さて、昨日の志賀謙太の文章にある通り、ここに書くことは雑誌を作る過程で私たちがあれこれ歩き回ったり考えたりしていることを中心にってことですが、結局それは私たちの日々の生活のことでもあるわけで、まあjournalよりさらに雑多なものだと思っていただければ。
ところで、今日は「歴史的な」日朝首脳会談があったが、朝鮮人学校に「殺すぞ」などという電話をかける人がたくさんいたらしい。ありがちなことかもしれないが(いや、本当はありがちなことであってはいけないのだ)、そういう話を聞くとどうにも腹が立ってしまうし、教育、報道機関が「歴史的」であることを強調するばかりで、「歴史」について考えさせることをいかにやってこなかったかってことだと改めて思う。確かにそればかりが原因だとは言えないけれど、自分の受けてきた義務教育の内容を思い起こしても、自分が歴史について考えていないことに気付いていなかったり、無関係だと思ってすらいる人が何人もいるのではないか。少なくとも私にそのことを気付かせ、考えなければならないと強く思わせたのは、学校の授業ではなく、それこそいくつかの映画や音楽や書物だったのだと思う。例えば、先週深夜テレビ放映された『11'09''01/セプテンバー11』の中のショーン・ペンの作品なんかまさにそんな映画で、ニュース番組で論説者が同じこと繰り返したり、芸能人の当たり障りのないコメントなんぞ流す間に、ああいう作品こそゴールデンタイムで放映したらいいのにさ。『11'09''01/セプテンバー11』はnifty(http://www.nifty.com/cineplex/)、BIGLOBE(http://1coin.cplaza.ne.jp/)で配信もされているとのことなので、見逃した人はぜひどうぞ。
黒岩幹子