『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』バーセル・アドラー、ユヴァル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール
金在源
[ cinema ]
「ガザはアメリカが所有する」
アメリカの大統領に再就任したドナルド・トランプによる上記の発言は記憶に新しい。2023年10月から続くイスラエル軍による虐殺行為で、ガザ地区の死者は4万人を超えているとされている。また、イスラエル軍とハマスとの間で停戦合意がなされているにもかかわらず、イスラエル軍はパレスチナ自治区のヨルダン川西岸で軍事作戦を展開し、入植者と共にパレスチナ人への迫害を続けている。イスラエル軍や入植者だけではなく、アメリカを筆頭に多くの国々がパレスチナへの占領行為に加担しており、その勢いは加速しているようにも見える。
そのような状況の中、『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』が第97回アカデミー賞において長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。アカデミー賞といえば、前回、国際長編映画賞を受賞した『関心領域』の監督であるジョナサン・グレイザーが、その受賞スピーチにおいてイスラエルによる虐殺行為を非難したことが話題になった。その後、彼のスピーチの内容を糾弾する公開書簡に1000人以上のハリウッド関係者が署名したことも報じられた。多くの映画関係者がイスラエルを支持する中、ヨルダン川西岸地区のマサーフェル・ヤッタで続くイスラエル軍による破壊と占領を記録した本作が、アカデミー賞にノミネートされたことに違和感を覚えているのは私だけだろうか。
本作はパレスチナのヨルダン川西岸地区出身のバーセル・アドラー、ハムダーン・バラルとイスラエル出身のユヴァル・アブラハーム、ラヘル・ショールの4人によって手掛けられたドキュメンタリーである。マサーフェル・ヤッタを射撃訓練所にするという理由で人々を追放しようと試みるイスラエル軍とその土地の住民による抵抗を記録した作品となっている。本作を通して私たちは、バーセルの出身地であるマサーフェル・ヤッタにおいて、私たちが報道でよく目にする「占領」という行為が、どのようなものなのかを目の当たりにする。イスラエル軍は毎日のようにマサーフェル・ヤッタにやってきて、住民たちの家屋を破壊、水道や電気などのライフラインを寸断し、強制的にその土地を奪い取ろうとする。子どもたちのために住民たちが協力してつくりあげた学校もイスラエル軍の重機によって壁が剥がされ、瓦礫の山にされてしまう。マサーフェル・ヤッタの人々は抵抗を試みるが、武装したイスラエル軍の暴力はエスカレートし、実際に住民が銃撃されるショッキングな瞬間もカメラは捉えている。
また、占領と破壊を行うのはイスラエル軍だけではない。イスラエル軍と共に度々マサーフェル・ヤッタに現れる入植者たちも破壊行為に加わる。入植者たちは暴力を振るうことに躊躇いがない。抵抗する人々を笑いながらスマホで撮影する者、覆面で顔を隠し匿名性を保持したまま暴力を行使する者、入植者たちは言葉にしがたい恐怖を纏っている。彼らは占領の過程を楽しんでいるようにも見える。パレスチナの人々には、教育はおろか、生活する権利すら与えられていない。いつ自分たちの土地と命が奪われてしまうのか分からない張り詰めた状況の中で彼らが生きているということが伝わってくる。
本作の一つの主題は、パレスチナ人のバーセルとイスラエル人のユヴァルの「命がけの友情」であるとされている。マサーフェル・ヤッタで繰り返し行われる占領行為に対して抵抗の意志を示すユヴァルは、住民たちとともに生活し、イスラエル軍に対して声をあげて抵抗する。世界にマサーフェル・ヤッタの状況を伝えるため、記録した映像をSNSや報道機関に投稿している。平和を求める彼の行動と、深まっていくバーセルとの関係に私たちは注目してしまいがちだが、「友情」という言葉だけで彼らの関係を捉えてしまうことは危険だ。イスラエル人のユヴァルとパレスチナ人のバーセル、彼らの間には明確な立場の違いがある。抑圧者と被抑圧者、権利を持つ者と奪われる者、当事者性の違いがそこにはある。彼らの関係を「友情」という言葉に還元してしまうのではなく、不均衡な立場と当事者性を私たちはどう乗り越えていくのか。そのことを本作は問いかけているのではないだろうか。
アカデミー賞にノミネートされてからもマサーフェル・ヤッタではイスラエル軍による迫害が続いている。ユヴァルはその様子を今もSNSを通して発信している。本作に記録されているのは、二人の青年の友情物語でも過去の歴史でもない。今起きているイスラエル軍による迫害と虐殺行為に対する告発だ。そのような作品が、ガザの所有を公言するアメリカの映画賞にノミネートされること自体の歪さをどう考えればいいのだろう。私たちはこの映画の価値を米国アカデミー賞という政治的な舞台の中から見出し、美談として消費するのではなく、本作が世界に訴えかけているパレスチナの現実を直視し、国際社会の一員として応答しなければならないのではないか。日本でも各地でさまざまなアクションが行われている。ユヴァルとバーセルに任せるのではなく、本作を見た私たち自身がパレスチナの解放を願って声をあげることが求められている。