『満月、世界』塚田万理奈監督インタヴュー「本物の人間たちに、書かれた物語が少しずつ負けていって、現実に近づいていったらいい」
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年齢の離れたふたりの女性の関係性の変化を描いて幕を閉じた前作『空(カラ)の味』(2016)から8年。監督の塚田万理奈は、成長する子供たちを10年がかりで16mmフィルムにおさめる長編第2作『刻』を今も撮影中だ。そのプロジェクトの折り返し地点として公開されるのが、「満月」(みつき)と「世界」という2本の短編をおさめた本作『満月、世界』(2023)だ。
『空(カラ)の味』では、子供の視点から年長の女性を見ていたという塚田。子供たちと映画を撮る中で変化したという自身の視点の位置について聞いた。
『満月、世界』(9月21日(土)よりユーロスペース他全国順次公開)
――この映画の成り立ちを教えてください。塚田万理奈(以下、塚田) 今回の『満月、世界』の前に『刻』という映画作品のプロジェクトをやっていまして、それは、中学時代から大人になるまでの10年くらいの自分の人生の話をもとにして書いた脚本なんです。私はのんびり生きている人間ですから、『刻』を撮ろうと思ったときに、子供たちが大人になるまでの10年くらいの話なんだし、実際に子供たちが大人になるまで時間をかけて撮っていいかなと思いました。あと、映画をつくっていく上で、「フェイク」との戦いだなとよく思っていたので、なるべくひとりの人間にひとりの役を任せたいなと思ったんです。大人役や子役と分けないで、子供たちが大人になるまで撮る。それをつくるとなって、子供たちとの出会いを探しました。いろいろな子供たちに出会って、一緒に映画をつくり始めたんですけど、その中で、満月という子と秋ちゃんという子に出会いました。『刻』では、ふたりに私の脚本を演じてもらうというかたちだったんですけど、満月自身、秋ちゃん自身の人生というのがすごく魅力的だなと思ったので、ふたり自身のことをふたりに演じてもらうという作品をそれぞれつくったのが「満月」と「世界」のふたつの短編からなる『満月、世界』です。
――今回の『満月、世界』で、満月と秋というふたりに、特に焦点をあてたのはなぜだったのでしょう?
塚田 『刻』を撮るために、まず私が子供たちを映画にナンパしていくためには、本人たちのことを知りたいなと思ったので、みんなにセルフドキュメンタリーを撮ってもらうワークショップを地元の長野でやることにしたんです。そこで、満月が自分のことを撮ったものを見た時に、何か子供たちの象徴みたいな存在だなと思ったんです。不安や絶望とか、そういうものもあるけど、明るさとか普通さとか、いろいろなものがあって、なんだかすごく綺麗だなと思って、まず満月を撮ろうと思いました。「世界」は『刻』を撮り始めているなかで、秋ちゃんという子にも出てもらっているんですけど、秋ちゃんに作文を読んでほしいと言われて、何の作文だろうと思って読んだら、それが吃音をテーマにした作文で、その時、初めて秋ちゃんが吃音を持っているということに気が付きました。その作文がすごく良かったので、秋ちゃんの悔しさみたいなものを残しておきたいなと思って、映画にさせてほしいと言いました。
――「満月」は、主人公の満月と母の食事のシーンから始まります。
塚田 「満月」を撮る上で、この満月という子を知るにはどうしたらいいだろうと思ったときに、カメラで日常を撮らせると本人にも満月の周囲にも暴力になりかねないことだと思ったので、ICレコーダーを渡して、1か月間ぐらい生活音を録ってきてもらったんです。その100時間ぐらいの録音をひたすら聞いて、脚本を書きました。満月がお母さんと話す時って、どこか生意気だったり、わざと答えないとか、わざとつっけんどんだったりとか、それがいちばん子供らしく感じて、お母さんがずっとはじめから一緒にいた人なんだろうなと感じたんです。満月にとってお母さんがいちばん初めの「社会ではない存在」なのかなと思って、あのシーンから始めようと思いました。
――このファーストシーンは、長いワンカットの移動撮影になっています。
