『アナザサイド サロメの娘 remix』七里圭。「音から作る映画」シリーズ最新作。完成した作品を上映しながらその前でパフォーマンスを行い、その記録が次のバージョンでは作品内に素材として織り込まれ、次第にいくつものレイヤーが重なり合うものとなっていく......。そんな方法論が上映後のトークで語られたが、そのことを知らなくとも、この作品を見る体験自体が自ずとその制作プロセスに似通っていく。循環的な構造を持つテクスト、ズレを持って反復し反響するその朗読、目の前の光景はいつしか画面内のスクリーン上に投影されたものとしてオーバーラップしていく......。それは基本の層の前後に重ねられるアディショナルな層を通じて奥行きのあるパースペクティブを獲得するような体験ではなく、目の前で積み重なっていく層のうちいったいどれが基本の層であったかを見失い途方にくれる、そんな体験である。
画面内で映像を投影させていた光沢のある白いスクリーンはどこかヒラヒラとした布の質感を思わせるものだったはずなのに、それを投影させているいま目の前に物理的に存在するスクリーンもまたそうしたものであったはずなのに、画と音の重層的なオーバーラップの合間にふと露出する黒み(それは「影」ではなく「黒い光」である)が、まるで黒光りする鉱石か樹脂のような厚みと硬度を持った物質であるかのような錯覚がする。なにも映っていないはずのスクリーンの表面に、一瞬、もしかしてそこを覗き込んでいる自分の顔が映り込んでいたような気がして鳥肌が立つ。
......てなことを書こうかと考えていたら、機材トラブルにより上映は中断する。その中断について七里監督は、デジタル化以降、わたしたちが映画と呼びならわしているものが「データ」に変わってしまったという本質的な事実を思い起こさせる「象徴的」な上映だったと語っていた。だからこの作品については、ちゃんと全編通して見た翌日の再上映ではなく、この日の上映の体験として書いておきたいと思った。
表彰式。
受賞作品はこちら。毎度毎度のことだが、賞をとった作品をそんなに見てない。でも受賞作品は翌日に再上映されることを考えれば、まあそれはそれで得してるんじゃないかという気も。気になっていたけれどタイミングが合わなかった『パムソム海賊団、ソウル・インフェルノ』チョン・ユンソクが次の日見れるかと思ったのだが、「アジア千波万波」だと特別賞では上映されないのが残念といえば残念。
インターナショナル・コンペティション部門の審査員イグナシオ・アグエロは、公式カタログ等に掲載された七里圭の「審査にあたって」のコメント、「ドキュメンタリーの大海に翻弄されて、めためたになってしまうのでしょう」という言葉を引用し、まさに自分たちはそういう体験をしたのだと語る。その言葉には、正直なところ、今回に限らないこの映画祭の感想として非常に共感するところがある。
2年に一度、この映画祭に帰ってくるたびに、前回よりは多少マシにこの大海を乗り切れるようになっただろうと思ってやってくる。だが結局全然そんなことはない。毎度毎度、この大海の泳ぎ方を自分は覚えてなかったんだよなと痛感する。いやむしろ、普段はなにげなく覚えているような気になっている泳ぎ方を忘れるためにここに戻ってくるのかも、という気もする。泳ぎ方を忘れ、また一から四肢の動かし方を、バランスの取り方を、浮き上がるための呼吸を、学び直すためにこの場所に帰ってくるのかもしれない。そんな気がする。
あえての『ヒア&ゼア こことよそ』ジャン=リュック・ゴダール、アンヌ=マリーミエヴィル、ジャン=ピエール・ゴラン。本映画祭では「政治と映画: パレスティナ・レバノン70s - 80s」という企画内での上映だが、そうした区分を越えて、ある種のフッテージ映像を使用したドキュメンタリー作品がどうあるべきかを考える参照項として見えた。
1970年の映像は完成されないまま手元にある。1975年に再びそれらを編集し始めねばならぬのは、その作業が慎重なやり方で進めなければならぬのは、ときとしてその映像そのものが持つ声はそこに付された「あまりに大きすぎる音」で単純化されてしまうからである。この作品の最終盤にいたって、ようやくゴダールとミエヴィルはいくつかの映像そのものを見るために必要な言葉を彼ら自身の声で乗せる。その慎重さはいまなお見習うべき指標としてある。この映画祭で見たいくつかの作品を思い起こしても、映像そのものを見るため音を付す作業をあまりに自明の前提として行っているのではないかと思えることがあり、あるいは逆にその作業の完遂が作品の最終目的になり過ぎているのではないかと思えることがある。あくまでわたしたちが見なければならないのはその映像であり、聞かなければならないのはその音であるというのに。
