『愛のまなざしを』万田邦敏監督インタヴュー
第54回カンヌ国際映画祭にてエキュメニック新人賞とレイル・ドール賞を受賞した『UNloved』(2001)、そして比類なき傑作『接吻』(2006)に続き、脚本家の万田珠実と三度目のタッグを組んだ『愛のまなざしを』。精神科医である主人公とその患者、あるいは周囲の人間たちを取り巻く愛憎劇を描いた本作では、万田邦敏ならではの類い稀な演出ばかりでなく、自らが考察した新たなアプローチや演出そのものへの刷新が随所に実践されている。小誌では前作の長編『イヌミチ』(2013)以来の取材となったが、製作の経緯からロケーション、現場での演出プラン、さらには「まなざし」の解釈に至るまで、『愛のまなざしを』を紐解くためのさまざまなお話を伺う機会を得た。新たなる映画へのまなざしを
取材・構成=田中竜輔、黒岩幹子、隈元博樹
写真:隈元博樹
2021年10月20日、築地
——どういった経緯でこの作品の製作や準備が始まったのかについて、まず伺ってもよろしいでしょうか。本作ではプロデューサーをキャストのおひとりである杉野希妃さんが務められています。
万田邦敏(以下、万田) 日本映画専門チャンネルで『接吻』(2006)が放映されたとき、今作で綾子役を務めてもらった杉野希妃さんとのトークの収録があって、そこで初めてお会いしたんですが、それから2年ぐらい経って彼女から「一緒に映画を撮りたい」って連絡がきたんです。『接吻』以降、いわゆる商業的な長編映画はずっと撮れていなかったこともあり「ぜひ撮らせてください」とお答えしました。それが2017年、そのとき杉野さんからいくつか企画のアウトラインを提案されて、その中で一番現実的なものを選びました。第一稿は比較的早く上がったのですが、キャストやスタッフのスケジュール調整などに時間がかかって、撮影は2019年になりました。
——杉野さんからのアウトラインというのはどういったものだったんでしょうか。
万田 精神科医が患者の女性と恋に落ち、最終的にはその女性を殺してしまうというものでしたね。脚本は打ち合わせの段階から(万田)珠実が書くことになっていて、珠実に「こういう話があるんだけど」と概要を伝えてから一稿を書いてもらいました。大きな流れはそこでできていましたね。杉野さんたちと打ち合わせをしつつ、わからないところや直してほしいところがあればそれを珠実に言って、どうしても僕の意向が伝わらないところは僕が脚本を直して珠実に読んでもらう、そういうキャッチボールをしました。
©Love Mooning Film Partners
——仲村トオルさんは『UNloved』(2001)と『接吻』に続けての出演です。キャスティングは早い段階で決められていたんでしょうか。
万田 はい、この映画はぜひ仲村さんにお願いしたいとかなり早い段階から決めていて、脚本もほぼ当て書き、スケジュールも仲村さんに合わせて準備していったような状況でした。今回は役柄云々ではなく、ただただトオルさんと仕事がしたかったんです。
——貴志を演じる仲村トオルさんの特に後半の台詞回しや身振りですが、シリアスな物語の展開とは裏腹に、思わず笑ってしまうような場面が意図的につくられているようにも感じました。これまでの作品でも、真剣な場面なのにどこか笑ってしまうような瞬間がありましたが、今作はそういう仲村さんの見え方がより強調されているように思えました。
万田 特に笑いは意識していなかったですが、仲村さんの一途な感じは、ときに笑いに転じるんですね。ムキになる感じが可笑しい。仲村さんに対するそういうイメージは珠実にも僕にもありました。貴志は、物語の流れとしてだんだんと常軌を逸していくという設定ではあるんですけども、あそこまで「狂ったなあ、この人」っていうイメージではなかった。脚本段階ではそれに気付いていなかったとも言えます。ところが、リハーサルを始めてみると「あ、貴志ってけっこう狂った人なんだな」ってみんな気付いた(笑)。仲村さん自身がどうだったのかはわかりませんけども。
——『エル』(1953、ルイス・ブニュエル)からの引用の場面も印象的です。仲村トオルさんの歩き方には演出が細かにあったのでしょうか。
万田 あれ(『エル』)見ちゃうとね、自分の映画でもやりたいって誰もが思うと思うんですけど、仲村さんはちょっと困っていました。「ジグザグで歩いてください」とだけ伝えたんですが、仲村さんからは「何で?」と。貴志はすでに狂ってて、頭の中がぐちゃぐちゃなんで、身体もぐちゃぐちゃになってるんですよっていうぐらいに伝えまして、それでああいうふうにやってくれました。あとで伺ったところによると、歩き出してすぐに「あ、こっちの出口じゃない」と思って方向転換して、でもすぐに「まあ、向こうの出口でもいいか」と思い直してまた舵を切った、そういう気持ちで演技をしたと言っていました。
——そしてやはりあのコアラの遊具が印象的でした。