塚田 脚本を書いた段階で、カメラマンがカット割りを考えてくれるんですけど、でも、結局現場では、いちからまた作り直すみたいにやっています。満月や秋ちゃんには、あまり演技を繰り返させない方が良いと思っているので、必要じゃなければカットは切らないし、テイクを重ねないというのが、まず自分の美学にあります。あと、ひとりひとりの人物の主張や、目線のやりとりが大事だったりすれば、カットは割っていいと思うんですけど、あのふたりの空気みたいなのが撮りたいとなった時には、カットを割る必要はないなと思ったので、切らなかったですね。
――ファーストカットの最後は、満月の方にカメラが寄っていくところで終わりますね。
塚田 この子の物語だというのは必要だと思っていたので、最後はそうしました。
――満月が母親と一緒にお見舞いに行く場面では、寝たきりでいるおばあさんのことを「花みたいだった」や「最強だった」と言う台詞があって、はっとさせられました。
塚田 あれは満月自身から出た言葉ではなくて、私の言葉ですね。出てもらったのは、いとこのおばあちゃんなんですけど、おばあちゃんが家にいた時に、なんかもう最強だなと思ったんです。みんなに揺り動かされていないし、焦ってもいないし、何か空気を読もうとかそういうのもなくて、ただそこにいて、何か物みたいで、でもすごく余裕があるというか、余裕しかないみたいな感じが、綺麗だなと思って。それに、真っ白で動かなくて、おばあちゃんお花みたいだなって思って。それを満月に話したら、「すごい分かる気がする〜」みたいなこと言ってくれて、その私の言葉を満月に言ってもらいました。
――夜中に抜け出して、田舎道を車の行き交う道路の方にちょっと歩いていくようなシーンも印象的です。
塚田 ICレコーダーで録音を聞いていると、実際に満月が夜中にふらふら出歩く子で、その時に高速道路を見に行っていたようなんです。高速道路の先に、東京だったり、未来があるみたいな、満月が未来の可能性みたいなものを見ているということかなと思って、あのシーンを入れました。
――『満月』は、開放的な踊りのシーンがラストですけれども、踊りで終わらずに、道の向こうに人影が見えて、満月がその人の視線を気にしてふっと陰に隠れてしまうというところで終える。それが素晴らしいなって思いました。
塚田 普段、満月と話していると、かっこいいんですけど、やっぱり臆病だし、ちょっと怖がりだったりするんです。言ってしまえばそういうことがダサいようにも取れるけど、魅力的でもあって、そこがすごく愛おしいと思っていました。だから、人間そんなにかっこよく綺麗に終わりきらないし、ただかっこよく踊りきって終わらせたくなかったんです。その臆病さや怖がりなところが、子供らしさでもあるし、でも子供だけではなくて大人にもある人間らしさのような気がするので。
――「満月」は、満月ひとりの視点で進みますが、もう一本の短編「世界」は、主人公の秋と玉井夕海さんが演じるゆうみのふたりの視点になっています。
塚田 「満月」を撮ったのは『刻』を撮り始める前で、映画を撮るってこういう感じだよって子供たちに伝える練習でもあったんです。それに、ひたすら満月が撮りたかったので、「満月」については、ただただ「私が満月を撮った」という感じでした。「世界」は、『刻』を撮っていくなかで、秋ちゃんとの出会いがあり、それから撮ることになりました。そのときはもう私が子供たちと触れ合ってきていて、好きなものの話をいっぱいしてくれる子供たちに自分も元気をもらっていたし、綺麗な瞬間だったと思っていました。なので「世界」の時は、秋ちゃんだけを撮るんじゃなくて、別の世界の人が秋ちゃんを見て、綺麗だなって思うとか、励まされてるっていうことを言える自信が自分にはあったので、ゆうみさんという自分の視点を入れました。
『満月、世界』(9月21日(土)よりユーロスペース他全国順次公開)
