——ティム・バートンの『シザーハンズ』(1990)を愛するあなたが、ジャパン・プレミアでの舞台挨拶の際に主演のエリカ・リンダーを「まるで私のジョニー・デップ」だと形容していたことが印象に残りました。彼に負けないぐらいエリカもカリスマ性を持っていて、『アンダー・ハー・マウス』もまたシンプルでイノセントなラブストーリーと言えますね。
エイプリル・マレン(以下AM):本当にそう思っています。エリカに向かって「あなたは私のジョニー・デップよ」と言ってよくからかったりしていました(笑)。そしたら彼女も「あらそう?」と乗ってくれました(笑)。
——これまで俳優で脚本家のティム・ドイロンとともにジャンル映画を手がけてこられましたが、今回の脚本はステファニー・ファブリッツィによるとてもミニマムで素朴なものであり、今までと違ったものだったと思います。どういったところにご自身とコネクトできたのでしょうか。
AM:私はとにかく映画、それから映画作りや物語ることが大好きで、常に自分の幅を広げるチャンスを窺っています。幸運なことに、何かのジャンルの監督であるというイメージが私にはまだ付いていません。今回は人生の一片を見せるようなシンプルなラブストーリーの企画のお話をいただいたわけですが、恋愛を非常に生々しく描いてる、そして生々しいセックスシーンも入っている点において、挑戦しがいのあるものだと思って挑みました。また、女性の視点から描かれている物語であることにも魅力を感じ、この作品を選びました。
©2016, Serendipity Point Films Inc.
——本作は、ストーリーテリングやドラマツルギーの面でも今まであなたが手がけた映画とは異なっているかと思います。あえて言うなら観客の心拍数を引き上げるようなロマンスの描き方というのがスリラー的と言えるかもしれません。なぜそのような描き方にされましたか。
AM:今回は、たしかにそういう自由な構造で撮影しています。この映画の登場人物たちの人生の一片を少し覗かせたいという意識で撮っているため、あえて三幕構成にはしていません。彼女たちの情熱的な愛や逃避、そして欲望という世界に観客を引き込んで、そしてパッと突き放す──残された観客がそこで何か感じ取ったり、何か考えたりするような映画にしたかったのです。なので、非常に自由なスタイルで撮っています。
——ダラスとジャスミンが雨の中で愛を燃え上がらせるシーンがすごくロマンティックでした。
AM:あの場面は意識的に雨を降らせて撮影しました。初めて機械を使ってみたのですが、『きみに読む物語』(ニック・カサヴェテス、2004)みたいな雨のシーンを撮りたいと思っていました。
——本作は女性の欲望や性欲というものを女性自身で語っていると言えますが、脚本を読んだ時点で全員女性スタッフという編成や制作スタイルで行こうと思われたのでしょうか。
AM:もともと現場スタッフを全員女性で行くというのは最初から話し合っていたことでした。というのは、その方がキャストも安心して演技をすることができると考えていたからです。ただ撮影日が近づくにつれ、やっぱり女性の視点で語るということを意識するなら、ポスプロまで女性で固めた方がいいという話になりました。なので最終的には、すべての部門において女性を登用することになったわけです。今でこそ現場で活躍している女性の割合が非常に少ないことが話題になり問題視されるようになりましたが、2年前は本当に珍しく、大変な挑戦でした。かといって、それが政治的な行為だったのかと言うと別にそういう意識があったわけではなく、この作品に必要だったから、この作品のための決断でした。しかし非常に珍しいことではあったと思います。
——ステファニー・ファブリッツィが書かれた脚本の中にすでに性的なシーンが盛り込まれていたから、このような映画になったのでしょうか。セックスシーンをあえて描かない、あるいは幻想的な美しさで描くような手法もあったかと思いますが、今回はなぜ直接的に描くことを選択されたのでしょうか。
AM:監督としてひとつやりがいを感じる部分は、その世界を自分で決められることです。照明や色使い、音、観客の視線をどう誘導していくかは監督次第で、そこにこそ楽しみがあります。今回の作品もできるだけエンターテイメントなもの、美しいもの、そして目を見張らせるようなものを作りたかったのですが、そこにこだわるあまりふたりの緊密さが削がれるようなものであってはならなかったので、そのあたりのバランスはすごく意識して撮影しました。とはいえ、映画というのは有機的なもので、その時の様々な要因に左右されたりするものです。天候に左右されることもあれば、俳優の体調に左右されることもあります。なので、撮る際にヴィジョンはしっかり持ちつつも流れに身を任せようという意識で臨みました。リアリティを求めて直接的に描く手法を選択したのも、今そこで起きているものの感じを出したかった。カメラの技術的なピントのズレやブレといった間違いもたまにあるのですが、あえてそういうちょっと荒削りな部分も残しています。それはリハーサル特有のいかにも仕上がった感を出したくなくて、それ以上にそこで息づく彼女たちをまっすぐに捉えたかったからなんです。また、テイク数もかなり少なめに抑えるよう心がけました。ピックアップして撮り足している部分も少しありますが、多くても2テイク程度に抑え、30分ぐらいの結構な長回しで撮っています。
