『私の想う国』パトリシオ・グスマン監督インタビュー
積み重なる「歴史=ストーリー」の核
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2019年、チリで「社会の爆発」と呼ばれるチリ史上最大規模の社会運動が起こった。新自由主義の実験場とされたチリで降り積もってきた人々の怒りがついに暴発した。『チリの闘い』を代表作として50年以上チリ社会を記録し続けてきたパトリシオ・グスマンはこの出来事に突き動かされ、最新作『私の想う国』を制作する。
今作の日本公開にあわせて、パリ在住のグスマン監督にオンラインでインタビューを行った。監督の体調を考慮して短い時間での取材となったが、そこでゆっくりと言葉を選んで語られた彼の言葉からは、ドキュメンタリー映画に対する根本的な姿勢をうかがうことができた。出来事の「記録」と「記憶」がせめぎあい、絡まり合う場をつねに捉えてきたグスマン監督は、変わりゆくアクチュアルなチリに対してどのように応答したのだろうか?
ーー『私の想う国』には2019年のデモの映像の他にも、チリの様々な時期の映像が含まれています。グスマン監督は普段フランスに暮らしていると思いますが、どのようにしてチリの映像を集められたのでしょうか。
パトリシオ・グスマン(以下、PG) チリで長年共に活動してきたカメラマンでパブロ・サラスという人物がいます。前作『夢のアンデス』(2019)でも彼は登場しましたが、チリの路上の運動を撮ることにかけては誰よりも情熱的で経験のある人物です。社会運動やプロテストを撮り溜めてきた彼のアーカイブは、チリについてのひとつの長大なドキュメンタリー映画だと呼べるのかもしれません。パブロの撮影スタイル、とくに路上でのカメラの扱い方はとても特徴的なので、私には一目で彼の映像だと分かります。
ーーパブロ以外の撮影者が撮った映像も含まれていますよね。
PG そうですね。いまでは技術が発達して誰でも小さなカメラを持ってどこでも撮影できるようになりました。今回は首都サンティアゴの映像を中心にしていますが、主要なメディアがなかなか記録しない小さな村や地方の状況について知るためには個々人が撮った映像が不可欠です。その意味で、今回の映画で最も活気があった映像のひとつは、4人の女性たちから構成される「フェミニスト・アート・コレクティブ、ラス・テシス」の映像ではないでしょうか。彼女たちが家父長制に反対するプロテストを始めたのはバルパライソという街でした。彼女たちは自分たちでデモを組織しながら、その様子を撮影してすぐさま拡散していました。
ーー作中の映像についてお聞きしたいのですが、今作ではドローンによって撮影された映像が多く見受けられます。ドローン映像は近年のあなたの作品の特徴のひとつでもありますが、ドローンの使用についてどのように考えていますか。
PG ドローンをドキュメンタリー映画の撮影で用いることはいまの流行りです。引いた画がほしい時には有効な手段です。今回の映画では非常に大勢の人々が参加した巨大デモを撮る必要があったので、ドローンの映像が多くなったのでしょう。また、警察の車両がデモ隊に追いかけられて煙を出しながら道路を走っていくショットも、ドローンでなければ撮影できなかった貴重な映像です。ただし、ドローンはあまり多くは使わないほうが良いと思います。ドローンによって撮影された映像は分かりやすい反面、事前に予測のつくものばかりなので、それに頼ると映画がありきたりなものに見えてしまいます。
ーーあなたのこれまでの映画では脚本が大きな役割を担っていました。今回は2019年のデモを中心に刻一刻と変わっていくチリ社会に対峙しなければならなかったわけですが、そうした状況でどのように脚本を練っていくのでしょうか。
PG 私のドキュメンタリー映画では、つねに事前に脚本を用意しています。多くても15〜20ページほどのものですが、撮り始める前の段階でその都度テーマについて直感的に感じていることや構想していることを書き留めます。完璧な脚本ではなく、あくまで映画の発端となるようなささやかなものです。撮影前にこうした書き物を準備する時間はとても好きです。もちろん撮影を進めるにつれてこの脚本は変化していきます。この初期段階の脚本を私たちは「想像上の脚本」と名付けています。今回のラストシーンはボリッチ新大統領が就任する場面ですが、もちろんこうした事態は制作当初には想像できなかったことで、撮影を進めている中で遭遇した現実であったのです。
ーー前の質問とも関係するのですが、ドキュメンタリー映画において、緊急性と耐久性はどのように両立できるものなのでしょうか。『私の想う国』は、当時チリで起こっていた進行中の出来事を撮らなければならないという緊迫感に駆られていたと思います。その一方で、この映画が2019年を振り返る人々の語りを捉えて、それがいま2024年に公開されるように、出来事から時間が経ってからも古びることのない耐久性も映画作品として必要ではないかと思います。これらはどのように共生することができるのでしょうか。
PG 両者の関係は複雑なものです。『私の想う国』では、人々がカメラの前で語っている場面と、路上のアクションを捉えた場面があります。その場限りのアクションを何かに置き換えることはできません。また、警察がデモ隊に向かって催涙弾を発砲し、それに人々が立ち向かうシーンを落ち着いて撮影することは難しい。現場でなるべく柔軟に動けるよう準備はしていきますがね。他方で、カメラの前で人が証言する際には、こちらも色々と考えて撮ることができます。これら性質の異なる場面を連関させて、何らかの歴史=ストーリー(history)をつくっていくことが大切です。それは人目を引くことを重視するテレビ番組のような映像と映画との違いでもあります。ドキュメンタリー映画で、歴史=ストーリーが失われることは避けたいと思っています。目の前に初めて起こった出来事があるとしても、そのあとに何が起こりそうか、またはその前に何が起こったかを描くことができます。歴史=ストーリーの断片的な核のようなものが次々と目の前に現れるので、それらを繋げてあげるのです。または、ある人物の話が、そのあとに取材をした第3、第4の人物の話と結び付けられることもあります。
アクションを捉えるのではなく、より静的な描写に専念する手法もあります。家の窓から見える景色を通して客観的に眺められるイメージがあって、そうしたイメージは他のイメージと結び付いて次第に小さな歴史=ストーリーを語る可能性を秘めています。そのようなスタティックな描写を積み重ねることで見えてくるものがあるのです。
ーー最後の質問は、あなたの映画における重要な概念である「ノスタルジー」についてです。今作の冒頭ではクリス・マルケルの言葉が引用され、ラストでは『チリの闘い』(1975、1976、1978)当時の映像が挿入されています。こうした構成からは強いノスタルジーを感じるのですが、あなたにとってノスタルジーは映画にどのような効果をもたらすのでしょうか。
PG かつてクリス・マルケルがくれた言葉を映画で引用したのは、私なりのオマージュです。ノスタルジーとは私にとって非常にブライベートな概念であり、映画づくりにおいて重要なものです。それはビルや家、井戸、失われた道、倒木、雨の日などのイメージと結び付けられるでしょう。過ぎゆく情景が反映されている映像にはすべてノスタルジーが宿っている。そして、ノスタルジーとは感情そのものです。そうした感情をドキュメンタリー映画でつくることは難しい。これまで話してきたようなアクションや描写、美しい映像がいくらあったとしても、そこにノスタルジーまたは感情が生まれることは稀なのです。
取材・翻訳・構成:新谷和輝(ラテンアメリカ映画研究者)
『私の想う国』MI PAIS IMAGINARIO
2022年/チリ・フランス/83 分/1:1.85
監督:パトリシオ・グスマン
12/20(金)より公開アップリンク吉祥寺、アップリンク京都
12/21(土)より公開新宿K's cinema
公式サイト
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