日仏学院にて「カイエ・デュ・シネマ」誌元編集長ティエリー・ジュスの新作中編『コード・ネームはサシャ』を見る。映画はひとつの歌が一組の男女によって歌われるまでの物語といった感じで、こじんまりしている。出会いから、徐々にその距離を近付けてゆく男女の表情が、夜のネオンが火照ったかのような見事な照明によって浮かび上がる。劇中ほとんど夜なのだが、車の喧騒や、クラブの音楽、酔っ払い(なんとアンナ・カリーナ)の姦しい歌にも関わらず、夜独特の静けさのようなものが全編に渡って溢れていて、その静けさがふたりの歌声によって静かにやぶられ、朝を迎えることになる。歌声、あるいは音楽が生まれゆくそばに、カメラはじっと佇み続ける。以前監督は「カイエ」誌上で『ミレミアム・マンボ』を評して「テクノ映画」と呼んでいたが、これはさしずめ「テクノを聞き飽きてクラブを後にした夜に聴く音楽」といった趣。
上映後は、大里俊晴氏による「映画と音楽」についての講演。映画が音楽に出会う瞬間の多種多様な事例が、氏によって「連想ゲーム的に」コラージュされてゆく。見たことがある映画の一場面も違うコンテクストから見つめなおすことができたりして、非常に興味深かった。ところで、こういういろんなとこから素材を引っ張ってきてコラージュする作業というのは、実はその準備をしている時が一番楽しかったりする。というのは、僕も最近知人に頼まれて、趣味でコレクションしている民族音楽の中から「民族音楽入門MD」のようなものを作ったのだが、あれやこれやといろいろ選んでいる内に楽しくなり、レコードを聞き入っている内に結局半日作業になってしまったのだ。僕の頭の中では東アジアから中央アフリカまでの壮大な旅が繰り広げられたのだが、さてはて、できあがったMDからその壮大さははたして伝わるのだろうか。
新垣一平