アンナ・カリーナ追悼

坂本安美
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 2018年9月、18年ぶりに東京を訪れたアンナ・カリーナの側に付き、数日ともに過ごすことができた。最初にお会いしたのは、20年ほど前、彼女のアルバム『恋物語』をプロデュースしたフランスのミュージシャン(フィリップ・)カトリーヌと来日した際で、まるでミュージカルコメディのように楽しげに、チャーミングに歌い合うふたりのパフォーマンス、そして夕食の席でゴダールとのエピソードをまるで昨日のことのように生き生きと語ってくれた彼女の美しい笑顔、そのユーモアに感激し通しだった。アンナは久しぶりのライブで不安げな様子だったが、滞在していたホテルの小さなテラスで一緒に来日したミュージシャンのギター伴奏で歌い始めると、徐々に愛らしい笑顔を取りもどし、一言ひとこと、歌詞に心を込め、その世界の中に入っていった。若い頃に比べてその声はかなり掠れていたが、歌い出すと、そこから彼女の繊細な感情、豊かな表現力が聞こえ、見えてくる。その最後となってしまった来日中のある夕食の席で、ゴダールの新作『イメージの本』で『小さな兵隊』のアンナのシーンが抜粋されていることを告げると、まだ未見だった彼女は本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。17歳でコペンハーゲンの港町から単身でパリに降り立ち、名前も変え、外国語で話し、確かなよりどころがないながら、いやだからこそ、しっかりと一瞬、一瞬を彼女らしく生き、フランスだけでなく、世界中、ここ日本にいる私たちにまで、夢、遊び心、涙、怒り、自由さ、多くの可能性を託していってくれたアンナ。2019年12月14日に旅立ったアンナについて、最後まで彼女と親交の深かったフィリップ・カトリーヌは次のように語る。「あの世代の女性としては、アンナは特定の形におさまることのない人だった。モノラルでもステレオでもなくて、多義的、ポリセミックな人だった。彼女の中にはいくつもの女性が存在していた。だから、彼女はつねに思いがけず、矛盾している、時には機嫌が悪いことさえあった。アンナは文学にも映画にも、サッカーにも興味があった。同じようにフランス語にも情熱を持っていたけど、時に口汚く罵ることもできる人だった。彼女は今日においてそう呼べる意味で、非常に現代的な女性だった。映画の中の彼女を見れば、2010年代に映画に出始めたと全く考えられるよね。」アンナ・カリーナは亡くなる直前まで病院でカトリーヌが作曲して彼女が歌った『アンナ・カリン』を聴いていたそうだ。「カトリーヌと出会って私はもう一度生まれた」とさえ述べていたアンナ、彼女との「恋物語」を生きたカトリーヌの美しい賛辞に続けて、仏日刊紙「リベラシオン」2019年12月15日に掲載されたカミーユ・ヌヴェールのすばらしい追悼文をここに訳出したい。


アンナ・カリーナ、炎に包まれた若き女の肖像(*1)

カミーユ・ヌヴェール

ゴダールとの特権的な関係以外に、変化を求めていた社会が遂げようとしていた現代的なるものへの大きな変化を体現していたアンナ・カリーナは、ヴィスコンティ、ズルニーニ、ファスビンダーなど多くの映画監督を魅了した。

「フランス語を話す外国人の女性は、いつもすごく美しい」、『小さな兵隊』の予告編で聞こえてくるコメントである。ゴダールは『勝手にしやがれ』で「パ・パ・トリ・シア(Pa-pa-tri-cia)」とたどたどしく口ずさんだ後も、「A」の文字を含む名前を持つ女性たち、あるいは題名やアイディアを好んできた。アンヌ・ヴィエゼムスキー、アンヌ=マリ・ミエヴィル、シャンタル・ゴヤ、ナタリー・バイ、レ・リタ・ミツコ、ジェーン・フォンダ、ハンナ・シグラ、等など あるいは『プラウダ』、『(メイド・イン)USA』等など。しかし韻を踏むようにアルファ(ロメオ!)の「A」がもっとも多く、4つの「A」がはっきり発語される(しかも左右どちらかでも同じに読めるファーストネームの響きが加わる)名前を持つ女性、それがアンナ・カリーナ(Anna Karina )だ。

 そしてカリーナはある時代の、現代的でポップで若きフランスを象徴する顔となる。デンマーク出身の外国人である彼女が。彼女を迎え入れた国、フランス、その自由な思想とともに、そしてまたフランスのタブー、禁忌とともに。宗教のベールとカトリック教の抑圧がフランス国家による検閲を取得した、それがディドロ原作で、ジャック・リヴェット監督によって脚色された『修道女』(1965年)だった。アンナ・カリーナがこの映画で体現しているのはまさにそれでしかない、つまり現代的検閲である。アンナ・カリーナは、宗教的にも、文学的にも、二重の意味で冒涜とされた18世紀に書かれた台詞を演じたその外国語のアクセントと無信仰さによって、それ以来、「気まぐれなる殉教者」のイメージを喚起させ続けるだろう。ヴィルジニー・デパントの『ベーゼ・モア』(1993年)(*2)が撮られるだいぶ前の出来事である。

