複数性の彼女

池田百花

 物語が始まって間もなく、有名な舞台女優のアリス(マリオン・コティヤール)の公演に通い詰めるルチア(コスミナ・ストラタン)という若い女性が現れる。ルーマニアの田舎から出てきたルチアは、公演を終えたアリスに駆け寄り、「あなたは私の人生を変えた。(Vous avez changé ma vie.)おかげでちゃんと生きられるように」と話しかける。まず、この言葉が何よりもルチアの登場を印象付けるのは、それが、『そして僕は恋をする』のラストシーンで、シルヴィア(マリアンヌ・ドニクール)がポール(マチュー・アマルリック)に言う「私があなたを変えたの(Je t'ai changé.)」というセリフを思い起こさずにはいないからだ。そして、このことについては後で触れるとして、アリスと徐々に親しくなるルチアは、それまでアリスが誰にも語ろうとしなかった弟のルイ(メルヴィル・プポー)との関係を解き明かす存在として作品の中で重要な位置を担うようになる。

©︎ 2022 Why Not Productions - Arte France Cinéma

 そもそもこの映画は、ルイの息子の葬儀のため、彼の家に人々が集まっている場面から始まる。そして夫とともにルイの家にやってきたアリスが、悲嘆に暮れて取り乱した弟から一方的に浴びせられる罵倒の言葉の数々によって、かつてこの姉弟の間に何かが起こり、いまや彼らの関係が修復不可能になってしまったことだけが示されるが、その後場面は急に5年後に移り変わって現在の語りが続いていく。この時点では、ルイは、人里離れた土地で妻のフォニア(ゴルシフテ・ハラファニ)と馬たちと一緒に生活しているが、交通事故に遭った両親の危篤の知らせを受け、しばらく妻を置いて街に戻る決心をしたことから、姉と再会することになる。
 ルチアの物語に戻ると、別の日の公演後、今度はアリスからルチアに近づいて声をかける場面がある。それまでのアリスは、弟が書いた本のことを尋ねるインタビュアーに対しても、弟との間に何があったのか教えてくれないと死にきれないと言う病床の父親に対してさえ、弟とのことを頑なに語ろうとしなかったにもかかわらず、ここでほとんど見ず知らずの若い女性に対していきなりすべてを打ち明けることになるのはなぜなのだろうか。そんな問いが宙吊りになったまま、アリスが弟に対する憎しみに囚われた日のことが明かされる。彼女によれば、弟はそれまで長い間落選し続け、すでに女優として活躍していた自分の陰に隠れたままでいることに甘んじていたが、弟の本がついに認められて授賞式が行われた日、彼が栄光に包まれているのを見た彼女は憎しみに呑み込まれ、憎しみに支配された。このように、アリスとルイが憎しみ合うようになったきっかけには、姉から弟に対する憎しみがあるにせよ、その感情の矛先を向けられて苦しんでいるのはルイだけではなく、アリスも自らの感情に囚われ、そこから抜け出せずにいた。しかしアリスは、目の前に現れたルチアが自分にとって絶対的な他者であったからこそようやくルイとの物語を語ることができるようになる。そしてこの新たな他者との出会いは、アリスを憎しみから解放するだけではなく、のちに、これまで憎しみ合ってきた姉弟が出会い直す場面へとつながっていくのだ。
 ところで、憎しみに囚われた彼女が弟に放つ「大っ嫌い(Je te haie.)」という強烈な言葉は、『キングス&クイーン』で最も衝撃的な場面で用いられていた言葉でもあった。それは、エステルが、死んだ父親の遺品整理をしている時、彼が書き溜めていた原稿の中に、自分宛ての手紙を見つける例の場面である。手紙には、愛されていたと思っていた父からの呪いのような言葉が書き連ねられ、その中に「お前を憎んだ(Je te haie.)」という言葉も見つかるのだ。そして奇しくも、娘を憎むこの父親の名前も、姉と憎み合う弟と同じルイだった。
 デプレシャンの映画では、同じ名前の登場人物が、時には同じ俳優によって、時には別の俳優によって、作品を横断して繰り返し描かれ、女性登場人物に関しては、特に、エステルとシルヴィアという名前が何度も用いられてきた。そしてアリスとルチアも、デプレシャンが描く女性像の中で大きな位置を占めるこのふたつの流れを汲んでいないだろうか。一方で、アリスはエステルの系譜に属している。『そして僕は恋をする』や『キングス&クイーン』(どちらもエマニュエル・ドゥボス)、『あの頃エッフェル塔の下で』(ルー・ロワ=ルコリネ)のエステルは自分の人生の主役となることができ、誇り高く、力強い存在感を放っている。たとえば、アリスは、ルチアからの羨望の眼差しに酔いしれ、ルイとの関係においても、彼のヒロインやミューズであることを好み、彼を作家にしたのは自分だ、と本人を前にして言い切ってしまう。
 一方、ルチアはシルヴィアのイメージと結びつく。『そして僕は恋をする』のほか、『クリスマス・ストーリー』(キアラ・マストロヤンニ)や『イスマエルの亡霊たち』(シャルロット・ゲンズブール)のシルヴィアは少し内気であり、時に自分の人生から一歩退いているような印象さえ与えるが、実は、他者の人生に働きかける力も持っている。そのため、やはり自分自身の人生に対しては消極的な態度を示すルチアも、暗闇にいる人物を光に導くシルヴィアと同じく、アリスを救い出してくれる存在になりうるのではないかと予感させる。

