『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』特集
©︎ 2022 Why Not Productions - Arte France Cinéma
アルノー・デプレシャンの作品には多くの人々が出てくる。もちろんエキストラを含め、より多くの人が登場する大作映画は他にもっとあるのだが、デプレシャン映画では登場しているどの人物にも光が当たり、その一人一人が異なった存在として見えてくるのだ。国立映画学校(イデック、現フェミス)を卒業するも、映画とはなにか、理解できないままである自分がいることに気づき、敗北感を感じ、ゼロからまた映画に向かい合ったという。あらゆる映画を見まくり、友人たちの映画の助監督、撮影、編集、あらゆる作業を担当しながら、何年もかけて準備して撮った監督デビュー作『二十歳の死』。これで最後の映画作品になるかもしれない、それなら数人ではなく、できるだけ多くの、それもさまざまなタイプの俳優たちで撮ろう、そしてこれまではずっとスタッフの側から映画を撮っていたのだから、これからは俳優たちの側から映画を撮ろう、とデプレシャンは決意する。そして「すべての俳優に対して、自分は精神的で道徳的な契約を結び、どんなに小さな端役の人であっても、登場人物の一人一人はそれぞれに自分の領域を持ち、それぞれの軌跡があり、それぞれの秘密の隠れ家を持っている。他の人物はそこに足を踏み入れてはならない」と誓う。この誓いを、それから30と数年経った今もデプレシャンが守り続けていることは最新作『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』を見ることでも確認できるだろう。たとえば、冒頭すぐのあの驚愕の交通事故のシーン。事故に遭った若い女性と主人公である弟と姉の父とのほんの数秒間のやり取りの中に、この女性の人生の片鱗、そして父による慈愛の仕草に私たちは即座にひきつけられる。しかしそこにあの運命のように有無を言わさず現れるトラック…。
本作で異色のキャスティングとして注目されたのが、弟ルイの親友を演じるアルジェリア系フランス人俳優パトリック・ティムシットである。大衆コメディ映画やワンマンショーなどでも有名なティムシット演じるズウィが、両親が事故に遭ったことを伝えるため、ピレネー山脈の奥地に隠遁生活を送っているルイのもとへと、慣れない馬にまたがり、森の中を進んでいく。その静謐なる風景と溶け込み、まるでイーストウッドの西部劇の中の登場人物のように悠然と見えてくるその姿から、彼がこの映画において大切な密使であることを私たちは知る。またはルイの妻であり、共に闘う戦士フォニアを演じるゴルシフテ・ファラハニ、アリスのファンで、つねに浮かべている笑顔からアリスの心の扉を開けさせるルチアを演じるコスミナ・ストラタン…。そしてもちろん弟、姉を演じるすばらしい俳優たちを語らないわけにはいられない。断固としてセンセーショナルなマリオン・コティアール、軽妙でコミカルであると共に深い哀しみを宿し、成熟した繊細さを炸裂させるメルヴィル・プポー。『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』はある一家族の物語、それも「憎しみ」という閉じられた、ネガティブな感情から始まりながら、これまでのデプレシャン映画と同様に、いやそれ以上に、その扉をつねに開け放ち、外部へ、他者へと開いていく。その豊潤なる冒険へ!(坂本安美)
アルノー・デプレシャン インタビュー
認識によって世界が開かれる
省略され、圧縮されたような現在、さらにそこに過去が入乱れ、姉弟に何があったのか、なぜこんなにも憎み合っているのか、見るものはどこか迷宮に入り込んでしまったような気持ちになるかもしれない。この迷宮から二人はどう抜け出すことができるのだろう……。でもこの映画が用意したのはとてもシンプルな答えで、唐突とも言えるそのシンプルさが胸を打つ。今回はデプレシャン監督がどのようにしてその瞬間に辿り着いたのか、お話を伺った。
取材・構成:池田百花、松田春樹、梅本健司
――あなたの作品の登場人物たちは何かしらの過去を持っています。なぜ彼らの過去を描くことが必要なのでしょうか?
アルノー・デプレシャン(以下AD) たしかに、私の作品の登場人物たちは過去をもっていますが、そのすべてを明らかにはしていないと思います。たとえば『ルーベ、嘆きの光』(2019)のダウール署長は過去を持っていると思わせるけれど、それを私は明らかにしていません。レア・セドゥとサラ・フォレスティエが演じた女性二人もきっと激動の過去を持っていると思わせるけれど、それを明らかにはしていません。今作の場合は、アリス自身を探求する映画です。彼女の過去に何があったのだろう、どうして彼女はこのような感情を抱いているのだろう。その理由は、彼女自身見つけることができません。だからこそ、究極の鍵のようなものを彼女は探し出そうとして感情の迷宮に入り込んでしまいます。しかし、それを解く鍵はいつまでたっても見つからないのです。 ――つまりこの映画において多く使われるフラッシュバックは現在の問題を解く鍵ではなく、感情の迷宮として提示されているのでしょうか? AD シンプルかつ謎めいた答えをします。クロード・ランズマンに引き続き、憎しみについての問いは、”Why なぜ”ではなく、”How どうやって”であるべきだと思います。だからフラッシュバックはなぜではなく、どうやって彼らの間に憎しみが生まれたのかを見せています 続き