World
Cup 2002 最終回 7.1
ブラジルの優勝に終わった今回のワールドカップは、3Rの活躍でなんとかその面目を保った。面目を保ったのはブラジルではない。ワールドカップの方だ。決勝進出連続3回目の強豪と次回開催国の決勝戦は、「終わり良ければすべて良し」というハッピーエンディングのシナリオだったかもしれない。確かにドイツは両サイドを押さえることで、ブラジルに対するフットボールはこうする、という見本を示し得たかもしれない。最終的にはリバウドとロナウドに屈したとは言え、ドイツの健闘はそれなりに称えるべきだろう。
だが、準決勝で実はドイツ対イタリアあるいはドイツ対スペインというカードが見られたかもしれないし、別の組み合わせではブラジル対フランスの再戦もあり得たことを思うと、シナリオの最終ページがいくらまとまっているからといって、このワールドカップを賞賛するわけにはゆかない。ベストマッチはという質問の答を探すとき、誰でもが予選リーグのゲームから選択してしまうかもしれない。ベスト16以降の今大会は、やはり見所を欠いていたし、唯一ブラジルだけがワールドカップの鉄則──予選リーグでは試運転をし、決勝トーナメントに入ってからチーム力を上げる──を遵守したにすぎない。もうユーロ2004の予選の方に目が行くのも仕方がないだろう。
クライフは、ブラジルは中盤を欠いているがゆえに面白いフットボールではなかったと断言している。確かにこのW杯に限っては、見事な中盤を持つチーム──フランス、ポルトガル、スペイン──は早々に敗れ去り、ディフェンスの固いチーム──スウェーデン、イングランド──と卓越した個人技を持つチーム──ブラジル、セネガル、トルコ──が勝ち残ってきた。見応えのある中盤を持っていたのはトルコだけだろうが、すでに書いたとおり、そのトルコにしても中盤に溺れすぎシュートが少なすぎた。クリエイティヴなフットボールという視点から見れば、今回のW杯は見るべきものがまったくなかったのは事実だ。ユーロ2000におけるポルトガル対フランスのゲームのようにめまぐるしくボールが運動する中盤のフットボールはついぞ目にしたことがなかったし、優勝したブラジルにせよ、カウンターばかりのチームだからボールの支配率が下がるのも当然のことだ。守ってカウンターというスタイルは、本来、弱小チームこそが試みるべきであって、力のあるチームがやるべきことではない。その点で、センターバックの2人は強靱だったが、イングランドには失望した。アタックのオプションが欠如していた。本来華麗な中盤を持っているはずのフランスも、ジダンにおんぶに抱っこのフォーメーションを採用したために、中盤でのボールの移動が少なかった。つまり、どのチームも新たな戦術を披露することなく、単にディフェンシヴなゲームを遂行した。決勝戦のドイツという例外はあるが、ドイツはもともと多彩なアタックなどできるチームではない。つまり、今回のW杯では新たなフットボールという発見はなかった。
だがそんな中ではやはり韓国の躍進には触れないわけにゆかない。国中がフットボール一色に染まり、ゲーム展開とは無関係にウェイヴが反復するスタジアムを私たちは何度も見た。フース・ヒディンクは確かに韓国をベスト4に導いたが、ホームの利と審判を味方に付けたことと、大いなる運がこのチームにあったためで、決して韓国がクリエイティヴなフットボールを実践したからではない。韓国のどのゲームを見てもバタバタして落ち着かない印象が拭えない。その印象はかつての韓国のものだ。中盤のプレッシングとゾーン・ディフェンスはできていたが、それらは単にモダン・フットボールの基礎にすぎないことは周知の事実だ。
そして日本代表はどうだったのか? やはりフィリップ・トゥルシエのフットボールはその限界に露呈させた。ベルギー戦、ロシア戦で稲本潤一がトゥルシエのフットボールを裏切り、勝利を手にした。チュニジアは今回の出場チームの中でも中国やサウジと並ぶ力しかなかった。ようやく真価が問われる決勝トーナメントではトルコの老獪さにあっさりやられた。これからどうすればよいのか? 幸い、選手たちのキャパシティは上がっている。だがJリーグを盛り上げれば力が上がると短絡するのはまちがっている。クラブ・レヴェルでも4大リーグともっと交流すること。スピードとスペースの感覚を養うには狭い範囲のチームとばかりゲームをするのは間違っている。そして、より多くの真剣勝負のチャンスと、ゲーム中にも戦術の変換を図れる多様性こそが、型にはまったこのチームには必要だろう。選手たちがヨーロッパでもまれるべきなのは当然としても、鹿島、ジュビロ、マリノス、エスパルスという有力チームにはフェイエノールトくらすでもよいからチームとしての交流の機会を増やす必要がある。そして次期監督は? 任期4年間は長すぎる。もっと短いタームでノルマに次々に課す必要があるだろう。日本人なら岡田でも西野でもないだろう。ジュビロの鈴木ぐらいしか見あたらない。そして続けて日本人以外に依頼するなら、エメ・ジャケという声もあるが、もうジーコしかいないだろう。
ドイツ対ブラジル 6.30
決勝戦。ロナウド対カーンという対戦前から予想された構図が、実際のゲームでもそのまま反復された。前半終了間際から後半の開始直後にかけて双方のシュートがバーやポストをたたいたので、その時点でどちらかに点に入っていれば、展開は分からなかったが、リバウドのシュートをカーンがはじいたところをロナウドが押し込んで先制点を取ってからは、まったくドイツの目はかなったように見えた。
ブラジルの勝因は何か。このゲームに限っては、ドイツ・ディフェンダーのスピードのなさとロナウドの決定力ということになるだろう。だが、それ以上に、ここまでサウジ戦を除いて各ゲーム1点しか取っていないドイツのアタック程度なら、ブラジル・ディフェンダーは十分に対抗できること。特に、ボランチのジウベウト・シウバ、クレベルソンのふたりがボールを拾いまくり、クレベルソンはときに攻撃に出たことは目を引いた。ブラジルの2人のボランチと、ドイツのボランチを比べれば、このゲームの勝因の多くは、ジウベルト・シウバとクレベルソンによるものが大きいだろうし、ロケ=ジュニオール、ルシオを中心とするディフェンダーも、ドイツの高さを封じていた。
だが、面白いゲームだったろうか? ブラジルの選手層の厚さ──たとえばジュニーニョ=パウリスタなどの控え陣も含め──を証明した以外、クリエイティヴなフットボールを見た記憶はない。確かにブラジルのディフェンスはゲームを経るごとに強くなったが、コスタリカに2点を許したこともあるディフェンスに対して、ドイツ以外のチームだったら、もう少し点を取れたのではないか。ドイツのアタックは、ノイヴィルの運動量以外見るべきものはなかった。クローゼもワールドクラスの選手ではないし、クローゼに代わったアタッカーはビアホフ──昔の名前で出ていましたよ──では……。アサモアに至っては、もう少し基本練習をした方がいいだろう。
ここ2回ほどの決勝戦を思い出してみよう。94年のイタリア対ブラジル。PK戦までいった熱戦だったが、アリゴ・サッキのゾーンプレスの終焉を示す試合だった。98年のフランス対ブラジルは、中盤のおもしろさを見る者に伝えてくれた。それに対して、今回の決勝戦は、やはり低調なものに終わったのではないか。ドイツもブラジルも、決勝戦まで対戦相手にかなり恵まれていたように思えた。強いチームは韓国によって次々に葬り去られ、ドイツは1−0で渋く勝ち残り、ブラジルも対戦相手に恵まれたがゆえに、一戦ごとに力をつけていった。もともと力のあった3Rはともかく、ボランチとディフェンダー陣は明らかにゲームを追うごとに成長した。ルシオ、エジミウソン、ロケ=ジュニオールの3バックは不動であったがゆえに、7試合目には連携もうまくなっていた。攻撃は3Rとクレベルソンに任せ、両サイド(カフーとロベカル)、ボランチ、ディフェンダー、キーパーのディフェンスは明らかに成長した。特に後ろの5人は、より大きなクラブに移籍することになるだろう。
このワールドカップ全体の総括は明日することにしよう。
韓国対トルコ 6.29
3位決定戦。開始直後ハカン=シュクールの初めてのゴールが決まり、1−0。3バックの内2人のメンバーを代えた韓国の弱点をつくトルコのゲーム・メイクはさすが。韓国はすぐに追いつくが、イルハンの2ゴールで突き放すトルコ。後半はまったくの韓国ペース。韓国のシュートがあまいのとトルコ、キーパーのセイヴで結局3−2の結末。
韓国についての総評。今日のゲーム以前の3バックの健闘は光った。特にキム・テヨン。ディフェンスの健闘が光ったわりに、アタックは点が取れていない。今日のゲームを見る限り──今日に限ったことではないが──アン・ジョンファンとソル・ギヒョンの力不足。サイドから点を取ろうとする意志は分かるが、決定的なストライカーと決定的なパサーが不在。3−4−3のオランダ流フォーメーションでも、たとえばオランダにはベルカンプ、クレイフェルトという2枚がいるのに対して、上記の2人はやはり劣る。スペイン戦、ドイツ戦と点が取れていないし、イタリア戦にしても延長ゴールデンゴールで2点とっただけ。予選リーグを考えても、ポーランド戦の快勝を除いて、クリーンに勝ったゲームはなかった。そのような意味で、やはりディフェンスの力はあるが──といってもヴィエリに見事に決められ、スペイン戦ではモリエンテスに幻ではあるが2点とられている──、展開力と決定力については見劣りし、この順位を残せたのはラッキーだった。若手の成長といわれるが、目立った才能を見せてくれたくれた選手は少なかった。
韓国の驚くべき成長と日本の差異がジャーナリズムを賑わせているが、個々の選手については明瞭に日本人選手の方が才能があるし、よいパフォーマンスを見せていたと思う。韓国が4位で今回のW杯を終えられたのは、極めて運が良かったことと、ホームの声援に支えられたことが原因であり、日本がベスト16に終わったのは──実力はその程度だと思うが──、ひとえにフィリップ・トゥルシエの力のなさ故だと思う。29日付の朝日新聞朝刊の沢木耕太郎の記事──選手への信頼を欠いたトゥルシエ──はかなり説得力がったと思う。
今日のトルコのゲーム運びを見ると、日本がトルコに勝てたと断定するのは無理にしても、ホームである限り、延長戦に持ち込めた可能性はあったろう。その可能性をつみ取ったのは他ならぬトゥルシエ自身だ。
そしてトルコについての総評。3位決定戦に至るまで、一度もヨーロッパのチームに当たらなかったのはラッキーのひとこと。このチームがイタリアやスペイン、あるいはフランスに対してどう戦うのかは見てみたかった。ハカン=シュクールがでくの坊であっても、このチームが形成する中盤はなかなか見事だ。両サイドがもう少し力を付ければ、それらのチームと当たっても互角の戦いができたのではないか。
全体の総評は明日の決勝以後にしたいが、トルコが、ヨーロッパのチームとひとつも当たらずに、ここまで来たのは、組み合わせとして面白みを欠いていると思う。すでに筆者の気持ちは2004年のユーロを期待しているということかもしれない。
ブラジル対トルコ 6.26
セミファイナル第2戦。ドイツ対韓国に比べるとずっと濃度の高いゲームだった。それはひとえにトルコの素晴らしいボール回しによるものであり、エムレ、バシュトゥルク、ハサン=シャシュを中心にしたアタックの多様性によるためである。そう、トルコは、今大会で最良のゲームをしたが、ロナウドの1発に敗れた。特に前半は、判定でトルコの勝ちという展開だったが、後半開始直後、現在最高のストライカーがトルコの夢を砕いた。前半は圧倒的なボールを支配しながら、トルコが得点を奪うことができなかったことと、リードされてからブラジルが、イングランド戦とは異なったやり方でうまくディフェンスしたこと──それがブラジルの勝因だろう。