——女性同士の性愛、そして大胆なSEXシーンという意味では、観客の多くが『アデル、ブルーは熱い色』(2013、アブデラティフ・ケシシュ)を思い出す部分もあるかと思います。また近年では『キャロル』(2015、トッド・ヘインズ)や『お嬢さん』(2016、パク・チャヌク)もありました。否が応でもそのような映画を意識せざるを得なかった部分があったのではないかと思います。
AM:そういう比較というのは、こういう枠組みの中で作っている以上、避けられないものだと思うので、それはそれで受け入れて、自分は自分で作るのだという意識で挑みました。
——エリカ・リンダーはそのような比較はフェアなものではないと主張しています。「『アデル』と比較することは、あらゆるストレートのラブストーリーが『タイタニック』や『ロミオとジュリエット』と比較されるようなもの。ストーリーラインは完全に異なっている」と語っています。
AM:監督として言わせてもらえば、たしかに比較対象ではないと思います。『アデル』は3ヶ月かけて撮っていますが、私たちは18日間で撮りました(笑)。『キャロル』は2000万ドルかかっていますし、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(2015、サム・テイラー=ジョンソン)と比べられることもありますが、あれは巨大ブランドです。『アンダー・ハー・マウス』はかなりのインディ映画で、もちろん情熱を注いではいますが、そんなにお金はなかったし、比較は変だよねと私も思います(笑)。
©2016, Serendipity Point Films Inc.
——男女の違いはありますが、情熱的な週末の出来事を描いている意味で、本作はむしろ『ウィークエンド』(2011、アンドリュー・ヘイ)の方が近いものがあると思います。
AM:実は撮影後に『ウィークエンド』を観たのですが、非常に現実的な比較という意味ではそれが妥当だと思います。とても興味深いことですが、同じ世界を描いているという風に私も思います。
——たとえば、女性の視点から見て、『アデル』の性の描き方などに何か不満を感じられたことはありますか。
AM:『アデル』には物申したい点はあるのですが、まずケシシュ監督は非常に大胆な選択をしてくれていますし、そしてあの映画に出ている主演のふたりは素晴らしい演技をしていると思います。私もあの映画は大好きですし、素晴らしい映画だと思いました。ただ、やはり男性の視点から描いてると思います。特にセックスシーン。男がそそられるのはこういうことなんだろうというのを描いてる映画だと思います。なので、そういう意味では本作と違います。この作品は脚本家がゲイであり、LGBTのコミュニティに長らくいる人なので、女性のセックスの真実、そして密室で女性同士がどういうことをしているのかをリアルに描いています。そこは『アデル』とは違うところだと思います。ただ、『アデル』のように国際的な話題になり、相当な好評を得た先駆者がなければ、私たちのような小さい作品が陽の目を見ることはなかったと思うので、そういう意味では見事にこの道を開拓してくれたと思っています。『アデル』以前にLGBTを取り扱った作品は少なかったと思います。『ボーイズ・ドント・クライ』(1999、キンバリー・ピアース)や『ブロークバック・マウンテン』(2005、アン・リー)といった代表的な作品はありましたが、話題になるものはわずかしかなく、『アデル』のおかげで再びトレンドになったし、非常に普通のこととして描かれるようになったと思います。そういう意味では恩を感じる部分もありますが、本作と違うものだと思います。
——『アデル』と比べれば割と素朴でナチュラルに描いているように思いますが、性的な場面を撮るにあたって、女性の視点はどこにあると思われましたか。
AM:やはりありのままを正直にリアルに描いている部分が、女性の視点ならではの映画たらしめているところかと思っています。願わくば観客のみなさんが観た時に、何か今までに観た映画と違うと感じてもらえたら嬉しい。映画の中には往々にして、「さぁ観なさい」みたいに押し付けがましくなりがちですが、何か引き込まれたけど、なぜだろうと考えさせるものであってほしいと思います。