——映画製作者たちによるベスト映画を集計した米ウェブサイト「The Talkhouse」の2015年のランキングが証明しているように、『タンジェリン』は、2015年の映画の中で『マッドマックス:怒りのデス・ロード』(以下、『マッドマックスFR』)とともに、とりわけ革新性において最も重要な一本であると考えています(「The Talkhouse」の2015年映画ベストの1位が『マッドマックスFR』、2位が『タンジェリン』)。たとえばジョージ・ミラーは、次回作の『Mad Max:The Westland』について、『タンジェリン』からインスピレーションを受けていると公言しています。
ショーン・ベイカー(以下SB):ジョージ・ミラーにそのように感じていただけたことはこれ以上ないぐらいに嬉しいことです。というのは、ぼくにとって『マッドマックス2』(1981)は常に人生のトップ5から外れたことがないぐらいの大好きな作品だからです。トップ1だった時期ももちろんあります。彼が『タンジェリン』に影響を受けたという話を聞くと、ぼく自身が人生でミラーから多大な影響を受けているから、自分で自分に影響を与えたかのように感じて、それがまた面白く思います(笑)。
——『タンジェリン』の次にファッション・ブランド「KENZO」の依頼で再びiPhoneで撮った短編『Snowbird』には、『マッドマックスFR』に出ていたアビー・リー・カーショウも出演されていて、ちょっとしたつながりも見出せます。
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SB:アビー・リーは『タンジェリン』を劇場で2回も観て気に入ってくれたみたいで、彼女の方からぼくに連絡をくれました。ちょうどその後にKENZOさんから映像のオファーがあったので、ぜひ出てもらいたいという話になりました。
——『タンジェリン』の予算は『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』(以下、『チワワは見ていた』)のほぼ半分ぐらいだったこともあり、当初は予算の都合でiPhone5Sでの撮影を選んだそうですね。しかしそのことは少人数でのゲリラ撮影によって街に溶け込みやすくすることと同時に、プロフェッショナルではない役者にとってはカメラの前で演じる緊張やプレッシャーを取り除くことにもつながったのではないかと思います。その点はいかがでしょうか。
SB:間違いなくそのような効果はあったと思います。ただ、キタナ・キキ・ロドリゲスとマイヤ・テイラーはとても素晴らしい演者だったので、正直IMAXのカメラで撮影していたとしても、あのままの演技をしてくれたと思います。ですが、それにほかのファースト・タイマーの方々──ぼくは「アマチュア」や「俳優経験のない」という言い方が好きではなく、「初めての」という言い方を好んでいますが──、たとえばポスターの左側に映っている三人の女性などは、それまでの撮影で何となく通りにいることを感じてはいましたが、撮影のその日に声をかけて出演してもらった方々です。だから彼女たちにとってみれば、あなたがおっしゃったように演技する上でも良い方向に働いたのではないかと思います。それが一番iPhoneで撮ることの利点でしたし、重要なポイントでした。ただ、ぼくは『Take Out』を撮った時も小さなSDのカメラで撮影していて、その時にもフィルムのカメラではない経験をしていました。しかし今回は、それよりもさらにiPhoneの持つ機動性や演者への威圧感を取り除く側面に助けられたと思います。
——『タンジェリン』にはデュプラス兄弟が製作総指揮で参加しています。彼らはマンブルコアのパイオニアのひとりであり、今日のアメリカン・インディペンデント映画界で最重要の人物ではないかと思いますが、どのような経緯で携わることになったのでしょうか。また、それはプロジェクトのどの段階からでしたか。
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SB:『Prince of Broadway』をふたりとも観て、とても気に入ってくれていました。自分で言うのはこそばゆいですが、嬉しいことに最近もIndiewireのサイトでいかにあの映画が良かったかを語ってくれていたぐらいで、いまだに好きでいてくれてもいるようです。そのことがきっかけで話をした時に、彼らは「マイクロ・バジェットの映画だったらいつでもぼくらがサポートするよ」と言ってくれました。それとは別に、新作を撮るのに何億も集めるのが難しい状況で、実生活の中でマイクロ・バジェットの映画を制作していくことは大変なので避けたかったのですが、何かいま映画作家としてつくらないと自分が終わってしまうのではないかという焦燥感に駆られていた時に、マーク(・デュプラス)に電話をして、マイクロ・バジェットの映画をつくりたいことを話しました。どんな内容なのかと聞かれたので、サンタモニカとハイランド通りの一角の話を構想していることを伝えました。ただ彼もロス出身で、あの地域のカルチャーや事情を知っていたので、どういう映画なのかを理解してくれて、電話口ですぐに「わかった、グリーンライトして良いから」と言ってくれました。ただ、ぼくの方が「いやいや、まだプロットも考えてないし、ストーリーもない。あのエリアについての知識を蓄えなければいけないから、まずはリサーチが必要なんだ」と話したら、「じゃあ準備ができてまた連絡してくれれば、その時にすべて資金を用意しておくよ」と言われたんです。彼らは製作中もとてもサポートをしてくれましたが、完成後はとくにマークが力を貸してくれました。サンダンス映画祭に入ったのも彼のおかげですし、その後のプロモーションやセールスの部分でもマークは力を貸してくれました。そして何よりも素晴らしかったのが、監督として100%の自由度を与えてくれたことです。現場に彼らが来ることも一切なく、編集で粗編が上がってきたら、それを観て何か意見をくれるような感じでした。完成尺もマークの助けによって、96分のものを88分に削ぎ落とすことができました。
——デュプラス兄弟が『Prince of Broadway』を賞賛していたIndiewireの最近の記事も読みました。彼らは出来上がった映像を観て何かをアドバイスをするぐらいで、ほかはそれほど内容に意見を言わない自由度があったということですよね。
SB:かなりそれに近いのですが、少し加えると、実際に現地に赴いて色々な人の話を聞くリサーチ的な作業──ぼくはそれを「没入プロセス」と呼んでいるのですが──をした中でストーリーが徐々に見えてきた時に、まず10ページのトリートメント(脚本にする前の長いあらすじ)をつくりました。マークにはマイヤとキキにOKをもらったのちに見せたのが唯一の企画書で、撮影稿を見せた覚えはありません。電話で話したり、SNSのメッセージで「アルメニア人の移民の話も入れることにしたよ」みたいなやりとりはしていましたが、完全に自由が与えられていたのです。エグゼクティブ・プロデューサーがみんな彼らのようだったらなと思います(笑)。