――ニコラス・レイ生誕百年という節目に、彼にまつわる2本の映画を見ることができて大変嬉しく思います。これまでの彼の仕事を現在ふり返ってみて、どのように感じられますか?
スーザン・レイ(以下、SR)私自身は「生誕百年」ということにそれほどこだわっているわけではありません。しかし、それはニコラス・レイの作品に再び注目を集めるためのひとつの方便・方法となりました。『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』が復元されるきっかけとなったのです。わたしはニックの才能をもちろん信じていたので、いまでも彼の仕事がもっと注目を集めてほしいとは思っています。しかし彼の映画における価値観や問題意識、またそれらにアプローチする方法は、現在でも未だ重要だと感じています。ニックが彼の映画で行ってきたことを、現代の映画にもっと再導入していっても良いのではないでしょうか。
――この『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』は1973年のカンヌ国際映画祭で未完成版が公開されました。マルチ・スクリーンなどを多用したとても実験的な映画ですが、当時の人々の反応はどのようなものだったのでしょう?
SR私もニックと共にそのカンヌ国際映画祭に行きました。この映画は、それまで全く映画の機材を触った事も無いような学生たちが撮った映画なので、技術的には問題点が多くあります。しかも、1973年の上映に向けてまとめられたバージョンは非常に短い期間で準備されたものでした。この映画が上映されたとき、人々はどのようにこの映画を捉えたらいいのかととても困惑しているようでした。当時、多くの人々は「ニコラス・レイはもう駄目だ」と思っていたのです。アルコールやドラッグの結果、自身の大いなる才能を彼は見失ってしまったのではないかと言われていたのです。判断力を失い、ほかにやることがないから学生たちと映画を作っている、彼は無駄なことをしている、と思われていました。しかし、それは本当ではないとここであえて言いたいのです。
© 2011 by Charlie Levi.
――『あまり期待するな』の中で、ニコラス・レイは学生たちに「映画は生き方だ」(“Film is a way of life”)と教えています。この言葉はまさに彼の映画すべてを的確に言い表していると思いました。映画を作ることや生きることの過酷さと素晴らしさを、彼は生き方そのもので体現していたと思います。
SRまったくその通りですね。この2本のフィルムで重要なテーマは、その言葉に集約されていると思います。しかし『あまり期待するな』でのインタヴューを聞いてみると、ニックのもとで映画を撮った経験を語る学生たちの言葉には喜びと困惑の念が混じっていることがわかります。彼らはニックに「とても期待して」いたわけです。この映画に関わることで、有名になってハリウッドに行けるのではないか――そのように学生たちは期待していたのです。しかし実際に出来あがったものは、制作から40年経った現在でも非常に前衛的な実験映画でした。個人の資金で制作され、もちろんスターも出演していない。だから、結果的にこの映画はブロックバスターのようなヒット作にはならなかったわけですが、学生たちは非常に頑張っていました。でも同時にニックは学生たちとこの映画を作りながら、自身の心のなかの魔物と戦い続けていたんだと思います。それだけに彼らからしてみれば、ニックが期待を裏切ったと感じることもあったと思います。
――ニコラス・レイと関わった多くの学生たちは、現在では彼と出会ったことについてどのように語っているのでしょうか?
SRいま学生たちは当時のニックと同じ年齢になっています。彼らは自分たちの人生の中でも、ニックと出会い映画を撮ったことが最も巨大な事件だったと語っています。彼が亡くなったとき何人かの人々から連絡をもらいました。その中には「ニックとは1時間か2時間くらいしか会ったことはないけれど、それによって私の人生が変わりました」と言う人もいました。
――学生たちだけでなく、ニコラス・レイに賛辞を惜しまなかった映画作家や映画批評家も数多くいると思います。たとえばヴィム・ヴェンダース監督とは、この『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』の上映に際して何か話をする機会はありましたか?
SRご存じのとおり、これまでニック・レイはフランスの「カイエ・デュ・シネマ」周辺の人々、たとえばゴダールやトリュフォー、バーベット・シュローダーといった多くの映画作家・批評家たちから尊敬の意を表明されてきました。ベルナール・エイゼンシッツはニックの評伝を書いていますし、大学での講義録の出版にも協力してもらっています。ニックは亡くなる前、「私は邪魔された」(“I was interrupted”)という言葉を墓碑に刻んでくれと言っていました。しかしそれが出来なかったため、わたしは講義録のタイトルにその言葉を掲げることにしたのです。
ヴィム・ヴェンダースからは、ヴェネツィア映画祭でこの映画の公開が決まったときに、E-メールで私にお祝いの言葉を送ってくれました。『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』の復元版が完成したことを祝福してくれたのです。
© 2011 by The Nicholas Ray Foundation.
