June 30, 2024
ひとつ前の試合、スイスは後方からの前進は悪くないが、最終局面での動き出しが少なすぎる。ただそれを上回るイタリアの守備の稚拙さが勝負を決めた。前からプレスが連動しておらず、抜かれた選手は棒立ちで戻らない。どちらのチームもグループステージの方が気合いが入っていたのではないかという試合で眠気を誘う。 一方でドイツ対デンマークのゲームは、雷で一時的にゲームが中断されながらもちっとも眠くならない、現...
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June 29, 2024
2015年に世を去った監督シャンタル・アケルマンの最後の長編劇映画『オルメイヤーの阿房宮』(2011年)は、シャンタル・アケルマンが現代映画を代表する優れた監督であることをあらためて感じさせる見事な映画だ。 原作はジョセフ・コンラッド(1857〜1924)。ロシア、オーストリア、プロシアに分割支配されていた国家なきポーランドにルーツを持ち、独立運動に関わった父とともに幼少期は流刑地に送られ、1...
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June 21, 2024
ビルドアップのときに後ろから325をつくるデンマークは、最終ラインが無駄に広がらないのがいい。以前にも書いたが、ショートパスを繋ぐチームにとって重要なのは、サイドで幅を取る選手が相手のウィングを二歩超えたあたりの位置をとり、半身で相手ゴール方向を向いていること。かつその選手にボールが通った際に、しっかりとバックパスのコースが確保されていることだ。ウィングの選手がそのような状態を保つためには、最終...
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June 18, 2024
組織のオーストリア対個のフランス。現ドイツ代表監督ユリアン・ナーゲルスマンがライプチヒの監督をしていた際に、スポーツディレクターだったのがラルフ・ラングニックである。彼がオーストリアの指揮をとっている。ラングニックといえば徹底したハイプレス戦術で、クラブチーム時代は運動量の高い若手たちを好んで集めていた。かなり約束事の多い戦術は合わないところとはまぁ合わず、クリスチャーノ・ロナウドが一時帰還して...
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June 15, 2024
ドイツは両ウィングのヴィルツ、ムシアラを中に絞らせて、トップ下のギュンドアンとともライン間で顔を出し続ける。後方は左センターバックのターの左横に中盤のクロースが降りて3枚をつくり、その分両サイドバックを上げる。あくまでイメージだが、初期配置4231から3151へと可変する。上がった両サイドバックのスペースが使われやすくなるため、決してリスクの低い陣形ではない。それでもドイツがここまで圧倒できたの...
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June 14, 2024
他人には見せるつもりがない登場人物たちの表情が随所で捉えられている。山添くんが部屋でひとりでいるときの顔、藤沢さんの耐えている顔、栗田社長や辻本の泣きそうな顔。そうした顔たちはカメラで不意に抜かれてしまうことはなく、常に流れのなかで見えてくるように演出されている。 辻本の泣き顔は元部下である山添くんが移動式プラネタリウムについて語る流れのなかで見せられる。役というよりも演じる松村北斗自身の癖...
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June 8, 2024
まだ映画のことなどよく知らない、自由に映画を撮れるはずのこどもたちであっても、じっさいに制作の場に立てば、人としてちゃんとしなければいけない、ということを『こどもが映画をつくるとき』は教えてくれた。人の話を聞かなくてはいけないし、無断で撮影をしてはいけないし、そのためにタイミングを見計らって色んな人に丁寧なお願いをしなくてはいけない。映画は仲間や仲の良い人たちだけで好き勝手につくれるものではなく...
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「暴かれた男性性を私たちは受け止められるだろうか」 熱狂できない私 ジョージ・ミラーによる『マッドマックス 怒りのデス・ロード(以下:『怒りのデス・ロード』)』の前日譚にあたる『マッドマックス:フュリオサ』が公開された。『怒りのデス・ロード』では軍隊の大隊長フュリオサが独裁者であるイモータン・ジョーのもとから、彼の子を産むことを強要された女性たちを連れ、フュリオサの生まれ故郷である緑の地を目指し...
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June 7, 2024
「あなたを愛せるかどうかはわからない」。心底憎んだ姉の娘であり、交通事故で両親を失い孤児となった朝(早瀬憩)を自分の家に引き取ろうと決意する葬儀場の場面で、槙生(新垣結衣)はそう言う。原作漫画のシャープな描線を彷彿とさせるメイクの槙生と、ショートボブで全体的に小さくくりっとした朝の顔(そう、瀬田なつき作品の主人公と言われて微塵の違和感もないような)とが、真正面の切り返しで並ぶ。年齢が20歳離れた...
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June 2, 2024
母親の住む家のある小さな駅に降り立った藤沢さん(上白石萌音)が改札を出てくるときに、彼女の方向に向かってずっと手を振っている老夫婦がいるので、なんだ藤沢さんめっちゃ歓迎されてるな、と思ったが、藤沢さんはそのまま彼らの横を荷物を引きずりながら通り過ぎるので、老夫婦が到着を待ち望んでいたのは藤沢さんではなくて、彼女の後ろにいた幼い子供を連れた親子なのだということがわかる。だからなんだ、というただそれ...
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