特集『ケイコ 目を澄ませて』

「映画を撮るということは、映画がなければ存在しなかった他者について、親よりも、恋人よりも深く考えることだ」。ある年、青山学院大学で行われた撮影ワークショップの場にて、三宅唱はそんなことを言っていたと記憶している。『ケイコ 目を澄ませて』を見れば、三宅がどれほどそのことに取り組んでいるのかがわかるだろう。誠実に他者と向き合うためにはどうしたらいいのか。三宅の抱える問題は、『ケイコ』の登場人物たちが抱えている問題でもあり、ときにそれは厳しく彼/彼女らに課せれているように思える。必ずしもより良い他者との関わり方が示されているのではなく、迷いながら、ときにサボりながら、それでも目の前のもの、与えられた状況にひとつひとつ丁寧に反応していこうする人々が映し出される『ケイコ』は、三宅のこれまでの作品を想起させつつも、これまでにない最高傑作である。三宅監督へのインタビューとクリス・フジワラによる美しいテキストによって、もう一度『ケイコ』の世界に飛び込んでいただきたい。

『ケイコ 目を澄ませて』三宅唱インタビュー

誰かと出会うために

『ケイコ 目を澄ませて』では、ずっと見ていたいと思わされるケイコだけではなく、彼女以外の他者の存在が欠かせない。一見物語に関わっていないようなただ画面を通り過ぎていくような人から、わずかだがケイコと出会い別れていく人。彼らがいかにしてケイコと関わり、関わらなかったのか。公開からしばらく経ってしまったが、われわれが本作の何を見て、何を見逃していたのかを確かめるために改めてお話しを伺った。

取材・構成:梅本健司、鈴木史、隈元博樹
協力:松田春樹

荒川拳闘会の外で

——『ケイコ 目を澄ませて』では、他者との関係が様々な層となって見えてきます。ケイコと関わっていく、あるいは関わらずにただすれ違っていくような人物も含めて素晴らしいと思いました。例えば、最初のトレーニングを終えたあと、ケイコがアパートに帰ってくると階段でゴミを出しにいく男性とすれ違い、会釈を交わします。お互いのことをほとんど知らないけど、知らないふりをする仲ではない、ある意味親密な関係が映っていますよね。

三宅唱(以下、三宅) 映画のなかに映る街や人につい気をとられるのが好きです。例えば、主人公がカフェにいるとして、まあ大抵は周りに他のお客さんもいるでしょう。そんな場面があったとして、この後二度と出てこないような客の単独ショットを撮る監督もいますよね。今ふと『ウェンディー&ルーシー』のカフェで本を読んでいる男の客を思い出したんですが、あの客を通して、その街だとか、さらには主人公のことも少しわかるように感じたのは気のせいではない気がします。以前から自分も、街をどのように撮れば映画が面白くなるかを試行錯誤してきました。
 ケイコさんは集合住宅に住んでいる。となると自然と、「周りにはどんな人が住んでいるんだろう?」って誰でも考えると思うんですよね。スタッフの中から探すことにして、照明の藤井勇さんが一番面白いんじゃないかとなり、お願いしました。僕らが普段、道で近所の人とすれ違うとき、お互い無視しあうということもあるかも分かりませんが、そういうリアリティーはさておき、映画でそれを撮るのはちょっとラクしすぎというか面白くない。じゃあちょっと会釈をしてみるのはどうだろう、と。それに対してケイコさんはどう反応するのか。ケイコを描くには、そういうリアクション、街の人とどう触れ合うのか、あるいは触れ合わないのかを見ていけばきっと面白いんだな、という発見がありました。周りの人とともにケイコのいろんな側面が見えてくる感じ。それで、先に隣の住人がフレーム内に映って、そこにケイコさんがやってくるという段取りになりました。

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『ケイコ 目を澄ませて』
2022年/日本/ヨーロピアンビスタ/99分
監督:三宅唱
原案:小笠原恵子「負けないで!」(創出版)
脚本:三宅唱、酒井雅秋
撮影:月永雄太
出演:岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中島ひろ子、仙道敦子、三浦友和 ほか
©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

二項関係と氾濫

©2022映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

クリス フジワラ

 それぞれの映画は、身振りが適切に見える、あるいは場違いに見える条件を設定しているに違いない。独自のリズム、表現形式、文体、環境を確立すること、これは優れた映画に期待する最低限のことだが、とくに映画が形式的で文体的な一貫性を与えてくれる慣習を頼りにできない場合、それらを達成することは容易ではない。『ケイコ 目を澄ませて』は、たしかに、野心と競争心のあるアスリートとその葛藤を描いた映画のジャンルに位置づけられ、映画の大部分がその舞台を特殊な環境、決して大きくはない古びたボクシングジムに据えている。『ケイコ』は、そのジャンルと舞台からある種の利点を引き出している。スポーツ映画というジャンルからは、不屈の努力、技術の進歩、ゴールとドラマのクライマックスとしての競技、そして志を持つ者と年上の指導者との関係の重要性という主題を引き出しており、ボクシングジムに舞台を設定することで、古典的な場の統一がもたらされることを可能にし、同時に、そこを現実的で実質的なものが象徴に変換されるような空間にもしている。

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