02.12/15

 

 雑誌次号の企画で少しはネタになるかもと、浅井慎平の『原宿セントラルアパート物語』(幻冬舎文庫)を読む。セントラルアパートは、表参道と明治通りが交わる神宮前交差点にあった建物で、96年に取り壊され、今はGAPが入ったビル(地図によればt's harajukuというビルだそうです)になっている。
 写真家である浅井は70年代、その1室に事務所を構えていたらしい。だから、この本は龍平という写真家が主人公の小説として書かれてはいるが、ほとんどが実話をもとにしていると考えていいだろう。実際、この本には、植草甚一、寺山修司、伊丹十三、タモリ、渥美清といった実在の著名人が度々顔を出し、読者は、この本を浅井の交友録として受け取るのだろう。そしてこの本は、小説としての出来不出来は二の次にして、貴重な記録として評価されるのかもしれない。
 が、私はこの本を、ある過去の記録として全面的に受け入れられることを拒絶し、下手な小説として受け入れるべきだと思っている。確かに、この本から当時(70年代)の原宿の雰囲気を多少なりとも嗅ぐことはできるし、情報を得ることもできる。しかし、やはりこの小説は幻想であり、夢である。
「ぼくは確かに過去を生きてここにいるのだけれども、自分が時間の連続の中にいるのだという実感がまるでない。(中略)ぼくの過去が線ではなく点だということ、流れの中で記憶するのが苦手だということを知っておいてもらいたい。そんなぼくが一九七〇年代にあなたを連れていこうとしている。それこそ妙な話だけれど、このこころみは面白いことになるかもしれない。なぜなら過去は夢に似ているからだ。ぼくはもう一度、あなたを連れて夢を見ようとしている」
 この本はこのような前書きで始められる。もしかしたら、過去は夢に似ているのかもしれない。しかし、その夢は、共有されるべきではなく、私は浅井慎平の夢を一緒に見ることはできない。もしかしたら、過去は線ではなく点かもしれない。しかし、私はその点をひとつの点として受け入れ、そこに留まるのではなく、その点から別の点へと進む線を捏造したいと考えているし、またそういった線を私に引かせるものこそが、それぞれの点なのだと思っている。
 次号もそのような作業の連続の中で、雑誌をつくりたい。そう、思う。

黒岩幹子

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