02.12/18

 

「おとなのオモチャ」。新宿駅南口(またしても新宿!)の階段を降りれば、黄色の地にアカイロでくりぬかれた文字、「おとなのオモチャ」。森山大道さんによれば、この辺にはヌードスタジオがかつてあったらしい。「思いで横丁」みたいな「戦後バラックの風景」がここにもあったと。60〜70年代の話か、それとももう少し後まであったのか。名残りは何となくある。突端のタバコ屋のシャッターはいつも閉まり、自動販売機だけが2台並ぶ。
 立体交差によってできたトンネルを高島屋方面へくぐると、風景が一変する。高島屋のワンフロアのように、衛生的で、(一応)順序よく店鋪が並ぶ。もちろん「こちら」も「あちら」も、そんな区別ありはしないが、便利なのでそう呼んでおく。
 オダギリジョーが通っていたボウリング場は「おとなのオモチャ」の、この通りにあった。「こちら」側だ。閉められたシャッターに「ボウリング場閉店」とだけ貼り紙がされたその店は「おとなのオモチャ」近くの薬局だろうと推測していたが、そこはゲーセンになっていた。『アカルイミライ』撮影時も今この時も薬局があるはずだと、それは新宿のランダムな運動に遅れた者の幻影となった。
 ジョーは高島屋方面を背に、トンネルの前に立つ。そこにヌードスタジオはなく、薬局もやがて改装されゲーセンとなる。「こちら」にいたジョーはやがて「あちら」へ行く、あるいは「あちら」がやって来る。それは「横断」とかいうものでもなく、ちょっとした確率の問題であろう。だから、「やがて」なんていう問題でもなく、ただ現在における勝負の問題である。
 「こちら」も「あちら」も一枚の写真に収まれば、そんな区別などあり得なかったことが分かる。『アカルイミライ』は我々の青春映画だ。

松井宏

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