万田 公園のシーンって日程的にはけっこう序盤で、同じ公園で綾子と茂(斎藤工)が会っている場面をその前に撮っていて、そのときはポール(昇り棒)からベンチがある方向を使ったんで、茂と貴志のときは逆の方向を使おうと思ったんです。そうすると、芝居の拠り所があのコアラ(の遊具)しかなかった(笑)。最初はふたりが立って話しているんですが、そのうち貴志は自分の身体を支えられなくなり、一回膝を落とす。少し持ち直して、今度はコアラの遊具に座る。そういう芝居の流れが見えて、そこからあのジグザグ歩きに繋がった。一連の動きは、シナリオには書かれていませんでした。それから、貴志が茂の上着をパンパンって正すじゃないですか。あれも現場で思いついたんです。
——ああ! あの仕草はぞっとしました(笑)。
万田 いいぞ、狂った感出たよねって(笑)。しかもちょっとギャグにもなるというね。
写真:隈元博樹
ロケーション
——本作は、冒頭から監督のお知り合いだった南川博さんのトンネルをモチーフにした絵で始まり、本編ではそれが診察室に飾られています。その他の箇所でもいくつか絵画が飾られていましたが、すべて南川さんの手によるものなのでしょうか。
万田 ええ、受付の池田さん(片桐はいり)の後ろにあるのも、子供の部屋にあるのもそうです。たまたまその4枚は譲り受けて自宅にあったものなのですが、ちょうどトンネルの絵は自宅の洗面所の近くの壁に飾ってあって、映画の冒頭をどうしようかなと考えながら歯を磨いてるときに目に入って、「あ、これいいな」と(笑)。そうしたら廊下の先にもそれより小さな絵が2枚あって、「ついでにこれも」と祐樹(藤原大祐)の部屋に、さらにリビングにも大きなものが1枚あったので「あ、これも使おう」と(笑)。結果、すべて出演してもらうことにしました。
——このトンネルと重なり合うイメージとして、いくつかのタイミングで使われている誰もいない地下通路の実景がとても印象的です。
万田 ラストシーンの地下通路の撮影は実際にクランクアップの日に撮りました。トンネルの絵を診察室に置くことは撮影に入る前から決めていたことです。元の脚本では、ラストシーンの舞台は交差点だったんですが、交差点はそれなりに撮影が大変なんでロケハンのときにトンネルみたいなところに変えたいなと制作部に伝えたところ、この場所を探してくれたんです。「ああ、ここだったらあの絵にもリンクするな」と。
——作品の中盤に綾子の実家が登場しますが、玄関の前にババンと柵が備わっている非常に奇妙なお家です。本作ではっきりと外観が使われるのはあの家だけで、物語の上でもひとつの核心が暴かれる場所になりますね。
万田 実はその家と、茂が住むマンションの室内、それから貴志の息子の部屋って、全部同じ敷地にあるわりと広めのハウススタジオなんです。ここなら固めて撮れるっていう制作部からの提案だったんですが、そこにあの一軒家もあって、「何これ? ここにしましょう」って決まったんです(笑)。あの家、実は今回の控室でもあったんです。
——そしてクリニックの診察室ですが、階段を降りて入るという構造は普通にはなかなかあり得ない選択かと思います。このような構造の場所をもともと探されていたんでしょうか。
万田 いえ、たまたまです。診察室、それから綾子と貴志が新しく住む部屋がなかなか決まらなかったんですが、コンクリートの打ちっぱなしでちょっと広めの場所がありますよと制作部に提案されて、実際に行ってみたところ「実は上にも部屋があるんです」と見せてくれたのが綾子と貴志が住む部屋で。現実には診察室の階段を上がると、あのマンションの部屋に繋がってるんです。
——では、ふたりの部屋にもロフトのような2階部分が階段で繋がっているので、あの場所は3階構造の建物だったんですね。
万田 そうです。だから診察室の階段と綾子と貴志が暮らす部屋の階段は、仕様や材質が一緒なんですよ。見る人が見ればすぐわかっちゃうから、上の階とは見た目をちょっと変えようと、診察室の方には側面に青いシールを貼って、それから照明の色味や当たり方を変えてもらいました。
——今回の映画ではやはり「階段」という装置が重要だったのでしょうか。
万田 僕はいつも場所と場所から映画を発想するんですが、そのあいだを繋いでいるものとして、たとえば自動車とか電車みたいなものではなく、階段だとかトンネルのようなものを使いたいんですよ。階段を上ると別の空間に繋がっていたり、トンネルを抜けたらまた別の場所になっているみたいな、そういうことがやりたい。だから建物の外観もあまり映さないんです。診察室が地下にあるっていうのはさすがにリアリティとしてどうかなあと思ったんですが、やっぱり階段の魅力に負けましたね。「階段を下りた先にやばい場所がある」、そういうのありだよね、と(笑)。ただ、脚本の珠実はそういうのをすごく嫌がるんです。僕には「これ要らないんじゃない?」って思えるものに彼女はリアリティや日常的な感覚を求めていたりして、僕がそういうのを排除していくと、そのたびにがっかりしてます。最初の脚本では、少なくともクリニックの外観の記述はあったと思いますね。
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