『オルメイヤーの阿房宮』シャンタル・アケルマン
千浦僚
[ cinema ]
2015年に世を去った監督シャンタル・アケルマンの最後の長編劇映画『オルメイヤーの阿房宮』(2011年)は、シャンタル・アケルマンが現代映画を代表する優れた監督であることをあらためて感じさせる見事な映画だ。
原作はジョセフ・コンラッド(1857〜1924)。ロシア、オーストリア、プロシアに分割支配されていた国家なきポーランドにルーツを持ち、独立運動に関わった父とともに幼少期は流刑地に送られ、12歳で父母を亡くし16歳で船乗りになり、二十代半ばにイギリス国籍となり、航海士のちには船長としてオーストラリア沿岸、東南アジア、ベルギー領コンゴなどを航行し、1894年に陸にあがってそれまでの体験に基づく小説を発表した作家コンラッドの一作目が「オルメイヤーの阿房宮」である。
本稿筆者はわりとこの作家を愛好し読んできていた。入口としてはありがちな、コッポラ『地獄の黙示録』の根本となっている「闇の奥」を知って読んだことであり、またすぐにヒッチコック『サボタージュ』の原作「密偵」もこの作家の筆になるものと気づいてからチラホラと読みついで多くの感銘を得ていた。
コンラッドの同時代作家でイギリス人というと、ロバート・ルイス・スティーブンソン(1850〜1894、「宝島」など)、ヘンリー・ライダー・ハガード(1856〜1925、「ソロモン王の洞窟」など)、コナン・ドイル(1859〜1930、「失われた世界」ほか)であり、この冒険小説、秘境探検譚の大家の作品群は、1851年ロンドン万博、1867年パリ万博、1869年スエズ運河開通という、秘境の風物が娯楽になり新世界が観光される19世紀という時代を反映したエンターテインメントだったが、それはまた15世紀16世紀の大航海時代の植民地主義的感性が大衆化、商品化されていっただけのものかもしれない。そこと比較するとコンラッドはもうすこし違う、ノンジャンルのディープな文学性、ひとことで言うなら暗いものへの志向が強くあり、それには世界そのものへの批判がある。
コンラッドのテーマには、海洋小説や秘境もののなかにあらわれる植民地主義の罪と、(当時の)現代社会・都市・政治を描いて浮上する陰謀・テロリズムがある。これらは現在に至ってもまったく古びない今日的な問題だ。随所にヒッチコック映画へのオマージュがある、陰謀巻き込まれ型スリラー『緑の香水』(2021年)を撮った監督ニコラ・パリゼールもコンピューターウイルスを用いるテロ組織がヨーロッパを股にかけて暗躍するストーリーの着想源にコンラッド「西欧人の眼に」があると述べていた(2024年1月日仏学院での上映とオンライントークにて)。
コンラッドの小説は何度も映画化されてきた。馴染み深い、めぼしいところだけでも、ヒッチコック『サボタージュ』(36年)、キャロル・リード『文化果つるところ』(51年)、リチャード・ブルックス『ロード・ジム』(65年)、リドリー・スコット『デュエリスト』(77年)、コッポラ『地獄の黙示録』(79年)がある。ここにもちろんオーソン・ウェルズが1939年に「闇の奥」の映画化を企画したが頓挫し、それを経てウェルズは『市民ケーン』(41年)を撮ったということ、この一代の天才児の処女作が映画『闇の奥』であった可能性までもが加わるだろう。
