ジェラール・フロ=クターズ

1951年、ソーヌ=エ=ロワール県のシャロン=シュル=ソーヌに生まれる。1974年に高等映画学院(IDHEC)を卒業。さらにフランス映画の海外配給を学ぶためパリ高等商学院に入学。学内ではシネクラブを主催した。『シネマ』誌などの批評家として活躍した後、ヴェッキアリの『マシーン』や『身体から心へ』、ビエットの『物質の演劇』で助監督を務め、1979年の短編『影の遊び』で本格的な監督デビューを果たす。初長編となった『晴れのち夕方は荒れ模様』(1985)の後、1989年に『明々後日』を発表。しかし、これが最後の長編となった。1992年クレテイユにてエイズで死去。

ジャック・ダヴィラ

1941年、アルジェリアのオラン生まれ。1969年からフランスのテレビ局で番組制作に携わる。1979年に公開された初監督映画『いくつかのニュース』はジャン・ヴィゴ賞を受賞した。ディアゴナル製作のオムニバス映画『愛の群島』に監督の一人として参加した後、ジェラール・フロ=クターズの『晴れのち夕方は荒れ模様』(1985)の脚本を監督とともに執筆。フロ=クターズとの共同脚本による長編監督第3作『キケロの別荘』(1988)は、エリック・ロメールから、ブレッソンの『ブローニュの森の貴婦人たち』以来の衝撃と絶賛されたが、結局これが遺作となった。1991年エイズで死去。

『晴れのち夕方は荒れ模様』
「人生に襲われ、体を奪われ、最後まで自分の物語を完成させる。それでも本当のものなんて何もありはしないの」と、本作で中年女性を演じるミシュリーヌ・プレールはつぶやく。かつて『肉体の悪魔』(1947、クロード・オータン=ララ監督)で、ジェラール・フィリップとともに反抗する若者を演じた彼女が漏らす諦念は、或る年齢に達した者には誰しも身に覚えがあるのではないだろうか。軽い喜劇的調子で喚起される人生の真実は、ふとしたきっかけで過去の秘密に伴う深い絶望とともに思い起こされる。「ジェラール・フロ=クターズの演出は、映画的単一性──一つのショット──はそれだけで、一つの同じ運動において、天国と地獄を表現するという恐るべき直観に基づいている」 (註3)
大文字の歴史ではなく、日常に潜む悲劇を描くディアゴナル映画には、時間をあえて限定することで物語の普遍性を強調する傾向が見られる。例えば、ヴェッキアリの『記憶の穴』(1984)や『やくざたちのカフェ』(1988)、トレユーの『シモーヌ・バルべス』や『公現祭』、あるいは本作のシナリオにも協力したジャック・ダヴィラが監督した『キケロの別荘』などである。本作もタイトルが示すように出来事は一日に満たない。
老年に差しかかった夫婦の許を、息子が新しい恋人とともに訪れる。この計4人を演じる役者たちの演技合戦にも注目。若い彼女を演じるトニー・マーシャルは、実生活ではプレールの実の娘。いまやフランス映画界のヴェテラン監督である。音楽はヴェッキアリの長年のパートナー、ロラン・ヴァンサン。

Gérard Frot-Coutaz

短編

1974 Derniers remparts
1976 Transcontinental
1980 Jeux d'ombres(影の遊び)
1982 Archipel des amours (L'): Le goûter de Josette(『愛の群島』より『ジョゼットのおやつ』)
1985 Tiers providentiel (Le)
1991 Peinture fraîche
1991 Contre l'oubli : Wang Xizhe (Chine)
1992 Bouvet et son texte

長編

11985 Beau temps mais orageux en fin de journée(『晴れのち夕方は荒れ模様』)
11989 Après après-demain(明々後日)

Jacques Davila

短編

1982 Archipel des amours (L') : Remue ménage (『愛の群島』より『大騒ぎ』)

長編

1976 Certaines nouvelles(いくつかのニュース)
1986 Qui trop embrasse
1988 Campagne de Cicéron (La)(キケロの別荘)

『愛の群島』

『愛の群島』はもともとディアゴナルのメンバーで映画雑誌を創刊しようとしたがうまくいかず、代わりにその資金を使って各々短編を撮り、オムニバス映画にまとめたもの。テーマは愛だが特別な縛りはなく、ほとんどないも同然だろう。監督しているのはヴェッキアリ、ビエット、ギゲ、トレユー、フロ=クターズと言った主要メンバーに加え、前述のダヴィラ、ディアゴナルの共同創始者セシル・クレルヴァル、『シネマ』誌でフロ=クターズの同僚だったジャック・フレネ、そしてミシェル・ドラエである。

1929年にナント近郊のヴェルトゥに生まれたドラエは、1960年代を中心に「カイエ・デュ・シネマ」の批評家として活躍。ゴダールの『映画史』の一章は彼に捧げられている。もっとも、ジャーナリストは彼が体験した無数の職業の一つにすぎない。100本近くの映画に俳優として出演。特にディアゴナル作品の常連で長身痩躯、癖のある話し方をする。「(フランスの詩人・劇作家ジャック・)オーディベルティいわく、ジョーン・クロフォードは世界の未来が彼女にかかっているかのように演じる。ドラエが演じる時、彼にかかっているのは世界の未来ではない。世界の終末である」(註4)。最近の出演作はレオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』(2012、最後の車たちが会話するシーンで声だけの出演。おそらく「俺たちもいずれスクラップになるだろう」というのが彼の台詞だろう)。ドラエが『愛の群島』のために撮った『サラ』は、現在のところ唯一の監督作。やはり彼自身出演している。(*)

オムニバスの常で、いい映画もあればそうでないものもあるだろう。ぜひお気に入りの一編を探していただきたい。

*本稿を脱稿した2016年10月22日にミシェル・ドラエは亡くなりました。享年87歳。

1982  Archipel des amours (L')(『愛の群島』)

Jean-Claude Biette(Pornocopie『ポルノスコピー』),
Cécile Clairval(Enigme『謎』)
Jacques Davila (Remue-ménage『大騒ぎ』)
Michel Delahaye(Sara『サラ』)
Jacques Frenais (Passage à l'acte『行為的表出』)
Gérard Frot-Coutaz (Le Goûter de Josette『ジョゼットのおやつ』)
Jean-Claude Guiguet (La Visiteuse『訪れた女』)
Marie-Claude Treilhou ( Lourdes, l'hiver『ルルド、冬』)
Paul Vecchiali (Masculins singuliers『複数の男性単数』)

【註】

  • 3. Jean-Claude Guiguet, Lueur secrète. Carnets de notes d'un cinéaste, Aléas, 1992, p.162.
  • 4. Pascale Bodet et Serge Bozon, «Si Michel Delahaye, comment?», Michel Delahaye, À la fortune du beau, Capricci, 2010, p.26.

新田孝行(にった・たかゆき)

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