「港のスペクタクル」の建築×映画×音楽アートプログラムとして開催されている「漂流する映画館」(Cinema de Nomad)。そこでは横浜・黄金町各所の上映空間に散りばめられた映像や音を拾い集めながら街を漂流していくという体験が待っている。今回は『5windows』に製作として携わった映像制作集団「studio 402」代表の汐田海平さんに、5日間に及ぶ『5windows』の撮影日誌を書いていただいた。ここにも撮影現場でしか体験することのできない、もうひとつの漂流譚があったようだ。
初日 2011年8月24日(水)
キャスト:中村ゆりか
神奈川県横浜市。横浜駅から京急線の赤い電車に乗って、戸部、日ノ出町、黄金町。
あるスタッフは日ノ出町で降り、別のスタッフは黄金町で下車する。ちょうどその二駅の中間地点あたりに位置する、日ノ出町寄りの旭橋と黄金町寄りの黄金橋。
瀬田監督は『5windows』のほとんどのロケーションをこの二本の橋の間、大岡川沿いのエリアから選んだ。
「映画空間400選」の中で監督が「映画の中における川」について書いていたことを思い出しながら、今回この黄金町の持つ歴史のど真ん中を流れる大岡川をどのように捉え、映画として記録するのか、そして蓮沼さんの音楽がそれをどのように彩るのか、思いを巡らせる。
幸いにも恵まれた天候の中でクランクインを迎えることができたのだが、朝から現場は慌ただしい。
というのも、脚本が上がってきたのクランクイン当日の2日前なのである。助監督、制作部は美術や衣装の準備に奔走し、「それは現地調達で何とかするしかないだろ」などと言った声も聞こえる。
リク役の中村ゆりかさんは中学生だ。ただでさえ初日で緊張している彼女には、スタッフが走り回ることがプレッシャーになるのではないか。現場はそんな心配をしていた。しかし彼女が衣装のこと、演出のことをハキハキと監督と対話しているのが耳に入ると、大人たちのそんな心配は無用であったと知った。頼もしい。彼女は女優だ。
今まで何度か瀬田監督と現場をともにしている撮影の佐々木さんが「瀬田は演出プランが定まるまで時間がかかる」と言っていたが、撮影初日はその後の助走をつけるために1シーンのみの撮影。現場での即興的な演出で、監督からOKがでる。確実にシナリオから映画に近づいたこの1シーン。
二日目 2011年8月25日(木)
キャスト:中村ゆりか、斉藤陽一郎、長尾寧音
撮影二日目。初日とは違い、少しだけ雲の目立つ朝を迎えた我々だったが、前日のちょっとした充実感をそのままに、現場に入ることになった。
この日は長尾寧音さん、斉藤陽一郎さんの初日。
まずは午前中、長尾さんが現場に入った瞬間、彼女が持っている雰囲気が現場を和ませる。自身のフィルム同様、あまり殺伐としていない緩やかな性格の瀬田監督と、長尾さん。この二人が現場で揃った時に、この現場のパーソナリティが決定したようだった。瀬田組の足並みはこんな風にいつも軽やかなのだろう。
青山真治監督作品の常連である斉藤さんは、瀬田監督の作品には初出演だ。以前から親交があって、機会があれば一緒に仕事をしたかったという二人が交わったということを喜ばしく思う。また同時に、青山監督と瀬田監督という二人のわずかながらのこの接点が、いずれ日本映画の点として重要なものになるのではないかという期待にも胸を膨らませる。
斉藤さんは『5windows』の物語の上では、少し客観的な存在だ。実際に、屋上で他の人物を俯瞰的に見ながら煙草のけむりを吐き出す斉藤さんは絶妙な距離感を持ってそこに立っていた。
陽が落ちてくると、薄暗い屋上でバーベキューをするシーンの撮影に移る。
中村さん、斉藤さん、エキストラ5人が、バーベキューセットを囲む。エキストラは近所に住んでいる可愛い姉弟が参加してくれたのだが、二人がすぐに蓮沼さんに懐いていたのが印象的だ。結城秀勇さんにも芝居をして頂き、マンションの屋上ではささやかな夕涼み会が開かれる。
