金曜 15/3/2002 曇り |
4:00起床、のつもりだったが、「写真集のようなものを片手に、両親に"神隠し"について説明し ているのだが、なんだかこのひとたちは僕の両親ではないような気がする」というかなり嫌な夢で
0:00ごろ目が覚める。もう寝付けない。仕方なくそのまま自宅を出る。途中で同行人と待ち合わ せて成田へ。 9:20成田発。ソウルでトランジット。パリへの機内で隣り合わせになったフランス
人男性が、お勧めのレストランを教えてくれる。「安いし、ほんもののフランス料理が食べられるよ」 とのこと。 17:35シャルル・ド・ゴール空港着。ホテルへ向かおうとすると、同行人が「ガイドブック
を失くした」と言い出す。最初のトラブル。航空会社に相談するも、機内には残っていないらしい。 諦めてRERでリュクサンブールへ。 駅を出ると、初めてのパリ。何かすべてのものが大きく見える。
感動。ホテルは少し狭いようだが、まあこんなもんだろう、といったかんじ。歯ブラシと髭剃りがない ことに気づいて焦る。どこかで買ってこないと。
ホテルのフロントで教えてもらったスーパーを探しに 行くが、見つからない。もっと詳しく聞けばよかった。仕方ないのでそのまま散歩することに。途中で
「パリスコープ」を購入。ノートルダムを過ぎて右岸に渡り、夜のセーヌ川を見ながら西へ歩く。ポン・ ヌフを渡ってホテルへ。ホテルがあるのはカルティエ・ラタン。ソルボンヌの脇にある。買ってきたサン
ドウィッチを食べるが、これがとんでもなく不味い。一口食べただけで残りは捨てた。風呂に入ると 疲れと眠気が一気に襲ってきた。前後不覚でベッドに入る。同行人によると寝付くまで一分とかか
らなかったらしい。
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土曜 16/3/2002 晴れのち雨 |
6:40起床。眠りが深かったせいか、予定よりも2時間早く起きた。「パリスコープ」をチェックする と、『Eloge
de l'amour』(『愛の世紀』ジャン・リュック・ゴダール)が見つかった。今日しかやってい
ないらしい。気付いてよかった。一階のカフェで朝食を済ませ、ホテルを出る。途中、スーパーで歯 ブラシを購入。70centくらいの商品に10EUR札を出すと店員に嫌がられる。こちらの人はみんな
極端に札を嫌がる。現金はなるべく細かくしておいたほうが良さそうだ。映画は夕方からなので、 カルティエ財団現代美術館(ジャン・ヌーヴェル)へ行く。美術館は何だか休んでいるようだ。残念。
RERでシテ・ユニヴェルシテへ。シテ内にはコルビジェの手によるスイス学生会館とブラジル学生
会館がある。スイス館は、1930年完成というのが信じられないほど近代的でスマート。ブラジル 館のほうは、国旗の色を用いた外壁の彩色が印象的。写真を撮っていると、あちこちに日本人の
姿が。建築課の学生かなあと思っていると、二人連れの女の子が声をかけてくる。「お金出せば中 に入れますよ」とのこと。早速ブラジル館に入ってみる。内壁はボロボロの打ちっぱなしコンクリート。
カーテンもブラジル国旗の色でまとめられている。天井が異様に低く、大きく傾いている。上の階に は行けないようだ。対照的にスイス館は、高い天井にアクリル張りの開放的な空間。人気がないの
で、こっそり学生寮の一室(もちろん空き部屋)に入ってみる。南向きの大きな窓に、机、シャワー、 ベッドがついている。窓から見えるグラウンドが気持ちいい。
機内で隣に座った男性が教えてくれ たレストランに向かう道中、フランス人のお姉さんに呼び止められる。どうやら道を聞いているらしい のだが、まったく分からないので、話をさえぎって「Je
ne sais pas.」 と言うと、5秒ほど硬直される。 同行人に「冷たすぎたんじゃない?"知らねえよ"ってかんじだったよ。」と指摘されて納得。「Je
ne parle pas francais. 」(フランス語は話せません)と言うべきだったんだろうなあ。ごめんなさい。 レス トラン「ラ・クーポール」へ。店外のメニューを読むが、よくわからない。「ま、大丈夫だろう」と思って入
店。ところが、店の外と中ではメニューが違う。中のほうが、やたらに高いのだ。どうも外のメニューは 隣接するカフェのものだったらしい。とてもじゃないが払えそうにないものばかり。仕方なく一番安い
