——『ディストラクション・ベイビーズ』というこの映画のタイトルはナンバーガールの曲名からでしょうか。
真利子:もともとは『喧嘩の凡て』というタイトルが仮のものとして付いていました。それが別のタイトルでとなったときに、候補のひとつとしてこのタイトルが出てきたんです。やっぱりまっさきにナンバーガールの曲が思い浮かびまして他にもいろいろ考えたんですが、結果的にこのタイトルが好評だったんです。そうであれば、向井秀徳さんを音楽でお願いしますとプロデューサーとも約束した上でこのタイトルになりました。
——ナンバーガールは聞いていましたか。世代的にはちょうどですよね。
©2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会
真利子:メジャーデビューがちょうど僕が高校3年の時ですから、やっぱり通過していますよね。受験のときに友達にCDを借りて、気持ちとして合っている部分があって、そのまま借りパクした記憶があります。それからしばらくたって、塩田明彦監督の『害虫』(2002)で「I don’t know」が主題歌になってわーって来て、その後解散みたいな。一時代の伝説の人ですよね。だから、恐縮ですけども今回ご一緒できて嬉しいですよね。この映画はオリジナルの脚本だからこそかなり初期の段階から向井さんの名前を出していました。『NINIFUNI』(2011)のときから交流ができていたというのもあるんですけど、今回は自分のやりたいものを詰め込んでいる脚本だったしもともと自分の血肉になった音楽でしたから、向井さんにお願いできれば間違いはないだろうなと思ってました。あとはスタッフも若かったので、「向井さんに音楽を頼もうと思ってます」と言ったら、現場のテンションがすごく上がりましたよね。そのことでスタッフが一致団結できたのが良かったです。
——この映画をつくるにあたって、もともと暴力をどのようなものとして捉えていたのでしょうか。
真利子:取材するなかで過去にあった実際の喧嘩の話を聞いたりするわけですけど、その情景を思い浮かべたときにやっぱり道徳的な観点からは逸れたことをしているなというのはありました。ただ同時に興奮している自分もあるというところで、暴力というのは何とも捉えがたいわけですよね。だから、暴力とは何かというはっきりとした考えがあったわけではなくて、泰良という人物を通して暴力を描くところで何が見えてくるんだろうというところですよね。暴力は何かというところを言葉にはできなかったですし、いまでもはっきりした答えはないんですけど、答えがなかったからこそ映画で描きたいと思ったのが最初の動機でした。
——そこからどのように物語をつくっていったんでしょうか。
真利子:単純に泰良(柳楽優弥)という男が喧嘩をしていて、それを周りの人間がああだこうだ言っていく。その関係性で物語が進んでいくというところで、脚本は書いていきました。喧嘩をする泰良を見て裕也(菅田将暉)というのが「凄え」と言ってついてくる。繁華街の男たちも「あいつ、また来とるんか」とちょっと距離をとって見ている。泰良という男が何を考えているのかを自分のなかで捉えようとしつつも、泰良のいるところに第三者として立ち会った人たちがどういうふうに見ているかというところで脚本として落としていきました。
©2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会
——喜安浩平さんとの共同脚本になっていますね。
真利子:実際にお声かけしたのは早かったですけど、喜安さんからも監督のオリジナルだし、自分も舞台の人間だからというところで、途中から一歩引いた立場で参加してもらいました。特に登場人物の行動が物語から逸れていってしまったときに、監督そっちじゃないんじゃないですかと言ってもらったりしてキャラクターの重要な部分を見定めていきました。概ね喧嘩など文字面ではない部分も多いので、自分でどう組み立てるか想像していくところが多かったです。
——この映画の登場人物のなかで監督に一番近い人物となると誰になるでしょう。
真利子:一番にこういうキャラクターを描きたかったというのは泰良でした。ブレずに何か確固たるものを持っている部分に憧れるところがありました。暴力をしたいということではなくて、そういう人間でありたいという部分ではかなり反映させた部分です。そういう意味でいうと、裕也というキャラクターも自分のなかに絶対あるんです。自分が弱いのをわかった上でミーハーなところで泰良に憧れてしまって、そのまま後に引けなくなってしまう面も自分のなかにあります。那奈(小松菜奈)の歪んだ部分もそうです。編集のときになくしてしまいましたけど、将太(村上虹郎)は震災のときの思いを反映させたキャラクターでした。他の登場人物にしてもそれぞれ一致はしていないですけど自分が反映されています。松山での取材も反映させながら嘘なく少しずつキャラクターをつくっていきました。それをまた役者さんがそれぞれの解釈で演じてくれたので、映画自体が音楽も含めてひとつの形になっていればいいなと思っています。
——柳楽優弥さんを泰良役にしようと考えたのはどういうところでしょうか。
真利子:泰良の役を誰かと考えたときに最初に名前をあげたのは柳楽くんでした。この役をやれるのはやっぱり紆余曲折あった生き方を実際にしている人ではないかと。やっぱり芝居云々というよりは生き様として柳楽優弥というところを出して欲しいというところもありましたから。
——柳楽さんはどういう方ですか。
真利子:芝居魂の塊みたいな人ですよね。先日の舞台挨拶でも世代交代と言っていましたけど、自分は芝居をやっていこうという責任感みたいなところがあります。同年代の役者さんもきっと柳楽優弥というのを意識しているところがあるんです。今回関わってくれた役者さんのなかにも、柳楽優弥が出るんだったら自分も出演したいと言ってくれた方もいました。同年代の役者同士の意識をかなり背負っている部分があると思うんですね。若いときに『誰も知らない』(2004)でカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を取っているわけですけど、そのことに戸惑うところがあったかもしれないですけど、そこを振り切って、いまのタイミングで柳楽くんがまた再認識されたら嬉しいですね。
——この映画のなかで泰良は喧嘩ばかりしているのに、ずっと目が優しいんですよね。
真利子:柳楽くんもどうやったらいいのかと思い悩んでいました。すごく考えて話し合った末にこの顔になったんですね。脚本を読んでもらって、アクションの練習をしてもらっているときから柳楽くんはずっと半笑いでだったんですね。すごく大変だったからかもしれないですけど、僕はそれを面白いと思って彼に言ったくらいです。いろいろ話もしたんですけど、現場で彼が演じたときにこれでいけると思ったし、彼も掴めたというのがありました。やっぱり実際にやってみてお互い掴んだ部分が大きかったですね。