直前にそんな映画を見た後での『私はあなたのニグロではない』ラウル・ペック。これもまたフッテージの問題を避けて通れぬ作品だ。ジェームズ・ボールドウィンの未完原稿を元に、メドガー・エヴァーズ、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングという3人の暗殺された活動家の横顔と、彼らが生きた公民権運動とが描かれる。だがベースにあるテクストのせいもあってか、作品自体から受ける印象は伝記的なものとも自伝的なものとも少し違う。むしろひとりの人間の孤独、欲望、そして愛についての記述が、文化的政治的な背景の中で肉付けられ彩色されていくという感じか。概ね好感を持って見たし面白かったが、だが「あまりに大きすぎる音」が付されているのではないかという懸念がよぎる瞬間がまったくなかったと言えば嘘になる。
しかしジェームズ・ボールドウィン自身の残された発言は、ゴダール=ミエヴィルとほとんどまったく同質のものだ。「私をリンチにかけたり、銃で撃つならばそうすればいい。そのとき私は彼より優位に立つ。なぜなら彼は私を見なかったことで怪物になったからだ。彼は私から目をそらし、私は彼を見つめた」。
『われら山人たちーーわれわれ山国の人間が山間に住むのは、われわれのせいではないーー』フレディ・M・ムーラー。ムーラーの故郷であるウーリ州の山岳地帯で撮られたこの作品は、たんなる「古き良き山の暮らし」へのノスタルジーでできているわけではない。と同時に、副題「われわれ山国の人間が山間に住むのは、われわれのせいではない」に込められた静かな怒りが全面的に展開するわけでもない。それらふたつはほとんど目に見えないかたちで完全に混じり合っている。そういう意味で、前々日に見た短編『ベルンハルト・ルジンブール』の中で描かれていた小さな絵がより巨大な別の絵の一部分へと絶え間なく変化していくドローイングや、『マルセル』の直線的な道行を複雑な経路へと折りたたんでいく傾斜やぬかるみと、この山々の斜面は形態的な類似を持つのかもしれない。
小さな広場に集まった人々の輪、彼らが挙手し発言する直接民主制の姿は、前日までに見た『願いと揺らぎ』の波伝谷の人々や『エクス・リブリス』のショーンバーグ黒人文化センターの地域交流会を思い起こさせもする。この映画のラストカットは、その高原の直接民主制の姿そっくりに輪をかたちづくって並んだ若者たちを360度のパンで延々と映し出した後にやってくる。カットが変わり、山の斜面からそれまで画面を撮影していたカメラを中心とした若者たちの輪が見下ろされる。若者たちは三々五々思い思いの方向へ去っていき、彼らが成していた輪は姿を消す。『われら山人たち』には彼らが集まり輪を成す力と、彼らを遠ざける力とが、完全に混じり合って描かれている。
続いて『緑の山』フレディ・M・ムーラー。最終廃棄物処理場の建設をめぐる地域住民の抗議運動が映し出される。2011年3月11日を経たわたしたちの目には、この作品は完成した当時よりはるかに明確なものとして映ってしまうのかもしれない。「充分な安全」などという概念がどれほど馬鹿げた考えであるかを、わたしたちはすでに充分すぎるほど知っている。個体の寿命を遥かに超えた尺度での放射性廃棄物の保管がどれほど無責任なのかを、わたしたちはこの当時よりももっと強く主張できるだろう。だがあまりにそうした側面だけをこの作品に見てとることは、ムーラーの作品に絶えず内在する相反するベクトルの力学を見落としてしまうことかもしれない。
抗議団体のメンバーは言っていた。なにより悲しいのは、この抗議運動が成功するか否かという問題以前に、わたしたちの共同体が賛成派と反対派という構図に分断されてしまったことだ、と。公式カタログにあるムーラーの言葉は次のように語る。「私はスイス人として、白い平面の中央に大きな点がある日本の国旗を羨ましく思っていました。それよりも首尾一貫していて明確なものはありません。われわれスイス人の国旗は、赤い平面の中央に大きな白い点があるのですが、それは上下左右すべての方向に逸脱してしまっています。というのも、(四つの)母国語のそれぞれがこの点をぐいぐいと引っ張って、十字のかたちにしてしまったからです。これ以上に民主的にすることはできません」。ムーラーの作品には絶えず、思い思いの方向へと互いを引っ張り合う共同体の力学が映り込んでいるように思う。