だが、このゲームは、ユーロ2000から2年後に開催されたこの大会を象徴するゲームだったのではあるまいか。ユーロ2000では優勝したフランスを始め、ポルトガル、スペインなど中盤の展開力のあるチームが賞賛され、事実、好成績を収めた。だが、周知の通り、この大会で、そうしたチームはことごとく敗れ(ミスジャッジがあったせよ、圧勝することはできなかった)、ドイツとブラジルという大会前の下馬評が高くなかったチームが勝ち残った。トルコは、そうした展開力あるチームの最後の砦だったが、ブラジルに敗れた。ボールは回るのだが、ペナルティエリアの周囲までで、その内部に有効なボールを供給することができない。終了間際にハカン=シュクルの見事なヴォレーシュートがあったが、それは例外だ。ボールが回りながら、ボールを支配しながら、後半の残り20分ほどから、トルコが逆転勝利を収める確率はどんどん減少していくように思えたし、同点延長戦の可能性も薄くなってきたように見えた。
このゲームに限って、私がそう感じた原因はトルコの方ではなくブラジルにあったろう。対イングランド戦でも感じたことだが、イングランドやトルコのゲームメイクが、ブラジルの潜在的な可能性を次々に引き出しているのだ。イングランド戦ではロナウジーニョのレッドカード以後、無駄な攻撃を控え、自陣でボールを回すことに専念し、対トルコ戦では、バックラインを下げてペナルティエリア付近に多くのディフェンダーを並べてスペースを消しにかかり、ブラジルはその双方に成功する。トルコはいくら中盤を完全に支配し、ハカン=シュクルにボールを集め、セカンドボールを奪っても、またそれを同じ展開を反復するから、ブラジル・ディフェンダーは、相手の出方が読めるようになり、大した苦労もなくディフェンスが可能になるのだ。
つまり、これは大会全体を通じて言えることだが、マンマークや人数をかけるディフェンスといった「昔ながらの方法」が復活し、そうしたディフェンスを突破できないモダン・フットボールの行き詰まりが感じられる。そうしたときに点を取るための解決策は、たとえばロナウドのようなスピードと技術のあるアタッカーを持つこと──それはハカン=シュクルのような大型センターフォワードの対極にある──か、これまたスピードのある両サイドを持ち、徹底したサイド攻撃を反復するかという2つの方法が考えられる。ロナウドにせよ、アンリにせよ、彼らのスピードは、モダン・フットボールのポリヴァラントな不定型性を無効にすることは言うまでもない。トルコは、ゴール近くまでボールを運ぶ技術はフランスやスペイン並みだが、バシュトゥルクなどの中盤の選手の主要な関心は、ゲームメイクであってシュートではないように見えた。90年代中盤までモダン・フットボールのメッカだったアヤックスのフットボールも、前線のクライフェルトとカヌーが点を取るために、リトマネンなど他の選手たちは、長短織り交ぜたパスを交換しながら2人の絶対的なアタッカーに有利なボールを供給する役割に徹していた。だが、前線にいるが、ロナウドやベルカンプのような選手でもない限り、ディフェンスは、中盤のボールの展開には無関心を装えばいいのだ。中盤でパスが回っている内はゴールマウスにボールは飛んでこない。
モダン・フットボールはあまりにも中盤を華麗に設計するために、ディフェンス陣にとって意外なボールはないのだ。98年のフランス大会の予選リーグ、スペイン対ナイジェリアはものすごい撃ち合いとなったゲームだったが、2−0で優位に立ったスペインの野望をうち砕くきっかけになったのは、サンデー・オリセーの「信じがたいロングシュート」だった。つまり中盤の選手こそシュートを打つべきなのだ。ディフェンスを引き出すためにも、もちろん点を入れるためにも何より必要なのは遠目からのシュートだ。「展開のための展開」にボール回しは陥ってしまえば、シュートの来ないディフェンスならば、ボールがネットを揺らす瞬間は果てしなく遠くまで遅延されてしまうだろう。
ドイツ対韓国 6.25
セミファイナル第1戦。韓国の「運」はどこまで続くのか? このゲームでも「信じがたい現実」beyond
the reasonable doubtが見られるのか?
韓国の「運」は続かず、現実には「信じがたい」という形容詞が付くことなく終わった。1−0という結果は至極順当。ドイツは何のてらいもなくいつものゲームを反復した。韓国選手の動きが重かったのは、連続2ゲームの延長戦と中2日という日程は、いかにタフな韓国選手たちにも越えがたいものだったろう。つまり、好ゲームではなかった。ポルトガル、イタリア、スペインが散ったゲームのようなミスジャッジは、さすがに今回はなかった。淡々としたゲーム運びの中で、韓国が前がかりになった後半の半ば、バラクがキーパーの脇の下を抜いた。1−0になり、フース・ヒディンクは、ホン・ミョンボを下げ、ソル・ギヒョンを入れる。攻撃布陣。だが、それでも展開は変わらず、韓国の持ち込んだボールは、ドイツの屈強なディフェンス陣とオリヴァー・カーンに跳ね返されていく。
今回の韓国の快進撃は、冷静に見ればスペイン戦で止まっていたようだ。あのゲームは2−0でスペインが勝ったゲームだったわけで、120分戦った韓国にはPK戦以外に勝ち目はなかった。つまりイタリア戦の後半43分のソル・ギヒョンのゴール以来、韓国は成長を止めているのだ。つまりドイツは特別なことをするわけでもなく、いつものような「退屈な」ゲーム展開で勝っただけだ。スコアもデジャヴュだったし、攻撃パターンも同じ、オリヴァー・カーンの好守も同じ。熱狂的な韓国サポーターもやや拍子抜けしたゲームではなかったか。
疑惑の判定、国家的な応援、「陰謀」の疑惑、韓国内の政治状況、そして、何よりもフランス、アルゼンチンなど有力国の予選敗退──そうした今回のワールドカップにまつわる挿話のすべてが忘れられていくようなセミファイナル。ワールドカップはクウォーターファイナルが一番面白いと言われているが、今晩のゲームはそんなジンクスを反復したにすぎない。そして、このゲームは、それらの挿話の存在を無視するように「普通」のゲームであり、ドイツはドイツの、韓国は韓国のフットボールが粛々と展開されていた。考えてみれば、ベスト16が決定してからのゲームよりは、予選リーグのゲームの方が、今回は見るべきものがあったと思うのは私だけではないだろう。F組のアルゼンチンがらみの3ゲーム、フランス対ウルグァイ、スペイン対アイルランド──それらのゲームのおもしろさは、一昨日のブラジル対イングランドのそれを遙かに凌駕していた。
確かに韓国は力をつけた。だが、大変なのはこれからだろう。アジアでは、日本を含めて、韓国を目標に調整をしてゲームをするはずだ。ヨーロッパ、南米の国々と親善試合をしても、韓国には「ベスト4の」という形容句がこれから4年間はつきまとうことになる。多くの選手たちがヨーロッパでプレイをすることになるだろうから、ナショナル・チームとしての強化は難しくなる。このベスト4によって韓国はどのチームと当たっても、辛い戦いが強いられるこになるだろう。
Reflection
やはり書いておかねばならない。それが毎日ゲームのリポートを書き続ける者の義務だろうと思われるからだ。もちろん韓国戦をめぐる問題だ。
信じがたいほどの応援と「疑惑」──スーパースローで見る限り「疑惑」ではなく誤審──の判定の連続とそれによる韓国の勝利。やはり「このワールドカップ」は例外に属すると断言してもよい頃だろう。スポーツライターの岩崎龍一は「いまや韓国の試合には、必ずPKと退場者がついてくる。この期に及んでの操作は、もう明らかだと私は思う。やはり来た」とトッティが退場したイタリア戦終了後に書いている(http://sports.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=175352)。
韓国対ポルトガル戦の主審はアルゼンチン人のサンチェス氏で、3年前のワールドユース・ナイジェリア大会の決勝戦──そう日本対スペイン戦──を吹いた主審だ。当時のサイトを当たってみると、高原直泰のファンサイト(http://www.ops.dti.ne.jp/~gihaku/miyuki3.htm)に「サンチェス氏があのワールドユースの決勝戦。日本vsスペインの主審だったということが判明した瞬間「お前か!」と叫んでしまったのは言うまでもありません」。また「武藤文雄のサッカー講釈」というサイト(http://home.att.ne.jp/blue/supportista/series/mutou/)には次のような文章がある。「アルゼンチンのオズバルド・サンチェス氏を私たちは決して忘れてはいけない。彼が主審として無能である事を常時主張し続けよう。ラモン・ディアス氏やアルディレス氏らの親日家に手を回し、彼の審判生命を終わらせたいくらいだ。(……)ともあれ、サンチェス氏のお陰で、私たちの若者は、サッカーと言うものはただレフェリーのいい加減な笛だけで運命が決まってしまうこともあり得ると言う最高の経験を積めた。彼に感謝しよう、そして(繰り返すが)、彼を決して許さないようにしよう」。ワールドカップ・ジャーナルで後藤健生は「あの審判!」と吐き捨てていたが、すべてはポルトガル戦のサンチェス主審から始まっている。イタリア戦(エクアドルのバイロン・アルデマル・モレノ・ルアレス主審)、スペイン(エジプトのジャマル・ジャンドゥル主審)と「疑惑」が続くと、これはもう「疑惑」でも「誤審」でもなく、背後に何かあると考えるのは常識だ。FIFAは「誤審」を認めているが、「陰謀」はもちろん認めていない。こんなことをしていては、ワールドカップなど存在しなくてもよいことになるだろう。
わざわざ極東まで来て、不満を抱えて「帰国」(帰リーグ?)したポルトガル、イタリア、スペインのパスポートを持った選手たちは、もう韓国に来たいとは思わないだろう。ユーロだけで十分。南米出身の選手たちにはコッパ・アメリカがある。ユーロのベスト8、コッパ・アメリカのセミファイナリスト4チームとアフリカ選手権のベスト3を集めて、16チームがユーロの2年後にヨーロッパのどこか(南米やアフリカは暑いし、ほとんど選手はヨーロッパで活躍している!)に一堂に会してグローブ・カップを6月(ヨーロッパでは最高の季節だ──できればロラン・ギャロスやウィンブルドンとかち合わないで欲しい)に行えばいいだろう。そしてアジアは? オセアニアは? ユーロ8、南米4、アフリカ3、計15。残り1枠を巡って予選をすればよい。熾烈な戦いになるだろう。予選は毎回ドーハやジョホールバルのような胸の締め付けられるものに変貌する。
