『ANORA アノーラ』ショーン・ベイカー
宮本法明(批評家)
[ cinema ]
ショーン・ベイカー監督の映画『ANORA アノーラ』(以下、本文ではアルファベット表記)は、ダンサーの尻を映したショットから始まる。主人公のアノーラ(マイキー・マディソン)が働くストリップ・クラブ「ヘッド・クォーターズ」はステージ上でダンサーが脱ぐのではなく、フロアで酒を飲んでいる客とダンサーが連れ立ってブースや個室に入るタイプの店だ。あるダンサーは床に手をついて激しく踊り、あるダンサーはソファに腰かけた客の脚に乗って体を密着させている。そこで注目されるのは、上半身をのけぞらせて客に寄りかかるダンサーの特異な体勢である。おそらく他の場では滅多にすることのないであろうこの体位は、本作の要所で変奏されることになる。[*¹]
ロシア系アメリカ人のアノーラは、ヘッド・クォーターズにやってきたロシア
それによりイヴァンはアメリカに永住できるはずだったが、しかし二人の仲を引き裂こうとする者たちが現れる。イヴァンの両親に仕えるアルメニア人のトロス(カレン・カラグリアン)は、二人の婚姻証明書を確認するためにガルニク(ヴァチェ・トヴマシアン)とイゴール(ユーリー・ボリソフ)を先の豪邸に派遣する。強面のイゴールは礼儀正しく(?)名乗りつつも、逃げ出したイヴァンのあとを追いかけようとするアニーを後ろから羽交い絞めにし、そこがあたかもヘッド・クォーターズであるかのように彼女をソファの上でのけぞらせる。職場にいるトロスはガルニクの電話越しにアニーの叫び声や暴れる音を耳にして、聖職者であるにもかかわらず洗礼式の最中に教会を抜け出す。キリスト教の伝道者が殴り合いの直後に説教を行う『私を町まで連れてって』(ダグラス・サーク、1953年)の記憶を呼び起こす破天荒なトロスは、手首を電話線で縛られたうえに赤いスカーフで口をふさがれたアニーに対して、結婚の取り消しと引き換えに1万ドルを払うという。
ハリウッドの再婚喜劇を研究した哲学者のスタンリー・カヴェルは、その代表的な作品である『或る夜の出来事』(フランク・キャプラ、1934年)が、主人公の女性とその結婚を取り消そうとする父親の口論から始まることを指摘している。[*²] つまり『ANORA』は、再婚喜劇の形式に則った映画なのである。さらに興味深いのは、カヴェルがハワード・ホークス監督の再婚喜劇における尻の主題に注意を促していることだ。[*³] 『赤ちゃん教育』(1938年)では主役のデイヴィッド(ケーリー・グラント)が着ているコートの裾(tail)とスーザン(キャサリン・ヘップバーン)が着ているドレスのスカート部分が裂けてしまい、デイヴィッドがスーザンと密着して尻(behind)を隠しながらレストランを出ていく。また、『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年)においても「尻(behind)というハワード・ホークスお気に入りの部位」[*⁴] をほのめかす描写がいくつも存在するという。ダンサーの尻を映したショットから始まり、ストリップ・クラブでの体位が要所で変奏される『ANORA』は、再婚喜劇の伝統を踏まえているのである。
アニーはトロスのオファーに乗るふりをして3人と共にイヴァンの捜索を始め、そこから抱腹絶倒のドタバタ劇が始まる。ジェームズ・グレイの傑作『リトル・オデッサ』(1995年)も撮影された旧ソ連系移民の居住地ブライトン・ビーチを必死で探し回っても、イヴァンはなかなか見つからない。夜になって冷え込んだリトル・オデッサを速歩きで突っ切るアニーに対して、イゴールは彼女の口をふさぐのに使った赤いスカーフを手渡そうとする。[*⁵] 気が利くのか利かないのかよくわからない坊主頭のアルメニア人は、コニー・アイランドの駄菓子屋でも金属バットで破壊したガラスケースからポップコーンをつまみ食いするというチャーミングな一面を見せていた。そして皆がへとへとになってイヴァンを見つけたのは、あろうことかアニーが働いていたヘッド・クォーターズであった。アニーは泥酔したイヴァンに語りかけ、二人の関係を確かめようとする。
しかし翌日に両親が現れると、イヴァンは冷淡にもアニーと別れて帰国する素振りを見せる。結婚を取り消すためにラスヴェガスのあるネヴァダ州へ飛んだ一行の中で、居丈高の母親ガリーナ(ダリア・エカマソワ)とその状況を面白がる父親ニコライ(アレクセイ・セレブリャコフ)を尻目に、イゴールだけはイヴァンにアニーへの謝罪を求める。後半はほとんど何もしゃべらないイヴァンに見切りをつけ、アニーはガリーナのものだという赤いスカーフを投げつけてその場を去る。そこでイゴールは、彼女をブライトン・ビーチに送り届ける役目を果たすことになる。
長旅を終えてアニーのアパートへ到着すると、イゴールはトロスが没収していたイヴァンとの結婚指輪をこっそりと返す。彼が荷物を2階に上げてもアニーは車を降りようとせず、タバコを求める。それまでイゴールにとげとげしく接してきた彼女は、そこで「あんたらしい車ね」と口にする。長い沈黙のあと、アニーは運転席のイゴールに乗りかかってシートを倒す。彼女は下着をずらし、交わろうとする。今度は背中越しではなく、二人向き合っての体勢だ。しかしアニーは感情を爆発させ、イゴールを叩き始める。彼は混乱しつつも、アニーを抱き寄せようとする。そして、彼女はイゴールの懐で泣き崩れる。この新しい再婚喜劇は、ここで幕切れとなる。ショーン・ベイカーは『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017年)や『レッド・ロケット』(2021年)のラストで弱者の希望が幻想に過ぎないことをある意味で残酷に描いてきたが、『ANORA』では幻想が解けた末に希望が芽生える。この後アニーとイゴールが結ばれるのかは、誰にもわからない。しかし雪が降りしきるリトル・オデッサで、新たな魂の交歓が始まろうとしていたことは確かである。
付記;試写会の手配をしてくださった阿部真佑さんと奥村朋子さん、拙稿を掲載してくださった隈元博樹さんにこの場を借りて御礼申し上げます。
[*¹] 以下の批評も、本作におけるダンサーの体勢を「マウントポジション」と呼んで注目している。鈴木史「第3回 リトル・オデッサのマウントポジション----『ANORA アノーラ』のアニーとイゴール(前編)」、連載『迷子が不良になる時----パルマコスの映画史』(最終アクセス:2025年3月1日)
[*²] スタンリー・カヴェル『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(石原陽一郎訳、法政大学出版局、2022年、p.128)
[*³] 同上、p.178
[*⁴] 同上、p.252
[*⁵] ショーン・ベイカーの過去作における速歩きの主題については拙稿「速歩きのショーン・ベイカー論」『ユリイカ』特集=A24とアメリカ映画の現在(青土社、2023年、p.164-171)を参照。なお『ANORA』のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞とアカデミー賞5部門制覇を記念して、現在researchmapに加筆版を期間限定で無料公開している。