『サッシャ・ギトリ 都市・演劇・映画』〈増補新版〉書評
藤原徹平
梅本洋一の『サッシャ・ギトリ 都市・演劇・映画』が増補新版として出版された。サッシャ・ギトリとは誰なのか? 10年前にその名前を聞いた時、私はどんな人物かまるで知らなかった。梅本さんが急逝し、呆然とし、まだ読んでいない著作をしらみつぶしに検索していて、絶版となっていた『サッシャ・ギトリ』に出会った。しかしながら、何度か読もうと試みたものの、どういうわけかテキストがあまり頭に入ってこなくて、今も机の端に積んだままである。
どうしたわけか、今回の増補新版は、するりと言葉が身体に入ってくる。同じテキストのはずなのに何が違うのだろうか。私はサッシャ・ギトリの作品は『とらんぷ譚』(1936)1作品しか観たことがないから、こちらの身体は変わっていないはずだ。ほとんど知らないと言って良い人物の像が、むくむくと行間から立ち上がってくる。大きな違いは「写真」と「まえがき」である。
本屋でもしこの本を見かけたらば、この本の最初のページに差し込まれた一枚の写真を観ることを強くお薦めしたい。本を持っている人は、もう一度この最初の写真に目を向けてほしい。ベッドの上で編集機の作業をする晩年のサッシャ・ギトリ。全く知らない人物なのに、彼の生き様の全てがこの室内風景、表情、振る舞いに写りこんでいる。すごい写真だと思う。
そしてページを一枚めくると、坂本安美による「編者まえがき」が始まる。こちら側に語りかけてくるような、親密で、そして疾走感ある生きた言葉によって、この本の主人公であるサッシャ・ギトリとはどんな魅力溢れる人なのか、それに光を当てた著者の梅本洋一がどんな風に生き、活動し、人生を駆け抜けていったのかが語られる。いつのまにか私たちは、舞台の客席に座ってしまっているのだ。そしてこの本にどれほど多くの人が想いを寄せ、編まれたのかが紹介された後、艶やかに幕があく。
この本は梅本洋一の急逝後に、彼を慕う多くの人の想いによって編まれた本である。単に絶版の本を再版したのではなく、梅本のテキストを増補するのみならず、フランソワ・トリュフォー、オリヴィエ・アサイヤス、青山真治、人見有羽子といった実践者・研究者のテキストを加え、その上にサッシャ・ギトリの全映画作品解説を加えた、まさにいま再読されるべき映画史の一断面として新たに刊行されたものである。
ところでまず誤解を与えないようにしなければならないが、私は映画の専門家でもなく、サッシャ・ギトリの専門家でもない。なのになぜ私が、この書評を書くことになったのかと言えば、私が、梅本さんに批評とは何かを学び、演劇、映画、スポーツ、都市、建築とジャンルを軽やかに越えて語るその自由な精神に感化されて、建築家になった人間だからであろう。
この本の最初のチャプター「セーヌ右岸」で読者は、この本の舞台であるパリに導かれる。
その中央に奇妙な島が二つ存在するものの、パリは見事にセーヌ川によって二分される。
一文目からすごい。パリという都市の像が鮮やかに描写され、風景が立ち上がってくる。そこに現れてくる重要な固有名を何一つ知らなくとも、パリという街の特殊性が良く理解できるだろう。あるいはパリについて良く知る人は、このようにパリを描写ができることに驚き、きっと嫉妬するに違いない。フランソワ・トリュフォーとサッシャ・ギトリを媒介に、梅本洋一が都市のかたち、都市の理解の仕方を示してくれる。梅本洋一には、あらゆる世界の事象がパリの「右岸」と「左岸」に二分されて感じられたに違いないと確信するテキストである。私が、大学で梅本洋一から学んだことはそのチャプターに凝縮しているように感じる。
例えばどういうことかと言えば、数日前のネットニュースで、先日亡くなった坂本龍一の意思を継いだかたちで、東京の明治神宮外苑の再開発の反対デモがあったと報道された。私は、梅本洋一が生きていたらすぐさま、鋭く反応しただろうと思った。
明治神宮外苑とは、日本の戦前戦後の二つの国家にまたがる記念碑性がいびつに同居した空間である。日本の建築構造学の祖である佐野利器の手による銀杏並木の石組台座、絵画館、築90年の明治神宮球場、秩父宮ラグビー場がありながら、同時に草野球のグラウンドが何面も連なる戦後の市民文化、市民社会の聖地であり、かつてはプールもあったが、今もテニスコートやゴルフ練習場まである。
例えば、何のイベントもない日曜日にでも絵画館前の広場に訪ねてみると、国家主義的なスケールの空間の中で、市民が自由にスポーツに興じる風景は、言ってみればかつての郊外の住宅団地の中庭のような空間であり、梅本のものさしを経由すれば「右岸」に「左岸」が重なった奇妙なシマと呼べるのかもしれない。ここでかつて寺山修司が都市演劇をしたこともある。梅本洋一は、明治神宮のすぐそばの都立青山高校の出身であり、坂本龍一は同じく近傍の都立新宿高校の出身である。歴史の空間的重なりがいかに人の感性を育てるのかが良くわかる。この地に「右岸」でもなく「左岸」でもなく、その両方が重なってしまったのは、歴史の偶然ではあるが、結果として、戦前戦後を貫く東京という都市の物語のかたちとなる。