――現実とご自身の映画作りの関わりや、現実と物語やフィクションの関係って、どんなふうに捉えていますか?塚田 映画はエンターテイメントだと思うところもあるんですけど、私は、自分が生きてきて悔しかったこととか、美しかったと感じたこととか、そういう瞬間の感情を残しておきたいなとか、撮りたいなって思っています。私だけではなく誰でもそうですが、人は現実を生きているので、フィクションのために現実が何か説明を始めちゃったり、負けたりすると悔しいんです。だから極力、本物を残したいし、本物を撮りたい。映画のエンタメ性や観客の視線のために、キャラクターに説明させたくないというか、映画のために生きさせたくない。なるべく本人たちが自由に生きているのを、こっちが撮りに行きたいって思っています。自分が書く物語は、何か伝えたいことのために都合よく書いたりしている部分もあると思うんですけど、それを本物の人間が演じるならば、その人たちに、書かれた物語が少しずつ負けていって、現実に近づいていったらいいなと思っています。
――そのお話を聞いていて、「満月」で、病院にお見舞いに行ったあと、満月が車に戻ってから「うんっ」って、小さな声でうなずくカットを思い出しました。一般的な劇映画だと、あまり描かれない瞬間なんじゃないかと感じました。
塚田 あれは、満月と話していて、「今、お母さんが言ったことを心の中で反復してみて」みたいに現場で言ったときに、満月が「うーん」って考えたりするんですけど、その時に、「あ、いい顔だな!」とか思うと、そこを撮りたくなるんです。だから、お母さんに言われた言葉を思い出して、自分の中で反芻して、それから「うんっ」って言うまでの、思い出している表情を含めて撮りたいと思ってました。
――前作の『空(カラ)の味』(2016)だと、聡子とマキという年齢の離れたふたりの女性の関係が重要になっていましたが、「世界」もやはり年齢の離れた女性ふたりの関係が重要になっていますね。
塚田 『空(カラ)の味』だと、聡子が自分の視点だったので、大人の女性であるマキさんを見ている聡子の物語なんです。マキさんは大人の女性だけど、どこか大人ではないような女性でもありましたけど。「世界」を撮る時には、子供たちを見ているゆうみさんの視点で撮っています。過去作のときは、自分が大人の視点ではなかったんですよね。でも、今、自分は、初めて大人の立場で何かを言って、書いているという気はします。なので、『空(カラ)の味』の聡子は、年長の女性であるマキさんを美しいと思っていたけど、「満月」や「世界」では、子供たちこそを美しいと思って撮っている。逆の視点にはなっていると思います。
――『空(カラ)の味』では、聡子とマキのふたりが距離を近く取りすぎて、関係がやや混乱していくようなところがあったと思いますが、「世界」の秋とゆうみは、直接は出会わないけれども、ラストで関係がほのかに浮かぶようになっています。
塚田 「世界」は、秋とゆうみを直接には出会わせないということをテーマにしていました。よく映画で、人と人が触れ合って、相手を肯定したり愛したりすることもありますが、人と人が触れ合わないで、誰かが誰かのことを肯定できたらすごいと思っていたんです。例えば街で赤ちゃんを見かけて「可愛い」って思ったり、楽しそうなカップルを見て「なんだよ幸せでいろよ〜」って思うような、他人と触れ合ってないけど、愛する瞬間みたいものをもっと大事にできたら、きっとウクライナの人でもパレスチナの人でも、出会ったことのない人のことも思うことができる。そうしたら世界はもっと良くなるって思います。秋ちゃんと私は出会いましたが、秋ちゃんのことを触れ合わずとも肯定する人が、この世の中には絶対にたくさんいると思っていたので、ふたりを触れ合わせずに映画を終えたいと思っていました。
『満月、世界』(9月21日(土)よりユーロスペース他全国順次公開)
――満月と秋は、一見、対称的に描かれていますが、どちらの内にも言葉というものがすごく溢れているように感じます。満月の場合はそれが音や音楽と結びついていて、秋の場合は書かれた文字と結びついているように見えました。言葉が溢れるっていう感覚って、子供と大人で違いがあるのでしょうか?塚田 子供たちと喋っていると、大人にとっては意味がないような言葉も多い気がするんですよ。だから、子供たちと喋るのは、すごく気を遣うんです。その意味のないような言葉を聞き流してはいけないと思うから。子供たちは、大人はもう発しないような、何の意味もないような話をめっちゃしてくるんですけれど、それから目を逸らしちゃった瞬間に、もう子供たちから次の言葉が出てこなくなったりするんです。子供たちから溢れ出してくる言葉って、大人からは意味がないように思うかもしれないけれど、だからと言って話を適当に聞いちゃうと、もうその瞬間、すごく繊細にシャットアウトされちゃう。子供から溢れてくる意味のないような言葉って、本人たちにとっては、大人への絶望とか期待に、怖いぐらい関わっていると思っています。
