02.09/16

 

「nobody」の次号は、68年の新宿を取り上げようとしている。もちろん、「nobody」のメンバーは全員生れていない。「また何故そんなことを」と思われる方もいるかもしれない。僕らも「何故だろう」と考えながら作っている。それでも「衝動」のようなものははっきりあるので、このコーナーでその衝動を少しづつ見せていければいいと思う。
生れていない時代を取り上げるので、当然僕達はその時代を知らない。実感もない。だからいろいろと勉強しているのだが、今日行き帰りの電車で読んでいたのは、『にほんのうた-戦後歌謡曲史』(北中正和著 新潮文庫)。その名の通り、戦後の歌謡曲、流行歌に携わった人の流れをコンパクトにまとめた本だ。
 主にGSからフォーク、ニューミュージックまでの流れが読みたくて手にとった本だが、現在からみるとGSの面子はほとんど芸能人になっているし、スタジオミュージシャンとして、実質的にニューミュージックを手がけた人たちは、現在でもレコード産業の中枢に残っているし、なんだかフォークをやっていた世代がぽっかりと忘れ去られたような印象があった。もちろん遠藤賢司だって早川義夫だって現役で今でもやっているのだけど、それはマチャアキが現役なのとも、ユーミンが現役なのとも意味も文脈も違ってくるのだと思う。
 1968年にはいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」があって、チータの「365歩のマーチ」があって、それは僕が物心ついた後でも耳にする機会はあったが、高田渡や岡林信康の曲なんてまったく耳に触れなかった。そうした欲望を喚起しようとする言葉にさえ出会わなかった。はっぴいえんどは、別にフォークだと思って聴いていたわけじゃなくて、あくまで細野晴臣や松本隆が昔やっていたバンド、サニーデイの元ネタくらいの印象だった。こんなにも省みられない日本のフォークって、いったい何なんだろうという疑問を持った。

志賀謙太

 
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