悪魔の機械

 その時代は今より自由だったわけではないが、より無頓着で、決然としていて、分別などなく、失うものも何もない、そう父親たちの退廃した芸術に再び陥るよりはすべてを失ってもいいというような時代だった。それは戦後、社会が急激に発展していき、突如としてスクリーンの中にも、路上にも恋人たちが人目を憚らず現れ、人生と映画の両方が愉快にカミングアウトし合った60年代だった。そしてまだ無名の俳優と映画作家が同じぐらい重要な存在であり、キャメラの前と後ろの境を超えた魂の結びつきによって生まれた映画、それは彼らが共同で創り出した作品だった。アドルフォ・ビオイ=カサーレスの幻想小説をイタリア人監督が映画化した『モレルの発明』(1974年)でカリーナはファスティーヌ役を演じた。生物を三次元上に撮影すると、のちにその生物が死んでしまう悪魔の機械。人間を含めた生物が完璧な姿で記録され、それと引きかえに破壊していく。映像が魂を奪うという私たち先祖の信仰が物語のもととなっているだろう。アンナ・カリーナはしかし恋をしていたのだ。

 6年(1961年から67年まで)、カリーナがヌーヴェルヴァーグの女性の顔となり、シネフィルたちのマリアンヌ(フランス共和国を象徴する女性像であり、『気狂いピエロ』でカリーナが演じた女性の名前)になるには6年というその月日で充分だった。端正な顔立ちで、中国の影絵のように美しいカリーナ。(ベルナデット・)ラフォン、(ステファンヌ・)オードラン、(デルフィーヌ・)セイリング、そして「ロメール映画の女の子たち」、ヴァルダ以外すべて男性の監督たちの世界に、閃光のように出現したこうした何人かの女性たちの中にアンナ・カリーナもいた。ゴダール、リヴェット、ファスビンダー、ゲンスブール=コラルニック、ラウル・ルイス、ショレンドルフ、デルヴォー、リチャードソン、ズルニーニ。アンナ・カリーナは口数の少ない顔をしながら、国籍を超えた新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)に乗り、5つの言語を流暢に話しながら映画のユートピアの一員だった。

 おそらく『不良少女モニカ』(1953年)のあのショットによってすべてが変化したのだ。ハリエット・アンデルソンのキャメラ目線のあのラストのショットはヌーヴェルヴァーグの若き獅子たちに官能的なる衝撃を与え、とくにゴダールはとことん拘り(それは映画技法として誰もが使用する、ありきたりな手法にさえなっていくのだが)、イングマール・ベルイマンによるそのショットを『勝手にしやがれ』(1959年)ではセバーグに、『小さな兵隊』(1960年)ではカリーナに演じさせた。しかしカリーナはキャメラとの正面の関係をより力強いものへと高めていく。キャメラは彼女の顔の特徴をつぶさにとらえるポートレイトを形成するにいたるのだ。正面から、横から、あらゆる角度から細かく彼女をとらえ、警察による容疑者の人体測定、あるいは絵画における人物像のエチュードにさえたとえられるだろう。

物思いにふけり、悲しみに沈み、ふてくされて

 それこそが『女と男のいる舗道』(1962年)の全編にわたって私たちが目にすることであるだろう。彼女を見つめる視線、その顔、横顔、楕円形の輪郭、唇までタバコを持っていくその手、短めに切られた髪がカーブを描くその首、彼女はその間、引き出しを開け、うな垂れ、私たちと共に肖像画家(ジャン=リュック・ゴダール)のナレーションの声に耳を傾けながら辛抱強く待ち、そしてキャメラの視線にとらえられるがままに身を任せる。闇、そして光の中でとらえられるその顔の上で、彼女は笑いと涙を交互に見せることができた。アンナ、あるいはその情熱......。ゴダールの声が彼女に文学的レッスンをほどこし、それからある予言を告げるだろう。彼女は物思いにふけり、悲しそうでいて、そして少しふてくされながら、そのことに気づいている。そう、いつかふたりの間の愛が消えていくことを。しかし彼女のこのポートレイト、感情の微妙なる動きが刻まれたこの瞬間は消えないことを。それらすべての瞬間は残っていくことを。そうしてこのシーンの最中、ゴダールによってずっと朗読されているエドガー・アラン・ポーの小説(『楕円形の肖像』)の中で、画家はこう叫ぶ、「これはまるで(妻の)生き身そのままだ!」と。そう、おふざけ好きのアンナ・Kのね。


[訳注]
(*1)セリーヌ・シアマの最新作のタイトル『Portrait of a Lady on Fire (炎に包まれた若き女の肖像)』(2019年)に掛けている。
(*2)ヴィルジニー・デパントの『ベーゼ・モア』(1993年)はフランスの女流作家ヴィルジニー・デパントの小説を、本人自らと元ポルノ女優の友人コラリー・トラン・ティと共同で監督した作品。過激な内容から、公開当時、本国フランスで上映禁止騒動が巻き起こった。 ちなみにジャック・リヴェットの『修道女』は65年に完成されたが、カトリックに冒涜的だとして反対運動が起こり、一時は上映禁止となり、翌年のカンヌ映画祭で初めて上映されるも賛否両論の論争を巻き起こした。1967年7月26日、ようやくパリの5館のみで公開となる。



『女と男のいる舗道』は「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち Hommage a Michel LEGRAND」にて近日上映予定。2020年2月21日からYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次開催。また京都では出町座、京都みなみ会館にて【緊急追悼企画:アンナ・カリーナの残像】が開催される。


そしてラストにアンナ・カリーナ とフィリップ・カトリーヌのデュエットによる『一生愛するとは誓わなかったわ』