「第二の波」
ロメールは言うまでもなくヌーヴェル・ヴァーグの中心人物であり、彼はディアゴナルの運動、とりわけ金をかけずに映画を作るというヴェッキアリの活動を、あくまでヌーヴェル・ヴァーグ的実践の延長と位置づけている。一方、1970~80年代のディアゴナル作品を、1950~60年代のヌーヴェル・ヴァーグの映画と対比させて語るのはピエール・レオン(1959~)である。ロシア出身のレオンはパリ第3大学への留学を機にパリに移り、1970年代末にディアゴナルの映画を知ったという。映画祭などでそのメンバーたちとも知り合うようになったレオンは、なかでもジャン=クロード・ビエットと親しく、ビエットがセルジュ・ダネーとともに1991年に創刊した映画雑誌「トラフィック」を中心に現在も健筆を奮う一方、監督としては1980年代後半からディアゴナルの精神を継承する作品を地道に撮り続けている。『フランス』(2007、セルジュ・ボゾン監督)や『メゾン ある娼館の記憶』(2011、ベルトラン・ボネロ監督)など俳優としての出演作も多い。
レオンはあるインタヴューで「ビエット、ヴェッキアリ、[アドルフォ・]アリエッタ、ある種のユスターシュ[の作品]、さらには1970年代のリヴェットのようなヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちの幾つかのフィルム、例えば『アウト・ワン』[1971]」を、ロシアの批評家たちが「第二の波」と名づけたことを紹介している。「第二の波」を特徴づけるのは、「アルカイスムの大いなる存在」と「常軌を逸した、あるいはエキセントリックと言ってもいい、ほぼ完全な形式上の自由」の共存である。「第二の波」の監督たちと「モデルニテとの関係」は、それ以前のヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの場合よりも錯綜しており、それゆえより興味深いとレオンは語る(註4)。
「第二の波」の映画のふたつの特徴について、「ほぼ完全な形式上の自由」についてはそれぞれの作品に即して確認するほかないが、「アルカイスム」について補足しておく。抽象的な言葉ではあるが、それが、ロメールが新しいフランス映画に読み取ったものと正反対の傾向に属することは論を俟たない。ロメールとともにレオンが批判するのは、ヌーヴェル・ヴァーグのもたらしたスタイル上の洗練が保守的な映画で流用されたり──レオンはクロード・ミレールやベルトラン・タヴェルニエの映画を「新しい良質のフランス映画」と軽蔑的に呼ぶ──、あるいは、作家主義が大規模な商業主義と結びついて監督の自我の肥大を生んでしまった事態である。
「アルカイスム」はそのアンチテーゼと言える。その起源となったのが、ヴェッキアリにとってはヌーヴェル・ヴァーグが無視した、しかし実は自由な作家性の発露という点でそれをある意味先取りしていた「1930年代フランス映画」であり、ビエットにとっては、ヌーヴェル・ヴァーグのメインストリーム──ヒッチコック=ホークス主義、あるいは、リュック・ムレ=ゴダールの「道徳はトラヴェリングの問題」からリヴェット=セルジュ・ダネーの「カポのトラヴェリング」をめぐる議論へと受け継がれていく、映画の倫理を形式性に見る徹底した形式主義──とは異なる、しかし実はヌーヴェル・ヴァーグ的「演出」論のハードコアだったとも言えるマクマオニアンの、演出家のエゴを感じさせず観客を「魅惑」(ミシェル・ムルレ)に誘う映画──ラング、ロージー、ウォルシュ、プレミンジャー──を好む美学だった。後者に関しては、ビエットについて個別的に触れる際もう一度問題にすることにしよう。
ディアゴナルの俳優、ディアゴナル的人物
ディアゴナル(を含む1970年代のある種の傾向の)映画を、ロメールが創作の美学や倫理、レオンが作品自体の美的特質の観点から論じていたとするなら、セルジュ・ボゾンは出演俳優の点においてその特徴を定義している。映画作家の重要度を測るひとつの基準として、ボゾンは「どのような偉大な俳優たちを発見したか」を挙げる。この点でヌーヴェル・ヴァーグで最も重要なのはロメールであり、一方、「誰も発見しなかった」ガレルは「マイナー映画作家」にすぎない。ボゾンは明快に述べている。「ヌーヴェル・ヴァーグの映画によって発見された俳優たち(レオ―、ベルモンド、ラフォン、オジェ、ブリアリ、カルフォン、カリーナなど)は若々しく、辛辣で、美しい。ディアゴナルの俳優たち(サヴィアンジュ、シュルジェール、ドラーエ、母[ポーレット]と息子[ジャン=クリストフ]のブヴェ、ブルゴワン、ルモワヌなど)はそうではない。年を取っていたり、厚化粧だったり、苦悩に満ちていたりする」(註5)。
最後に、こうした俳優によって生み出される人物について、再びピエール・レオンの文章を引用しておこう。2013年、パリのシネマテーク・フランセーズでビエットの回顧展が行われたのを機に上梓したビエット論「パラドックスの意味」のなかで、レオンはヌーヴェル・ヴァーグ以後の映画について次のように語っている。
一方にゴダール的な、すなわち、「最悪の事態を予告し損なった」映画への不信が、物語と「大文字の歴史」の「媒介者」としての人物への疑念として展開されるような作品があった。もう一方に、前述した「新しい良質のフランス映画」、すなわち、ヌーヴェル・ヴァーグの遺産によって「良質のフランス映画」を再興した作品が登場した。「このふたつの間には、幾つかの異なる世界が存在していた」とレオンは言う。それは、「自分の意志かどうかはともかく、残りの社会から切り離された奇妙な人物たち、どんな調査も現実には報告していない、友好的あるいは依存的関係を仲間内で結んだ、恐れるものも、守ってくれるべきものももたない風変わりな人間たちが徘徊する不確かな場所」である。この「特性のない人々」はアドルフォ・アリエッタの映画に、ユスターシュの周縁的な諸作品に、リヴェットの『アウト・ワン』の一エピソードに、そしてヴェッキアリやビエット、ディアゴナルの映画に見い出される。「『女たち、女たち』でエレーヌ・シュルジェールによって発される「すべて本物」は、以下のようなものを拒否する者たちへの召集を呼びかける、ありうべき叫び声である。すなわち、ヌーヴェル・ヴァーグのすでに忘れられた諸原則への忠誠を、1968年5月に続いた政治的急進性を、最終的には「フランス的多様性」への弔いの鐘を鳴らすことになるNQF──新しい良質のフランス映画(Nouvelle Qualité Française)──の諸前提となった卑屈な復古精神を拒否する者たちへの」(註6)。
【註】
- 4. «L'Âne, le pitre, et le lion. Entretien avec Pierre Léon», réalisé par Michel Dacheux et Fabienne Duszynski, Vertigo n° 40, 2011, p.31.
- 5 Serge Bozon, «Diagonale», Programme d’Entrevues, festival international du film Belfort 2006, p.86.
- 6 Pierre Léon, Le sens du paradoxe, Capricci, 2013, p.38-39.