ものをよく分からないまま頼む。変な顔をするギャルソン。運ばれてきたのはカキだのホタテだのの 盛り合わせ。しかもエビ以外はすべて生。そりゃあ変な顔するよな。食中毒におびえつつひたすら食
べる。すっかり我々を馬鹿にしたギャルソンは「中国人がよく行く店を教えてやるよ」などと下品なジ ョークを飛ばしてくる。周りの客、ウケてるし。散々イヤミを言われ、逃げるように店を出る。
モンパル ナス・タワーを過ぎて「ブールデル美術館」(クリスチャン・ド・ポルザンパルク)に行く。美術週間だと
かで無料で入れた。のんびり展示品を見ているといい時間になってきたので、映画館に向かう。 「リュセルネール」はレストランの地下にある50席ほどの小さな映画館。スクリーンが見慣れた幕で
はなく、板に布を貼り付けたもので、まるでカンバスのよう。『Eloge de l'amour』は、その上映時間
の短さ以上にあっというまに終わってしまった。ふらふらしながらも、もう一本ハシゴすることに。フラ
ンソワ・オゾンの新作『8 femmes』を観るが、いまいち。カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペール、
エマニュエル・ベアール、ヴィルジニー・ルドワイヤンetc.とキャスティングはすごいんだけど。結構 お客は入っていたし、みんな満足していたようだ。そういえば、昼間行ったレストランを勧めてくれ
たお兄さんも、この映画が好きだと言っていたなあ。 映画館の隣のビストロで夕食。隣の席のお 姉さんたちがやたらに話しかけてくる。ムニュとミネラルウォーターで一人15EURほど。安くあげら
れて助かった。帰りにスーパーでevianを買う。移民は深夜・休日などフランス人が働かない時間帯 も休まない。日記をつけて2:30に就寝。
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日曜 17/3/2002 曇りのち晴れ |
8:00起床。1階のカフェは昨日より忙しそうだ。朝食は昨日と同じ内容。クロワッサンが出ないの で心もち不安になる。身支度を済ませ、「オルセー美術館」(ATC/ガエ・アウレンティ)へ。駅舎を
改装した建物は、本当に大きくて美しい。既に200人ほどが並んでいたので、我々も急いで列に加 わる。入場を待つ人を相手に、おもちゃを売るひと、焼き栗を売るひと、サックスを吹くひとなどがいる。
そういえばメトロに出没するという地下鉄音楽家をまだ見ていない。時間帯が合ってないんだろうか。 2時間ほどでオルセーを出るつもりが、時間が来てもようやく1階を見終えたばかり。3階の印象派
絵画はまだ1点も見ていない。この時点でかなり疲れていたが、さらに2時間延長して何とかすべ て見学することに。 オルセーを後にし、ルーブル宮を抜けて「ポンピドー・センター」(レンゾ・ピアノ)へ。
何かものすごい列ができていたので、先に昼食を取ることにする。同行人が「カフェ・コスタ」に行き たいと言うので探すが、全然見つからない。一時間ほど探したが、ついに見つけられず、諦めてピ
ザ屋へ入る。同行人と同じものを注文したはずなのに、出てきたのは別のピザ。どういうこと? 26.50EURの勘定だったので、56.50EUR出すと、本当に不思議そうな顔で「Pourquoi?」(なん
でだ?)と言われる。端数を払ってお釣りを減らす文化が無いらしい。必死で笑いを噛み殺す。 ポ ンピドーに戻るが、さっきより列が長くなっている。日曜日だからなあ。フランスの人は日曜日は徹
底的に休む。スーパーも閉まってしまうのだ。結果、観光地は恐ろしい人出になる。ポンピドーは 平日に回そう。オルセーでえらく疲れたし。 ホテルに戻ると、前日ほとんど眠っていなかった同行
人は早くも就寝。僕は近所のスーパーまで買出しに行くことに。途中、浮浪者に金をせびられる。 無視したのに、しつこくついてくる。少し怖くなったので走って逃げた。逃走するなんて何年ぶりだろう。
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月曜 18/3/2002 晴れのち雨 |
6:40起床。今日は16区方面の建築を巡ることに。平日の朝なのでメトロは混み混み。ジャスマン 駅で降りて「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」(ル・コルビジェ)へ行くが、見学は13:30からだという。まだ
