October 23, 2009
10/23渡辺進也
映画祭ももう佳境。残すも3日となった。
数日前には人気の多かったプレスセンターの辺りもいくらか落ち着いた印象がある。
今日は日中取材を一本。
そのあとカルロス・レイカダス特集の一本『ハポン』。
この作品はカンヌのカメラドールを獲得した作品。あらすじを言ってしまうとひどく単純で、都会から自殺するために山奥までやってきた男が世話をしてくれる70過ぎの老婆に性欲を抱くというもの。
16ミリのブローアップだろうか。粒子の荒い画面が続く。カメラは影のように男の後を追う。すでに人気のない森からいくつもの尾根を越えて、落ちたら命のないほどの崖の上の家に男は至る。観客はこのえいがのストーリーもわからないままに男が見たもの聞いたものが見聞きされることになる。
あらすじだけ聞けば悪ふざけのような映画に聞こえるがそもそもこの監督ストーリーを第一義のものとして考えていないらしい。だから悪いいい方をすればだらだらと映像が続くのだとも言える。
ストーリーとは語られるものであり展開するものであると同時に全体を統制、制御するものでもある。no limits no control。この標語が言いようにも悪いようにも受け取れる映画ではないか。個人的には買わないが。
明日明後日は不参加のため東京国際映画祭の日記も今日で終わりです。
巨匠と呼ばれる人の作品はあまり見ることができず、まだ日本に紹介されていない映画を中心に見ることになった。未だ現在の映画を体系的な姿を想像することも難しいが、その中でも良作の生まれる鉱脈はある。そんなことを思わせる映画祭であった。
投稿者 nobodymag : 10:34 AM
October 21, 2009
10/21結城秀勇
本日は渡辺に代わり私結城が。10/21は、今年の東京国際映画祭に一日だけ来るならこの日、といわんばかりのラインナップ。一ヶ月前に今日の予定がわかっていれば、ジャック・リヴェット『小さな山のまわりで』→キム・ギヨン『玄界灘は知っている』→イエジー・スコリモフスキ『身分証明書』→イエジー・スコリモフスキ『不戦勝』→ホセ・ルイス・ゲリン『イニスフリー』という一連の前売り券を買っていたことでしょうが、コンペ作品などのまったく未知の作品との遭遇にも備えなければならない身としてはそれもできず。当日券の存在に儚い(というかほぼない)期待を抱くも、もちろん無理。聞くところによれば、チケット売り場に朝7時から列が出来ていたという……。
『小さな山のまわりで』は月曜のID上映にて既に見ていた。限られたスペースでひとことだけこの映画について述べるならば、完全に肯定的な意味で”軽い”映画だと感じた。と、書いてしまってすぐに語弊があると思い直すが、上映時間が90分だからとか、リヴェットぽい/ぽくないとか、見やすい見やすくないとか、そうした語の用いられ方とはまったく無縁な場所で、”軽い”映画だった。冒頭、ジェーン・バーキンの持ち物である故障した三菱パジェロのロゴが、みっつの頂点にある菱がひとつ取れてぐるっと回転してVの字になっていたことが、そのことと関係しているような、していないような……。
さてスコリモフスキの当日券には見切りを付けて、シネマートの方の当日券に期待をかけたところ、『玄界灘は知っている』のチケットが買えた。途中に音声、映像の欠損箇所があるこの作品だが、冒頭の軍艦上のシーンからもう、欠損があろうがなかろうがいろんなものをすっ飛ばしてぐいぐい引っ張って行かれる映画である。民族間の軋轢、軍国主義への反感、伝統の抑圧とそこからの解放についてぐるぐる回っていた物語が、最終的には火との戦いに終結する様は圧巻。何主義だろうが焼けちまえば一緒と言わんばかりの業火、そしてさすがに焼かれれば死ぬだろと思っていたら、なんと死なない。『水女』に近いものを感じる爆発的エンディング。帰りのエレベーターで青山真治監督と会い、主人公のナレーションが『陸軍中野学校』の市川雷蔵そっくりだという話を。