東京の歴史のかたちを壊してまでつくるべき計画なのかと、計画を紐解いてみると、野球場とラグビー場をそれぞれ興行場とのハイブリッド版でつくり、それ以外に超高層ビルを2本建て、そこには商業とオフィスとホテルが入り込み、絵画館の前には戦前のような芝生広場をつくる計画であった。日本の都市計画の混乱っぷりが良くわかる。景観の継承も、オープンスペースのデザインもなく、あるのは老朽化した施設の建て替えの議論と、予算確保の問題だ。都市を経済の四則計算に落とし込んだ結果として失われるのは、市民一人ひとりのスポーツの空間の記憶であり、戦前戦後のスポーツ史を彩ってきた歴史空間であり、明治神宮外苑の都市軸も欠損する。
たしか東京オリンピックのザハ・ハディドのスタジアム案が撤回される時に、予算と共に絵画館の周囲の歴史的景観が切断されることが問題にされたのだが、そんな議論はどこに言ったかまるでわからない。超高層を2本も都市軸と非対称に建てて、大丈夫なのだろうか。東京の「右岸」そのものという空間を改変し、「右岸と左岸」が入り交じった、市民の記憶の場を軽んじて消し去り、高度資本主義の機能的で清潔で表層的な都市空間を立ち上げようとしている。まさに東京という都市は、経済のシステムに飲み込まれようとしている。この自体の事の顛末によって、東京という都市の物語は大きく変わっていくだろう。
東京から、サッシャ・ギトリに話を戻そう。なぜ梅本洋一はサッシャを描こうと考えたのか。その出会いの物語は本書にも細やかに描かれるが、要するに梅本洋一はサッシャに論文を書き終えた後に、交通事故のように遭遇する。サッシャは130本もの戯曲を書き、30本以上の映画を撮った巨人であるが、驚くべきことに演劇批評においても映画批評においても、サッシャを的確に評する声が存在しない。
梅本洋一は、じっくりと時間をかけてサッシャ・ギトリとパリという街を鑑賞し、描きだす。それは、本書の副題にあるように都市と演劇と映画を越境した表現の可能性の探求であり、その分析の手つきは、戯曲のように描写が豊かで、また同時に理論書のように明晰である。つまりこの本は、都市や演劇や映画に関わるあらゆる実践者に届けられるべき良書である。15のチャプターは独立した芸術理論の苗床のようでもあるし、戯曲的な叙述自体が、読者の感性を刺戟する。
この本は、先ほど説明したように梅本洋一のテキストの他に、複数の発話者によって、サッシャ・ギトリの像が描かれる。まずは梅本洋一をサッシャ・ギトリに導いたフランソワ・トリュフォー。梅本洋一と深い関係がある、オリヴィエ・アサイヤスと青山真治。4者それぞれによって、「サッシャ・ギトリ」が解題されていく。なんという贅沢な批評空間だろうか。このように、一つのテーマを囲んで古今東西の創作者・批評家たちによる自由闊達な発話の渦をつくる。死んだ人、生きている人を都市の記憶によって結び付け、状況の構築をする。この創造性、運動こそが、梅本洋一が最も強い信念を持って生涯表現してきたものである。彼がいなくなって、東京からそうした批評の渦が消えてしまっていたが、今回この本によって、そうした状況が再現されたことが何より嬉しい。
気が付いたら私もサッシャ・ギトリのように、あるいは梅本洋一のように語り続けてしまい、結局与えられた文字数の中で、一つのチャプターについてしか論述できなかった。残りはまたの機会に書評したい。
最後に一言。生前、梅本さんは「いつかは自分も映画を撮りたい」といつも言っていたが、今回この本を熟読して、彼が撮りたいと考えていた映画とは、戯曲と映画を横断するような自由な映画であったに違いないと確信した。
この本は、そのための<シナリオ>だったのだと思う。
藤原徹平(ふじわら・てっぺい)
1975年、横浜生まれ。横浜国立大学大学院修士課程修了。2001年より隈研吾建築都市設計事務所に勤務し、同事務所設計室長・パートナーを経て2012年退社。2009年より「フジワラテッペイアーキテクツラボ」主宰。2010年より「NPO法人ドリフターズインターナショナル」の理事に就任後、2012年より横浜国立大学大学院Y-GSA准教授。著作に『7inchProject〈#01〉』(ニューハウス出版)、共著に『やわらかい建築の発想 未来の建築家になるための39の答え』、『ファッションは語りはじめた 現代日本のファッション批評』、『相対性コム デ ギャルソン論 なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか』(以上、フィルムアート社)、『映画空間400選』(INAX出版)。主な設計に「等々力の二重円環」「代々木テラス」「元代々木ポーラスハウス」など。