3時間以上あるので、近隣の建築から周ることに。「ギマール自邸」(エクトール・ギマール)を見てか
ら左岸に渡る。「キャナル・プラス本社ビル」(リチャード・マイヤー)、「アンドレ・シトロエン公園」(パト
リック・ベルジェ+ジル・クレモン/ヴィギュール&ジョドリィ+アラン・プロヴォ)と周るうちに風雨が激 しくなってくる。広大なシトロエン公園は風の抜けがいいので何度も傘が折れそうになる。やっとの思
いで温室に入ると、同じように雨宿りをしているひとたちが。何しろアクリル板の隙間から吹き込んで くるほどの雨だ。正直小降りになるまで待ちたかったが、時間も気になったので、意を決して外に出る。
セーヌを渡るとき風で体が少し浮き、泣けてくる。街の構造上、セーヌに風が集中しているのだ。そう いえばフランス人は雨でも傘をささない。滅多に激しい雨が降らないせいか、みんなフードをかぶって
しのいでいる。
ジャンヌレ邸に戻ると、既に十人ほどの観光客が開館を待っていた。13:30きっかり に中へ入れてもらえる。展示品(コルビジェの絵画や彫刻、家具類)は最近置いたらしく、以前来たこ
とがあった同行人も喜んでいた。 昼時だったので近くのカフェへ。クロック・ムッシューを注文したが、 予想よりはるかに大きい。さすがに後半はつらかったが、それでも美味。会計を頼むと、ギャルソン
がテーブルクロスに二人分の金額を書き出し、10秒ほど考え込んでから勘定を出してくれる。紙製 のテーブルクロスってこんな利用法もあるんだなあと、妙に感心。
徒歩で「パリ音楽コンセルバトワ ール」(クリスチャン・ド・ポルザンパルク)へ。先日見た「ブールデル美術館」は、ブールデルのアトリ
エを改装した赤レンガ様のおとなしい建築だったので、一層ポルザンパルクの主張の強さが意識さ れる。同行人曰く「ペリメントの使用で周囲の建築との同調を図っている。」確かに周囲は古びたアパ
ートが立ち並ぶ住宅街。螺旋階段を前面に押し出したファサードはかなり浮いて見える。ここの学生 らしき女の子が、こっちを指差しながら受付の男性と何やら話してる。不審者がられたのはまあ仕方
ないにしても、そんな露骨に指差さないでください。 「アンヴァリッド廃兵院」を経由して「ガラスの家」 (ピエール・シャロー)に向かうが、周囲が建物で囲まれていて、ちらっとしか見えない。ガイドブックに
「会員以外の見学は不可」とあるが、どうやら外観を見ることもできないらしい。極めて残念。ちらっと 見えたその姿は相当にかっこよかった。 結局メトロは使わず徒歩でホテルに戻る。同行人と話し合っ
た結果、夕食は近くのビストロ「ポリドール」で取ることに。店に入ると日本語のメニューが出てくる。観 光客が多いのかと思って店内を見渡すと、あっちにもこっちにも日本人。左隣に座っていたパリジャン
が「Bonjour!」と声をかけてくる。結構夜遅い時間の「Bonjour!」に狼狽し、あわてて「Bonjour、 monseiur.」と返す。夜でも使うんだなあ、「Bonjour」。右隣の席のアメリカ人男性は、友人に向かって
「 ブリトニー・スピアーズは最高だ」と力説している。散々熱弁を振るった挙句、急にしょんぼりして「す まない、酒が入るとどうも俺は饒舌になってしまって」と謝っている。かわいいやつ。料理はどれも美
味しくて、特に牛肉の赤ワイン煮込みは美味。値段も安かったし。
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火曜 19/3/2002 雨 |
6:30起床。いきなり大雨。美術館巡りに切り替えようとするが、ルーブルもポンピドーも今日は 休み。同行人は遠出をするために既に出発していたので、朝食は一人でとる。表を歩く人々を見
ながらのんびりとる朝食は気分がいい。部屋に戻ってからもだらだら本を読んだり日記を書いたり していると、もう10時をまわっている。いい加減出ないとなあ。
RERとメトロを乗り継いでラ・ヴィレ ットへ。この辺は19区で、治安の悪さで知られる18区の東隣だ。そのせいかどうかわからないが、 目的地に着くまでメトロが3回止まる。乗客はみんな平気な顔をしていたので、まあ普通のことな
んだろう。そのかわりというわけでもないだろうが、地下鉄音楽家に初めて遭遇。カラオケを持ち 込んだお姉さんがなにやら唸っていたが、あまり感心できなかったのでおひねり(?)はパス。
