特集『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』

©︎ 2022 The Apartment – Kavac Film – Arte France. All Rights Reserved.

『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』、『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』と2本の新作が公開され、今年はマルコ・ベロッキオの年だ。にもかかわらず、『エドガルド・モルターラ』がかかる劇場は客がまばらで、大作『夜の外側』に際してもベロッキオを見返そうという機運がそこまで高まっていなさそうなのが寂しい現実である。
 優れた映画作家がみなそうであるようにいつだってベロッキオは見られるべきなのだから、今こそ見られるべきだとあえて書くのは難しい。しかしジャン・ルノワールが130歳を迎える年において、「すべての人に道理がある」という『ゲームの規則』の提言をいまもっとも先鋭的に引き継いでいるかもしれないベロッキオの新作にも増して見るべき作品はないのではないか。
『夜の外側』は全6話から構成されている。それぞれのエピソードは視点をガラリと変え、モーロ事件に迫る、あるいは突き放されていく。今回は作品全体の論考、各話の論考とともに特集をお届けする。

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『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』

監督・原案・脚本:マルコ・ベロッキオ 
原案:ジョヴァンニ・ビアンコーニ、ニコラ・ルズアルディ 原案・脚本:ステファノ・ビセス 脚本:ルドヴィカ・ランポルディ、ダヴィデ・セリーノ 撮影監督:フランチェスコ・ディ・ジャコモ 編集:フランチェスカ・カルヴェッリ 美術:アンドレア・カストリーナ 衣装:ダリア・カルヴェッリ 録音:ガエターノ・カリート 音楽:ファビオ・マッシモ・カポグロッソ 製作:ロレンツォ・ミエーリ、シモーネ・ガットーニ 
出演:ファブリツィオ・ジフーニ、マルゲリータ・ブイ、トニ・セルヴィッロ、ファウスト・ルッソ・アレジ、ダニエーラ・マッラ

2022年/イタリア/イタリア語・英語/340分/カラー/1.85:1/5.1ch

原題:Esterno notte 英題:Exterior, Night 字幕翻訳:岡本太郎 映倫:区分G

公式HP: https://www.zaziefilms.com/yorusoto
公式X: @yorusoto2024

悲痛かつ滑稽に ベロッキオにおける現実と虚構

筒井武文

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 イタリア戦後史の負の中心とでもいうべき、キリスト教民主党党首アルド・モーロの誘拐事件に、二回目の挑戦をおこなったマルコ・ベロッキオの『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』(2022)だが、その6部に分かれた全体の冒頭を、病院に運ばれたモーロの場面から始めるのは、まるで解放されたモーロが早朝のローマを彷徨う『夜よ、こんにちは』(2003)のラスト・ショットの続きのような錯覚に陥らさせる。といっても、描写のありようはまったく違う。前作の夢遊病的ファンタジーに対し、背景の窓が白く飛んだ病院の廊下を政治家たちが歩いてくるフィックス・ショットには、そんな夢想を許さない現実感が立ち込めているからだ。では、なぜベロッキオは現実ではないと観客の多くは知っている場面からこの大作を始めるのか。

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1話

不和を生きる

三浦光彦

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 アルド・モーロ誘拐事件を「赤い旅団」メンバーの内側から描いたマルコ・ベロッキオの作品『夜よ、こんにちは』(2006)において、モーロは専ら、「赤い旅団」唯一の女性メンバー・キアラから眺められる隔絶した他者として、常に声と身体とが遊離しているような、実体なのか幻影なのかも定かではない存在として描かれていた。実際、モーロという政治家はイタリアにおける「鉛の時代」の空白の中心とも言える人物であり、その存在の欠如が現代のイタリア政治にまで、暗い陰を落としているであろうことは想像に難くない。一方で、再び同事件の映像化に取り組んだ『夜の外側』において、ベロッキオは第1話でモーロを実体を持った生身の人物として描くことを選択し、6話構成のドラマ全体は1話の最後でフレームの外へと姿を消したモーロがそれぞれの人物に対して、どのようにフレームの内へと帰還してくるのかをめぐって構築される。それゆえ、1話でのモーロ(を演じるファブリツィオ・ジオーニ)の存在感や肉体性に相応の厚みがなければ、計6時間弱のドラマ全体を持続させること自体が可能ではないだろう。