秒刻みで光量が減っていく時間帯。エキストラで入ったスタッフにCanonのカメラを持たせ、連続的にフラッシュを焚き付けながら何とか映像をつなぎ止めるアイディアにも舌を巻きながら、この日予定したシーンを全て撮りきったことを確認し安堵。
三日目 2011年8月26日(金)
キャスト:中村ゆりか、斉藤陽一郎、長尾寧音、染谷将太
染谷将太さんが、この日初めて撮影隊と合流した。
監督の前作でも、嘘みたいな存在感、軽さで画面に収まってしまっていた彼は、監督と一つ二つ会話を交わして(中島貞夫を見に行くんですよ、と語っていた)さっさと衣装を決めると、とてもリラックスした様子で待機していた。
待ち時間になるとすぐに楽屋で仮眠を取っている姿は普通の好青年といった感じだが、カメラの前では途端に映画の人として、堅く、ときに軽妙に成立してしまうところが少しだけ恐ろしくもあった。
撮影の中日にあたるこの日、フィジカルな意味でもメンタルな意味でも重要な一日になった。
16時を少し過ぎ、やや太陽が傾きかけた頃に、突然襲ってきた豪雨によって、それまで順調に進んでいた撮影を中断せざるを得なくなったのだ。
光の量を考慮した結果、この日は撮影続行することは困難だと判断が下った。
さらに残酷なことに、翌日の天気予報は、雨。予算と役者のスケジュールのことを考えると、翌日は絶対に撮影をしなくてはいけなかった。
もちろん、映画の撮影スケジュールは予め天候のことも含め総合的に考えて組み立てられる。しかし、今回の撮影の規模では役者を全日程拘束することは難しいということに加え、何日か後には染谷さんはヴェネツィア国際映画祭の為、イタリアに旅立つことになっていた。
京急線の線路の通る高架下で大雨を凌ぎながら、緊急ミーティングが開かれた。ここまで動じることなく淡々と撮影を続けていた瀬田監督にも、疲労と焦燥の表情が陰っていた。
この時、私は半ば決定事項のように監督に告げた。
「撮影日程は増やすことはできません。後日追加撮影で役者さんを呼ぶことも無理だと考えてください。明日は雨でも撮影します。それでも繋がるようなシナリオに変えて欲しい」
それは本当に厳しい要求だったはずで、怒られることも覚悟していた。だが監督は少しの間、頭を抱えた後「なんとかするしかないですよね。わかりました」と言った。
控え室に戻って機材の片付けをしているスタッフが、そこまでいつもと変わった様子でなかったことに、お互い少しだけ救われていた。
四日目 2011年8月27日(土)
キャスト:中村ゆりか、長尾寧音、染谷将太
瀬田なつき監督の過去の作品『彼方からの手紙』(08)『あとのまつり』(09)を見た時から感じていたことがある。
それらは紛れもなく映画として成立している。連続的に並ぶショット群は文字通り連なっているように見える。
しかしその実、正確に言うと、実は繋がっていないショットもある。『彼方からの手紙』の中では時空を飛び越え、『あとのまつり』の走る少女は地理的に繋がっていない。
そのショットも組み合わせた瞬間に、ある説得力を持って「繋がる」のだ。撮影三日目の無理な要求も、監督のその力を信じてのことだった。彼女はそれを可能にする作家だからだ。
曇り空、幸い雨は止んでいる。朝、改めて書き直されたシナリオが、スタッフ、キャストに手渡された。
元々、順番通りに撮っていなかった撮影済みのシーンと、当然初めて見る新しく加わったシーンがパズルのように組み直されていた。素直に、感動した。
撮影隊皆、何かがリセットされたように感じていたのかもしれない。カメラマンの佐々木さんの「まあ、これでやるしかないよね」という開き直りは晴れやかで、それがスタッフの共通認識になった。
佐々木さんの仕事は圧倒的に的確だった。監督の即興演出に呼応して、カットごとに速やかにカメラ位置が決定されていく。
朝一番のシーンで電車の中から、自転車で走る染谷さんを狙うという難しい撮影がワンテイクでOKが出たことが大きく影響していたのかもしれない。