「科学産業都市」(アドリアン・ファンシルベール)、「音楽都市」(クリスチャン・ド・ポルザンパルク)
など見ているうちにもう13:00。「大学学生寮」(アーキテクチュア・スタジオ)のある18区まで歩
こうとしたのだが、いきなり道に迷う。あて勘で西と思われる方向に歩いていたのだが、どうやら 南西に進んでいたらしい。あわてて北上するも、何だか持ってるパリの地図にも載っていないよう
なところに出てしまった。かなり殺伐とした空気。公衆電話は例外なく叩き壊されてるし、縦列駐 車してる車のひとつが何故か燃上している。地図とにらめっこをしていると、10人ほどの"それっ
ぽい"少年たちに囲まれる。「Hi!Monseiur!」かなにか言いながら、みんなニヤニヤしてる。「道 を教えておいて、法外な謝礼を要求する」人々だろう、と旅行ガイドで仕入れておいた知識から判
断。無視して立ち去る。しばらく付きまとわれたが、意外とあっさり諦めてくれた。 その後も何度か 怖い目に合いつつ、2時間ほどかかってようやく目的地に。
「大学学生寮」は、高速道路に面した 北側に巨大(幅105m×高さ33m)な防音壁を備えており、どうしてもそれが見たいのだが、当
の高速道路が邪魔で全然見えない。思い切って高速道路に上がってみる。ようやく見えた。車が 相当に怖く、手早く写真を撮って、さっさと立ち去る。
メトロでパリ中心部に戻り、「アラブ世界研 究所」(ジャン・ヌーヴェル+アーキテクチュア・スタジオ)へ。南側の広場が工事中で、写真が上
手く撮れない。よく故障するというダイヤフラムを接写。 あてもなく西に向かって歩くと、「ノートル
ダム大聖堂」が見えてきた。そういえば初日の夜に前を通っただけだった。まだ夕食の時間まで は大分あるので、中に入ってみることに。バラ窓って単に綺麗だから付けているのかと思いきや、
「身廊と二ヶ所のバラ窓を結んだ交点、すなわちキリストの心臓が常に現在を指示し、左右のバ ラ窓がキリストの誕生と復活をそれぞれ表している」、という宗教的意図の帰結であることを知って
感激。 シテ島のぐるりを回ってから、カルティエ・ラタンへ。今日二度目の食事は「クイック・タイ ム」のハンバーガー。わびしい気分だが、肉の味がちゃんとして、日本で食べるよりもおいしい気
がした。
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水曜 20/3/2002 曇りのち晴れ |
7:00起床。外は薄曇り。8:30に出発。サヴォワ邸のあるポワッシーまで、1時間ほどの道のり。 パリ市内を出るとメトロは地上に。いきなり風景が田舎になる。9:30にポワッシー到着。列車を降
りると、草いきれでむせ返る。なつかしい匂い。 駅のインフォメーションでサヴォア邸までの地図を
もらうが、コピーにコピーを繰り返しているため、ほとんど字が読み取れない。標識に従ってとにか く歩く。しばらくするとそれらしい建物が。「これかなあ?少し大きいような気もするけど。」周りをう
ろついていると、アジア系の中年男性が声をかけてきたので、「サヴォア邸はどっちですか?」と 尋ねると、おじさんは笑って「サヴォア邸はもっと先だよ。これは小学校。」
さらに5分ほど歩いて、 今度こそ「サヴォア邸」(ル・コルビジェ)に到着。見学者は10人ほどで、ほとんどが同じ年頃の日
本人。2時間ほどかけて見学。僕には全く絵心が無いので、スケッチをとる人の姿がまぶしい。サ ヴォア邸の周囲は芝生がめぐらされ、塀の向こうは実に普通の田舎町。
天気が良くなってきたの で、ポンピドーに行くのを止めてナシオンへ向かう。
駅から徒歩で「スポーツコンプレックス+パーキ ング」(マッシミリアーノ・フクサス)へ。写真を撮っているとよく分かるが、建築って先ずコンテクスト
ありきで、こういう都心部では特に周囲の建造物との関係性にその大部分を規定されることになる。 この「スポーツコンプレックス+パーキング」は、俯瞰すると全体がL字型になっていて、短いほうの
直線が(多分)事務所、長いほうが地上階にテニスコート、地下に体育館と駐車場という構成。L字 型の内側の空白部はアパルトマンになっていて、全体として長方形の一区画を形成している。アパ
ルトマンと周囲の景観(住宅地・はす向いは公園)に対する配慮からだろう、建物の高さはアパルト マンに揃えられ、外壁はくすんだ鉛色で彩色されている。側面のみが大きくS字に湾曲し、自己を