――「世界」だと、秋が吃音を持っていますが、ベッドで寝たきりでいる人物のそばで、「世界ってかっこいいんだよ」とつぶやくシーンが印象的です。同じように、「満月」でも、満月が「花みたい」とつぶやくのは、寝たきりでいるおばあさんを見たあとでした。
塚田 「満月」も「世界」も、寝たきりでいる人を出そうと思って出したわけではなくて、両方とも別々に必要だと思って出したんですが、満月の場合は、死に近いがゆえに持った強さのようなものをおばあちゃんに見て、そこに惹かれているところがある。不安とか絶望とかの先に、満月は惹かれている部分がある。秋ちゃんの場合は、言葉を呪っている部分があるので、返答がないからこそ喋りかけられる相手として、寝たきりでいる人物を出しています。聞いているかわからなければ、自分の大事なこととか、ちょっと恥ずかしいセリフとかも言えるかなっていう。
――死と生のあわいにいる者に向き合った時に少し自由になれるというようなことは、ある種、無機的な存在である雪が降ってくる「世界」のラストにも繋がるような気もしました。
塚田 生きていると、時間って止まらないですよね。どんなにしんどくても、すごく長い時間のなかにいるんだって気がして、時間は着実に進んで、季節は変わる。だから、もしも今、秋ちゃんがめちゃくちゃしんどくても、絶対に次の季節は来ると思っているんです。秋ちゃんが、自分のことを受け流せなくても、時間が進んでほしいって思っていたので、秋ちゃんに次の季節を見せるっていうのが、ひとつのテーマだったんです。
――「満月」はフィルムで「世界」はデジタルですが、現場での演出は変わってきますか?
塚田 フィルムの方が太陽を待つことが多いのはありますが、現場での意識は何も変わらない気がしています。ただ「満月」は、最後の踊りのシーンを2カメにした以外は、1台のカメラで撮っていますが、「世界」はデジタルなので、若干予算が浮いているということもありますが、多くのシーンを2カメにしていますね。
――前作の『空(カラ)の味』は新宿の街がラストシーンでしたが、今回は塚田監督ご自身の故郷である長野で撮っていらっしゃいます。東京と故郷の長野の関係はどのように捉えていらっしゃいますか。
塚田 長野は育った風景ではあるんですけど、どこを見ても山しかないし、習い事に行っても学校の子がいるし、ほとんど同じ人間関係の中で育っていて、東京みたいに、ちょっと電車に乗れば渋谷に行けたり新宿に行けたりみたいに、知らない人がいる街に逃げられることがなかったんですよ。だから長野でデートしていれば、すぐ次の日も学校でわかるし、そういう閉鎖空間っていうのをすごく感じていて。だから、満月が高速道路を見るのも何か分かるなってよく思っていて。そのすごく小さな世界を撮るには、長野はやっぱり風景としてもどこを撮っても山があっていいなって思うんです。
東京だと、私は新宿って街がいちばん好きなんですけど、透明人間がいっぱいいるような街だと思っていて、いろんな人がいるけど、誰も私を見てなくて、自分も消えていっちゃうような気がします。自分の個性を誰かが異質だと思ってないし、個性にも気が付いていない。でも、私も誰のことも見てない。そのくらい、いろんな種類の人がいる。お互いに干渉しあわず歩いている気がするのが新宿な気がします。誰も誰かを求めていないような感じがすごい好きだし、ほっとする。私も知らないでいてくれてほっとするし、私も知らないからほっとする。でも、怖いなって思うこともあります。
――誰も自分を見ていない自由さを東京や新宿は感じるけれど、今、長野で子供たちと向き合っている。長野で若い人と映画を作るなかで、彼ら彼女らから感じることや受け取ったものって何かありますか?
