『雪子 a.k.a.』草場尚也
結城秀勇
[ cinema ]
SDGsの基本的な考え方があったよね、なんだったか覚えてますか?はい、「だれ1人とりのこさない」です。この作品の冒頭に映るほんの短い授業風景。主人公が小学校の教師であることを示すなんということのないこの場面が、やたらと印象に残る。そもそも恥ずかしながらSDGsの基本的理念が「だれ1人とりのこさない」だったなんてこれまで知らなかった。「だれ1人」。言うは易しだとしても、なんだか感動的だ。でもわたしたちは、その「だれ1人」をどんな顔をした存在として思い浮かべるのだろう?隣の席の人と話し合ってみてください。でも教室にはだれも座っていない机がひとつある。
小学校教師の吉村雪子(山下リオ)は、週末は近所の公園で仲間たちとラップを楽しむ生活を送っている。あらすじを書くとしたらそんな感じなんだろうが、そしてそれは間違ってないんだろうが、でもなんだかしっくりこない。教師とラッパーの二足の草鞋、とかいうほどのことでもないし、勤務中は世を忍ぶ仮の姿、ということなわけでもない。そしてなにより、MCサマーとして活動するときの彼女が普段見せていない「本当の姿」だなんて絶対言いたくない。職場の自分がいて、家庭の自分がいて、趣味でもなんでもなんかもう一個くらい自分がいて、故郷に帰れば地元の友達や家族といつもとは違う口調で話す。その程度の、誰もが自然とそうしているくらいの意味で、吉村雪子は、MCサマーであり、ゆっきーであり、雪子であり、吉村先生(はふたりいるので、雪子先生のほう)である。
間違っているのかもしれないが、恋人の広大(渡辺大知)がMCサマーとしての雪子を嫌いな理由は、わたしがMCサマーを「本当の姿」だと言いたくないのとどこか似ている気もする。そしてそれは、MCサマーのリリックがいまいち刺さらない理由である、ラップが「普段言えないことを言う」ための手段に過ぎないんだったらそれってただの愚痴じゃんという指摘ともどこか通じているようにも思う。そんなとき仲間たちは、MCバトルに出てみれば?と言う。え?なんで?と雪子は(そしてたぶん見ている観客も)思うのだが、ここで言うバトルは雪子が考えているような代物ではないのだ。そのことをすでに雪子はここより前のシーンで教わっている。
それを教えてくれたのは大迫先生(占部房子)だ。生理用ナプキンを袋に包んで渡すのって逆に恥ずかしいという刷り込みだ、みたいなことを言う男性教師・谷川(石田たくみ)に、大迫先生は「じゃあ保健室からナプキンをもらってきてください、隠さずに」と言う。戸惑う谷川先生に、「その間(ま)。その間について考えましょう」と大迫先生。さすが非公式先生ランキング1位の神キャラ大迫先生、というエピソードなのだが、大事なのはその後だ。すいませんでしたと謝る谷川先生に、大迫先生はこう言う。「私が悪かったです。ごめんなさいって言わせたらダメでした。口封じしたのと同じです」。
本来のラップバトルの定義がなんなのかは知らないが、少なくともこの映画においてバトルとは、自分が言いたいことを言うことでも、相手に言いたいことを言わせないことでもない。たとえるなら、将棋が、宇宙に存在する原子の数より多い盤面の組み合わせの中から、そのときしか生じない形をふたりの力で積み上げていくように、流れるビートと、自分と向き合うだれかとともに、そのときだけ生じるなにかをつくりあげていくこと、「その間について考え」ることなのだ。そしてそれは、「本当のこと」とはあまり関係がない。だってすべては「本当のこと」なのだから。
クラスに登校して来れない児童がいるのも「本当のこと」。でも彼は仲のいい友達と毎日オンラインゲームでボイチャしてるから、別に孤独なわけじゃないのも「本当のこと」。それでも雪子先生は彼の顔を見たいと思っているのも「本当のこと」。でも別に彼が学校に来たところで、この世から不登校もいじめもなくなるわけじゃないし、ご大層な約束のようなものが守られたり守られなかったりして人が簡単に殺されたりするのが終わるわけでもないのも「本当のこと」。そんな世界で、「だれ1人とりのこさない」ためのその「だれ1人」の顔をどうやって思い浮かべればいいのだろうか。
『雪子 a.k.a.』という映画が、それに対する直接的な答えを用意しているとは思わない。でも、夜の学校で雪子が紡ぐリリックを聞くとき、彼女の顔がそれまでとはちょっと違って見える。「坂下類くんはどんな人?ピアノでも伝わるよこんなにも」。その言葉とビートとメロディは、たぶん坂下類くんについて観客になにかを教えてくれるよりはるかに多く、雪子について教えてくれる。それまで、「わたし」や「自分」をどんなに繰り返してもぼんやりとしかわからなかった雪子という人物、というより彼女とヒップホップの関わりが、この一言でこんなにも伝わる。「だれ1人」ってこうやって想像するのかな、とMCサマーもゆっきーも雪子先生も雪子もとりのこさなかった彼女を見て思う。