メイン会場の近く、東北芸工大の生徒などが住むというシェアハウスのガレージでDJイベントが行われていた。そこでこれまで聞いたことのないバージョンの「花笠音頭」が流れていた。聞けば、江利チエミなのだいう。なかなかシャレたラテンアレンジ。
映画祭の行われている七日町から結構がんばって歩けばいけるあたりにある「山形一寸亭」はオススメなのだが、そこの分店の「山形の肉そば屋」に家族で行く。県外から来た方にはいったいなんのことやらというメニューかと思われるだろう「冷たい肉そば」。単なる冷やしたそばではなく、あったかいものとはまったく別のスープと食感。もりそばともまったく違ったジャンルになっているこのメニュー、機会があれば是非一度ご賞味あれ。
『カーロ・ミオ・ベン(愛しき人よ)』蘇青、米娜。かつて「nobody」でも取材をした『白塔』の監督たちの新作。視覚聴覚に障がいを持つ子供のための学校へ通う何人かの少年少女の姿を追う。まずもってこの監督たちが信頼できるのは、彼らが目が見えないことや耳が聞こえないことを描いたりしないからだ。そうではなくここにあるのは、形態であり言葉であり、色彩であり音楽である。視力と聴力が極端に低い少女と、四六時中彼女の側にいる教師との距離、接触。ずっとペットの亀の話ばかりしている少女の、自分をないがしろにする祖母への怒りの手紙。ただ、そうしたひとつひとつのディテールがとても魅力的であるがゆえに、それらの映像をまとめあげるやり方が最終的にこのかたちでよかったのかという疑問がどうも拭えない。タイトルの「カーロ・ミオ・ベン」とはひとりの少女が歌うアリエッタのタイトルだが、その映像が鳥肌が立つようなすごみを備えているがゆえに、それによって作品全体をまとめてしまうことは、その他のなんということのない映像や音のざわめきを最後にかき消してしまうような気がした。
『エクス・リブリス ― ニューヨーク公共図書館』フレデリック・ワイズマン。私立図書館としては世界屈指の規模を持つニューヨーク公共図書館の運営を様々な角度から描く。私立なのに「公共」とはこれいかになのだが、おそらくこの「公共」という概念、パブリックであるとはいったいどういうことなのかという問いかけこそがこの作品の核だ。膨大な数の分館や研究センターからなるニューヨーク公共図書館のシステムを、各地域の人種的経済的文化的な特色からそれぞれに異なった方針と問題に切り分けて説明していくこともできそうだが、そうした見方はこの作品に対してはいささかステレオタイプに過ぎるものになるだろう。それよりも何度か違った局面違ったコンテクストで発せられる「孤立」という言葉がやけに耳に残る。役員たちの会議ではインターネットインフラの提供についての話題、ネット環境から「孤立」してしまいかねない人々になにを提供するかという話題が何度かあがる。先進的なデジタルライブラリーを持つこの図書館にとっては当然なのかもしれないが、一見真逆のものにも思える紙の本の所蔵・貸出とネット環境の整備が同等に達成されるべきものとして提案されており、そこでは物理的な場としての公共性だけではない、変わりゆく社会の中での公共性のあり方が問われているように見えた。また各分館の担当者間での会議では、ある女性が「しばしば私たちの日常業務は各部署、各企画の間であまりに分断されているように感じられる」と語る。その分断された業務の中で、それらのつながりによって成し遂げられるものを想像することもまた別の「公共」を考えることに他ならないし、それを成し遂げるために必要なのは単なるシステムではない。
なんと言っても感動的だったのは映画の最後で行われる、ショーンバーグ黒人文化センターのセンター長と地域住民の交流会だ。建物のなんでもないすみっこでまるで地域住民の茶飲み話のようにフラットな感じで行われるそれは、先だって見た『願いと揺らぎ』の波伝谷の人々の寄合のように、政治のありようを直接に描いているように感じた。ミクロなレベルからマクロなレベルまで「公共」の可能性が問われ続けるこの作品は、ほとんど都市そのものを描いていると言っても決して言い過ぎではない。
『翡翠之城』趙德胤(ミディ・ジー)。粒子の粗い、ギラついた色彩と深く沈む黒を持つ画。ともすると悪趣味に陥りかねない画面づくりだが、カメラの向かう先が政府軍とKIA(カチン独立軍)の衝突が繰り返される翡翠の採掘場であるとすれば話は別だ。まるでアフリカのダイアモンド採掘場のような、かつてのアメリカのゴールドラッシュのような、法の隙間で一攫千金の夢を見る者たちの、硝煙と砂埃が舞うギラついた色彩のノワール。