塚田 長野で子供たちと映画を撮っていると、昔、恥ずかしかったこととか、嫌だなと思っていたことが思い出されて、いろんなことと真剣に向き合わないといけなくなる感じがします。友達も、東京に出てきてからのように、選んで友達いられるわけではなくて、その土地の人間関係しかなかった。好きだから一緒にいるっていう感覚じゃなくなる感じがあって、そういう自分の疎外感とか、自分と向き合うっていう感じが結構しますね。子供たちと話して映画を撮っていると、「ああ、わかるな」とか、「そういうの嫌だったな」とか、そうした思いを回顧していってる感じがあります。
――逆に自分が彼ら彼女らに受け渡せるものって、なんだろうと思いますか?
塚田 私は商業監督じゃないし、誰かに求められて映画を作っていないし、好きなようにやっているので、ほんとに、人生ずっと好きなことやって、好きなように生きてるのが楽しいので、それを子供たちはいつも見てくれている気がするから、「万理奈ちゃん、楽しそう」と思ってくれていることが、子供たちに大事な気がしてますね。だから子供たちにも、「みんなも好きなことやりなよ」って言いたいなって、思っています。
『満月、世界』(9月21日(土)よりユーロスペース他全国順次公開)
2024年9月9日、シネマハウス大塚 取材:池田百花、鈴木史 構成・写真:鈴木史
『満月、世界』
監督・脚本:塚⽥万理奈
プロデューサー:今井太郎
出演:満⽉、涌井秋、⽟井⼣海、河野真由美、⼭本剛史、池⽥良
配給:Foggy 配給協力:アークエンタテインメント
2023年/⽇本/66分/DCP
9月21日(土)よりユーロスペース他全国順次公開
【公式サイト】https://movie.foggycinema.com/mitsukisekai/
塚田万理奈(つかだ・まりな)1991年⻑野市出⾝。⽇本⼤学芸術学部映画学科監督コース卒業。卒業制作『還るばしょ』が、第36回ぴあフィルムフェスティバル⼊選、第8回⽥辺・弁慶映画祭⽂化通信社賞受賞、第12回うえだ城下町映画祭⾃主制作映画コンテスト審査委員賞受賞、第9回福井映画祭⼊選。初の⻑編映画となった『空(カラ)の味』が第10回⽥辺・弁慶映画祭で弁慶グランプリ・⼥優賞・市⺠賞・映検審査員賞と史上初の4冠に輝き、東京テアトル新宿、⻑野相⽣座・ロキシー始め、全国公開を果たす。現在、16mmフィルムで10年かけて撮影する映画『刻』を制作中。
フィルモグラフィ
「世界」
| 2023 | 38分
第52回ロッテルダム国際映画祭
Bildrausch Filmfest Basel 2023
「満⽉」
| 2020 | 28分
Spain Moving Images Festival 2020 最優秀アジア短編賞
第 15 回 Jogja-NETPAC Asian Film Festival
『空(カラ)の味』
| 2016 | 125分
第10回⽥辺・弁慶映画祭 弁慶グランプリ・⼥優賞・市⺠賞・映検審査員賞
『還るばしょ』
| 2014 | 36分
第36回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
第8回⽥辺・弁慶映画祭 ⽂化通信社賞
第12回うえだ城下町映画祭 ⾃主制作映画コンテスト審査委員賞