そして別の視点。背後にスタジアムを真っ赤に染める「大韓民国」の大声援。セルジオ越後は、「韓国の人たちは、国対国で戦っているが、日本はサッカー・チームを応援している。それが韓国と日本の差異だ」と語っていた。この連載では、ナショナル・チームは、短期間に結成されたクラブ・チームなのだ、という視点を提出しておいた。国対国が戦っているのではない。ナショナル・チームを信奉するのは単なるアナクロニズムだ。もちろん、隠れたナショナリズムの排気装置としてナショナル・チームの幻想はあってもよい。しかし、それは98年のフランス代表のように、多文化主義に流れて欲しいと私は考えている。「日本代表」にはネルソン吉村から始まり、今ではアレックスがいるではないか。今大会の登録名は三都巣ではなく、アレックスというカタカナ表記だ。ブラジルの選手など全員が「芸名」だ。もう一度書くが、アルゼンチンやフランスの「代表チーム」は、偶然同じパスポートを持っている「混成チーム」にすぎない。アレックスの例にあるとおり、パスポートにしても生まれながらに育った祖国というのは単なる幻想だ。いろいろな都合でパスポートなど代えればよい。そうしたご都合主義によって生まれた「クラブ・チーム」を短期間──予選があるから長期と考える人も多いだろうが、選手の最終選考は5月中旬だ──でどのように特色あるチームに変えるかという点がワールドカップの興味の中心であって、少なくとも異なるクラブ・チームで別の国のリーグに属する選手たちに「国柄」を探るのは間違っていると思う。セネガル代表は「第2フランス」だという論評があった。その通りだ。全員がフランス・リーグでプレイし、フランス語を話すが、今後、(ディウフはすでにリヴァプール入りが決定しているが)彼らはイングランドやイタリアやスペインに散ることだろう。オランダのトータル・フットボールは、アヤックスではなく、しばらく前からバルセロナに根付いていることは周知の事実だ。すでにお国柄を云々する時代ではない。
だから、私はロジェ・ルメールやカマチョの采配を批判した。ポルトガル対韓国戦でも絶対にルイ=コスタを見たかった。常に存在するわけではない幻覚的な幻想を、現実世界の中で目の当たりにする瞬間こそワールドカップという舞台なのだ。そうした視点の下に、今回のワールドカップを振り返る──まだ4試合残っているが──とき、岩崎龍一とは異なる意味において、「今回のワールドカップはつまらなかった」と断言してしまうにはまだ早いだろうか? ドイツが対韓国に体力・体格勝負に持ち込み、オリヴァー・カーンが神懸かり的なセーヴを連続し、2−0でドイツが勝利を収め、浅いラインからワンタッチでボールをつなぐブラジルが中盤でトルコのプレスを翻弄し、ロナウドが驚異のスピードでセンターバックの間を割り、リバウドの左足から発せられた重くスピードのあるボールがキーパーの肩口からトルコのゴールネットを揺らすとき、「いろいろあったがこのワールドカップも順当に収まった」と胸をなで下ろすことができるだろうか? 否、ポルトガルが、スペインが、あるいはフランスやアルゼンチンが、中盤に形成されては消えていく、不定型な図式の中をボールが弾けるようなフットボールを展開し、ドイツやブラジルを翻弄する姿が見られなくなったのは、どうしても悔やみきれない事実として忘れられることはないだろう。
スペイン対韓国
セネガル対トルコ 6.22
フットボールのゲームを4時間以上見続けると疲労がたまる。2試合とも延長戦にもつれこんだので、ゲームを見る時間が長くなるのは仕方がないが、それほどの好ゲームでもなかったので、疲労は重なる。
まずスペイン対韓国。明日のスペインの新聞はどんな反応をするだろうか。確かにスペイン右サイドのラインズマンは失格。重要な判定を誤っている。つまり、スーパースローを見る限り、スペインが2−0でかっていたゲームだった。だが、今回の韓国に関する限り、ゲームの結果がすべてであって、何か神がかり的な憑きと運がある。予選リーグのポルトガル、決勝トーナメントのイタリア──相手が勝手にこけてくれるのだ。今日のスペインにも怪我でラウルがいない。90分は無理だと伝えられていたので、延長になったとき使われると思ったが、イヴァン・エルゲラの怪我でカマチョは、シャビを入れ3枚目のカードを切らざるを得なかった。相手に信じがたい運があるとき、相手を圧倒しない限り勝機は訪れないが、今日のスペインは優勢勝ち程度で決して韓国を圧倒するには至っていない。敗因はいくつか考えられるが、まずモリエンテスのワントップではスペースがない。韓国の3バックの冷静な対処でそれほどチャンスは来ない。そういうときは両サイドのアタッカーが問題だが、右サイドが十分に機能していたのに比べ、左のロメロはまったくダメ。なぜファン=フランを使わないのか? なぜ検討していたデペドロを外し、アイルランド戦でも良いところのなかったメンディエタを左で使うのか? 左サイドのメンディエタは「ただの人」とクライフが書いていたが、「ただの人」以下の出来だった。韓国の中盤のプレス──圧縮守備というのだそうだ──でスペインの中盤が機能しなかった。1,5列目のラウルの不在が響く。互いに足が止まりスコアレス・ドローになるゲームは面白みが少ない。スペインは、対アイルランド戦ではカマチョの采配ミスで苦戦に追い込まれ、対韓国戦ではカマチョの采配ミスでゲームを失った。それにしても韓国は、一生懸命であることは認めるが、ホームの利と、信じがたい運によって勝ち進んでいる。
セネガル対トルコは当然セネガルに肩入れしてみることになるが、トルコはとてもよいゲームをした。セネガルの3トップにボールがでる前の中盤でパスの出所に徹底してプレッシャーをかけ、ディウフやカマラになかなかよいパスが出ない。パスが出ても、センターバック2枚で挟み込んでスピードを止めてしまう。前半はそれぞれの特長が出た好ゲームだった。トルコは全員が忠実なプレイを90分通して行い、セネガルのアタッカーを完全に押さえ込んでいた。対ブラジル戦と対日本戦を見たが、今日の出来が一番だったと思う。セネガルも5試合目にもなると、ゲームプランや特色を研究されてしまい、ディフェンスもそれなりに対応してくる。昨日のブラジルの後半のように今まで見せたことのない特色を出すほど、チームも個人も成熟していないようだ。
さてセミ・ファイナルは韓国対ドイツ、ブラジル対トルコという誰も予想しない顔合わせになった。スカパーに連日出演している粕谷秀樹は「毎日、どんな展開になるか聞かれるが、答えられない。予想が当たったことがないのだから」と言っていたが、その通りだろう。この連載でも予想が当たった例はない。ただ今回のw杯前の予想だと、ドイツはそれほど強くないと言われていたし、W杯に入ってからも対サウジ戦を除いて圧倒的なゲームをしたことがない。何となく勝ち残っているだけだ。けれども対韓国については徹底したパワープレイを挑むことはまちがいないだろう。中盤からも両サイドからもゴール前にガンガン放り込んで身長差とフィジカルの強さで勝負することだろう。韓国は必死でパスの出所を押さえにかかるにちがいない。すでに見所が見えている気がする。ブラジルは、イングランド戦の後半のようなゲームをすれば負けるわけがないだろうが、今日のトルコの出来は素晴らしかった。けれどもリバウドやロナウドは、やはりディウフやカマラではない。だがアタックに入るブラジルは結構単調で個人技頼り。トルコの中盤が機能し、センターバックは頑張ればなんとかなるかもしれない。このゲームも見所は見えている。
W杯も3週間を経過し、見る方も少々疲れた。もちろん特筆すべき出来事は韓国の健闘だ。しかし、それも、「信じがたい出来事」ではあるが、「信じがたい運」のたまものであって、「信じがたいフットボール」の僥倖ではない。高温多湿の東アジアでは「信じがたいフットボール」は生まれないのか?
イングランド対ブラジル
ドイツ対アメリカ 6.21
自らのフリーキックで1点リードした直後、ロナウジーニョは、ミルズへの危険なタックルで一発レッド。このゲームは審判は、あのティエリー・アンリを一発退場させた審判だ。ひとり少なくなったブラジルが1点を守れるかどうかのゲームになった。
前半の早い時間帯にオーウェンの見事なシュートでイングランドがリードしたが、前半のロスタイムにロナウジーニョが抜け出し、リバウドにスルーパス。リバウドの左足がうなり同点で前半終了。イングランドにとっては、悔やみきれない失点だった。イングランド・ディフェンスで一番足の速いアシュリー・コールがロナウジーニョに逆をつかれた時点で勝負は決していた。イングランド・ディフェンス陣初めての見事すぎる失点──これも3Rのうちのふたりにやられている。事実この日のブラジルは、やはり個人技頼り。ミルズ、コールは対面のロベカル、カフーの対応に追われたが、ここまでは何とか押さえきっていた。1対1という前半は、このゲームの前半の「判定」と同じ結果かもしれない。
2対1と1点リードした後、ブラジルの「優勢」とイングランドの「劣勢」をはっきりと刻印した。ブラジルにとっても守るというのは、自陣に引くことを意味するが、対アルゼンチン戦でイングランドが見せたディフェンスとはまったく異なる様相を見せた。守るとは相手にボールを渡さないことを意味するからだ。対アルゼンチン戦、イングランドは屈強な2人のセンターバックが身を挺してアルゼンチンのアタックを止め、全員がアルゼンチンのボールを追い回した。まるでボランチのように動き回るベッカムの姿は誰でも思い出すだろう。だが、この日のブラジルは、マイボールをワンタッチ、トゥータッチで回し続けることこそディフェンスだった。イングランドにボールが渡ると中盤で徹底したプレスをかけ、イングランドボールを奪い取った。スコールズ、バットのマンUコンビはミスパスの山を築くだけだった。
ロナウドを下げ、エジウソンを入れ、この傾向はもっと強まる。10人のブラジル人は、スペースを消すことに徹し、運動量を少なくしたまま、ひたすらパスを回し続ける。イングランドは、数少ないマイボールをバックラインで回しファーディナンドやキャンベルがロングボールを蹴り込むだけの戦術。よほどの偶然がなければ同点はあり得ない。ゲームを見る誰でもがそう感じた。なすすべなく敗れ去るイングランド。エリクソンは、もっとうまくできたかもしれない、僕らはひとり多かったんだ、と、微笑みを浮かべてピッチを去った。だが、「どうやれば」うまくできたのか、エリクソンにその解答はなかったろう。イングランドの清々しい敗戦と、ブラジルの恐ろしいまでの勝利。ひとり少ないブラジルは、初めて「クラブ・チーム」らしくなってきた。
そしてドイツ対アメリカ。アメリカの誠実なサッカーは、多くの人の共感を呼ぶかもしれない。全員が走り、全員が忠実なマーキングを行い、スピードを上げてカウンターを狙うと、ドイツはオリヴァー・カーンに頼る以外方法はなかった。だが、こうしたフットボールは絶対に疲れる。今日のブラジルは、もちろんロベカルとカフーの両サイドは、常に走り続けいたが、他はボールが選手たちの間を素早く動いていたにすぎない。それに対してアメリカは、ボールよりも速く全員が走る。だから疲れる。前半の押し詰まった頃、アメリカの足は次第に止まりだし、両サイドを駆け上がる屈強なドイツ人をファールで止めにかかるようになる。もちろんFKが増える。1対0というアメリカの敗因のそこにある。アメリカのアタックを懐深い守備とカーンの美技で守りきったドイツは、前半終了間際のツィーゲの右からのFKに合わせたバラックのヘッドの1点を守りきって勝った。後半は、ブラジルの戦術とは反対に、ドリブルを多用してアメリカのディフェンスに1対1を挑む局面を意図的に増やしたはずだ。ほとんどマンマーク気味のアメリカのディフェンス陣からのフィードの質がみるみる落ちてきた。いかにアメリカが忠実なプレイに徹しようとも、ドイツは老練さでかわすことができる。
イングランドは、アメリカは、ブラジルに、そしてドイツに勝つためにどうすればよいか。イングランドは、ジェラードの欠場が響いた。そしてミルズよりも足が速い右サイドが欲しい。アメリカには絶対的なストライカーがいない。だが、ブラジル、ドイツという「伝統国」が勝ち残り、W杯らしさが少しは生まれてきた。
この傾向は、明日の韓国対スペイン戦まで続くだろうか?