主張している。 南下して「フランス開発基金本部ビル」(クリスチャン・オヴェット)へ。リヨン駅が邪
魔で、南側の突出したファサードが見えない。何とか立体駐車場に潜り込んで5個の頂点を確認 (昨日も似たようなことをやった気がする)。セーヌに向って進むと左手に「フランス大蔵省新庁舎」
(ポール・シュメトフ&ボルハ・ユイドブロ)が見えてきた。左岸に渡って、「フランス国立図書館」(ド
ミニク・ペロー)、「フランス救世軍宿泊施設」(ル・コルビジェ)、「プラネクス邸」(ル・コルビジェ)、
「パリ市立技術・行政都市」(ミッシェル・W・カガン)、「ベルシー2」(レンゾ・ピアノ)など見る。こ
のあたりは高速道路とセーヌが交差するポイントで、インターチェンジになっている。歩道という ものが無いので、何度も高速道路を走って横断する。正直、足はもうガクガクだ。
「ベルシー公 園」(ベルナール・ウエ)に向って歩いていると、一瞬からだが抜けた。そうとしか表現できない
感じ。あわててバランスをとり、足元を見ると、マンホールの蓋がはずれている。試しに小石を 放り込んでみると、3秒ほどしてから「カコーン」。これは下手すると下手するんじゃ?おちおち
前を向いて歩くこともできない。「アメリカン・センター」(フランク・O・ゲーリィ)、「オムニ・スポー
ツ・センター」(ミッシェル・アンドロー&ピエール・パラ)を見てからオステルリッツ駅へ向う途中、 数人の青年たちにからまれる。幸い何事も無かったが、やっぱり怖い。ベルシーは再開発計画
の途上で、今日見て回ったような施設を起爆剤に、文教地区として再生を図っているようだが、 一本裏通りに入れば、なにやらキナ臭い感じ。焼け落ちたまま放置されてる工場の脇を通る時
などは、さすがに気が滅入った。
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木曜 21/3/2002 曇り |
7:30起床。明日の夜パリを発ってロンシャンに向かい、あさっての夜にパリに戻る予定なので、 予約を一日分キャンセルできないか交渉。意外にあっさりとOKしてくれる。よかった。
ルーブル に向う途中、部屋に忘れ物をしたことに気付き、ホテルへ戻る。鍵をもらおうとすると、受付のお ばさんに呼び止められる。「戻ったときにダブルベッドの部屋になってもいい?」とのこと。男二
人で十日も同じ部屋に泊まっているので、何か誤解を与えたようだ。「それは深刻な問題です。 私たちは同じベッドで眠ることはできません。」と哀願すると、おばさんは笑って「わかりました」
と言っていた。それはさすがにつらいです。 ルーブルは平日の朝から結構な人手。一番小さな ガイドを買って見学したが、あっというまに閉館時間。8時間以上もいたのに、全体の3分の1も
きちんと見れなかった。うわさ通り信じ難い大きさ。予定していたポンピドーは再度延期すること に。 メトロでトロカデロに向かい、シャイヨー宮内のシネマテーク・フランセーズでマックス・オフュ
ルスの『L`amour du studio』を観る。館内は想像していたよりずっときれい。シネマテーク・フ
ランセーズでは字幕がスクリーン下の電光掲示板に表示される。字幕のついてないプリントは こうやって上映しているんだろう。画面が100%見渡せて気分がいい。
終映後、外に出ると、 目の前にライトアップされたエッフェル塔が。妙な話だが、この時になって初めて、自分がパリ にいることを実感。平たく言えば、すっかり感激してしまったわけだが。急に歩きたくなったので
、凱旋門まで行くことに。ラ・クベール通りに出ると、すぐに凱旋門が見える。ガイドブックを見る と、夜10:00まで展望台に登れるらしい。観光客根性丸出しでさっそく上がってみる。風が強
くて少々怖いが(柵がグラグラしているのだ)、眺めは最高。エッフェル塔やモンパルナス・タワ ーはもちろん、今日行ったルーブルや、ラ・デファンスの新凱旋門もはっきり見える。トリュフォー
が眠るモンマルトルのサクレ・クール寺院に、エッフェル塔のサーチライトが伸びるのを見て、ぐっ とくる。寒風に耐えながら、しばらくしみじみ。しみじみする時にはタバコが欠かせない。一服つ
けていると、あっさり係員に見つかり、怒られる。 ホテルに帰る途中、バーガーショップに寄る。 注文を済ませて出来上がるのを待っていると、レジのお姉さんが「Bonjour!あら、あなたの注
