02.12/16

 

「nobody」最新第5号(20冊)を納品しにアテネフランセ文化センターに行く。いくらDTP化が進んだといっても、雑誌をつくるのは、原稿を書いてパソコンでレイアウトして印刷所に出せばそれで終わり、というわけではない。とくに私たちのように自分らのアシを使って営業・流通してるところにしてみれば、雑誌というものはモノ以外の何ものでもなく、せっせと雑誌20冊現物を持ってとことこ地下鉄の階段を上がることもまた雑誌づくりの一環であって、つまり雑誌づくりとは極めて唯物論的な行為なのだと知るのである。
 「nobodyのかたは土方みたいでいいですね」。褒めてもらっているのかなんだかわからない言葉をアテネの方から頂戴したのは、ぼくが「いやー、うちのやつが・・・」ってな発言をしたからで、普通、会社勤めの営業マンならば「申し訳ございません、当社の者が・・・」と丁寧に申し出るところ。土方ふうになってしまうのは、やっぱり唯物論的な仕事をしているからか。
 というわけで、納品ついでに唯物論の大先輩ストローブ=ユイレの作品をたてつづけに3本見てしまう。いや、本当は今日は1本も映画を見る気はなかったのだが、たまたま一本目『エンペドクレスの死』を見てしまったら、その続編ともいえる『黒い罪』を見ないわけにはいかないわけで、そしたら「自然(神?)」と「人間(私?)」の関係について延々と考察したこの2作を見てしまった後に、これまたこうした問題体系を有していたに違いない『セザンヌ』を見ずには居られないというわけで・・・。こうして、「眠気スッキリ」キャンディーをもごもご舐めながらストローブ=ユイレを3本も見てしまった後はもはや、唯物論的に言って、家に帰って睡眠を取るのが精いっぱい・・・、はてはて、今日は読みかけの本をゆっくり読破する予定だったのだが。

新垣一平

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