韓国対イタリア
日本対トルコ 6.18
延長後半12分、トラップはモンテッラに指示を与えている。トッティが退場になり、イタリアの狙いはPK戦だけになった後のことだ。トラップは勝負をまだ諦めていない。モンテッラのこうした局面における勝負強さは定評がある。だが、カメラはイタリアの右サイドを捉える。韓国選手がセンタリング、アン・ジョンハンのヘッドはイタリアのゴールネットに吸い込まれる。韓国のベスト8の瞬間だ。スタジアムは、盛り上がった。まるで決勝に勝利を収めたように。宮城スタジアムのそぼ降る雨の中のしょぼくれた幕切れとは180度異なるこの光景。前半を盛り上げた選手を引っ込め、今大会で一番得点をとっている選手を引っ込め、1点のビハインドがまるでなかったかのようにデジャヴュを繰り返すフィリップ・トゥルシエと、ディフェンスの選手をアタッカーに変え、ピッチ上に無言のメッセージを送り込むフース・ヒディンクの差異。全力を尽くして倒れ込むイタリア選手と、まだ余力を十分に残しつつ、ほっとしたような面もちでピッチを去っていく日本人選手の差異。
このW杯のキータームは「ジモティ」対「ガイジン」ではなく、やはり「下克上」に尽きることを思わせるとき、「共催」の2つのチームの差異が際だった。選手たちが次第に監督を裏切ることでよい結果を残し始め、アレックスのドゥリブルがトルコ・ディフェンスを切り崩しつつあるとき、選手に裏切られ始めていることに気付いた監督は、最後の独裁的な権力を行使する。交代だ。シュートばかりではなくPKも外したアン・ジョンハンを最後まで使い続け、「信頼」という無言のメッセージを送り続けたヒディンクと、右サイドに望みを託し後半にピッチに送り込んだ市川を再び交代させてしまう選手たちへの裏切り。決勝トーナメント1回戦での2ゲームは見事なまでに対照的だった。ナショナル・チームという名のクラブ・チームをある程度のレヴェルまで押し上げることで、「後はボーナス」と割り切り、モティヴェーションを失墜させ、自らの無能ぶりを発揮するに終わったトゥルシエと、勝つことを運命づけられた「代表チーム」の監督とは何かを心得たヒディンクの対比。
だが、それでも準々決勝の4ゲームにはやはりスペイン対イタリアと日本対セネガルを見たかったと思う。それは韓国チームに実力がないなどと言っているのではなく──否、今日のイタリア戦では立派に1対1でも勝っている場面が多かった──、ネスタとカンナヴァロを欠いたイタリアのディフェンスがやはり一流ではないことを示したにすぎないし、スペインとイタリアという好カードが見られるのはW杯やユーロをおいてないからだ。ワールカップ・ジャーナルでは、今回のワールドカップは例外なのではないかという議論が出ている。「2002年、あれは変わった大会だったよね」と後年、語られるような大会になるのではないかという議論だ。優勝候補が──苦労はするけれども──予選リーグを勝ち残り、ベスト8以降は、どこが勝ってもおかしくない下馬評通りの大会──それが普段のW杯だ。アルゼンチンとフランスがあっさり敗れ、久しぶりに出場したポルトガルは見事な中盤を30分しか披露せず帰国し、イタリアは伝統のカデナッチオが機能せず、スペインはあっぷあっぷの状態。セネガル、トルコ、韓国、アメリカがベスト8に残っている大会、やはりこの大会は例外なのだろうか? 結論は4年後のドイツにおいてしか分からない。
アメリカ対メキシコ
ブラジル対ベルギー 6.17
アメリカ対メキシコは、こう書いては失礼だが、とても決勝トーナメントのゲームとは思えなかった。全員が忠実にプレイするのみのアメリカ、そして個人技は見るべきところはあるが創造力を欠いたメキシコ。それ以上のことが書けるだろうか。Jリーグのようなゲームだったと書けばよいか? アメリカのゲーム展開は、身体的に優れた高校生などにはとても参考になるだろう。それに対してメキシコは、予選のもたつきぶりが伺える。シドニー五輪のときのアメリカにも感じたが、このチームはタフで頑張る。アイルランドにちょっと似ているが、あまりに機械的で──そうこのチームにはロビー・キーンがいない──、面白味に欠ける。こうしたチームは負けない。強いとも思えないが、弱くはない。「ファンタジスタ」の存在とは無縁の無骨なサッカー──そうフットボールではないサッカーだ。構造の時代のハリウッド映画が終焉しつつあり、デイヴィド・フィンチャーやポール=トーマス・アンダースンといった訳の分からない映画作家が登場しているというのに、アメリカのフットボール界はまだ構造の時代がまかり通っているような感じ。
ブラジル対ベルギーは、ベルギーは本当に一生懸命頑張ったが、その頑張りのすべてを無に帰すようなリバウドとロナウドの一発で、ベルギーは弾け飛んでしまった。ベルギーも決して悪いわけではなく、むしろ好ゲームを展開したが、組織でも戦術でもない、単なる個人技によって、すべてが越えられてしまった。ゲームとして面白かったかと問われれば、否と答えるしかない。ベルギーの痛々しい努力が、チーム戦術が、リバウドとロナウドという固有名によってゼロに回帰させられてしまった。確かにブラジルにはまだまだ伸びる余地がある、余地があるどころか、どうやって伸ばしてよいか、誰も分からない。そのくらいなら、チームとして力を付ける方法を考える代わりに、勝手に個人技に走らせておけば、局面局面で1対1で勝つだろう。アタックにおいては、そんな方針とは呼べぬ方針があれば勝ってしまうのだ。このチームに勝つには、ボールの保持を心がけ、リバウドやロナウド、ロナウジーニョの構成するアタックをさせなければよい。ディフェンスは大したことがない。サイドチェンジのボールにプレッシャーをかけ続け、トップに入るボールの速度を落とせば、それほど点が入る気がしない。実際ベルギーはそう戦ったが、敗れた。個人は戦術に勝るという単純な真実が露呈している。
決勝トーナメント1回戦もすでに半分以上消化した。今回のW杯の試合数もすでに50試合を越え、残すところ11試合となった。残念ながら見応えのあるゲームは少ない。チームとしての完成度がどこも低いからだ。ポルトガル対ポーランド戦の後半、昨日のスペイン対アイルランドの前半、そしてイングランドのディフェンス。見るべきところはそんなものだった。ポルトガルは韓国に敗れ、スペインは好ゲームを采配ミスによって台無しにし──この点について、うまく行っているゲームの戦術を変えるべきではないというヨハン・クライフの視点は説得力があった──、イングランドのオーウェンは怪我をしたという。
スウェーデン対セネガル
スペイン対アイルランド 6.16
2ゲームとも延長戦になりやっとW杯らしくなってきた。
今、長い長いスペイン対アイルランドが終わったばかりだ。カマチョ監督の好調のモリエンテスを途中で引っ込めるという采配ミスが最後まで響き、圧勝のはずのゲームがPK戦までもつれこんだ。前半は完全なスペインペースで、ワンタッチ、トゥータッチでボールが繋がり、面白いようにボールが回り、ラウル、モリエンテスへとボールが供給された。あっというまにプジョルのクロスからモリエンテス、ゴール。だがアイルランド・ディフェンスは高くラインを保ち、オフサイドを何度もとる。スペインは同じトライを何度も試み、アイルランドがゴールを割るのは時間の問題だと思われた。バレロン、ルイス=エンリケ、デペドロ、バラハで構成される中盤のパス回しは見事の一言。プジョル、ファン=フランのサイド攻撃も織り交ぜて、実に多彩な図形が形成されていた。だが、最後のラインでアイルランドが持ちこたえていたところで前半終了。そして、カマチョの采配ミスが始まる。後半20分から1点を守りに入ったためだ。チームがうまく行っているときに、人を動かすべきではない。それもトップを薄くする采配。もし代えるなら攻撃にもっと人数を割き、徹底したアタックを試みるのがリーガ・エスパニョーラであるはずだ。ラウルがワントップになってから、ゲームは拮抗し、90分でのアイルランドのPKを生むことになる。
もちろんカマチョも反省したろう。まだベスト16のブラジルは見ていないが、現代フットボールが勝利を収める意味でも、昨日の「ジモティ」対「ガイジン」理論を立証するためにも、スペインには何としても上に進んで欲しかった。アイルランドもよくやったと思うが、このゲームにアイルランドが勝つのは健康的ではない。頑張ればいいというものではない。アイルランドのロビー・キーンはプレミアでもいい選手だが、途中からは行ったクインはとてもワールドクラスの選手とは言えない。イエロにしてもPKをとられるような無駄なファールをしなくとも押さえられたと思う。フットボールには創造性と想像力が必要だと思う。
スペインは、このチームの内的なファクターからではなく、カマチョの采配ミスや、ラウルの怪我など外的な要因で楽なゲームを困難なものにしてしまった。メンディエタの最後のPKは緊張した。こうしたプレッシャーの中で勝利を収めることは、スペインの将来に大きな力になることを期待しよう。メンディエタ以外は「ジモティ」で戦うスペイン。ラウルの怪我が軽く次戦はベストゲームができるように祈る。
午後のセネガル対スウェーデン戦は、やっと個人が組織を敗ることができたゲームだ。今日のセネガルのフォーメーションは4−3−3。スウェーデン・ディフェンス陣に徹底して1対1の勝負を挑むことで、組織に亀裂を少しずつ生み、最後には個人の力が勝利を収める。セネガルのアタッカー陣を前にすれば、たとえトルコに勝ったとしても日本のフラット3はちぎられるだろう。
まだトルコ戦も済んでいないので対策云々は早すぎるが、正直、対策はない。ディフェンスに人数をかけ、カウンターねらいしか戦術は考えられない。
イングランド対デンマーク 6.15
昨夜のワールドカップ・ジャーナルを見ていると、やはり話題は、アルゼンチン、フランス、ポルトガルの予選リーグ敗退とその原因について。後藤健生は、僕と意見が近い(あまり嬉しいことではないが)。戦術を固定したチームが敗れ、今回のワールドカップはディフェンスに重心を置いたチームが勝ち残っているという。チームのバイオリズムから言って、フランスはユーロ2000が最高潮、アルゼンチンは南米予選が最高との意見も出た。ポルトガルは単に運がなかったということか。韓国はベスト16の初戦でイタリアを相手にしたいのか?