シャンタル・アケルマン『オルメイヤーの阿房宮』も映画史上のこの列に連なる。原作は19世紀末のマレーを舞台にしているが、映画は時と場所を明確にしないものの1950年代のカンボジアで展開する。開幕すぐのショッキングな場面はまるごと原作にないオリジナルな脚色だが、それ以外はほぼ原作のまま。金鉱採掘での成功を願う男オルメイヤーは恩人の世話で現地人の妻を娶り、娘を生し、事業が成功したあかつきには西洋的教育を受けさせた娘をヨーロッパに連れて帰るのが夢だが、すべてが失敗する。タイトルの La folie Almayer 、英語そして原作題名でいう、Almayer's Folly の folly は"飾りの偽建築"というような意味で(四阿 あずまや、のようなものとか)、これは白人仲間恋しさにやたら客を招くオルメイヤーに対して、さんざん酒など飲ませてもらったオランダの水兵が屋敷を辞したあと陰口で、あのおっさんの"バカ屋敷" folly と言ったその言葉が題名になっているわけだが(映画にはない場面)、それを秦の始皇帝がその栄華を誇ろうとして建設していた未完の宮殿「阿房宮」にしたのは誰か、いつからそうなったのか。2003年の田中勝彦訳以降のことか(それ以前に違う日本語訳題あり)。しかしこれは絶妙な題名と思う。方向性が的確かつスケール感が大きくなっている。また映画を見終えれば、この「阿房宮」がオルメイヤーの住処や事業所のみを指しているのではないことがわかる。成功することや娘の存在のこと、そしてそれが願うけれど得られないものだと示しているのだ。
奇妙なことだが、私はアケルマン『オルメイヤーの阿房宮』を観て、ようやく『地獄の黙示録』の意味がわかった気がした。「闇の奥」をベトナム戦争に重ねた映画として企画が成立したことと、それが観られたことはなんであったのか。『オルメイヤーの阿房宮』で、高温多湿のアジアの森であえぎ、この地への呪詛を延々と吐くオルメイヤーによって、ベトナム戦争を経てアメリカはアジアを発見したことを思わされた。それは風土の違和から始まる。我々は生まれ育ったのではない地にいる、迂闊に来てしまった、今やそれに包囲され侵食され滅ぼされる体感がある......そういう話だ。そんな直感が与えられるほど、生々しくカンボジアの森と河が撮られている。本作の編集を担当し、長年アケルマンと協働したクレール・アテルトン氏は日仏学院でのトークにおいて、『オルメイヤー〜』はデジタル撮影の予定で企画が進行していたところ、土壇場でアケルマンはフィルムによる撮影を熱望し、スーパー16mmによる撮影がなされたということが明かされた。その際アケルマンは「(テスト撮影を見て)デジタルには何も映っていない」「譲歩するということもあるけれど魂を売ることはできない」と言ったという。たしかに、完成された『オルメイヤー〜』にはデジタルでは不可能な、魔的なものと湿潤をたたえた画面が実現されている。撮影監督はアケルマンのドキュメンタリー作品も手掛けているレイモンド・フロモン。
音響と音楽もいい。
冒頭には「トリスタンとイゾルデ」だ。大仰な悲劇悲恋の予感?しかし興味深いことに、どこから鳴っている音楽なのか、この調べには虫の羽音や鳥の叫び、河の水音が立体的に混ぜられて響く。始まりのスタッフ、キャストのクレジットが流れているところで早くも西欧的なものがアジアの自然に侵食されている。この対位は、中盤に現地人の舟の漕ぎ手がその動きにも風景にもぴったりな仕事歌か囃し歌のようなものを歌うのに対抗心を燃やしてオルメイヤーがショパンをハミングする、あの不調和で居心地の悪い場面にもつながる。
本作全体としてはつかみの場面でのディーン・マーティンの「Sway」が印象的だが、オルメイヤーがいつも独りレコードで聴いているジーン・ヴィンセント「Love of A Man」も忘れがたい。なにせ、"俺の愛は海より深く山より大きい"みたいな歌詞なのだ。辺境の陋屋で男がひとり聴くのにピッタリというか、そのようにあのオルメイヤーの想念が盛り上がっているのか、と思わされる。
失敗した金鉱採掘者オルメイヤーはアジアを蔑んでいる。自身でそうしていることに気づかぬほど自然に。そこに属する妻を疎ましく思っている。しかし混血の我が娘は白人文化、白人社会、ヨーロッパに属するものとイメージし、世界の女王のような存在だと夢想している。当人であるニーナ(気品あるオーロラ・マリオンが演じる)は西洋的教育に馴染めず、現地と白人社会(白人子弟ばかりの寄宿学校)のどちらからも爪弾きにされて苦しんでいるというのに。このオルメイヤーの認識のねじれ、歪み。......しかし観客もまた、オルメイヤーの盲目的な礼賛とは少し違うかたちで、ある女の、一個の人間の、むき出しになった美しさとしてニーナを発見する。放校され、タバコをふかし、街を彷徨い、果物を万引きし、裏路地で放尿する彼女の孤高の佇まいに撃たれる。
