落下するものとその白さについて
池田百花
初めて恋を知った主人公のアンが恋人に身を寄せてその腕の中に沈んでいく様子は、ほとんど眠りに就くかのようだ。映画の冒頭には、高校の友人たちに車で送り届けてもらった彼女が、自宅の前で手を振り、走って家の中に入って行く場面があるのだが、ここで画面の縦に映っている彼女の体は、物語が進むにつれて縦から斜めに、そして最後には完全に横に向きを変えていく。こうしたヒロインの体の傾斜の変化は、『破滅への道』というタイトルに示された彼女の運命を物語る一つの装置になっているように見える。この高校生の少女アンは、自分とは対照的に恋や遊びに活発な女友達のイヴと付き合ううちに、同級生の青年トミーと初めての恋に落ち、ある日イヴやトミーたちと訪れたバーでラルフという年上の男性に目をつけられて彼と関係を持つようになったことで、意図せず道を踏み外すことになる。
また、恋をしている時のアンに眠りのイメージが伴うのは、その時の彼女が終始まどろんだ目をしているからでもある。いわば盲目になった彼女は、自分が誤った道を進みつつあることに最後まで気づくことができないから、映画の後半で一度は救いの手が差し伸べられた時もその手をつかみ損ねてしまう。それは、アンがイヴと一緒に参加していたパーティーで騒ぎが起こった後、そこに集まっていた人たちの中で唯一未成年だった二人が警察の生活安全部の少女課で聴取を受ける場面だ。ここで彼女たちは、担当の女性刑事から「手遅れになる前に正しい道に戻したい」と助言される。しかしとりわけアンにはその言葉が届かず、結局その後彼女が「正しい道」に戻ることはない。
しかし、こうしてアンが本来進むべき道とは反対の道を進んでいく仕方は、眠りに落ちるように恋に落ちる彼女のイメージから、自らの力を伴って平行方向に進んでいくというよりも、抗えない重力に身を任せて垂直に落ちていくほかないというように見えないだろうか。そしてこのようにして、恋に、眠りに落ちていく存在である彼女のイメージは、まさにジョルジュ・ディディ=ユベルマンが複数の著書の中で展開するニンファのイメージに当てはまる。「ニンファの姿が身をもって示しているのは、ゆるやかな滑空のさま、感動を呼び起こす圧倒的な己自身の落下のさま、もっといえば、たえず再開されるクリーナメンのありさまなのだ。」(『ニンファ・モデルナ――包まれて落ちたものについて』、2002)。ユベルマンによれば、「クリーナメン(clinamen)」というラテン語には二つの意味があり、「物体の傾斜、あるいは傾いて落下にいたる動き」あるいは「運動の偏り」を指す。また、クリーナメンは(語源となるギリシア語の「クリネー(kline)」をそのまま引き継いで)、ベッドや、神々の横たわるクッションなど、こうした身体の動きにおあつらえむきの場所をも意味し、実際にこれらは、「ニンファが欲望と水平性の微弱な電流に身をゆだねるときに、いつでも舞台装置としてあつらえられている」という。
ニンファの欲望がクリーナメンとしての舞台装置に結びつけられるように、この映画のヒロインが欲望の果てに辿りつく先には、クリーナメンとしてのベッドが用意され、それは眠りや死をも連想させる。自分の目には輝いて見えていた道が「破滅への道」だったことにようやく気づいた時、彼女はもはやベッドに横たえたまま、その事実をつぶやくことしかできない。しかし、そもそもアンを取り巻くすべての物事は、ここまで述べてきたように、恋に落ちて欲望を知った瞬間からすでに、彼女がこうなる運命から逃れられないことをひたすらに物語っていた。だからこそ、恋をしている間、彼女の体は眠りに就くように傾いてゆき、同様に目もまどろんでいる。そしてそうした動きは、彼女が(恋や眠りなどに)総じて落ちるという現象から逃れられない存在であることを暗に示している。
それでは、このアンというヒロインがニンファの系譜にあるとすれば、彼女の欲望が破滅へと至る運命から逃れられないということは何を意味しているのか。まず、その特殊性は何よりも彼女の純粋さに起因しているだろう。だからこそ、自らの欲望に直面した時、彼女はひとえにそれに身をゆだねるすべしか知らず、盲目的に落下していくほかないのではないか。そして何よりも、白黒の画面の中に横たわったアンの姿だけが光に照らされて白く輝く一瞬、彼女の顔に宿った崇高な穏やかさの上には、その純粋さが浮き彫りになって表れている。だから、一方では確かに、アンの行動は、先に登場した女性刑事が言うような正しさからは隔たってはいるのかもしれないが、その凋落の運動のうちにこそ、彼女から放たれる稀有な輝きを見て取ることはできないだろうか。そこには純粋さから発する愛や欲望とそれを一身に引き受ける情熱/受苦(passion)がある。そのため、たとえその運動のうちで自らを失い破滅へと至るとしても、いやそれゆえにこそ、彼女がひたすらに身をゆだねる動きのうちには賛嘆すべき何かがあるように思えてならない。そしてその動きの果てに暗闇の中で一人輝く彼女を捉えたショットの白さそのものが、そうした言い尽くせない何かを言い得ている。
ドロシー・ダヴェンポート Dorothy Davenport(1895 - 1977)
マサチューセッツ州生まれ。両親ともに俳優。16歳で南カリフォルニアに移り住み、短編映画に出演し俳優としてのキャリアをスタートする。1913年俳優・監督のウォーレス・リードと結婚。ユニバーサル(の前身会社)に在籍し、多くの映画に出演したが、1917年に長男を出産し仕事から離れた。1923年、本格的に映画界に復帰。夫をモルヒネ中毒で亡くしたことから、薬物の脅威を喚起した『人類の破滅』(1923) を自主製作で初監督。また、ドロシー・ダヴェンポートの名を捨てて「ウォレス・リード夫人」を名乗り始める。売春問題を描く『The Red Kimono』(1925)など、道徳的なテーマの作品を作った。1934年『破滅への道』で俳優業、『The Woman Condemned』で監督業を引退。その後は名前を「ドロシー・リード」と改め、プロデューサー業のほか、約20本の脚本を執筆。1956年に引退した。