だが、自国に強いリーグを持っているチームは勝ち残っているのだ。パラグワイを下したドイツ、そしてベスト16に残っているスペイン、イタリア、そして今日、デンマークに完勝したイングランド。ブンデスリーガ、リーガ・エスパニョーラ、セリエA、そしてプレミア・リーグ。ボスマン判決後、リーグの地位が上がるのに反比例して相対的な地位が落ち込んでいると言われてきた国々のレヴェルが上がっている。逆にボスマン判決後、自国リーグの地位が落ちるのと反比例して、選手輸出国としての地位が上がっている国々──ポルトガル、フランス、アルゼンチン、そしてヨーロッパ予選で敗退したオランダ──は、ナショナル・チームの力が落ちているという事実。レヴェルの高いリーグに所属し、多くは「ガイジン」が占めるから数少なくなるレギュラーの地位を掴んで高いレヴェルで競える「ジモティ」と高額のサラリーで迎えられる「ガイジン」。伸びしろは「ジモティ」が大きい。「ジモティ」対「ガイジン」の戦いという比喩ならば、今日のデンマーク対イングランドも語れるだろう。
デンマークには「ジモティ」が少ない。多くは「ガイジン」選手だ。トマソンが良い例。何せフェイエノールトのシンジ=トマソン・コンビだもんね。「ガイジン」はディフェンスを固めている。だが「ガイジン」のディフェンスが、「ジモティ」の4人のヒーローに見事に崩される。ベッカム、オーウェン、ヘスキー、そしてファーディナンドだ。そして、エリクソンは最終的な23名からイングランドの「ガイジン」であるマクナマナン(レアル・マドリ)を選ばなかったし、「ガイジン」のハーグリーブズ(バイエルン)は選んだが、今日、出番はなかった。出場選手は全員「ジモティ」だ。そして「ジモティ」集団は、デンマークのお株を奪うくらいにディフェンスがいい。センターバックの2人(ファーディナンド、キャンベル)はおそらく今大会随一。右のミルズはちょっと心配だが、左のアシュリー・コールは、オルテガを完全に押さえ込んだし、プレミアのアーセナルのゲームを見たことがある人なら、中に絞ってのシュートも素晴らしいのを知っているだろう。強く、スピードがあり、そしてねばり強い4バック。そしてスコールズ、バットのマンUの2列目。オーウェンとベッカムの才能を疑う人はいないだろう。さらにヘスキー──僕は嫌いだったが今日の出来は申し分ない──。問題は左のサイドアタッカーだけだが、シンクレアは忠実なプレイを実践している。バランスが実によい11名の「ジモティ」は、ディフェンスとトマソン頼りの「ガイジン」を圧倒した。
もちろん「ジモティ」対「ガイジン」理論は、東アジアの国々には当てはまらない。東アジアではまだ「ガイジン」──ナカタ、オノ、アン・ジョンハン、イル・サンチョル──中心だし、自国リーグは強くない。
日本対チュニジア
韓国対ポルトガル 6.14
日本対チュニジアの前半は蒸し暑さで眠くなるようなゲーム。蒸し暑いと判断の速度が遅くなるのか、イージーミスが目立った。だが、後半は──誰でもが書くことだろうが──森島と市川の投入でリズムが代わり、後半開始直後の森島のゴールで一気にリズムに乗った。特に右サイドからボランチに変わった明神は素晴らしい出来だった。チュニジアは、勝つ気があったのだろうか? そんな疑問が沸くくらいの日本の完勝。
そしてスタジアムが真っ赤に染まったソウルでの韓国対ポルトガル戦。単にポルトガルは運がなかった。もちろん韓国はかつての韓国ではなかった。中盤でプレスをかけ、特にフィーゴにはマンマークを付けていた。パスを回しながらゴールエリアに近づく姿は、なかなかよかった。2人の退場者を出したポルトガル──アウェイでは勝ち目はない。9人になってからのポルトガル。フィーゴのフリーキックはゴールをかすめ、セルジオ=コンセイソンのシュートはポストに阻まれた。運がないゲームはこんなものだ。フランス然り、アルゼンチン然り。ルイ=コスタはベンチに座ったまま、ワールドカップを終えた。
フランス、アルゼンチンに続いてポルトガルがピッチを去り、決勝トーナメントの興味はずっと小さくなった。ベスト16に日本や韓国、そしてトルコやアイルランドが残っているワールドカップにはやはり疑問を感じる。日本や韓国にはホームの利があるだろうが、ヨーロッパのリーグ戦を終えたばかりの選手を多く抱えるチームの選手たちには、この日程は厳しいだろうし、今日の長居のような湿度も気温も信じがたく高い場所はフットボールの最高峰を見せる場所ではないだろう。ピクシーはイタリアのパフォーマンスがゲームを追うごとに落ちてきていると書いていた。それは一戦ごとにスタジアムが南下するせいだと書いていた。説得力があった。今回のワールドカップを見る限り、ワールドカップの地位は相対的に下がるのではないか。グローバライゼイションとヨーロッパ中心主義の狭間でますますワールドカップ不要論が大きな発言権を持つのではないか? 残ったのはベスト16だが、フランスはアメリカより弱いのか? アルゼンチンは日本より弱いのか? ポーランド戦のラスト20分以外にポルトガルがベスト・パフォーマンスを見せたことがあったのか? かつてW杯でオランダのトータル・フットボールが見る者の驚きを生成し、ブラジルが黄金のカルテットを奏でたのを目の当たりにしたことのあるフットボール・ファンにとって、今回のワールドカップでそれらに匹敵する発見があったのだろうか? アルゼンチンもフランスもポルトガルも、予選リーグで悪いながらも勝ち抜き決勝トーナメントで戦術的な面で統一が図られ、ファンタスティックはフットボールを見ることが出きると予感していた私の予想はことごとく外れている。ワールドカップは私にとってもう終わったのだろうか?だが、とりあえず、今少し決勝トーナメントを見守ることにしよう。
イタリア対メキシコ 6.13
ブラジル対コスタリカ戦は、ブラジルの見事な仕上がりぶりのみが際だった。フランス、アルゼンチンと次々に優勝候補が脱落していく中で、ブラジルだけは、予選リーグでチームを作り、決勝トーナメントで勝負という本来の経過を辿りつつある。このゲームでは3Rの攻撃よりも、ロナウジーニョやロベカルを休ませ、エジウソン(懐かしい!)やジュニオール(パルマ)を虫干しした。結果は5−2。コスタリカは大量点を奪われ、この組からの勝ち残りはブラジルとトルコになった。
そしてイタリア対メキシコ戦。トラパットーニは4−4−2を止めて、3−4−1−2のシステムを採用。暑さ対策か? 「1、2戦のイタリアのやり方は疲れるんですよ!」(風間八宏)。セリエAの定番に戻し、ヴィエリ、インザーギ、そしてトップ下にトッティ。前半30分までは完全にイタリアの判定勝ち。トッティや、ザネッティ、トンマージ、そして特に左サイドのパヌッチから次々にトップにボールが供給される理想的な展開。イタリアのゴールは時間の問題と思われた頃、メキシコの先制ゴールが生まれる。まるで事故のようなバックヘッド。それから85分までイタリアの苦難の道が続く。引いて守るメキシコ相手に3−4−1−2のシステムは苦しい。ボールは支配するがペナルティエリア内はメキシコ・ディフェンダーで混雑し、ゴールネットを揺らさない。こうした展開になれているはずのモンテッロをインザーギに代わって投入するが、モンテッロが不調。体の切れが全くない。
もちろん、こうした展開で必要なのは、「ファンタジスタ」。残り10分あまりでトラップは決断する。トッティ、アウト、デルピエーロ、イン。モンテッロのセンタリングからデルピエーロのヘッドがゴールネットに吸い込まれるのは、この数分後のことだ。トラップは定石の通りの手を打ち、引き分けに持ち込み、イタリアを決勝トーナメントに導いた。
フランス、アルゼンチンを見てきた私たちはイタリアもその二の舞かもしれないと思った。ヴィエリもマルディーニもカンナヴァッロもそう思ったにちがいない。ペナルティエリア周辺まではボールが動き、キープ率は高いが、ゴールは生まれない。クロアチアがエクアドルに0−1で負けているという情報が、メキシコ・ディフェンダーに届いたのかもしれない。だが、それより老獪なトラップのスクランブルをせず、放り込みにも走らない落ち着いた戦術が功を奏したとも思える。フランスやアルゼンチンと一概に比較することは無理がある。「死のF組」や98年にブラジルに完勝したデンマークのいる組に回されたディフェンディング・チャンピオンの姿とイタリアをダブらす必要もなかろう。こうした戦いぶりこそイタリアの特長なのだ。むしろイタリアは普通のゲームをして普通に勝った。朗報はデルピエーロの復活だ。昨シーズンのローマのトッティから中田へという起用法のように、決勝トーナメントではトッティからデルピエーロへの引継が可能になった。トラップは、これからチームを熟成し、1−0のフットボールを見せてくれるだろう。もう4−4−2の冒険はしないだろう。
アルゼンチン対スウェーデン 6.12
座り込んで立ち上がれないクレスポを抱き起こすバティ。深い哀しみを額の皺に湛え、これまたピッチに蹲るベロン。「これがフットボールだ」という決まり文句が彼らの慰めになるとは思えない。昨日のフランスに続いてアルゼンチンがピッチを去ることになった。
もっとも優勝に近いと誰もが考えたチームが次々に東アジアの地を離れていく。原因はどこにあるのか? ビッグクラブの有名選手が多く含まれたこれら2カ国のチームについて、リーグ戦、チャンピオンズ・リーグ、そして代表の試合と日程の過密がコンディショニングの難しさを結びつけられる言説が多い。然り。ひとりひとりを競わせれば、絶対に勝利に終わるはずのチームが敗れるには、原因の究明が必要だ。だがベッカムやオーウェンのいるイングランドは勝ち進み、スウェーデンもリュンベルクを怪我で欠いている。過密日程とコンディショニングの問題はフットボール大国に共通する問題であって、フランスとアルゼンチンにばかり当てはまる問題ではない。日本代表の小野伸二にしても体調が戻っていない。
予選リーグの組み合わせの問題もあるだろう。もしフランスがH組で、アルゼンチンも「死のグループ」に入っていなかったら別の結果も十分に予想できる。ブラジルが良い例だ。予選リーグで調子を上げている。
私にはシステムの問題に思えてならない。フランスが戦術を固定化しすぎたことが敗因だと私は書いた。ジダンなくしては機能しない戦術をジダンを欠いても使い続けたことがルメールの傲慢だと私は書いた。アルゼンチンにも同じことが言えるのではないか。3−4−3のアヤックス・スタイルをこのタレント集団に当てはめるビエルサのやり方はおそらく南米予選では間違っていないのだ。力の差が大きくスペースが使えるとき、この美しいフットボールは華麗に勝利を収めることができる。だがガチガチに守られたとき、このシステムの攻撃が単調になり、ボールはキープできてもゴールが生まれないことは、ユーロ2000のイタリア対オランダ戦が証明しているのではないか。当時のオランダは3−4−3ではなかったが、常にペナルティエリア周辺にボールはキープし続けたが、敗れ去った。
ビエルサもこの欠点に気付かなかったわけではない。ベロンをスターティング・メンバーから落とし、アイマールを起用し、右のオルテガとポジションチェンジを繰り返す方法を間違っていない。だがバティ(クレスポ)がゴールを奪うやり方は一本調子になりすぎる。ディフェンダーがあわせやすくなるのだ。圧倒的に攻めながらゴールが生まれないとき、どうすればよいのかという問いに、答えることができない。
同じ戦術で闘い続けた98年のフランス大会におけるフランス対パラグアイ。ゴールはローラン・ブランから生まれている。戦術の外部から戦術そのものを無効にする決定的なファクターが生まれる瞬間、フットボールは、「信じがたいものが眼前に展開」(ゴダール)することになる。日本代表が、とりあえず今日まで負けていないのは、フラット3戦術が有効だからではない。稲本のゴールによるものだ。誰が、ここまで稲本の成長を予感したというのか? アルゼンチンにも、そしてフランスにも、こうした戦術の外部──映画では「フレーム外」──から突然来襲する「信じがたいファクター」を見ることがなかった。
フランス対デンマーク 6.11
