ほんの少し前には普通だったこと

——本作では虹釜太郎さんが環境音まで含めた音響を手がけられたと伺っています。虹釜さんとはどのような経緯で共に仕事をされるようになったのでしょうか。

堀:とても嬉しいご質問です。切らないで下さいね。というのも虹釜さんについてのお話しをさせて頂ける機会を10年待ち続けていました。実際、なぜか今までどなたも聞いて下さらなかったんです(笑)。『妄想少女オタク系』(2007)が初めてでしたね。『笑い虫』(2007)で主演していただいた「鉄割アルバトロスケット」の牛嶋みさをさんに紹介していただきました。牛嶋さんもたいへん優れた人で同時にとても魅力的な人です。長くなるので今回ははしょらせていただきますが、矢崎仁司監督の『ストロベリーショートケイクス』(2006)に牛嶋さんが出演されたときに、この映画の音楽を担当されていた虹釜さんと知り合ったそうです。虹釜さんはもう『妄想少女オタク系』のときからそうだったけど発想がとにかく面白い。映画の内から作ってくる。この映画のオープニングの曲は音楽家・文筆家の吉田アミさんが16、17歳のときに作った曲をリミックスしたもので。虹釜さんの音楽は状況説明的なものではなくて、そこにある人物みたいなものに彼は乗ってくる。あれでもってかれてしまいました。作るってそういうことじゃないですか。この考え方が俺は好きだなって。彼は本当に優れた人です。
今作ではピアノの音楽も彼に手がけてもらっていますが、現場で録音した川や風の音、虫の鳴き声も含めて、全体的に音響を担当してもらっています。たとえば西山さんが「春雨」を歌っている場面で、カットの最後に彼が自分の家の近所で録った蝉の声が重なっているんですが、これがあるとないとではもう大違い。本当に細かいことをやられている。たとえば子供が遊んでる声を公園で録ったものにしてもただ使うわけではなく、そこでマイクが風に吹かれているノイズさえ取り込まれている。虹釜さんにはとても時間をかけて作業をしていただいて、本当に贅沢でしたね。やむを得ずスタジオで何日かで終わらせなきゃいけないような環境よりもよほどね。もちろん、スタジオが悪いなどと馬鹿げたことを言っているわけではありませんよ(笑)。どのくらい彼らが技術も熱意も持っているか、僕はよく知っているつもりです。ただ、そのぐらい、彼が頑張ってくれたということです。ただ、その代わり冗談抜きで一時的に彼をかなり深刻なワーキングプア状態に追いやった。もちろん、彼だけではないけれど。ともあれ、『夏の娘たち』を見てくださる方々がもしいらっしゃったら細部までとはもちろん申し上げませんが、僕が知る限り、彼にしか出来ない方法が生み出している映像と音がぶつかっているという印象を、彼の仕事を面白がっていただけると、とても嬉しいです。

『妄想少女オタク系』
©2007松竹ブロードキャスティング

——そのような手仕事の贅沢さを積極的に映画に導入しようとする点に、やはり「天竜区」シリーズと近い姿勢があるように思えます。

堀:これまで監督として映画撮ってきて、カメラの前で演じる人たちや、撮影のために仕事をしているスタッフを見ていて、いったいなんでこの人たちはこんなことやってるんだ?と考えちゃう瞬間があるんですよ。なぜなら基本的には監督って何もしないから。見てるだけ(笑)。僕も助監督をやっていたときは、スケジュール通り進行させたり小道具そろえたりと出来ないながらも忙しく動き回ってたんですけど、監督になるととたんに現場で直接的にやることが減る。そうすると「何でこの人たち一生懸命進行してるんだ?」とか「何でこの人たち台本上のキャラクターを必死に演じようとしてるんだ?」って疑問が浮んでしまうんです。そういうことを考えるとき、その人たちが達成しようとしているフィクション、というよりは、フィクションを通して実際に自分の仕事をされている役者やスタッフの方のドキュメンタリー的な側面の方が信用できる気がするんですね。決してメタ的な意味ではありませんが。おかしなことを言っているかもしれませんが。

——この映画の視点というのはどこにあるのかと考えると、やはりそのひとつはラストカットに映る道祖神だと思うんですね。この限定された物語の長さだけではない、ずっと長い時間をその像が見ているというか。