土の中には翡翠が埋まっている。飯の中にはマラリアが潜んでいる。兄と弟の間には音信不通の16年間が横たわっている。アヘンの塊の中には一時の快楽とそれに裏打ちされた恐怖が眠っている。それら潜在的な可能性や危険や闇や恐怖は、劇中で地表へと掘り起こされることはない。マラリアは監督の身体を蝕むが、しかし「発作が起きてないときは自分がマラリアにかかっていることを忘れる」。主人公である監督の兄に今回の採掘場を教えてくれた男はこう忠告する。「政府軍とKIAの間をつま先で歩け」。それはおそらく武力衝突の危険を回避するためだけの助言ではない。翡翠を掘り当てるか否か、政府軍に拘束されるか否か、麻薬で身を持ち崩すか否か。すべてはつま先立ちで通り抜けねばならぬ細い道の上にある。
金彦魚店で秋刀魚づくし定食。なにも海のない市に来て魚を食うこともあるまいという気もするが、芋煮やそばやラーメンに飽きたという方にはこんな選択肢もあります。
『機械』ラーフル・ジャイン。インド繊維産業の劣悪な労働環境をフォトジェニックな映像とドルビーアトモス仕様にミックスした重厚な音響で描く(もちろんこの日の上映はアトモスではなく5.1ch)。本来、もうちっとガンガンくる音響の作品なのではないかという印象。
後半、あまりにもすんなりと資本家vs労働者という構図に作品が収束してしまうので、タイトルの「機械」が意味するのは労働者たちがまるで機械のように搾取されすり減らされている、くらいのものなのかなという気はする。あるいはあの古ぼけた機械たちは、労働を時間あたりの賃金へと換算可能なものへ変えた原因として、資本家側に与するものだと考えるべきか。だがむしろこの作品のカメラの距離感はあの古ぼけた機械たちへの親しみすら感じさせる。連帯すらもたらさない分断された労働、「おれが休めば他の人間が雇われるだけ」の交換可能な労働、そんな孤独な作業のかたわらであの機械たちだけは朝も昼も休みなく稼働し続ける。死んだように労働者たちが眠る休憩時間(なのか?)にも、彼らの駆動音は子守唄のように鳴り続ける。
だからもし労働者が自分の肉体を機械になぞらえるのだとしたら、それはたんに自分を人間以下の存在だと卑下することではない。彼ら労働者たちが組合を持てないのは、もっと言えば彼らが労働者階級を形成できないのは、あの厚顔無恥なクソ野郎の経営者のせいだけでもなければ、そういう存在を許す経済格差のせいだけでもない。家族を遠い故郷に残し、同僚とはつまらない対立関係にあり、経営者なんて名前も顔も知らない。そうして徹底的に孤立化させられた労働者が、もし階級のようなものを形成しうるとしたら、その第一歩はまずあのおんぼろマシンたちと連帯することではないのか。少しだけカラックス『ホーリー・モーターズ』を思い出す。
『キューバのアフリカ遠征』ジハン・エル・ターリ。チェ・ゲバラのコンゴ独立よための秘密支援からネルソン・マンデラの解放まで、「四半世紀と一年と一日」に渡るキューバとアフリカ諸国の独立運動との関係が描かれる。CIAから革命軍のメンバーまで東西両陣営にまたがる大勢の証言者による前後半に別れた長尺作品だが、おそらく劇中でも指摘される「キューバとアフリカの人間に共通する陽気さ」のせいなのだろうか、それほど構えずに気楽に見れた。だがそれにしても、レーガン就任以降に主要なプレーヤーとなる政治家・官僚たちのなんとも悪ふざけとしか思えないキャラクターはなんなのだろうか。「キューバ軍の派兵数を調べるのは簡単だ。衛星で野球場の数を数えればいい。あいつらは一定数の軍人あたりひとつの野球場を建設する」にはさすがに笑ってしまったが。
香味庵の前に、すずらん街から一本入ったところにあるYOROZU屋にて麻婆豆腐と特製サンラータン麺。ガッツリ四川系の麻婆豆腐が食べられる数少ない店。なんだかんだで帰郷すると必ず食う味。
曇り、やや肌寒い。