背水の陣のフランス。ジダンが戻った。だが2点差をつけて勝つどころか、0−2で敗戦。結局1点も奪えずに予選リーグ敗退が決まった。原因はどこにあるのか。もちろん初戦と2戦目のジダンの欠場は痛い。3戦目のアンリとプティの出場停止も困難な状況を倍加させた。ゲームを優勢に進めながらもシュートが何度もバーやポストに嫌われた。運がなかった。だが、前回大会もジダンは出場停止になり2ゲームをジダンなしで戦った。そして多くのゲームを1トップにギバルシュを入れていたのを覚えている人もいるだろう。アンチはプレミアの、そしてトレゼゲはセリエAの、そしてシセはフランスリーグの得点王だ。それに世界最高のトップ下であるジダンを加えれば鬼に金棒だったはずのフランスが敗れた。この組の予選勝ち上がりがデンマークとセネガルなのはちょっと地味目だ。やはりフランスは、フットボールをみる人たちにとって決勝トーナメントに居て欲しかったと思う。
敗因は? フランスがチーム戦術を固定したことにあったと思う。常に4−2−3−1のフォーメーションのフランス。ジダンの欠場中、まずジョルカエフが、続いてミクーがジダンのポジションを試された。結果はジダンの代役など誰にもつとまらないことは証明されただけだ。ロジェ・ルメールは、最後にジョルカエフとミクーとジダンを3人並べるスクランブルに出たが、遅すぎたし、そんな作戦には意味はない。悪あがきに見えた。運がなかったのは事実だが、真の敗因は別のところにあるだろう。ジダンがいない場合には別のフォーメーションを採用すべきだった。このコラムでは3ボランチを提案した。事実、今日もマケレレは十分に期待に応えたし、彼の姿にデシャンがダブったのは私ばかりではないだろう。そしてリザラズの衰えは目を覆うばかりだった。左サイドを深く剔る姿はほとんど見られず、スピードもなかった。地味にアーリークロスを挙げる姿は彼に似合わない。左にカンデラ、右にシルヴェルトル(サニョル)。あるいは2人のセンターバックにドゥサイイとクリスタンバル、そして左にカンデラ、右にテュラムでもよかった。あるいは、テュラム、ドゥサイイ、クリスタンバルの3バックでもよかったかもしれない。そして、これまた衰えに目を覆いたくなる(事実、カイザースラウテルンを解雇され、ボルトンに移ったが冴えない)ジョルカエフを代表に加えるのではなく、カリエールを残しておくべきだった。
チーム・ディレクションを行うとき、人はかつての夢を追うものだ。98年のワールカップやユーロ2000はもう過去のことなのに、今日それが再現できると勘違いする。成功したチーム戦術こそ変化させるべきだし、同じくらいの力に若手とヴェテランがいれば、躊躇なく若手を選ぶべきだ。フットボールばかりでなく、どんなスポーツでも、そして、どんな領域でも、その「真理」は尊重すべきだ。ロジェ・ルメールは、4−2−3−1以外のチーム戦術を何度も試すべきだったし、最後まで若手を起用し続けるべきだった。
W杯とは、ナショナル・チームの戦いだが、ナショナル・チームなど、もう存在しないのだ。レアル・マドリがあり、アーセナルがあり、チェルシーがあり、ローマがあり、バイエルンがあり、オーセールがあり、マンUがあるだけだ。ナショナル・チームとは、いろいろなクラブに散らばる同じパスポートを持った選手を集め、短期間でクラブチーム並の戦術を作っていく実験の場であり、その祭典がW杯なのだ。ロジェ・ルメールは「フランス代表」の過去の姿にすがっていた。
ポルトガル対ポーランド 6.10
豪雨の中、互いに負ければ予選敗退が決定するゲーム。もちろん注目はポルトガル。4−5−1のフォーメーションで、ワントップのパウレタは前のアメリカ戦と同じ。だがルイ=コスタの名前が先発にない。ファンとしては残念。ディフェンスを意識したポルトガルらしくない布陣。
前半は荒れたゲーム。雨でスリッピーなピッチのためだろう。ポルトガルのショートパスが決まらない。それでもパウレタが見事な個人技で1点をゲット。打てども打てども決まらなかったアメリカ戦が嘘のようだ。そして後半12分、ついにルイ=コスタの投入。その瞬間ボールが動き始め、ポーランドの運動量が落ち始める。スカパーの「ワールドカップ・ジャーナル」でかつてルイ=コスタの特集が組まれた。ワンタッチ後の彼はいつも何気なくあらぬ方向にパスを出す。誰も選手が見えない方向に。だが常に、TVのフレームの外側から選手が走り込み、たちまち決定的なチャンスが生まれた。僕は「ルイ=コスタのフレーム外」を勝手に呼んでいる。このゲームでもルイ=コスタが右サイドで何気なくセルジオ・コンセイソンにパスを流し、コンセイソンはゴール前のフィーゴにパスを出すと、フィーゴはパウレタにダイレクトパス。そこに走り込んだパウレタがたちまちゲット。雨の中、まるでリゾーム状に脱領域化する中盤をボールが運動するポルトガルのパスワークが復活した。中盤にいくつもの三角形が形成され、その中を自由にポールが走っていく。ポーランドのディフェンダーは、なす術なく、そのボールを見つめているだけだ。その多様で複数の三角形は次第にゴールに近づき、誰がシュートするかなどどうでもいいほどに単純に、そしてすんなりとポルトガルに点数が入る。
ユーロ2000で私たちを魅了したポルトガルがこのゲームの後半で見事に復活した。今もフランス対ポルトガル戦が脳裏に浮かぶがスコアはすっかり忘れ去られている。ポルトガルの中盤で浮かび上がっては消えていく幾重もの三角形に対し、フランスはデシャン、ヴィエラ(もう正しくヴィーラを記すことにする)、プティの3人のボランチを配し、生まれ出ようとする三角形のひとつの頂点を常に消しにかかった。ユーロ2000のベストゲームだった。
そうした三角形がこのゲームでまた生まれつつあるように思う。予選D組はたいへん厳しいゲームが続くだろう。すべてはポルトガルが、無骨なアメリカに敗れたせいなのだが、今日の韓国もまた、無骨なアメリカに無骨なマン・トゥ・マン・ディフェンスでドロー。独り負けのポーランドを除く3チームに決勝トーナメント出場の可能性が残されている。韓国の次戦は対ポルトガル。ポルトガルが今日のような無数の三角形を中盤に生むことができれば、韓国はノーチャンス。
明日のフランス対デンマーク戦ではジダンの出場が伝えられている。共催云々というナショナリズムを度返しして、フランスには是非2点差以上で勝利を収め、ポルトガルもフランスも決勝トーナメントに残って欲しいと思う。
日本対ロシア 6.9
日本代表はめいっぱいのゲームをしてロシアを下した。ベルギー戦の相違は右サイドに明神を入れ、ややディフェンシヴにした程度。いくつものシュート・チャンスが双方のチームにあったが、ゴールネットを揺らしたのは稲本の1本のみ。総評として言えるのは、どちらも決定機を多く作りながらシュートに工夫(あるいは技術)がなく、どんなフットボールをするのかが不明瞭なまま、終了のホイッスルが鳴った。
日本代表の勝因は、もちろんベンゲルも言っていたとおり、忠実なディフェンスにあったとは思う。だが、宮本の統率する3バックは、危なっかしい時間が多かった。鈴木、柳沢はFWとしてシュートを打つことよりもボールをチェイスし、ボールの出所にプレスをかけただけ。戸田はロシアの決定機を一度止めたが、PKを獲られても不思議のないプレイ。やはり勝因は稲本の個人技のよる部分が大きい。攻撃でもディフェンスでも稲本は至るところにいた。小野は生彩を欠いた。中田は普段通りの調子だったが、2本シュートふかし、フリーキックは失敗し、唯一枠に飛んだシュートはクロスバーに嫌われた。つまり、小野、明神の両サイドからの効果的なアタックはほとんど見られなかった。前日のブラジル対中国戦のカフー、ロベカルに比べて、両サイドにボールが散るケースは少なかった。FWは一生懸命、戸田と中田はいつも通り。両サイドは不出来。バックラインが無得点に抑えられたのはロシアの未熟さのため。戸田も稲本も最後には足が攣っていたことを見れば、こうしたフットボールが特定のポジションにいかに負担が多いかが理解できる。
確かにロシアはショートパスで攻めてきたが著しくスピードがなかったし、両サイドを鋭く剔るプレイもなかった。
4チームが8組に分かれた予選リーグの中で、このH組がいちばんレヴェルが低いように見えるのは私だけではないだろう。ロシアもベルギーもヨーロッパの強豪ではない。リーガ・エスパニョーラで何人かがプレイし、監督がスパルタク・モスクワでは、セリエA、オランダ・リーグ、プレミアリーグの強豪チームでプレイする選手がいるチームに軍配が上がるのは自然の成り行きだろう。日本代表の「歴史的な勝利」は、組み合わせに恵まれたからにすぎないのではないか。ボスマン判決以降、3大リーグの力が上がっているが、ロシアやベルギーの選手たちは、いわばその次のレヴェルの選手であって、決してフットボール大国でしのぎを削る奴らではない。思い出してもみよう。前回のW杯予選リーグで日本は、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと当たった。ジャマイカ戦を例外とすれば、アルゼンチン、クロアチアと比べて、ベルギー、ロシアではやはり恵まれている。
イタリア対クロアチア
ブラジル対中国 6.8
予選1巡目でイタリアの出来の良さを書いたが、チームの出来がよいことは、チームの構成メンバーやトラパットーニも気付いたはずだ。今日のゲームでもヴィエリが先取点をとるまでその印象に変化はなかった。ネスタが怪我をしても大丈夫だと皆思ったろう。だが「これで行ける」と全員が思ったところに落とし穴があった。そして、クロアチアは前回3位の面影はないと対メキシコ戦を見た誰もが思ったろう。フットボールは分からない。「行ける」と思ったイタリアが前掛かりになった瞬間、クロアチアの反撃が始まり、同点逆転という展開になった。ゲームのちょっとしたあやですべてが変貌してしまう。パヌッチやカンナヴァロがおたおたし始め、取り返しの付かないゲームをしてしまう。先取点をとった後はどうしたら良かったのか。どっしりと構えディフェンダーと中盤でボールをキープしながらチャンスを伺うべきだった。たとえばデルピエーロを起用する方法もあったろう。チームの平均年齢が上がっているクロアチアは試合巧者だ。だが、すべてがうまく行く行程はイタリアには似合わない。苦しんで予選リーグを勝ち残り、決勝トーナメントでも延長戦で勝利を収めながらしぶとくコマを進めるのがイタリアだ。普通にやれば次のメキシコ戦には勝てるだろう。前の一戦で仕上がりがよいように見えたのは、単にエクアドルが弱かったからだ。
そしてブラジル。対トルコ戦でのブラジルのパフォーマンスを批判する記事を多く目にした。だが、W杯前の南米予選や親善試合を見続けてきた目には、むしろ順調な仕上がりに見えた。南米予選ではまったくチームの形が見えなかったが、特に対ポルトガル戦でロナウド、リバウド、ロナウジーニョの3Rの攻撃が形成されるようにあり、対トルコ戦でもロナウドが完全復調をアピールした。左のロベカル、右のカフーも好調を維持し、エメルソンの帰国もジュニーニョ=パウリスタが立派に代役を務めているように見える。対中国戦の4−0の圧勝は不思議なことではない。むしろ順当だ。ブラジルがようやく戦える集団になってきたプロセスだ。ルイス=フィリッペ監督の戦術も次第に目に見えるものになってきたようだ。後半のデニウソン投入は、左サイドのロベカルとの連携を探ろう──まだ完成の息にはほど遠いが──とするものだろう。デニウソンのドリブルによってロベカルの上がりにタメが生まれる。次のコスタリカ戦でも、さらに熟成度が高まれば一挙に優勝候補に躍り出るだろう。
それに対して中国は良いところなく予選で姿を消す。コスタリカ戦、ブラジル戦と完全に力不足を露呈させた。パスをつなぐことはできても、どうやってディフェンスを破り、シュートに持ち込もうとするのか、さっぱり分からなかった。つまり、このチームは戦術云々よりもまず個人のレヴェルアップが不可欠だ。昨日のイングランドのように個々の力では劣っても全員が一致した意識で闘えば負けないことはできる。だが、今日の中国のレヴェルでは、戦術の徹底を図っても選手たちにそれを受け入れるスキルがない。まず選手の育成が急務だ。育成しながら戦術を教え込む時間はW杯にはないし、ボラはそれには向かない。現在の日本代表の監督を起用すれば中国の選手も少しはうまくなるだろう。ただし時間がかかるけど……。