そして何より、この日は役者陣も皆、良い顔をしていた。映画にとって役者の表情がいかに大切かということを撮影現場でも実感した。演出、に対する芝居、に対するカメラ。有機的に連続するサイクルが映画になるのだ。
結局、予定していたシーンを滞りなく撮り終え、長尾さん、染谷さん、アップ。
花束を手にした二人の姿を見ると、全て撮ることができたということよりも、役者を気持ちよく送り出せたということが現場として、嬉しかった。
この秋、染谷将太、ヴェネツィア国際映画祭で最優秀新人賞、マルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞というニュースも、私たちにとってはこの日があったからこそ、より一層ポジティブな知らせとなった。
最終日 2011年8月28日(日)
キャスト:中村ゆりか
「漂流する映画館」は横浜の街を映画館に変えてしまおうという試みで、若手建築家が今回の為に新たに上映空間を設計し、ロケ場所である黄金町近辺に5つの映画館がインスタレーション的に現れるというものである。
黄金町、日ノ出町あたりで撮影した映画が、実際にその街で上映されてしまうということは、映画体験が欠乏している現在の日本映画にとっては刺激的な実験になるはずだ。
ソフトである『5windows』はそのハードとしての「漂流する映画館」と必然性を持って結合しなければならない。
音楽を担当する蓮沼さんは、単に完成した映像に合わせた音楽を作曲するということだけに留まらず、実際に撮影現場に同行し、現地の音をサンプリングしながら、上映される空間に合わせた音を設計した。
半野外のような場所でも流れることになる今作は、映画館の音響設計にまで関わった音楽家の当事者性と、現場が即ち上映場所であるという構図がもたらすダイナミズムをいかに融合させるかが彼の大きな仕事である。
最終日の最後のスケジュール、撮影するのは映画の中でもラストシーンになる重要なパートだ。
ここでは、蓮沼さん率いる音楽隊がフレーム内に切り取られることになっている。映像と音、そして現場である黄金町の街がシンクロすることで完成する、撮影としても難易度が高いこの部分を、瀬田監督はワンシークエンス・ワンカットで撮影することを選択した。
軽トラックの荷台には撮影部・録音部が構え、車の動くルート、人・車止めをするスタッフの配置を入念に確認し、音楽隊は丁寧に音を調整する。一方で、監督は中村さんに付きっきりで話し込んでいる。
スタッフに要求されることは完璧な仕事のみであり、緊張感は高まっている。しかし当然、中村さんにも間違いなく大きなプレッシャーがのしかかっているはずだ。
彼女には撮影を通した5日間で、多少変化があったように見えた。スタッフと冗談を言い合えるようになったことや、休憩の時によりリラックスできていたことだけではなく、スタートからカットまでの時間での立ち振る舞いが日に日に柔らかくなってきているようだった。それは今までも生き生きとした少女たちの躍動をフィルムに記録してきた瀬田なつきの演出手腕であると同時に、女優・中村ゆりかがカメラの前で自由に呼吸をする術を身につけているようにも見えた。
そして、彼女は自覚しているのかしていないのか今までになく満ち足りた表情で立ち位置についた。スタッフ陣もそれを確認した所で、一瞬の沈黙。
監督のスタートの声がかかる。小さな、しかし役者には確実に届くかけ声。ややあって、少女は鼻歌を歌いながら歩みを進める。ハミングが楽器と重なり、次第に音楽を象っていく。
立ち止まる少女。気がつけば、彼女は目に涙を浮かべている。いつもより心持ち大きな監督のカットの声。撮影が終わったことを告げるOKの合図。その合図の後も、少女の瞳はしばらく潤んだままだった。
映画を中心に、様々な媒体を横断し表現する新進気鋭のオールディレクター集団。
その活動は映像だけにとどまらず、音楽、建築、メディアアートなど様々なイベントにおいて作品を発表している。
http://www.studio402.jp/