4話

黒岩幹子

革命という名をなくして

 第4話の主人公は「赤い旅団」のメンバー、アドリアーナ・ファランダである。が、不思議なことに、このエピソードの中でその名が呼ばれることはない。
 この女性はアドリアーナ・ファランダであると私たちが知っているのは、以前のエピソードにおいて、教会の礼拝でアルド・モーロの後ろの席にいる、あるいはパイロットの制服に裁縫をする彼女の姿を見たから、そして捜査官のスピネッラが、モーロ襲撃犯が着用していたパイロットの制服の購入者がアドリアーナ・ファランダという人物であることを、顔写真を添えてコッシーガ内務大臣に報告していたからだ。

©︎ 2022 The Apartment – Kavac Film – Arte France. All Rights Reserved.

 だが第4話において、冒頭で自身の娘から「ママ」と呼ばれるその女性の名を、他の旅団員や接触者はおろか、一緒に暮らす恋人のヴァレリオ・モルッチでさえ口にしない。旅団のリーダー格であるマリオ・モレッティが襲撃に使用する銃を分配する際にその場にいる団員の名前を呼ぶシーンでも、彼女の名前だけが呼ばれない。それは彼女が襲撃に参加せず後方支援に回るためだと直後の会話で説明されるものの、アドリアーナ・ファランダという名前が意図的に避けられているのは明らかだ。
 そこにはどんな意図があるのか? まず考えられるのは赤い旅団の一員の視点をある種の匿名性を帯びたものにしたかったということ。そもそもファランダは実在の人物ではあるものの、モーロの誘拐・殺害に立ち会っておらず、誘拐直後新聞に掲載された旅団員たちの写真の中にも彼女の写真は含まれていなかった。つまりここでは、当時旅団員として名を知られておらず、モーロの誘拐現場も監禁された彼の様子も自分の目で見ることがない人物が語り手に選ばれているのだ。
 実際、このエピソードにおいてファランダは、モーロの誘拐作戦が成功したことを他のイタリア国民と同様にテレビの臨時ニュースで知る。モルッチらを送り出した後、アパートにひとり残った彼女が一報を聞いた途端椅子から飛び上がり、居室の短い廊下を突き当りまで走ってすぐに戻って来る様が縦の運動で捉えられる。その後、涙と笑みを浮かべながらニュースに聞き入る彼女の顔と並行してモンタージュされるのは、小学校の玄関にわらわらと向かってきた女性たちが子供の手を引いて去っていく姿を縦の構図で捉えた映像だ。そして学校にひとり取り残された娘の姿がファランダの顔に繋がれる。

©︎ 2022 The Apartment – Kavac Film – Arte France. All Rights Reserved.

「革命のために娘を置いてきた」ファランダは、しかしその後モーロの処遇や政府・教皇との交渉をめぐって赤い旅団の執行部が下す決定に納得できず、自分の人生を捧げてきた“革命”に疑問を抱くようになる。その変化はファランダ、そして彼女と暮らすモルッチをローマの街=外に連れ出すことで描かれる。私たちはふたりの目を通して、バスの中でドラッグを打つ若者、それに気を留めることもなくムッソリーニを称賛する老女、地下通路や歩道の脇に横たわるホームレス、チケットを買わずに映画館に入る集団、引ったくり、そしてバールのテレビに映るモーロ襲撃で命を落とした警護人の葬儀を目撃するだろう。この時ファランダとモルッチは赤い旅団の“内側”(=社会の“外側”)からではない、市井の人(=社会の“内側”)の視点を獲得する。
 ここで思い出されるのがファランダとは別のひとりの女性のこと、ベロッキオが本作の20年前に撮った『夜よ、こんにちは』(03)で、モーロが監禁された部屋に暮らし、昼間は図書館に勤めていたキアラという架空の人物のことだ。モーロの食事を作り、夜な夜なドアの覗き穴からモーロの姿を盗み見るキアラもまた隠れ家の外に出て、職場やバスの中で旅団員以外の人々と接するうちに迷いが生じ、モーロが解放されることを密かに夢想するようになっていった。
 この点では本作におけるファランダの造形にはキアラが投影されていると言えるかもしれない。だが、このふたりのキャラクターの間には決定的な差異がある。それは、ファランダがドアの覗き穴を通して見るのは部屋の“外”だけであるのに対し、キアラは部屋の“外”を見る入口の覗き穴と、部屋の“内側”にあるもうひとつの覗き穴――モーロを監視するための覗き穴の間を行き来していたという点である(その差異は本作の中で、ファランダとモルッチの住居を訪ねてきたモレッティがひとりだけ窓から差し込む光に目を背ける場面でも暗示されている)。ゆえにファランダがこのエピソードの最後で見る夢は、キアラが見た夢とは違うものになるだろう。

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