続いて、ヤスミン・アフマド『タレンタイム』。空き時間に立ち読みしていた「真夜中」の蓮実・黒沢・青山鼎談にて、『マイ・ボディガード』と『トウキョウソナタ』との共通点という話が出ていたので、冒頭いきなりドビュッシーが流れ出してびっくりする。無人の講堂に蛍光灯がつき、静まりかえるテスト中の教室までつながる流れがいい。そこで映り込む学生もいい顔をしている。7回目を迎える「タレンタイム」なる学芸会みたいなもの(なのか?)のオーディションから開催までを描いた群像劇だが、ひとつひとつのエピソードにおける俳優たちはみな魅力的であり、本作の後で上映された同監督のCMを見てもかわいい男の子や女の子を描くのがうまいなあと思う。『タレンタイム』は優れたアイドル映画だと言えるかもしれない。ただし、実際にひとつひとつのエピソードをつなぐ蝶番になるはずの、「タレンタイム」で上演される音楽の演奏があまりにきれいすぎ、またそこに挿入される回想がどうしても鼻についた。一番最初にオーディションで落とされる女の子のギターとか、開催前日のシーンで変なタイミングで挿入される女の子のダンスとかの方が好きだった。
本来ならこの後、ジェームズ・デモナコ『NYスタテンアイランド物語』を見る予定だったが売り切れ。コンペ作品だから侮っていた。この作品が見たかった理由というのは、実は今回この作品の出演者であるシーモア・カッセルが来日の予定だったからなのだが、残念ながら来日中止。彼に会えるのならこの映画祭で一本も映画見れなくてもかまわなかったのに。
というわけで、その他諸々の映画も既に埋まっており、こうした機会に再来週から一般公開される映画を映画祭のパスを使って見るなんてはなはだ無粋だ、と思いながらもサム・ライミ『スペル』を。はじめのラーミア登場シーンから明らかなのだが、この映画の中で描かれる超自然的な力はめちゃめちゃフィジカルなものである。そこに見えない何かがいる、とわかるのは、そいつがひっつかんだりぶんなぐったりしてくるからなのだ。いや、それはタイトルの時点で既に明らか(原題は「Drag me to hell」)なのかもしれなかった。いまいる場所からどこか悪い場所へ誘われる、というのではなく、極めて暴力的に連れて行かれるのだ。その理不尽な暴力の前兆として、「スパイダーマン」シリーズでも見慣れたような動きをするありえないかたちの影が登場するのだが、実はライミはこの描かれた影にはほとんど興味を持っていないのではないかという気もした。それよりもおそらく重要なのは、ヒロインに聞きたくない噂話を聞かせるために開け放たれた扉、フライパンや食器をがちゃがちゃならす風の通り道としての窓、あるいは悪魔の足音を聞かせるためのドアの下の隙間、なのではないだろうか。実際この作品の中で、視覚ほど頼りにならないものはない。呪いの証たるボタンの丸い形は、吐瀉物やら泥やら昆虫やら薄い紙やらに覆われて見分けがつかなくなってしまうではないか。ジャスティン・ロング演じるヒロインの彼氏がフロイト系の心理学者だったというのは、悪夢じみた不連続な映像を分析する鍵だったのだろうか。
『小さな山のまわりで』
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『玄界灘は知っている』
10月23日21:10
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『タレンタイム』
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『スペル』
>> 11/6、TOHOシネマズ日劇ほかにて全国ロードショー
投稿者 nobodymag : 10:25 PM
October 20, 2009
10/20渡辺進也
本日もコンペで2作品を。
『少年トロツキー』(ジェイコブ・ティアニー)。トロツキーの改名前の名前と全く同じ名前の少年レオン・ブロンスタインが自らをトロツキーの生まれ変わりだと信じ、高校に革命を起こそうと奮闘する。主演は『ミリオンダラー・べイビー』『トロピック・サンダー』のジェイ・バルチェル。モントリオールを舞台にしたいわば典型的なコメディ。そして近頃めっきり日本に輸入されなくなってしまっている学園ものでもある。生徒たちひとりひとりのキャラが立ち、これがなかなか良くできている。奇天烈な人物がその行動で徐々に周りを巻き込んでいくのは感動的でもある。彼が提案した意見を他の者が否定したときの台詞が秀逸。「お前は俺のスターリンか」。Q&Aで監督は70年代のコメディ映画の影響を語るがむしろウェス・アンダーソンなどとの近さを感じる。