©︎ 2022 Why Not Productions - Arte France Cinéma

 映画の終盤には、アリスとルイがともに囚われている憎しみから解放される希望が見える場面がある。千秋楽の夜、アリスは、舞台に通い続けていたルチアに最後の別れを告げて家に帰ろうとするが、衰弱して別れ際に倒れてしまった彼女のため、近くのスーパーに食べ物を買いに向かうことになる。すると、少し前までアリスが立っていた舞台のラストシーンで雪が降っていたのに続くように、彼女が歩いている通りにもあれらが降り始め、場面は突如夢幻的な雰囲気に包まれるのだ。そして、まさにここで場面が急展開するのに合わせて、アリスがルチアという他者と出会ったことで初めて語られた弟との物語は、この憎しみ合う姉弟がもう一度出会う契機へとアリスを導いていく。
 問題の場面は、アリスがやってきたスーパーで起こる。そこで別の客の買い物かごがすれ違いざまにぶつかり、アリスのかごの中身が床に落ちてしまうのだが、ぶつかったふたりがそれを拾おうとして身をかがめると、相手が、それまで避け続けてきた姉弟だったことに気づくのだ。その時ルイが、まるで初めて自分の姉に会ったかのように声をかけ、彼女がそれに短く答えることで、彼らは再び出会うことになる。そしてうつむいたお互いの頭がぶつかり、ふたりが思わず微笑むその瞬間に、それぞれが長年囚われていた憎しみの融解点が訪れるように見えないだろうか。
 このように、物語の最後に用意されたスーパーでの出来事もまた、アリスとルチアが出会い、ともに過ごした日々の延長で起こったとすれば、かつてアリスが図らずもルチアの人生を変えたように、ルチアもまた、気づかぬうちに、アリスの人生を変えるきっかけとなっている。だからこそ、ラストシーンでアリスがカメラをまっすぐ見つめ、涙を流して微笑みながら「私は生きている(Je suis en vie.)」と言う時、今度は自ら光の中に身を置いて輝いているアリスの隣にルチアの姿も思い描きたくなるのであり、ルチアの陰にシルヴィアの姿を見て、「私があなたを変えた」というセリフに送り返されるのだ。かつてシルヴィアとポールの間で反復され、彼らがお互いを変えたことを示したこの言葉は、アリスとルチアの間で変奏される時、その中の「私」と「あなた」はより等価の響きを持って聞こえる。これまでデプレシャンが同じ名前や俳優を繰り返し登場させることで示してきたように、ここでも、ひとりの人物は、時には亡霊をも含む複数の身体と、そのそれぞれに与えられた宿命を引き受けるようにして存在し続けているのだろう。そして光や涙とともにやってくるこの言葉とともに、複数性の法則は意味を変え、すべては許される。

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