真利子哲也インタヴュー

今年は伊坂幸太郎原作のオムニバス映画『ラッシュライフ』も劇場公開し、活動の場をさらに広げる東京藝術大学大学院映像研究科。大きな話題を呼んだ昨年の修了作品展から1年経った今季も、これまた色彩異なる5本の修了作品がユーロスペースで上映されます。

それらの作品のなかでも一足先に一般上映され、熱い注目を集めたこの『イエローキッド』は、すでにその名前をご存じの方も多い真利子哲也監督の初長編作品。国内外で高い評価を受けている短編作品で、カンボジアでの滝登りから、法政大学学食の怪走、果てはマンション屋上から決死のバンジージャンプまで見せてくれた真利子監督に、短編時代の話題も交えつつ、最新作『イエローキッド』についてお話を伺ってみました。

――『イエローキッド』は真利子さんの初長編作品ということになりますが、制作はどのように進んでいったんでしょうか?

真利子:撮影自体は10日間ほどで撮り終えました。主人公がふたりいるので、はじめに遠藤要さん演じるボクサーを撮り、次に漫画家(岩瀬亮)のエピソードを撮るというスケジュールで。それ以前に撮影した伊坂幸太郎原作の『ラッシュライフ』は脚本領域の方たちが書くシナリオで撮るんですが、修了制作にはそういった縛りがないので『イエローキッド』の脚本は自分で書きました。

――コミック・ストリップの“イエローキッド”を題材にしようとしたのは真利子さん自身のアイディアで?

真利子:そうです。ただこの作品は脚本を書き上げるのがすごく遅れてしまって……。大枠としてはフィクションの中にフィクションがあるという話にしようと思っていたんですが、そもそも脚本を書くこと自体これがはじめてだったんです。僕は脚本を書いて事前に物語を作るということが全然できなくて、まず映像を撮ってみるということを自主制作ではしていたので、今回の『イエローキッド』がはじめてしっかりと脚本を書いて撮った作品ですね。

――それと並立する大きな柱としてあるのがボクシングです。といっても、面と向かったボクシングの試合をするわけではありませんよね。

真利子:役者は経験者を選び、事前に練習もしましたが、僕自身が昔からボクシングへの愛着があるというわけではないんです。あくまで映画を構成する上でボクシングという設定が最適だったんです。ボクシングの場面にしても同じアクションは撮らないようにしました。サンドバック、ミット打ち、スパーリング、シャドーを、段階的に見せるようにして。試合を見せなかったのは、予算的な問題もありますが、それが重要ではなかったということでもあります。

――ちなみにボクシングのシーンで何か参考にした映画などあったりするんでしょうか?

真利子:もともとボクシング映画として見せることは考えてなかったので、特に参考にしたことはないんです。なによりシナリオを書きはじめたときに『コミック・ストリップ・ヒーロー』(1967、監督アラン・ジェシュア)っていうコミック・ストリップを題材にしたフランス映画の存在がひとつの壁になりました。その映画もコミックの世界が現実に入り込むみたいなストーリーなんですけど、そこからいかに遠ざかろうかと考えてボクシングの要素を加えていったというのもあるんです。

――東京藝大以前に撮っていた短編作品では真利子さん本人が撮影をしていたと思いますが、今回の撮影ではカメラマンにはどのようなことを伝えていたんでしょうか?

真利子:実は今回の作品はそれまでのスタッフとは違う人たちで撮影をしたんです。カメラマンは青木穣さんという方で彼とも今回の撮影ではじめて組みました。基本的に手持ちで撮影をしてもらい、逆にフィックスのときにどうしようかとふたりで相談しました。今回はお互いにコミュニケーションをとる時間があまりなく、現場もとても過酷だったんですが、カメラマンはとにかく信頼するというのが大事だと思っているので、手持ちで撮った場面では確認のためにどうしてもモニターを見たりはしましたけど、基本的には青木さんにお任せしました。

――たとえば、カメラが走ってきた車を横に避けながらとらえるシーンがありますが、あのときの撮影はどのように?

