平成がはじまってから四半世紀が経つ今日に、青山真治によって見つめ直される昭和の終わり。すでにロカルノ国際映画祭で話題を集め、ここ日本で遂に公開されるこの『共喰い』が私たちに見せる物語は、これまでの青山作品同様、多くの驚きと発見を与えてくれると同時に、数多くの問いを投げかけてくる。「映画の語り」「天皇」「共同体」「記憶」――今回のインタヴューでわずかながら聞くことができたそれらの事柄は、この作品の有する可能性のほんの一握りにも満たないものであるが、平成の、否、“現在”の「日本」を生きる私たちの前に屹立するこの作品を思考していくための、一助になれば幸いだ。
――昭和の終わりの時代を舞台とした、父と息子の血をめぐる物語であるこの『共喰い』を見て、やはり『Helpless』(96)をまずは想起させられました。『EUREKA』(00)、『サッド ヴァケイション』(07)を撮られていったあとに、まるで原点に還るかのような作品を撮ったことに、正直に言えば少し戸惑いを感じました。しかし、この『共喰い』はそれらの系譜とはまったく異なる作品であり、青山監督のキャリアの中でもかなり特異な作品であると思います。青山監督が脚本の荒井晴彦さんからこの『共喰い』の原作を薦められてお読みになられたとき、ぜひ自分が監督したいと思ったとインタヴュー記事などで語られていましたが、原作のどういった部分に惹かれたのか、まずはお聞きしたいと思います。
青山真治『Helpless』から見て下さっている人たちには物語が一巡したかのように見えるかもしれないけど、僕としては『サッド ヴァケイション』以降に続く作品だと考えるべきだと思ってて。物語の中の女性が占める割合の大きさ、女性たちの集いや女性たちの語らいのようなものに、あの作品から重きを置くようになって『東京公園』(11)もそういう部分が大きかった作品だった。男が女をとらえる目と、女が男をとらえる目が交錯するようなことを『東京公園』ではやったつもりだから。さらにその延長線として、男の領域から女の領域へと踏み越えていくような、改めて女性たちによってとらえ直される存在としての主人公を描いたのがこの『共喰い』だと思う。
思春期というものがある過程を経て変わっていくのだとしたら、『暗夜行路』じゃないけれども、父権的なものから女性たちとの向き合いの方へ流されるように移行していって、その挙げ句に、いずれ主人公が自分本来の生や生き方を発見していく――そういう流れがこの作品で垣間見えたら良いなと。でも、この作品ではその最後までは描いてなくて、主人公の遠馬(菅田将暉)が女たちに再びとらえられるところで終わる。だからこそ、僕自身がここから先のところへ行くためにも、この田中慎弥さんの『共喰い』をやっておきたいと思ったんです。
1964年生まれ。立教大学卒業後、助監督、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員を経て、1996年に劇場用長編第1作目の『Helpless』を発表。その後、『EUREKA』(00)がカンヌ国際映画祭コンペ部門に出品され、国際批評家連盟賞とエキュメニック賞をW受賞。2011年に第64回ロカルノ国際映画祭に出品された『東京公園』は、金豹賞(グランプリ)を受賞した。舞台演出家としても活躍しており、主な舞台演出作に「おやすみ、かあさん」(11)、ストリンドベリ「債鬼」を翻案した「私のなかの悪魔」(13)など。本作『共喰い』は第66回ロカルノ国際映画祭に出品され、YOUTH JURY AWARD最優秀作品賞、ボッカリーノ賞最優秀監督賞をW受賞した。
© 田中慎弥/集英社・2013『共喰い』製作委員会
2013年/102分/シネスコ/カラー
監督:青山真治
原作:田中慎弥『共喰い』(集英社文庫刊)
脚本:荒井晴彦
プロデューサー:甲斐真樹
撮影:今井孝博
出演:菅田将暉、木下美咲、篠原友希子、光石研 / 田中裕子
9月7日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー!
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