文はもう聞いたわ!」などと言い出す。やめてくださいよ。かわいいから。
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金曜 22/3/2002 曇り |
8:00起床。今日は一旦チェックアウトする日だ。フロントに大きな荷物を預けて、ホテルを出 る。10:30、ポンピドーに到着。臨時開催展は、「La Revolution de
Surerealisme」。キリコ、 マグリット、ピカソ、ダリの作品などを続けて見る。常設展を見終えて、14:30。いい加減腹が 減ったので、屋台のパニーニ屋へ。列で順番を待っていると、見知らぬお兄さんに「タバコをわ
けてくれ」と頼まれる。一本あげると、お兄さんはうれしそうに去って行った。パリの人は、知ら ない人にも気安くタバコや火をねだってくる。これもひとつの文化だ。
「ブランクーシのアトリ エ」(レンゾ・ピアノ)に寄ってから、「ピカソ美術館」(ロラン・シムネ)に行く。「ピカソ美術館」は、
地下階の柔らかな照明と地上階の自然光のコントラストが素敵だ。大きさも手ごろで、のんび り回っても一時間くらいか。
ポンピドーに戻り、近くの映画館で、フランス・カイエの星取りで高 得点だった『mischka』(ジャン・フランソワ・ステヴナン)を観る。妙な編集、妙な色使い、突然
のコンサートシーンの挿入など、とにかく変だ。オリヴェイラの『クレーブの奥方』を思い出す。
メトロで東駅へ。同行人との待ち合わせまで2時間ほどあるので、カフェに入る。カフェ・クレ ームとクロック・ムッシューを頼む。カフェに入ると条件反射的にこれを注文するようになってい
る。まずい傾向だ。食事を済ませてから、日本を発つ日の朝に適当に荷物の中に入れておい たドストエフスキー「貧しきひとびと」を読む。隣の席の男性は建築課の学生らしく、建築写真を
見ながらせっせとメモを取っている。よい時間。待ち合わせの10分前に店を出る。勘定を済ま せると、ギャルソンが「アリガト、ゴゼマス」と言う。僕のフランス語が拙い証拠だ。ちょっと悔し
い。 待ち合わせ場所に行くが、約束の時間をかなり過ぎても同行人が現れない。次第に「 自分がいるのは北駅なのではないか」という思い込みに囚われる。行き先の駅名は同行人
しか知らないので、会えないと非常に困るのだ。結局約束より20分遅れて同行人が到着。 よかった。あわてて切符を購入し、列車に飛び乗る。第一目的地のベルフォール駅までは5
時間ほどかかる。眠れるのはこの時間だけだろう。しばらくドスト氏の続きを読み、0:00頃 眠りにつく。
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土曜 23/3/2002 晴れ |
2:30起床。夜行列車に乗るのは初めてで、眠れるかどうか心配だったが、特に問題は無か った。荷物もしっかり抱きしめて寝ていたので、盗難にも遭わず。3:35、ベルフォールに定刻
着。多分気温は氷点下。着ているのはTシャツとジャケットのみ。震えがとまらない。パリにい たときはこの服装で何の問題もなかったのに。考えてみれば、ここはスイスとの国境ちかく。
同行人のマフラーを借りて寒さを耐える。 始発が出るまで2時間ほど、自販機のコーヒー(も のすごくまずい)を飲んで待つ。少しずつ人が現れたので、ロンシャン行きの列車を尋ねるが、
全く英語が通じない。中学生レベルの英語で話しているのだが、「だめだめ、英語はわかんな いよ」と言われてしまう。カタコトのフランス語で必死に尋ねると、しかしみんな本当に丁寧に説
明してくれる。特に駅の職員さんは、帰りの列車の時間まで調べてメモをくれた。同行人が「ご 親切に」とお礼を言うと、にっこり笑って「Je vous
en pris !」(どういたしまして)一週間ほどのパ リ滞在ですっかり張りつめていた心が、次第にほぐれていく。ところがまたもトラブル。カードが
合わないのか、機械が壊れているのか、切符が買えないのだ。出発時刻は迫っている。乗り 損ねたら、次は6時間後だ。あせって駅員さんに訴えると、「切符はあとでいいから、とにかく
列車に乗りなさい」と言われる。もはや親切なのかいい加減なのかもわからず、 「Merci beaucoup !」と叫んで列車に飛び乗る。