今年の一本目はインターナショナルコンペティションの『激情の時』ジョアン・モレイラ・サレス。1968年前後のフランス、チェコ、中国のフッテージを中心とした映像とナレーションによって構成される。興味深かったのは始まってすぐのブラジル(だったはず)のホームムービーのフッテージとそれに付されるナレーションで、白人ブルジョワ家族が幼い娘を撮っただけのなんということのないサイレント映像は二度ほどループされ、しかしボイスオーバーの誘導によって二度目に見る観客の視線は、努めて背景の一部を"演じよう"とする黒人の召使いへと導かれる。言わずもがな、映像それ自体が持つ情報量のすべてを汲み尽くしうるなど考えることは傲慢に過ぎないのだという事実を繰り返し思い起こさせる手法には好感を持つ(ダニエル・コーン=ベンディットの「あの頃のおれたちは思ってる以上に"保守的"だった。短い髪型、服装、リーダーは男性で、女性は聞き手にまわる......」)。しかし、監督の母親が撮った中国旅行の映像が、クリス・マルケルやロマン・グーピルなども引用されるその他の映像に対してどういう関係を持ちうるのかがいまいち理解できなかった。監督が語るところによれば、強い政治的なインパクトを持つパリやプラハの映像に匹敵するほどの、強い"美学的な"インパクトを母親の映像は持つという話だったと思うが、私にはそれが読み取れなかった。あるいは、それを読み取るためには、そこに付した監督の言葉があまりに饒舌すぎたのではないか、とも言える。
続いて『カット』ハイルン・ニッサ。昨年98年ジャカルタ暴動についてのコンピレーション作品について文章を書いた関係で、インドネシア映画の検閲を取り扱った本作品に興味を持った。一番驚いたのは35mmで検閲してんのか!ということだったが、出てくる作品がなぜか2008年のものばかりだったり、担当者がオンラインならもっと早いみたいなことを言ったりしているので必ずしもそれが主流というわけではないかもしれない。
作品全体に対して感じたのは、よく言えばインドネシアの映画製作者たちが希望に満ちている、悪く言えば彼らはあまりに楽観的すぎるんじゃないのか、ということだ。もちろん個人的にいかなる種類の検閲だろうがごくわずかな正当性すら認める気はない。だが実際には彼らはなにか特定のシーンがある映画を作ることができないわけではなく、ただそれを商業的に公開できないだけだ(なぜ2008年の映画を2014年に検閲を通そうと思ったのか、その辺の事情がよくわからないのだが)。ここで問題になっているのは表現の自由といったことではなく、あくまで産業としての映画のあり方や配給の問題に過ぎないのではないかという気がしてしまう。もちろん現状を法的な制度から改革していこうという彼らのムーブメントから学ぶことはたくさんあるだろうが、その一方でどうしても、じゃあ一応検閲なしで映画をつくるわれわれはいったいどれだけ彼らより自由でありうるのか、という問題を避けて通ることができない。
駅前の「五十番」で細切り肉ラーメン。小さい頃からこの料理が好きなのだが、東京の中華料理屋であまり見かけないのはなんでだろう。
『願いと揺らぎ』我妻和樹。前作『波伝谷に生きる人々』を見たときの印象と同じことをまた思う。東日本大震災がもしなければ、この作品はもっとずっといい映画になっていたんじゃないのかと。そんなことは(当たり前だが)震災を取り扱った幾多のドキュメンタリー作品には決して感じることのない思いだし、そうした意味でこの作品は震災についてのドキュメンタリーではないのかもしれない。ただとてつもなく魅力的な被写体たちがいて、彼らととてつもなく魅力的な関係の結び方を監督はしていて、ただたまたま彼らの部落は丸ごと津波で流されてしまって、彼らのうちの幾人かはこの地を離れて暮らし、彼らのうちの幾人かは亡くなってしまった、ただそれだけだ。
作品の冒頭こそ、モノクロの画面はあまりに象徴的な意味合いが強過ぎるのではないかと懸念する。だが見ているとすぐにそんなことはどうでもよくなる。津波でてんでんこ=バラバラになった彼らだが、ふと寄り集まって会議をすれば、そこには共同体のようなものを駆動させ始める力が、すなわち政治が、映り込む。ふと寄り集まって宴会をすれば、酒の力で高まった感情が、どこまでも軽やかな笑いが、映り込む。正直、それらが映っているだけでもう十分で、涙が止まらない。
震災から一年が経とうとする頃、ひとりの男性の本厄の厄払いのための宴会が開かれ、久しぶりに部落の面々が顔を揃える。宴も盛り上がり、背後ではカラオケが始まる。おそらく勘違いや編集のせいだけではないはずだが、彼らは一度ではなく二度三度、加山雄三の「海 その愛」を歌っている。住む家も職業も奪われ、男腕一本で稼ぐはずの漁師の仕事が「サラリーマンみてえな」ものに変わってしまってなお、彼らはどんな思いでこの歌を歌うのだろう。「海よ 俺の海よ/大きなその愛よ」。