――ちなみにあなたご自身は、ニコラス・レイ監督作の中ではどのタイトルがお好きなのでしょうか?
SR『にがい勝利』(57)と、イヌイットの映画『バレン』(60)には特別な思い入れがあります。他の作品が好きではないという意味ではないのですが、『にがい勝利』は見るたびに多くの驚きを与えてくれます。人間の内面を見つめていくその視線や、その力強さには常に新しい発見がありますね。
――『大砂塵』(54)の中に、ジョーン・クロフォードとスターリング・ヘイドンが酒場で再会するシーンがあります。あのシーンが大好きなのですが、そこでのふたりの会話を聞くたびに過ぎ去った時間の重さのようなものを感じてしまいます。ご自身にとってニコラス・レイと一緒に過ごした時間はどのようなものだったとお考えですか?
SRどのように言い表せばいいのかわかりませんが……。『孤独な場所で』(50)のグレープフルーツのシーンは憶えていますか?ハンフリー・ボガートが恋人のために朝食を作る場面です。私とニックが共有した忘れ難い時間は、あのシーンにとても似ていたと思います。たとえば一緒に料理をしたり、子供のようにふたりで遊んだり……。そういった何気ないシンプルな瞬間がとても思い出深く残っているのです。ご存じのように、私がニックと出会ったのはまだ18歳のときでした。彼が死んだのはそれから9年後のことです。私はニックを愛していましたが、彼がどれほど特別な人間であったかを本当に理解するには、まだ若すぎました。これまでの人生の中で多くの素晴らしい偉大な人たちに出会ってきましたが、ニックのような人間にはひとりも出会ったことがありません。
――生前、ニコラス・レイ監督は自作について多くを語っていたのでしょうか?
SRもちろんです。晩年、彼はもしお金があれば新しい映画を作りたいとも言っていました。その映画は「アクション――ニコラス・レイとのマスタークラス」というタイトルで、彼が生前に撮ってきた映画作品のうえに、彼自身の声をボイス・オーヴァーで重ねていくというものでした。学生たちに映画を教える教材として制作しようとしていたのです。彼は映画のテクニックに豊富な知識を持っていたので、それは可能だったと思います。彼は自身が培ってきた知識を次の若い世代に教えていく必要があると本能的に感じていました。なので、晩年の彼はそういった教育の現場で熱心に活動しました。『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』のときはまだ教師としては成りたてでしたが、その後アルコールとドラッグを止め、映画を教えるという技術の完成度がどんどん高まっていったと思います。彼は若者たちといることが大好きでした。彼は映画を教える事をとても愛していましたし、素晴らしい教師だったと思います。
――この2本の映画を見ると、ニコラス・レイが若者たちに映画や生き方を教えるために、まったく時間を惜しまなかったことがよくわかります。
SR今考えてみると、ニックは「映画作家は神経症になりながらでも、自分自身を裸にして曝し出さなければならない」と信じていたと思います。そして彼はそのように生きました。彼は自分の力を人々に見せたと同時に、自分の汚い部分やだらしない部分を曝すことに躊躇しなかったのです。しかし、それはある意味でどこまでも寛容なことだと思うのです。ニックは人々に彼のことを神様のように崇めさせるようなことはせず、まったく対等な関係で付き合っていました。それだけの寛容さと包容力が彼にはありました。ひとりの欠陥がある人間にとって、他者との信頼関係を築くためにはそれが最善の方法でもあったのだと思います。そして彼が学生たちにオープンになることは、愛情の表明でもありました。そういった愛情の流れの渦の中心にニックはいたのです。
――最後に、今後こういった上映につながる活動などがあればお聞かせ下さい。
SR私たちの<ニコラス・レイ財団>をサポートしてくれる人がもしいれば是非お願いしたいと思っています。「アクション――ニコラス・レイとのマスタークラス」という彼の教材の映画も、完成させるための資金がまだまだ足りないのです。いま彼のさまざまな記録をスキャンしてアーカイヴに保管していこうという活動をしていますが、それを続けていくためにも資金が必要な状態です。もし彼の映画を愛している人で、私たちの活動を支援して下さる方がいれば歓迎します。
© 2011 by Charlie Levi.
1973-2011年 / 93分/カラー
監督:ニコラス・レイ
2011年・第12回東京フィルメックスにて上映
http://filmex.net/2011/
取材・構成 高木佑介
写真:宮一紀