『イースタンプレイ』(カミン・カレフ)。ブルガリアの首都ソフィア。薬物中毒から立ち直ろうとする男がいて、ネオナチのグループに入ってしまった弟がいて。ふたりは弟がトルコ人を襲う現場で久しぶりに再会する。誰もが個人的な問題を抱えつつ、世の中が間違っていると思いつつ。この題材で結構丁寧に描いていくのでどうやって89分で収めるのだろうかとずっと不思議に思っていたのだが幽かな希望めいたものを描いて唐突に終わる。エンドロールでこの映画が主演のフリスト・フリストフに捧げられていることに気付く。撮影直後の事故によって亡くなったのだという。そしてこの映画はフリストフの実人生から着想を得た映画だそうである。ゆえに、これからの人生を仄めかせるラストでありながら、もはやこの映画は続くことができない(文字通り続きは作れない)。そのことを知って余計にこれが未完の映画のような気がしてしまう。
毎日数多くの映画を見ていて気付くのは、それぞれの映画は扱っている内容も違えば言語も違うし、それぞれ固有の問題を抱えていることである。だがそれに対して映画のフォルムというか、スタイルはかなり似通っているように感じる。それは特にヨーロッパの映画に顕著で(対照的にアジアの映画は国というか人ごとにかなり異なる)ブルガリア映画がどういうフォルムかというイメージは持っていないので何ともいえないけど、フォルムだけみてフランスの映画と言われても信じてしまうような気がする。かつてはもっと国ごとでスタイルというものがあったような気がするのだが。
『少年トロツキー』
10月23日13:30
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『イースタン・プレイ』
10月22日21:10
10月24日14:20
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投稿者 nobodymag : 9:49 PM
October 19, 2009
10/19渡辺進也
三日目。
当初見る予定の映画がチケットをとれず断念。時間が合う映画を仕方なく見に行くとこれが小さな当たりだった。『ヤンヤン』(チェン・ヨウチェ)。冒頭、再婚する母親の結婚式から映画は始まる。親戚とのあいさつ、陸上部の先輩を席に案内する、席に座り、音楽がなって新郎新婦が入場し、それを見て喜んでいるヒロインのアップ。ここまでが手持ちカメラの映像でワンカットで撮影される。その後も(特に前半部に顕著)切り返しをほとんど使うこともせず、ピント合わせと手振れで画面が汚れようとも構わずに撮影される。ヒロインの女の子は綺麗なので色恋沙汰が尽きないんだけれど、そのときの男と女の距離感がすごくよくて(できるだけワンカットで撮ろうとすることの勝利か)、これはキスをする距離だという絶妙な距離が何度も見られる。そして、その距離から近づくのか離れるのか。それがドラマの鍵になっているように感じる。音響設計をドゥ・ドゥジーが担当している。
その後『ライブテープ』(松江哲明)。2009年元旦。ミュージシャンの前野健太さんが吉祥寺の街を八幡神社から井の頭公園まで弾き語りで歩く。74分ワンカットで撮られた映画。この「live」には何重もの意味があると思う。音楽上のlive、吉祥寺の人々の生活という意味でのlive、あるいは出演する人間や監督自身の人生という意味でのlive。劇中監督の指示がミュージシャンに飛ぶ。「もっとかっこ悪く。まだかっこ良すぎる」。かっこよくしてもらうんじゃなくかっこ悪くを求めるのか。松江監督らしいなぁ。そして求めるのは120パーセント全力でかっこ悪いことをすること。それがただのLIVETAPEじゃなく、LIVEを巡る、LIVEのためのTAPEになることを可能とする。それにしても見学してこれほどまでに楽しい撮影現場はないだろうな。やっているほうは大変だろうけども。どうやって音をとっているのかが不思議。74分の生き様。