明日は対ロシア戦。ボランチの一方に福西の起用。そして西沢のワントップ。俺が声を大にしてもフィリップには聞こえないだろう。それよりも期待するのは、選手たちが──特に中田英寿が監督を裏切り、自らの信念に従ってゲームをすることだ。
イングランド対アルゼンチン 6.7
緊張感の高いゲームを毎晩見るのは疲れる。予選リーグ最高のカードとなったイングランド対アルゼンチンはゲームの質云々ではなく、見る人に感動を与えるゲームだった。とにかくアルゼンチンに勝ちたいというイングランドの欲求がすべてに上回ったゲームだったからだ。もちろんベッカムがPKを決め、4年前のリヴェンジを成就したという物語はある。PKを決めた後の彼の顔は4年間のすべての感情がこもっていたとも思う。だがベッカム1人で勝てるものではない。とくにセンターバックの2人(キャンベルとファーディナンド)、そしてスコールズ、オーウェンといったイングランドでも実力のある選手たちがfor
the teamに徹した動きをし、アルゼンチンにゴールを許さなかった。エリクソンも語っていたが、75分過ぎからは自陣に張り付いて10人でのディフェンス。シュートは来るがイングランドのゴールが割られる気がしなかった。「1点を死守して勝つ」とはこういうゲームをするのだ、という見本がここにあった。
アルゼンチンの出来が悪かったのか? そんなことはないだろう。3−4−3システムのもっとも悪い展開がこのゲームだった。ボールはキープするものの、相手は少しずつ慣れていってディフェンスのリズムが整ってくる。だからベーロンとオルテガが生きることになるはずだが、ベーロンの繰り出すパスは、イングランド・ディフェンスのポジションの良さに消され、この日記にも書いたドリブラー、オルテガはアシュリー・コールに封じられた。ベーロンに代わったアイマールも空しく突破を繰り返しセンターバック陣につかまるか、パスを出しては追い込まれるかどちらかだった。イングランド・イレヴンが「負けたくない意識」を統一し、それぞれに与えられた任務を90分間全うできれば、このようなゲームが可能なのだ。
アルゼンチン対ナイジェリア戦は面白かったと書いたが、今日の午後のゲーム──ナイジェリア対スウェーデン──を見る限り、ナイジェリア・ディフェンスのプレスは甘く、最終ラインで個人技で堪えるだけのディフェンスだった。オコチャ以外の選手には大したイマジネーションはなかった。だからアルゼンチン対ナイジェリアはそれぞれの局面において、見所のある攻防はあったが、ゲーム全体の緊張感は、昨日のフランス対ウルグァイ、今日のイングランド対アルゼンチンほどにはなかった。
それにしても「勝つ」ためにはいろいろなものを捨てなければならない。華麗なクロスを封印し、左サイドのソリンのディフェンスを忠実にこなすベッカム。シュートを捨て、中盤の底にいるシメオネを追い回すヘスキー。セットプレー以外の攻撃参加を控えるセンターバック陣。泥臭い仕事に徹するスコールズ……。勝つことの歓喜に比べれば、何かを捨てることの後悔は小さい──今晩のイングランドにはそんな空気が充満していた。おそらくアルゼンチンの実力はナンバーワンなのだろうが、今日のイングランドには勝てないだろう。攻撃ではオーウェンの成長ぶりを見ることができたが、フットボールの質としては実に泥臭い。つまり「何としてもアルゼンチンには勝ちたい」──それだけが伝わってくるゲームだった。その統一された意識は少なくとも私を感動させた。
フランス対ウルグァイ 6.6
開始早々のルブーフの怪我、前半25分のアンリの退場。絶対に負けられないフランスはスクランブルをかけなければならない状況に追い込まれる。ただこの試合に臨むメンバーを見たとき、ロジェ・ロメールは「王者フランス」「ディフェンディング・チャンピオン・フランス」に拘りすぎたのではないだろうか。ジダンを欠いたフランスが、決して「王者」でも「チャンピオン」でもないことは、セネガル戦で証明されていたのではなかったか。
必要だったのは、ジダンの位置にミクーを入れることはなかった。レコバとダリオ=シルバのカウンターに賭け、モンテーロを中心に「カデナチオ」を仕掛けるウルグァイのゴールをどのようにこじ開けるのかという戦術であったはずだ。
ルブーフが退いた後、カンデラを右サイドに入れ、テュラムをセンターバックに入れたことは当然だとしても、アンリ退場後、ほとんど機能していないミクーをそのまま放置し──実際にパサーの役割を演じていたのはプティとヴィルトールだった──、これといった「戦術」を授けなかったのは、ルメールの傲慢さというものだ。もちろんフランスがボールを支配するだろう。しかし、誰も、ゴールが生まれるのは時間の問題だと思えなかったのはなぜか。開幕戦ではバーに当たったシュートを笑顔で見送ったトレゼゲの顔が次第に厳しいものになり、プティの眼差しは中空を舞うようになり、ヴィエラは膝の痛みで顔をゆがめる。
思い出すのはユーロ2000の対ポルトガル戦。デシャン、ヴィエラ、プティの3ボランチを採用し、ポルトガルの「華麗な中盤」を消しにかかったルメールの姿だ。監督が出きることは相手チームを読み、勝つために適切な「人員配置」を行うことだ。
ウルグァイがカウンターに来るボールを徹底して拾えるのは、スピードの衰えたセンターバックではない。スペースが空いていればそれなりに勝負できるミクーのようなタイプは、ディフェンスを8人で固めてくるウルグァイには向かない。ボランチとトップの間を短くし、できるだけセカンドボールを拾える態勢を整え、両サイドにボールを散らしながら攻める。ウルグァイの攻めが徹底されていたように、フランスが徹底したアタックを見せるには、それしか方法がなかったはずだ。ならば、プティ、ヴィエラ、マケレレの3ボランチで、ミクーを外し、調子のでないリザラズを外し、カンデラを左に、シルヴェストルを右にいれ、8人のディフェンダーに対して、トレゼゲ、ヴィルトール、3ボランチと両サイドの7人で攻撃する。テュラムとドゥサイイはどっしりセンターに構える。アンリ退場以降のフォーメーションはそれしかなかったろう。交代は先発のルブーフに代わり、カンデラ、リザラズに代わってシルヴェストル、ミクーに代えてマケレレ。ジダンを欠いたフランスのスクランブルにはそれ以外の選択肢はなかった。
デンマークに2点差以上つけて勝利を収めねばならなくなったフランス。「王者」の誇りも、「チャンピオン」の冠も捨てて、徹底してボールを動かしながら攻めるしかなくなった。
ポルトガル対アメリカ 6.5
今日で予選リーグの一巡目が終わる。すべてのチームの状態を見たことになる。だが、それらの状態はチームの現在の状態であって、W杯の今後の全体を占うものではない。またイタリアや韓国など組み合わせの有利さから適切なスパーリング・パートナーを得て、第1戦を闘ったチームと、F組のように、最初から全力投球をしないと勝ち抜けないグループの差の問題もあるだろう。ナショナル・チームからクラブ・チームへという問題体系の中でチームをいつピークに持っていくのかは、各監督の頭をもっとも悩ませる問題だろう。
まずロシア対チュニジアは大したゲームではなかった。日本代表の今後を占う以外にこのゲームは価値がない。少なくとも、H組でチュニジアだけが力が劣ることは証明された。
そしてポルトガル対アメリカ。アメリカが3−0でリードしたときは、驚いた。ポルトガルのディフェンスはフィジカル面でもポジショニングでも0点。フィー後はいらいらし、ルイ=コスタは狙われる。パウレタは外しまくる。結局3−2でアメリカが勝ったが、アメリカがこのゲームのためにチームをピークに持っていき、ポルトガルはまだチームの体をなしていなかった。ポルトガルは最後に3バックで攻めたが、実りのないものになった。すべてはピーキングの問題だ。フィーゴは疲れているし、ルイ=コスタは怪我あけ──ときおりポルトガルらしい中盤を見ることはできたが、アメリカの統率された組織と強く高いフィジカルの壁に押し返されていた。今のポルトガルにエウセビオはいない。
1巡目の予選ではアルゼンチンの圧勝だ。フランス、ポルトガルといったユーロ2000で目立ったチームが軒並み敗れた。この2チームに関しては、次のゲーム(フランスは明日の晩だ)に敗れれば後がない。ピーキングなどと言っていられない状況を前にしている。2チームのルメールとオリヴェイラは、どんなチームにし、どんなゲームを構成したいのか、頭を悩ませて眠れないことだろう。
2巡目の初戦であるアイルランド対ドイツ。アイルランドはどこがよいか分からないが、オランダをなぎ倒して予選を突破してきたチームだ。ロスタイムで同点に追いつく。アイルランドを見ていると、このようなゲームを連続できるのは、予選リーグだけではないかと思えてしまう。根性だけで闘うのは限界がある。ドイツの力はこんなものだろう。
日本対ベルギー 6.4
今日最初の試合、中国はコスタリカに良いところなく敗れた。ミルティノヴィッチの「魔術」はいったいどこにいったのか? 韓国と日本が参加しない予選に勝ち残るのは大した労力が要らなかったのかもしれない。ドイツに大敗したサウジの例を挙げるまでもなく、アジアはレヴェルが低いのか?
最初の中国、次の日本、ラストの韓国が登場する今日は差詰めW杯東アジア大会(えのきどいちろうの表現)。ゲストにコスタリカ、ベルギー、ポーランド。
それにしても韓国は良い試合をした。イングランド戦、フランス戦の好調を持続して、かつての韓国とは見違えるようなフットボール。フース・ヒディンクは流石。Congratulations! だが、こんな試合は何試合も続けられるものではない。予選リーグの3試合だけで、決勝トーナメントはおまけみたいなものだと考えれば、ヒディンクのやり方はプロだ。
そして、日本対ベルギー戦。2対2のドローだとは言え、2点を奪い、勝ち点1を獲ったのだから、前回のフランス大会よりもチームが進歩していることは認めよう。それにフランス大会当時は、アルゼンチンにもクロアチアにも徹底してディフェンスしただけのゲームだったが、今回は、少なくともガチンコのゲームができたことは何よりの進歩の証拠だ。
もちろん稲本の幻のゴールが入っていたので、本当は3ム2のゲームだったはずだが、それはともあれ、伸二から鈴木のパスでの1点目は、UEFAカップのフェイエノールトの3点目の再現。稲本の2点目は、何よりもこの選手の成長を物語っている。
このゲームでボランチ2人と市川、ヒデ、伸二で構成する中盤は、よく機能していように思う。ピッチ上にいる22人の中で、特にヒデは群を抜いていた。格を口にしたくないが、昨日のイタリア代表で見事なプレーを見せていたトッティとポジションを争った選手だ。言うことはない。
トップでは、とにかく鈴木は1点獲ったのだから、文句は言うまい。だから、問題は柳沢、そして2点献上した3バック。奇妙なジャッジをするコスタリカの主審や稲本の点を演出したことを差し引いても柳沢はトップ失格だ。前線でボールをキープできず、シュートも打たないフォワードは不要だ。ヴィエリ、バティ、ロナウドなどと比較しては、彼らに失礼だろうが、柳沢ももしフォワードなら、何よりもまず点をとってから、「自分はチャンスメイクに向いている」と語るべきだ。ロシア戦では絶対に西沢を起用すべきだろう。
そして、3バック。決勝点がノルウェイ戦のデジャヴュだったことは皆に判ったはずだ。森岡の負傷退場直後のことで、3バックの中央に宮本が入ったばかりの出来事。また「オートマティックに」ラインを上げた末の失点だ。ある解説者が3バックの中央には、森岡のフィジカルと宮本の頭脳があれば……」と言っていたが、同じ過ちを繰り返さないのが、インテリジェンスというものだ。失敗から学ぶのが知性だ。宮本は頑固に決して通用しない自らの方法を貫き、常に点を与え続けている。それを「バカの一つ覚え」と呼ぶ。右の松田は1点目のときも2点目のときもオフサイドをアピールしていたが、何を考えているのか? 俺だったらロシア戦から服部と秋田を使う。宮本は大阪に松田は横浜に帰す!21人になるって? 戸田をディフェンダーに使えばいいさ。そして福西と稲本の2ボランチ。
結局、俺もサポーターになっちまった!?