真利子:現場に入るまで僕はあのシーンはカットを割るしかないだろうと思っていたんですが、カメラの青木さんがああいうことが出来るから逆にワンカットでやってみたいということだったので、あのような撮り方になりました。とにかくダイナミックなことをしてみようとお互いに話し合ってはいたんです。そもそも、僕はカットを割らずにあのような危険なワンカットで撮るなんてことを頼めなかったので……。そのように現場で撮影方法が変わっていったことはかなり多かったと思います。

――ボクシング・シーンにしても、殴る蹴るのシーンにしても、ワンカットで撮っている場面が多いように思います。

真利子:そうですね。カットを割って迫力あるアクションを見せるという映画ではないので、ワンカットで撮ろうとは思っていました。

――『イエローキッド』は時折コミックの絵が挿入されて、次に起こる展開がある語り手によって明らかにされます。真利子さんの短編作品でもそうだと思うんですが、ナレーターのような存在を意識的に盛り込んでいくのはひとつの手法としてなのでしょうか?

真利子:あまり深く考えたことはないのですが、特別な手法としてではなくて、映像だけではわからない物語をあくまでも補完するために使っているというのが強いですね。今まで自分が作った短編作品にはきちんとつくられた物語でカットを構成している訳ではないですし、今回の映画でも挿入されるコミックの絵だけを見ても、やっぱり何が起こっているかはわからないので。

――それに関係あるかわかりませんけれども、短編作品ではナレーションを風景ショットに付加していくような場面が多かったと思うのですが、一方『イエローキッド』ではいわゆる単一の風景ショットのようなものは一切出てきません。横浜近辺で撮っているのはわかるのですが、決定的にそれを見せるようなパノラマ映像もギリギリまで回避されているように見えます。

真利子:それはわざとですね。カメラマンからも撮らなくていいのかと聞かれたりしたんですが。というのも、一期生上の濱口竜介さんの『PASSION』(08)が横浜であることを意識的に利用しているような映画だったので、そういう実景のショットはあえて撮らないことにしたんです。同じく東京藝大の修了作品ということもあり、僕のなかではあの映画の存在がかなり大きくて、何か違うことをしなくてはまずいぞっていう意識があったんです。それに、コミックはキャラクターがいなければストーリーが進まないという側面がありますから、まずは人物ありきで場面を撮っていこうとは考えていました。

――短編作品の話をさせていただければ、真利子さんの短編映画はノーファインダー撮影やカメラマンなしで撮っている映像が多いですよね。カット割りを予め考えていたりはしますか?

真利子:『マリコ三十騎』(04)で裸の男たちが海から上陸するシーンがありますが、そこだけ自分以外の人にカメラを任せていたこともあり、基本的にあの場面でしかカット割りは考えていません。そもそもはじめは映画を撮ろうという気持ちで撮影をしていたわけではないんです。『ほぞ』(01)や『極東のマンション』(03)は、とにかく8ミリカメラで撮ってみたくて、試し撮りで撮ったものを編集してつないだだけのような作品なんですよ。

――では8ミリカメラで撮影をしたというのは、一体どのようなきっかけで?

真利子:大学にいた先輩がたまたまイメージフォーラムの学生で8ミリカメラを持っていて、それで面白そうだから撮ってみたくなったんです。だから僕の場合、映像をはじめて撮ってみたのはDVカメラとかじゃなくて、8ミリカメラなんです。もともとそういった機材についても詳しくなかったので、8ミリカメラにもあまり違和感を感じなくて。出来上がった短編作品を映画祭に出そうっていう気持ちも最初はありませんでした。人に「なんか出してみろよ」と言われて、出してみたら賞を頂いてしまったという感じで。

――短編作品の撮影はどのように進んでいくんですか?

真利子:ひとりで撮っていたときは、まずこういうものを撮ってみようというアイディアがあって、撮ったものを見てからじゃあこれをお話にするために次はこういうのを撮ってみようというように、部分的に撮った映像で1本の作品にしていくんです。なので、かなりバラバラに撮っていますね。

――真利子さんの短編作品は、自分自身や自分の周りにいる家族なり環境なりをまずは撮ってみるということをしていると思います。

真利子:その辺りは実はけっこう戦略的で、いつもそうなのですが、何か映画作品を見て面白かったり腹が立ったりすると、その逆のことをしてみようと思いながら撮ってみるんです。いつか不幸な家族の物語を撮ったある映画学校のドキュメンタリー作品を見たんですが、まったく不幸でない普通の家族を撮ってみても面白いものは出来るだろうと思い『極東のマンション』を撮りました。それに、お金のない自主映画でどうやったら面白いものが撮れるんだろうって考えたときに、自分の家族はお金がかからないし一番コミュニケーションがとれている人たちだったので、僕としては都合が良かったんです。

