『フライト・リスク』メル・ギブソン
梅本健司
[ cinema ]
劈頭の雪やトナカイは明らかにCGに思えてしまうけれど、しかしそうしたチープさをスクリーンで確認させてくれるアメリカ映画も少なくなってしまった現在の状況からして、できることが限られたなかでこれから何を見せてくれるのかとむしろ期待を抱かせる。じっさい『フライト・リスク』は、広大な雪山の景色や、終盤に映し出される難破船が壮観といえば壮観とはいえ、それらのちょっとした豪華さも、たったひとつのシュチュエーションを彩る脇役として生かされているだけであり、小さくまとまっている。
ある事件の重要参考人、彼を護送しなくてはならない保安官、そして小型機の操縦士と主要な登場人物は3人しかおらず、物語のほとんどはその小型機の中で語られる。しかも、彼らが渡るアラスカからニューヨークまでは大体1時間半らしいので、91分の上映時間からして、大幅な省略は冒頭に日を跨いだのを除くとほとんどないに等しいといえよう。実質的な主役はマーク・ウォルバーグ演じる操縦士ではなく、トファー・グレイス演じる保安官で、どうやら彼女は護衛中の証人を死なせてしまった過去があるようなのだが、この映画はそれをフラッシュバックでくどくど語り直すような野暮はしない。あるいは、事が起こってからはとくに保安官が遠方にいる何人かの人物と頻繁に連絡を取るようになるものの、小型機の外で蠢く陰謀を直接描くこともしない。そのように舞台と登場人物、期間(前半あたりに説明された証人を送り届けるタイムリミットは正直そこまで生きていないが)を限定したことがかえって、主要3人の緊張関係をより引き締め、所々の豪華さを際立てている。
とはいえそうしたタイトな作りが豊かさを獲得した例など珍しいわけでもないのだから、もう少しこの作品ならではの魅力も述べなくてはならないだろう。離陸して早々マーク・ウォルバーグは元々の操縦士を殺して、入れ替わった敵勢力の手下であったことがわかる。標的たちをすぐに殺さず、暴力を楽しむ様子は、任務を忠実にこなしているだけのようにはとても見えない一方で、必ずしもサイコキラーのように狂気に振り切った造形がなされているわけでもない。かつて獄中で過ごしたことがあるらしく、そこで何らかのトラウマを負ったことが示唆されるものの、彼に対して見るものが同情し、善玉か悪玉か割り切れなくなるような作劇かといえば、そこまで複雑にも感じない。途中すっぽりと脱げてしまうカツラもとくに哀愁を漂わせることなく、瞬間的な驚きと笑いを提供するだけだ。そんな一見空虚ともいえるこの人物にマーク・ウォルバーグはとてもハマっている。
そして、『フライト・リスク』はその捉えどころのないウォルバーグをかなり多くの時間フォーカスから外している。偽物の操縦士だったことが判明し、保安官がウォルバーグにスタンガンの電撃を浴びせてからは、ウォルバーグは機体後方で拘束され、保安官が操縦席に座り、隣には最初後方にいたミッシェル・ドッカリー演じる重要参考人が移動してくる。保安官は慣れない操縦の補助と事件の全容を把握するため、述べたように外部と連携を図るのだが、そのような機体の内と外というふたつの空間だけでなく、浅い被写体深度によって、保安官と証人のいる機体前方とウォルバーグが捕らえられた後方とに空間がさらに分割される。横を向いて保安官に声をかける証人に対して、常に前方を確認しなくてはならない保安官の寄りを含めた多くのショットには、得体のしれない謎の男が背景に淡く映り込むことになるのである。仮に狭い車を舞台にしていたならそれほど効果を発揮していなかったかもしれないが、気絶したままなのか、起きているのか、拘束されたままなのか、すでに抜け出しているのか、目を凝らさなければウォルバーグの状態がわからないこの画面が、彼の内面の不確かさや不安定な飛行と相俟って、見るものの緊張感を保ち続ける。
油断できぬまま91分はあっという間に過ぎる。はたしてウォルバーグ演じる男の本当の役名が明かされることはないのだが、その謎は胸につかえつつ、とりあえず無事だった他ふたりに対しての安堵を邪魔しないどうでもよさに収まっているのがまた、小品らしくて好ましい。