すでに三日目にしてふらふら。山形日記と違ってほとんど食べ物の話が出てきませんけども、実際ろくなもの食べてないので特記することなし。
『ヤンヤン』
10月24日11:00
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『ライブテープ』
10月22日20:40
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投稿者 nobodymag : 4:49 PM
October 18, 2009
10/18渡辺進也
コンペティション部門を3本見る。
その3本にはうっすらと共通点があり、それは故郷から離れる人々を巡る話であることだ。出稼ぎにやってきた人々、都会に出て学問を志すものたち、都会で人肌上げるために田舎を捨ててなりあがろうとする人たち。
『激情』(セバスチャン・コルデロ)。移民の男と女のカップル。舞台はスペインだろうか。男は土木作業員、女は豪邸の召使。男は移民ということで差別され、上司に彼女のことを「あのエロイ女」と侮辱される(でも実際そう見える)。諍いがもとにくびにされた男はボスを誤って付き落としてしまう。 その後男はひと知れず豪邸の中に隠れる。映画は殺しを境にふたつの場面に分かれる。虐げられながらも仲睦まじく生活するふたりの生活を描く前半と、女が働く豪邸に誰にも知られず隠れて生活する男の様態と。ここで力が入れられているのは後半部分だろう。ねずみのように今は使われなくなった物置部屋でこっそり暮らし、彼女のことを見守る男。いつのまにか男の顔相は変化してしまっている。それに比べると前半部分が、フリの部分とはいえ弱い気がしてしまう。そもそも誰もがスペイン語を話すのでどこからどこへの出稼ぎかも映画を見ているだけではわからず(コロンビアからスペインだと後に知る)、出稼ぎの苦労はクリシェでしかない。あと建物内部とロケの明らかなテンションの違いが気になる。引きの画がまったくとれないということでもあるだろう。ただ最後まで観客の関心を引っ張っていく力のある映画。
『テン・ウィンターズ』。(ヴァレリオ・ミエーリ)常にどちらかに相手がいて、すれ違い。映画は10年をふたりが過ごした断片で構成する。出会い、すれ違い、仲違い。うまくいきそうになるたんびに邪魔が入り、お互い好きなのにいつになっても付き合わない。じれったい。そしてすべてを見せられた後にあるエンディング。これはおそらくハッピーエンドとして終了してると思うんだけど僕はフェアじゃないと思った。あの2人の間でケリがつけられてないんじゃないかと。それは僕の個人的な感想ですけれども。道化的な主人公がいても雰囲気が重くなる。ラブコメ的な題材はハリウッド特有のものなのかもしれないと思った。
『マニラ・スカイ』。(レイモンド・レッド)ダジャレのようなタイトルだ。ここにいるのは、死者の妄想に取り付かれるトム・クルーズではなく、田舎から出稼ぎに来た男が失業しつつも田舎の親に成功した姿をみせようとがんばる映画で。福本伸行の漫画に出てくるような男が主人公。黒沢みたいなやつ。かなり丹念に人物たちをとっていることも好感がもて、やたら社会に怒りをぶつけている主人公の姿にも好感が持てる。なので期待させるのだが、途中で笑っていいのかわからないコメディみたいになってくるように感じた。やはり社会の風潮が侵入してきている。最初に「真実を基にしている」という字幕が見られるのだが、そのとき真実をどこまで忠実に扱い、そしてどこまでフィクション化しているのか、そこが問題となる。
不況映画はこの後も散見される予感が。。。
『激情』
10月22日17:50
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『テン・ウィンターズ』
10月22日11:20
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『マニラ・スカイ』
10月19日21:15
10月24日17:50
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投稿者 nobodymag : 10:02 AM