ロンシャンまでは15分ほど。駅が近づくと、 事情を聞いていたらしい車掌さんがやってきて「ほら、あれだよ」。指差すほうを見ると、うっす
ら白じんだ山の頂に、ボリューム感たっぷりの教会の庇が。思わず歓声をあげる。感応しやす い状態だった我々は既に半泣き。教会までの道を教えてくれた車掌さんにお礼を言って駅に
降りると、完全な無人駅。改札もなければ、出入りは自由。「切符はあとで」っていつの話だよ。 教えられた道を歩くと、いつしか山道に。久々に登山する。眼下には朝もやに浮かぶロンシャ
ンの町並みが広がる。20分ほどで山頂にたどり着くが、教会は門が閉まっているし、人っ子 ひとりいない。わずかに教会で飼っているらしい猫が一匹。開館までは、まだ3時間以上ある
らしい。眠ると死にそうな寒さなので、走り回ったり石投げをしたりして過ごす。意外に楽しい。 9:00をまわったあたりからぽつぽつ人が集まる。ほとんどは車で来た地元の人。観光客は、
我々二人とカップル一組の計4人だけだ。歩いて昇ってきたおばちゃんが「あなたたち寒いの? わたしは暑いくらいだわ!」とオーバーなジェスチャーで一発かます。中島啓江みたいなその
おばちゃんからは、確かに湯気が立っていた。 10:00少し前に開館。近づいてみるとコン クリートの表面はデコボコ。コルビジェのイラストやステンドグラスが窓や壁面を飾っている。
2本の塔や壁に取り付けられた窓は、全て直接日光が聖堂内部に差し込まないように配慮 されている。2時間ほど見学し、事務所にある建築模型の写真を撮って下山。ベルフォール
駅で帰りの列車の切符を購入し、昼飯にケバブを食べる。久々のまともな食事は泣ける美 味しさだ。14:40ベルフォール発。列車の中ではひたすら眠る。
18:50、薄暗くなったパ リに到着。ホテルに戻り、山歩きで汚れたズボンをバスタブで洗う。夕食は「アラブ世界研究 所」裏の「オ・ロワ・デュ・クスクス」で。クスクスは初めてで、食べ方が分からず困っていると、
ギャルソンが颯爽と現れてひと通りこしらえてくれた。想像していたよりずっと美味しい。すっ かり満足してホテルへ。2:00就寝。
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日曜 24/3/2002 晴れ |
10:00起床。疲れを取るためにゆっくりめに起きた。ホテルの朝食はもう終わっているので、 ソルボンヌ大の前の広場にあるカフェでブランチ。プレ・フリッツをたのむが、鶏肉が脂っこくて
あまりおいしくない。朝一の胃にはこたえる。 RERとメトロを乗り継いでサクレ・クール寺院 へ。寺院前の広場では流し(っていうのか?)のお兄さんがビートルズやサイモン&ガーファ
ンクルなど歌って結構人を集めている。聖堂を見学し、ドームに登ってみる。モンマルトルが 既に丘である上に、巨大なドームに登ると、パリ市内はもちろん周囲50キロ四方が見渡せ
る。エッフェル塔を見つけて、凱旋門に登った夜を思い出す。 徒歩でモンマルトル墓地へ。 散々歩き回ってようやくトリュフォーの墓を見つけ出す。たくさんの花が手向けられているの
を見て、何も供え物を持ってきていないことに思い当たり、あせる。タバコを置いてこようとも 思ったが、かなり場違いな気がしてあきらめる。そういえばトリュフォーがタバコを吸っている
画が思い浮かばない。吸わない人だったっけ?墓地の出口へ向う途中、朝からバラバラで 動いていた同行人に偶然出くわす。『友だちの恋人』みたいだ。実際パリは本当に狭い街だ
と思う。 同行人と一緒に、ピガール広場近くにあるトリュフォーが少年時代をすごしたアパ ルトマンに行く。今日はトリュフォー尽くしだ。ピガール周辺は風俗街で、我々も目ざとく店の
おじさんに呼び止められる。「トモダチ、アナタハスケベ、デスカ?」直球の勧誘に笑うことは 笑ったが、むしろおじさんの努力に感心。買ってる日本人も結構いるってことだろう。ホテル
に戻ってから、近くの中華料理屋「Mirama」へ行く。牛肉とカシューナッツの炒め物、鶏肉ご 飯(炒飯を期待していたのだが、実際はご飯の上に甘辛く炊いた鶏肉をのせたもの)などを
食す。店内は日本人だらけだが、味はかなりおいしい。ひとり2000円くらいでこの味なら全く 問題ないのでは。「カルティエ・ラタンのレストランはどこも安くておいしい」というガイドブック
