『蛇の道』黒沢清
吉澤華乃
[ cinema ]
冒頭、白色の建築物に囲まれた石畳に立ち、カメラに背を向け遠くを見つめている新島小夜子(柴咲コウ)。彼女を見下ろすように構えられていたカメラがクレーンによって徐々に人間のアイ・レベルまで下がってきたとき、フレーム内にピタッと小夜子を捉える。このように『蛇の道』は、滑らかなカメラワークとフレーム内に捉えられた人物の所在を以て始まる。ただしこの物語は、カメラと人物(あるいは事物)とのある一定の距離を保つばかりではない。むしろ近づいては離れ、時に離れては近づくことで、カメラと被写体における共犯関係の名のもとに成立したフィルムであるように思う。
例えば最初に、娘を何者かに惨殺された男・アルベール(ダミアン・ボナール)と精神科医である小夜子は、復讐を遂行すべく犯人と思しきティボー・ラヴァル(マチュー・アマルリック)という男を拉致する。二人は彼を車のトランクに押し込み、人気のない廃墟のような隠れ家へと車を走らせるのだが、隠れ家に到着後、アルベールはティボーへ尋問を始める。だが、この時彼らを捉えるカメラは、二人からやや離れた手前の部屋に置かれ、私たちは開かれたドアの淵を通じてどこか奥行きを感じながら拷問の様子を見守ることになる。
また物語は3ヶ月前に遡り、小夜子とアルベールによる出会いの場面が挿入される。小夜子によるPOVの視点から始まるこのシーンは病院の廊下を前進し、「精神科相談室」の文字を捉えた後に後退を始めるのだが、アルベールがその部屋から姿を現すと、彼がベンチに腰掛けるまでの一連の動きをカメラは追うことになる。やがてベンチに座ったアルベールに小夜子が話しかけるわけだが、ここで一切のリバースショットが挟まれることはなく、最初から一貫して彼女の視点が維持されるのである。このようにじわじわと彼の後を追う小夜子の存在は、全編を通じて着用していたブーツの「コツッコツッ」というヒールの音と相俟って、まるで自身の存在を隠しながら標的へと接近していく蛇の姿そのもののようだ。こうして小夜子に誘われるようにして、アルベールは復讐の世界へと足を踏み入れていくことになるのである。
カメラと被写体における共犯関係に関してもうひとつ言及したいのが、ティボーの次にピエール・ゲラン(グレゴワール・コラン)を拉致した際のシーンである。小夜子とアルベールは彼を車のトランクに押し込むと、座席に乗り込んでエンジンをかける。そうした一連のなか、トライポッドに固定されたカメラは左右にパンするだけで的確に車の姿を捉え続ける。また車が走り去る際においても、カメラと車とがかなり接近することで緊張を帯びた、ただならぬ状況が画面からひしと伝わってくるだろう。
『蛇の道』のカメラは、人物あるいは事物とのフレキシブルな距離を見出すことで復讐の物語を紡いでいく。さらに全編を通じて小夜子という存在に「蛇」の様相を組み込むことで、言葉数も少なく得体の知れない彼女は水面下で着々と計画を進行していく。つまり、本作の中で描かれる「繰り返される復讐」が一貫性を持って遂行されているのである。ラストシーン、コントラストが乏しくフラットな、どこか浮世離れしたフランスの街並みをカメラは高いところから見下ろしている。そして、そこにいるのはやはり小夜子である。拉致したゲランから「蛇か その目つき」と言い放たれた時と同じく、冷ややかに目を見開いてパソコンの画面に映る夫の宗一郎(青木崇高)を見つめる彼女は、「繰り返される復讐」の新たな始まりを紡いでいく蛇の姿に他ならないのだった。
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