森岡のアクシデントを除けば、鈴木に代えて森島、伸二に代えてアレックスとトゥルシエはカードを切った。この交代は常識的で納得できないものではない。足の衰えたベルギーのディフェンス陣を切り裂くためだ。だが、アレックスも森島も消化不良のままゲームを終えたにちがいない。彼らにボールが回らないのだ。アレックスは時折左サイドにボールを持つが、アーリー・クロス(トゥルシエが徹底して練習させたらしい)を意識するあまり、彼ならではの内に入ってのシュートが見られなかったし、大きく左サイドを突破する姿も1度しかなかった。森島に至っては、どこにいたのか分からなかったくらい。トゥルシエの策は常識的なのだが、選手たちが、常識に反応できない。アーリークロスを入れてセカンドボールを拾いたいなら、そのポジションに中田1人では無理だ。まず両サイドを大きく剔ること。そこでキープし、サポートを待つこと。それを繰り返すしか方法はない。
結論を言えば、日本代表は勝てる試合を落としてしまった。予選リーグでは、こうした結果は芳しくない。
ロシアのゲームはまだ見ていないが、少なくともベルギーは大したチームではない。このH組はレヴェルが低い。アルゼンチン、ナイジェリア、イタリア、ブラジル等、フットボール大国とは雲泥の差があるようだ。親善試合でロシアと引き分け、ベルギーに敗れたフランスの予選突破はあるのだろうか?
ブラジル対トルコ 6.3
すでに読者の方々からメールをいただいている。多謝。どんなテーマで?というご質問があった。フットボールのゲームについて書くのは映画批評と似ている。「信じがたい眼前の現実」をどう記述するかということだ。参加国の歴史的背景について後藤健生のように蘊蓄を傾けるつもりはないし、ましてや「フットボールをスポーツという枠組みから解放し、文化現象として語る」(陣野俊史)つもりは私にはまったくない。ゴダールは、文化は規則であり、芸術は例外だと言ったが、私は単にゴダールに同感する。そしてもちろんスポーツのゲームとは極めて芸術に近いと私は思う。
クロアチア対メキシコは、予選リーグらしいゲーム。メキシコはPKで得た虎の子の1点を守りきり、勝ち点3を得た。
イタリア対エクアドルは、月並みな表現だが、格の違い。エクアドルがよく南米予選を勝ち抜けたものだと思った。もちろん南米予選も昨年多くのゲームを見たが、ブラジル対アルゼンチンを除いて、いつも眠気がおそってきたのを覚えている。唯一興味深かったのは、トラパットーニが4−4−2のフォーメーションを初めてとったこと。正確には4−4−1−1だが、これが実に見事に機能していた。今日までのゲームを見て、チームとしての熟成度が高かったのはアルゼンチンとイタリアだ。トッティとヴィエリのふたりの攻撃に全員が見事に動く姿は美しい。もちろんエクアドルのディフェンス──間合いを空けすぎ──のせいかもしれないが、3−4−1−2ではなく、4−4−2を採用したイタリアは面白い。もともと選手たちのポテンシャリティが高いし、メキシコやクロアチア(98年の3位の面影はまったくない)戦でより熟成度が高まるだろう。イタリアはよい組みに入った。
そして問題のブラジルだ。ポルトガル対ブラジルの親善試合の出来の良さを見て、「腐っても鯛」を確信した。何よりもロナウドとロナウジーニョ、リバウドの3人で構成されるアタックが素晴らしかったからだ。ロナウドは観戦復調したと思えた。予選第1戦でもロナウドが点をとった。
だが、注目はデニウソン! 98年大会で屈指のドリブラーと呼ばれたが、ドリブラーであったがゆえにモダンフットボールの敵であり、「昔ながらのフットボーラー」である彼が、トルコ・ディフェンス陣を何度も翻弄した。止められないのだ。そういえばアルゼンチン対ナイジェリア戦でもオルテガが良かった。ボールを持ちすぎ、攻撃のリズムを乱し、次々にヨーロッパのクラブを追われたオルテガ、そしてデニウソン。ワンタッチ、トゥータッチでボールが回る現代のフットボールにあって、完全な「アナクロニズム」を体現するふたりが、ゲームに奇妙なアクセントを刻んでいるのだ。アルゼンチンのビエルサの戦術は、中央のバティ(クレスポ)、右のクラウディオ=ロペスのスピードに対し、左にオルテガを置くことで、攻撃の多彩さを演出しようとしているらしいことは見て取れる。ベーロンのワンタッチ・パスと対照的なオルテガのドリブルによって、ディフェンスが併せにくくなる様はナイジェリア戦からも伺えた。
もちろんブラジルにはアルゼンチンほどの戦術はなく、チームはばらばらに見えるが、ロナウドのスピードとデニウソンのドリブルは、ここでも微妙かつ奇妙な対照をなしている。もともとタレントが揃っているブラジルのようなチームにおいては、戦術的な枠に囚われず選手の個性を殺さず、自由にやらせる方が結果が出るようだ。デニウソンに対してトルコのディフェンダー陣は切れてしまい、1点差なのにゲームの趨勢は決定してしまった。思い出せば、94年のアメリカW杯のときに優勝したドゥンガのブラジルは評判が悪かったらしい。確かに規律を重んじ、ゲーム・プランが明瞭に見て取れるチームだった。それに比べると今年のブラジルはまだまだどんなチームに化けるか判らない。
とりあえずアルゼンチンの入った「死のグループ」以外のセミファイナルまでは残る可能性の高いチームは、予選リーグ中に、ナショナル・チームからクラブ・チームへの変貌を図ろうと、多様な実験を重ねることができる。
F組初戦
6.2
今日の注目は「死のグループ」F組の初戦。アルゼンチン対ナイジェリアとイングランド対スウェーデン。
W杯の予選の大きな問題は、チームになっているかどうかだ。ナショナル・チームという性格上、常にメンバーが異なるから、いくら合宿をし、予選があったとしても、クラブ・チームよりはずっと試合数が少ないのだ。ナショナル・チームの監督は短期間でチーム戦術を徹底させ、結果を出すことのみが求められている。開幕戦のフランス代表は、今回のチームの熟成度が足りず、決勝トーナメントに入ってから戦術的な成果が現れると思うが(それまで勝ち残ればの話だ)、F組の各チームは、予選をピークにしなければベスト16はない。アルゼンチン対ナイジェリアのゲームは両チームとも、そうした決意が現れたゲームだったが、イングランド対スウェーデンは、後半の後半になり、1−1のスコアが見えだすと互いの足が止まった。ベスト16への状況判断ができていないようだ。
アルゼンチン対ナイジェリア戦は、そういう意味でガンチコ勝負。互いに全力のゲームだった。結果は1−0でアルゼンチン。3−4−3の攻撃的なフォーメーションから両サイドを剔るように攻めるアルゼンチン。対するナイジェリアは4−4−2。フラットに4人並ぶバック・ラインがアルゼンチンの波状攻撃にどこまで耐えられるのかが勝負になった。結局バティ・ゴールでアルゼンチンが逃げ切ったが、アルゼンチンは強い。ナイジェリアの一応フォー目ションは4−4−2だが、イマジネーションあふれるアタックが皆無だったのに比べ、アルゼンチンは完全にチームになっている。3バックのラインが心配だったが、これだけボールを支配していれば、バック・ラインがおたおたすることもなかったし、統率するサミュエルは所属のローマでも同じ役割を演じているので、危なげなかった。ナイジェリアの若い2トップはアルゼンチンのラインに完全に押さえ込まれた。ほとんどの選手が顔見知りだろうが、1人1人を比べた場合、格から言ってアルゼンチン選手の方が上だろうし、ナイジェリアもウェストを中心によく守ったが、このチームがディフェンスをする姿はこのチームには似合わない。オコチャも目立たなかった(98年のW杯で、ミルティノヴィッチが指笛を鳴らし、「オコチャ!」と叫んでいたのを思い出す)。0−1で敗北するのはナイジェリアではない。
こういう風にも言えるだろう。カメルーンの選手はアイルランド選手に対してぜったい1対1に負けなかったが、ナイジェリアとアルゼンチンに個人技の差は大してない。そうなれば攻撃的な選手を並べ、サイド攻撃を中心に組み立てたアルゼンチンが勝利を収めるのは順当な結果だ。
ちょっと早いがF組の勝ち残りはアルゼンチンとナイジェリアではないだろうか? 札幌のイングランド対アルゼンチンのゲームで、イングランド選手が「死ぬ気」で当たり、奇跡的な勝利を収めない限り、アルゼンチン、ナイジェリアと予想するのが、今日のゲームを見れば当然かもしれない。
カメルーン対アイルランド 6.1
本格的な開幕の日。夜のドイツ対サウジアラビアの8−0は、ミスマッチ。先日の練習試合でドイツは宮崎の高校選抜に10−0のゲームをしたが、サウジは宮崎の高校生と大した変わりがないということか。
夕刻のウルグァイ対デンマークはライヴで見ていないのでパス。したがって、今日の一戦はカメルーン対アイルランドということになる。格で言えば圧倒的にカメルーン有利のこのゲーム。前半にエトオ&エムボマで先制点をあげたときには、いったい何点はいるかと思われたが、後半にはカメルーンのディフェンスラインが下がりすぎ、アイルランドのボランチ、ホランドにミドルシュートを決められ、1−1のドロー。
前半、ボール支配もシュートもカメルーンが圧倒したため、アイルランドをなめた結果と考えるのが順当だろうが、カメルーンのフォーメーションにも遠因があるように思う。カメルーンの自慢は、もちろんエトオ、エムボマの2トップだろうが、彼らへのボールの供給源は左のジェレミ(レアル)と、右のローレン(アーセナル)だ。かなり高い位置どりをする両サイドのおかげで、ディフェンスラインとアタック陣の間にスペースができる。ボールを支配している内は、このスペースに気が付かないが、後半、アイルランドが死ぬ気で攻めてくると、ぽっかりスペースが空いているのが見える。3バックは、ほぼフラットに並んでいるので、アイルランドの2トップが上がると、ラインが下がり、このスペースは肥大する。エトオもエムボマも決してディフェンスをするタイプのトップではないから、両サイドも下がらざるを得ない。アイルランドのアタックに後手後手に回る原因はここにある。ジェレミもローレンも自分のチームでは4バックのアウトサイドであるわけで、そうしたカメルーンが4バックではなく、3バックをとるのは監督がドイツ人だからだろうか。
もしカメルーンが決勝トーナメントでも勝ち進みたいなら、解決策はふたつ。徹底してボールを支配するか、4バックに変更するかしかなかろう。今大会では是非アフリカ勢に勝ち進んで欲しいと個人的には思っている。昨日のセネガルに比べればカメルーンの方が、伸びしろがあるだろう。前半のように自由にやり、のびのびとボールを支配する道を選択することが懸命だろう。
それにしても日本と同じ3バックの欠点は、このゲームでも浮き彫りにされていた。
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