたりしてる人々の中にも「怪獣」がいる。それを見守る人々の中にも「怪獣」がいる。それでも決してなにかを踏みにじったりしないように努力し続ける、「心ある」怪獣たちとともに過ごす140分だけで、この映画にははかりしれない価値がある。その間、槙生は槙生のまま、朝は朝のまま、ヤマシタトモコはヤマシタトモコのまま、瀬田なつきは瀬田なつきのまま、リビングと仕事部屋の間の引き戸のように、行ったり来たりし続ける。


6月7日全国ロードショー

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