的言説を追認する結果だが、実際滞在中に行った所は外れなしだった。特に「オ・ロワ・デュ ・クスクス」は観光客が少なく、ギャルソンがとても親切で、味も文句なし、と三重丸です。
ホテルのはす向かいにある映画館へ『Sauvage innocence』(フィリップ・ガレル)を観にいく。
日仏で上映されたときに観たのだが、当然チャンスがあれば何度でも観たいのだ。ところが、 何を勘違いしていたのか「次にその作品をやるのは3日後です」と言われてしまう。明日には
帰国するので、『Sauvage innocence』は日本でかかるまでおあずけ。しばらくやらないような
気がするんだけど。 結局その日の最終上映で『Le Stade de Wimbledon』(マチュー・アマル
リック)を観ることに。奥さんのジャンヌ・バリバールを主演に迎えたロードムーヴィー。結構よ い感じだったのだが、恥ずかしいことに始まって10分ほどで爆睡してしまう。たっぷり睡眠は
とっていたし、今日は体力を消費するようなことは何もしていなかったのに。旅の疲れというや つだろうか、疲労を蓄積させていたのかもしれない。気がつけば場内は明るくなっていた。生
まれて初めて、眠過ぎてまっすぐに歩けなくなる。ホテルに戻ってからも当然ベッドへ直行。
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月曜 25/3/2002 晴れ |
滞在最終日。8:00起床。朝食を済ませ、荷物をまとめて10:00少し前にチェックアウト。ソ
ルボンヌ大学を見学しようとするが、警備員に断られる。以前は見学OKだったらしいのだが、 9・11の影響だろうか。気を取り直してパンテオンヘ。ここもホテルからは目と鼻の先なのに、
今日まで前を通るだけだった。パンテオンの中では、聖画が描かれた巨大な(直径20メート ルほどか)バルーンを膨らませている。どういうことかさっぱりわからない。修復工事でもなさ
そうだし、何かのアートだろうか? リュクサンブール庭園を抜けて、「カフェ・レ・ドゥ・マーゴ」 で昼食。思ったより観光客の姿は少ない。お隣の本屋「ラ・ユーヌ」で小一時間ほど立ち読み
をしてから、オペラ・ガルニエ方面へ。ハチミツ専門店「ラ・メゾン・デュ・ミエル」でお土産を探す。 花ごとにわけられたハチミツは30種以上。店主らしきおじさんにお勧めを尋ねると、琥珀色の
ハチミツをスプーンにすくって差し出してくれる。口に入れると、これが未体験の美味。普段か ら「眠たいんですか?」とよく聞かれる僕の目がパカッと開く。かなりコクが強いが、日本のよう
に妙な添加物が入っていないせいだろう、鮮烈な甘みだ。動揺しつつ、「せ、C'est bon」と言 うと、僕の反応に気を良くしたらしいおじさんは、次々に新しいハチミツを試食させてくれる。お
じさんの母親らしきおばあちゃんが見かねて、「そんなに食べさせたら、うちは商売あがったり だわよ」みたいなことを言っている。結局最初に試食したものと、自宅用に比較的クセの無い
ものをそれぞれ一本ずつ購入。帰国してからの楽しみができた。 同行人の希望で「コレット」
に寄ってから、ポンピドーそばの「ラス・デュ・ファラフェル」へ。多分パリで取る最後の食事。滞
在中は、度々B級グルメのお世話になった。白眉はこのとき初めて食べたファラフェル。形態 はケバブに近いのだが、ずっと日本人受けする味。持ち歩いて食べるには少し大きいが、渋
谷で道端に座り込んで食べたりすると、なかなか風情がありそうだ。 ホテルに戻って預け ていた荷物を受け取り、RERで空港へ。当然パリに来たときも空港から同じ路線に乗ったのだ
が、全く別の乗り物のようだ。初めて乗った時のメトロは、何か陰鬱で危険な空気に満たされ ているように思えたし、何より鼻を突く臭気にうんざりさせられた。10日間の滞在中に、すっか
りそうした全てに慣れ、到着したばかりでよくわかっていない観光客に代わってドアのロックを 外してあげている自分がいたりする。ようやく習慣化されたものにお別れするのは当然寂しく、
車内ですっかり感傷的になる。飛行機は21:20発。離陸ポートを間違えるなどややトラブル があったが、無事に出国。昨夜とは打って変わってほとんど眠気が無く、ソウルまでひたすら
読書する。本のタイトルは本当に恥ずかしいので書かない。
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