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2話

入口から考える

高木佑介

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 誘拐事件発生を受けて、第2話ではモーロ救出に尽力する内務大臣のコッシーガ(ファウスト・ルッソ・アレジ)に焦点が当てられる。しかしその前に、そもそもこの『夜の外側』と題された作品の中に、人はどのように入っていけばいいのだろうか。例えば『夜よ、こんにちは』の冒頭に据えられていたのは、赤い旅団のメンバーがアジトとして使うことになる家を不動産業者とともに内見に訪れる場面であり、その家にはどうやら「入口がふたつある」ことが案内人たる業者の説明によって早々に明示されていた。すなわち、物語の主な舞台となる空間への入り方の案内がそのまま作品自体の冒頭=入口になっていたのであり、またそれとほぼ同時に立ち上がる問いとして、その家からの出ていき方=出口の問題がそこですでにして提起されていたわけだ(言うまでもなく、まるでそれが入口と出口を兼ねた扉であるかのように冒頭とラストで都合2回提示されるタイトル——「ジョルノ=日中」と「ノッテ=夜中」が表裏一体となったような——が冠されたその映画では、「入口がふたつある」という家からの「ふたつの出ていき方」が、物語の終わりに描かれることになる)。

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3話

ともに祈りましょう

隈元博樹

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 サン・ピエトロ広場に集う数多の聴衆を前に、大聖堂のバルコニーに立つパウロ教皇6世(トニ・セルヴィッロ)。車椅子姿から教皇庁の人々の手を借りて立ち上がった彼は、聖週間の始まりを告げるとともに、キリスト教民主党の党首であったアルド・モーロ(ファブリツィオ・ジフーニ)の無事を祈るよう人々へと語りかける。こうして声高らかな彼の演説によって幕が上がる第3話では、敬虔なキリスト教徒であり、また旧知の仲であったモーロが赤い旅団に誘拐されるなか、病を押してまでもモーロの解放に向けて尽力する教皇の「受難と祈り」が描かれている。

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4話

革命という名をなくして

黒岩幹子

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 第4話の主人公は「赤い旅団」のメンバー、アドリアーナ・ファランダである。が、不思議なことに、このエピソードの中でその名が呼ばれることはない。
 この女性はアドリアーナ・ファランダであると私たちが知っているのは、以前のエピソードにおいて、教会の礼拝でアルド・モーロの後ろの席にいる、あるいはパイロットの制服に裁縫をする彼女の姿を見たから、そして捜査官のスピネッラが、モーロ襲撃犯が着用していたパイロットの制服の購入者がアドリアーナ・ファランダという人物であることを、顔写真を添えてコッシーガ内務大臣に報告していたからだ。

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5話

不始末の眠れない

五所純子

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 岡田美里が堺正章との離婚をふいに告白したのはある記者会見の席だったが、彼女は離婚理由のひとつを、中元のシーズンに山ほどの宅配便が送られてくるからだと語った。一日に何度も伝票に判をつき、梱包を解いては箱を畳み、差出人にお礼状を書き、膨れあがっていく食材を毎日どう消化していくかに頭を使い、食材が腐敗すると心が傷むので、本当に食べたいものは先延ばしにする、その明け暮れ。わりと不幸だな、とわたしは思った。けれどおおかたの視聴者やメディアは正反対で、高級食材たらふく食えるならいいじゃん、恵まれたひとのワガママでしょ、という反応だった。富裕層や支配階級は少数派だ。少数派の悩みは理解されにくいらしい。『夜の外側』第5章でわたしははじめて見た。告解室でみずからの罪を告白した信徒が、ちょっとなにいってるかわかんないですけど、というふうに神父から返されるのを。告白したのはアルド・モーロの妻・エレオノーラ、第5章の主人公。仕事にかまける夫の愛情のありかがわからない、と彼女も言う。

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6話

誰も代表できず

梅本健司

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 コッシーガのものだとひとまず考えられるモーロが救出される幻想とじっさいにモーロが発見される映像との違いはなにか。言うまでもなくモーロが生きているか死んでいるかという大きな違いもあるが、もうひとつ重要なのはコッシーガの幻想に民衆がほとんど映り込まないのに比べて、現実の映像ではモーロの死体を目撃する多くの民衆が映り込んでいることだ。
 赤い旅団のファランダを除いて、本作で焦点が当てられる人物は基本的に普通の人々から隔てられており、彼らとの関わりがほとんど見せられない。たとえば3話冒頭でローマ教皇が演説するとき、聴衆たちは彼の肩口から豆粒ほど小さく映るだけであり、バルコニーに立つローマ教皇が下から見上げられるショットに関しても、カメラは教皇と聴衆の間にある空に位置しているため、地に立つ人々の視線を代行しているわけではない。そのショットは教皇の見掛け倒しの荘厳さを演出するばかりで、民衆との距離を見るものに測らせることはないのだ。一方、1話冒頭でモーロがキリスト教民主党の建物からその前で起こる暴動を見下ろすとき、明らかに暴動の渦中にいる誰かのものだと思われる視線もまた、モーロを見上げている。共産党党首との密会でモーロが互いの護衛たちが分け隔てなく世間話をしている様子を「われわれより進んでいる」と指差すように、本作においてモーロは唯一民衆との繋がりを意識した政治家として描かれている。

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