――でも実際に出来上がったものを見てみると、セルフ・ドキュメンタリーやいわゆる「平凡」な日常を撮っているような印象はまったくない。

真利子:他の人が撮ったセルフ・ドキュメンタリー作品ももちろんたくさんあると思うんですけど、僕の場合は映画に出ている自分はまったく違う人で、そこに出てくる家族も「映画の中の真利子哲也の家族」というように認識しているんです。『極東のマンション』では引きこもりのセルフ・ドキュメンタリーみたいなものを撮ってはいますが、当時僕は全然引きこもりではなかったですし、そもそもドキュメンタリーっていう括りにされたのにすごく違和感があって。それで『マリコ三十騎』は同じような手法でも、フィクション性をもっと高めて撮るようにしたんです。自分の先祖は元海賊だったというように(笑)。結局それもセルフ・ドキュメンタリーだったので、徐々にそこから離れていったというか……。

――『イエローキッド』の話に戻せば、今回は長編ということでもちろん時間の配分や場面展開の仕方も短編とは大きく異なったと思います。ちなみに、主人公のボクサーが商店街を歩くシーンなどは、全体の流れのなかのワンシーンとしても、ひとつの単一のショットとしても、とてもグッとくる瞬間だったと思うのですが、あの場面の撮影はどのように?

真利子:あの場面では俳優の方に商店街を歩いてもらい、はじめからあのようなワンカットで撮影しようと思っていました。ただ、実はロケ場所が決まったのが撮影の前日くらいで、もうちょっと寂れた商店街をイメージしていたんですが、やたらと人が多くて(笑)。これはひどいことになるかもしれないと思ったんですが、撮ってみたらすごく上手くいったんです。撮影2日目だったので、あの場面が上手くいったのがきっかけでその後の撮影のテンションも上がっていきました。とにかくあの場面は一回しか撮れないという緊張感があって。

――いまこの瞬間でしか撮れない、一回しかできないというような緊張感が真利子さんの作品にはたしかにあります。そもそも、そういった緊張感を強いられる「一回性」のようなものをカメラにおさめようとする意識はやはり昔から?

真利子:それはありました。自主映画といっても、やはり人に見せることを前提に撮っていたので、まったく知らない男が出てきても面白いと思わせるために、マンションの屋上からバンジージャンプしてみたり、大学をふんどしで走ってみたり……。ただ、やっぱり映画は嘘というものが絶対にあるので、どのようにすればそれがもっともらしく見えるのかというのは常に考えています。そうしないと自主映画では観客を映画に取り込めないのではないかと。『アブコヤワ』(06)にしろ、最後にATMで下した23万円をやぶってそのままトイレに流しますが、あれは途中でわからないにようにカットを割っていて、観客には本当に捨てているかのように見えるように撮っているんです。実際にお金を破って捨てたらまずいですから(笑)。とにかく、今までの自作がドキュメンタリーとカテゴライズされようとも、前提として映画は嘘だというのはいつも意識したうえで、それを観客には意識させないためにはどうするかと考えていました。藝大に入ったのはそれとは違う方法をとるためなので、『イエローキッド』はまた別の話ですが……。

東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第三期生修了制作展

ユーロスペースにて
2009年6月27日(土)〜7月3日(金)連日21:00より
http://www.fnm.geidai.ac.jp/geidai3/tokyo.html

『イエローキッド』

2009年/111分/HD/16:9/カラー
出演:遠藤 要、岩瀬 亮、町田マリー、波岡一喜、玉井英棋
撮影監督:青木 穣 録音:金地宏晃 美術:保泉綾子
漫画:大脇勇亮、川崎秀和 音楽:鈴木宏志、大口俊輔
編集:平田竜馬 製作:原 尭志
監督・脚本:真利子哲也

真利子 哲也(まりこ てつや)

1981年生まれ。 2007年、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻に入学(第三期生)。
『極東のマンション』、『マリコ三十騎』がゆうばり国際映画祭オフシアター部門で史上初となる2年連続グランプリ。その後、ドイツ・オーバーハウゼン国際短編映画祭で映画祭賞を受賞など国内外で高い評価を受けた。他に監督作品として、100万円の製作費を年末ジャンボ宝くじに全額注ぎ込んだ『アブコヤワ』や伊坂幸太郎原作『ラッシュライフ(河原崎篇)』(09)など。また、『クワエットルームにようこそ』(07、松尾スズキ)、『春との旅』(2010年公開予定、小林政広)などの作品でメイキングを担当している。

写真 鈴木淳哉
取材・構成 高木佑介