堀:あれは最初から脚本でラストカットにしようと決めていたと思います。要するに道祖神の物語というのは兄と妹の近親姦、近親婚のお話ですよね。この映画の直美と裕之もそうで、かつてふたりが一緒に過ごした時間っていうのがある。でも、ある程度の年齢に至るとそんなことは忘れていて、一種のフィクションになっている。たとえばジョン・フォード監督の『静かなる男』(1952)で、ジョン・ウェインが生まれ故郷に戻ってきますけど、彼もそこでの幼い頃なんか覚えてなかったでしょう。一種のフィクションとしてそういう過去はある。道祖神というのは、それを起動させる装置でもあるんじゃないのかな。

——これまでの堀さんの映画はどちらかと言えば都市の映画でしたよね。核家族的な完結した関係の外側を求めるような人たちが多かった。でも『夏の娘たち』のような地方の多様な生に絶えず晒されている様を見ると、そのありかたは決して大きく変わるわけではないとも思えます。

堀:近年に限らず日本映画を見ているとね、日本映画だけじゃないですけど、尊敬に値する優れた巨匠の意欲的な傑作群においてさえ、そうした地方の暮らしが都会的な何かのアンチテーゼとして見せられることってけっこうありますよね。それが気に喰わない。都市には都市の生活があって、地方には地方の生活がある。それが当たり前なのに、地方対都市の構造を使ってあり得ないようなイズムを映画のなかに見せるなんてことはやりたくないし、そもそも映画のやるべきことではないと僕は思っています。
先にお話ししたような家と家の関係については、「ちょっと聞き慣れない関係性かもしれませんが、これはこの地では普通のことだと思ってください」みたいに西山さんを含めて役者の皆さんにはお伝えしたんですが、もちろんこの作品の話はフィクションですが、ただ、実際に似たような関係性は都市・地方に限らず幾らでもあるんですから。

——この映画で、一回もその姿を見せない「旅の人」という重要な人物がいます。彼もまた、この地においてはごく普通の人だということですね。

『夏の娘たち 〜ひめごと〜』

堀:かつてその地域ではちょっとした有名人だった人という設定ですが、でもそういうことはちょっと昔なら本当にありふれていたことなんですよ。どこかから何かの職人さんがやってきて、彼が厄介になったお宅の娘さんと仲良くなって、子供ができた。でもその職人さんの本来の家はちょっと遠過ぎて結婚はできない。結局その娘さんとそのお子さんがその地に残って生活を続けた、みたいな話は。この話は「天竜区」シリーズに出演してくださった別所賞吉さんに聞かせていただきました。「ちょっと前の話だが、うちでもこんなことあったよ」みたいに普通にお話ししてくださった。または、本当に「旅の人」がそこにやってきて、病気になってしまってその地で亡くなられた。もちろん身寄りがないから、家の近くに埋葬してそこに小さな石仏を建てた、というような話ですね。これはいつの頃かわからないほど、前の話ですが、今でも別所さんの奥さんは、お庭に花が咲けば、その石仏に花を欠かさないんですよ。

——そういう大きな歴史の一時期にあった普通さというものが、この映画の最後の結婚式の場面において、ある種の幸福さへと結びつけられているようにも思えます。

堀:直美みたいに誰の子供なのかはっきりしない子というのは、かつての集落にはもっとたくさんいたはずなんです。女の人が相手の名前を親にさえ言わなかった場合はとくに。言いたくない時だってあるじゃないですか。僕なんかより皆さんの方がよくご存知のことでしょう。それが普通なものとされていたのは、今よりもずっと養子のシステムが洗練されていたということなんでしょう。村に生まれた子供なら誰の子であろうと村の子だ、みたいなね。そういう話をきちんと聞くようになってから、山中貞雄監督の『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935)にしても小津安二郎監督の『長屋紳士録』(1947)にしても、そこで描かれている親子関係がいかに自然なものだったかに気づきました。清水宏監督のお生まれは天竜川と水窪川が合流する山香という綺麗な名前の、かつて集材で栄えた山の集落です。最近やたらもてはやされる「伝統的な家族観」なんて、あれはたんに間違ってるだけですから。僕は嫌ですよ。とくに小津監督に叱られるなんてのは。怖そうだから(笑)。

聞き手・構成=田中竜輔

←前へ

最初 | 1 | 2 | 3