本篇が描き出したのは家父長制がそもそも植民地主義・帝国主義の萌芽であり、夫であり父親である白人の男が女性や西欧以外の地域を支配していること、その、支配側だけが続くことを信じている体制の持続不可能性と居心地わるさと醜悪さだ。
インドシナで育ったマルグリット・デュラスやアフリカで育ったクレール・ドゥニでもないベルギー人シャンタル・アケルマンがよくここまでに達したなと思う。それはアケルマンの優れた批評性と感性によるものであろうし、女性性を意識すること、フェミニズムによってそれに至ったようにも見える。コンラッドの映画化は多いし、そこに西欧なり文明そのものなりを揺るがす主題があることも作り手と観客に気づかれてはいたが、血肉を伴う親子間男女間の支配・被支配に結びつけた読解と映画化はなかったはずだ。ここにアケルマンによる『オルメイヤーの阿房宮』の、映画史上、文化史上における優位、突出がある。
またこの男性批判は図式的ではなく、そのイヤな男、情けない男は大きく深く捉えられてもいる。その感触はアケルマンがプルーストの「失われた時を求めて」の部分を翻案して映画化した『囚われた女』(2000年)にもある。この映画でも『オルメイヤー〜』同様、男(の監督)が描く男性像としてはなかなか出てきにくい、むちゃくちゃ気持ち悪く情けない男、妄執ばかりで実行力と責任感を欠くいじけた人物が見られる。どちらも演じるのは同じ俳優スタニスラス・メラール。
事業に失敗し、消耗していくオルメイヤーを娘ニーナの視点から見るというのは『家からの手紙』(76年)でアケルマンの母ナタリアが手紙に書いてよこすアケルマンの父親の様子にも通じる。独立して去っていった存在を忘れられず、憎めず、焦がれて自身は潰えていく。そういう彼が許されてもいる。その割り切れなさの保ち方にアケルマンの人類への慈愛を感じる。
(私の娘は現在10歳で、私もそう遠くないときに娘と別れていくだろう。相手がマレーの王子だろうが、目端の利くアウトローだろうが、どんな男の腹の下に敷かれようとも納得はいくまい。しかしもう放っておくしかないのだ。そこに私が関わりがないことは生まれたときからわかっていた。娘がいたことを忘れてしまってもいい。だが、いつだってあの小さな幼い足に靴を履かせてやったときの感触や動きを思い出せる、忘れることはないだろう)
なおコンラッド「オルメイヤーの阿房宮」に関して世界を見渡すと、70年代にイタリアでテレビ映画になっているのと、近年ではマレーシアの監督ウ=エイ・ビン・ハジサアリが『Hanyut』(2012年完成、2016年公開)としてこれを映画化している。題名『Hanyut』は「抜け出ることのできない不吉さのなかを漂うこと」を意味するという。
ウ=エイ・ビン・ハジサアリはフォークナーの短編「納屋を焼く」を映画化した『放火犯』(95年カンヌ映画祭出品作)などで知られ、日本でもアジアフォーカス福岡国際映画祭でその作品が紹介されている。不勉強ゆえ本稿筆者は『Hanyut』をいまだ観られていないが、予告篇を観るとかなりの予算をつかって原作に忠実な場面を造っていることがわかり、また、「19世紀のマレー人社会を再現したかった」という監督自身の発言を読むと、コンラッド自身が想像もしなかったであろう展開がここにあり、「オルメイヤー〜」映像化の動機と根拠が現地の映画作家によって持たれたことのおもしろさ、意義深さに『Hanyut』も観たいと思うが、そこにはアケルマンがおこなったような大胆な読みと凝縮された世界観があるのかどうか。私はそこに大いに関心がある。