『ボーガンクロック』ベン・リヴァース
結城秀勇
[ cinema ]
夜道でトレーラーハウスを引いてきた自動車が止まり、運転していた男は、なにかものを探してでもいるかのように鼻歌を歌いながら後ろのトレーラーハウスへ入っていく。しばし懐中電灯の光が動いているのが見えるが、彼がなにをしていたのかは誰にもわからない。そのまま眠りについたのだろうか。その男=ジェイク・ウィリアムズこそがこの映画の主たる登場人物である。そして観客は、彼が鳥肉をさばき調理し、山を散策し、ひと休みして歌をうたい、一眠りし、温室の植物の手入れをし、猫にニャーと話しかけ、スキーを履いて山を散策し、風呂桶を修理して、風呂に入るのを見る。
と、ここまで書いた時点で、同じジェイク・ウィリアムズを主人公とした『海辺の2年間』との大きな違いがふたつばかりある。まず『ボーガンクロック』では彼が(人間として)唯一の登場人物ではない。そしてそれと関係して、彼は歌をうたう。「撮影期間、僕らがあそこにいる間、すごくたくさん音楽を聴いていたんだ。ジェイクは音楽が好きで、料理をしたり、なにか作業をしたりするときに、映画の中にも出てくるスピーカーから実際に音楽をかけていた」(ベン・リヴァース インタビュー「湖畔の冒険」)、という監督のインタビューを聞く限り、カセットテープが山ほど詰まったでっかい袋から見繕って東南アジアの香りのするBGMを流し始めたり、ガムランのような音楽に合わせてダンスするジェイクの姿は、より普段の彼に近いのかもしれない。短編「The land is mine」から『湖畔の2年間』の間で、被写体との関係性が変わったと監督は述べていたが、それは前作と今作の間についても言えるだろう。
だが逆説的なようだが、人っこひとりいない森の中、まるで人類滅亡後の世界のようにすら見えた『湖畔の2年間』よりも、他の人間に話しかけ、他の人間と合唱する場面すらある『ボーガンクロック』のほうが、個人的には孤独を感じた。それはジェイクが寂しそうとかではない。むしろ彼はより楽しそうに見える。そういうことではなく、完全に我々の日常生活から切り離された世界のように見えた前作よりも、ジェイクの住む森の中と都市の(とはいかないまでも少なくとも街の)生活とのつながりが感じとれる今作のほうが、彼の生活の中にあるさまざまなオブジェや現象からの距離を感じたということだ。疎外されているのはジェイクではなく、彼を見る我々だという意味での孤独。
かつて『湖畔の2年間』について、人類滅亡後の映像、あるいは映像誕生以前の映像のような、まるでオーパーツのような作品だというようなことを書いたのだが、『ボーガンクロック』ではジェイクとの距離がより縮まっているがゆえに、より距離そのものを感じる。ここで言っているのはそこまでたいした話ではない。それはほんの小一時間電車や車にでも乗れば体験できるような些細なこと、夜の闇の暗さ、川のせせらぎ、虫の鬱陶しさ、砂利道の歩きづらさ、立ちこめる煙のような、ほんのささいななにかについてだ。求めようとすればすぐ触れられるのに、我々の生活から排除されているなにか。本作のタイトルの詳しい意味や狙いについてはなにも調べていないのでわからないが、おそらくスコットランド・ゲール語で「柔らかい石」という意味のこの単語は、それが「石」のように見えるが、でも実は触れれば「柔らかい」と感じるまでの距離を、私たちに意識させる。そこに孤独を感じる。それは必ずしも不快ではない。
最後に、前作よりオーパーツ感薄めだと書いてきたばかりだが、『ボーガンクロック』のラストには度肝を抜かれたことを書かずにはいられない。庭で風呂に浸かるジェイクの、風呂桶を温める焚火から徐々に上方にカメラが持ち上がっていく長いカット。ある高さまでカメラが持ち上がった時点で、え?ドローン?となるが、いやベン・リヴァースだもの、クレーンじゃね?となるが、むしろこんな映画でクレーン使ってるほうがよっぽどすごい、とか思ってる間にカメラははるか上空にいて、え、やっぱドローンなのかとなる。......いやしかし、この映画16mmフィルムカメラで撮られていたんじゃなかったのか?さらに35mm用のアナモルフィックレンズを16mmに付けられるようなアタッチメントを手づくりしたって前に聞いたぞ?そんなものを積んで飛べる?それでこんな繊細な動きができる?どういうこと?......ハテナが消えないままカメラは天高く舞い上がっていて、そしてカットが変わり、一面の黒い平面のところどころに光が粒のように指す画面に変わる。きっとジェイクが次回子どもたちに教えると言っていた星の話のために使う道具なんだろう。......いやしかし待てよ、もしやカメラはそのまま上昇して宇宙まで行ったんじゃ......。となるとその前のカットは、UFO撮影のカット......?!
もしかすると『ボーガンクロック』という作品もまた、「柔らかい石」のようなオーパーツなのかもしれない。