『録音映画祭 feat. 山本タカアキ』at池袋シネマ・ロサ(7/24~7/30) 録音技師・山本タカアキ インタヴュー 「感覚と意識の演出」

7月24日より1週間、池袋シネマ・ロサにて画期的な企画が行われます。その名も「録音映画祭feat.山本タカアキ」。短編映画時代からの冨永昌敬作品の音響面を支え、現在では若手監督たちをはじめ多くの作品に参加しているサウンド・デザイナーの仕事を振り返る特集です。上映作品はここ一年でも話題をさらった『SR サイタマノラッパー』、『ライブテープ』といった作品や初期冨永作品の傑作『VICUNUS』、『テトラポッド・レポート』(このふたつの作品がスクリーンにかかるのは5、6年ぶりではないでしょうか。ソフト化されていない作品なのでお見逃しなく)といった作品たち。連日ゲストを呼んでのトークも行われるということです。まだその作品を観たことがない人も、一度作品を観たことがある人も是非足を運んでみてはいかがでしょうか。新たな映画の観方に気づくこと請け合いです。
そこで、山本タカアキさんに今回上映される作品を中心にそのお仕事についてお話を伺いました。そこには普段観ているときには気づかない音のマジックがありました。
なお、今回掲載しきれなかった山本タカアキさんの仕事全般については9月に発売される雑誌「nobody」34号にて掲載の予定です。

『ライブテープ』

――『ライブテープ』で一番感動したのは井の頭公園のところで「天気予報」を歌っている場面でした。前野健太さんがひとりで歌っていると途中でバンドの音がドカンと入る、その瞬間です。突然、音を聴いているというより音に包まれているような感覚になりました。その後、CD(『ライブテープ オリジナル・サウンドトラック』前野健太)の方も聴いてみたんですが、CDではあの場面は必ずしもそのようにはなっていません。わかりやすい例として、そこに山本さんの仕事があったように感じました。

山本『ライブテープ』はCDと映画でミックスを変えています。もとはもちろん映画のつもりで作ったので、映画の音、映画のダイナミックレンジを意識した作り方になっています。映画というのは大きいスピーカーで大きい音で聞くので、要はCDよりは繊細な音というか音に幅があってもいいんです。大きい音も出してもいいし、小さい音も出してもいい。ただCDだと聴いていていきなり音が大きくなったりはしないわけで、CDだと全体の曲のバランスがある程度は一定になっていないといけない。そこは違うところですよね。それに、やっぱり映画版のあそこのバンドの音というのはドカンと出さなきゃいけないところなので、盛り上げるにあたってそういうところは意識して作っています。逆にCDの方は音楽として聴きやすさを意識しています。そのぶん、個々の粒立ちの部分ではCDの方がいいのかなと思います。

――『ライブテープ』は結構大きい音量で上映していましたね。

山本『ライブテープ』は東京国際映画祭でも2カ所の劇場で上映して、公開時に吉祥寺バウスシアター、池袋シネマ・ロサ、渋谷シアターN、あとはポレポレ東中野でもスニークプレビューで上映したんですけど、シンプルに音楽だったからなのか同じ上映素材なのに上映場所によって違う音になるのがわかりやすくておもしろかったんですよ。だったら、その場所のベストで聴かせないとだめだなと思って自分が行ける範囲の上映館には調整をしに行ってました。行ってまずやるのは決まっていて、まず65分くらいまで進めてくださいと。松江さんと前野さんが歩いてくる場面あたりから始めて、「天気予報」のドカンあたりで音量をセッティングさせてもらう。そうすると、やっぱりそのドカンがこの映画の命だから、ドカンが物足りないわけですよね。松江監督と「音量もうちょっと上がりますか」、「もうちょっと上がりますか」って調整をやっていくと、劇場側にもうこれ以上は保障できませんよって言われる音量でやっといい感じなるんです。それから冒頭に戻して弾き語りのところ数分観て、それでOKというのを毎回やっていって。だからそこの標準の合わせというのが普通の映画より大きかったのかなと思います。それは、ここは大きくないと気持ちよくないだろうという意向が監督と僕の間にはあったので。でも、そういうセッティングをさせてもらって観てもらう分にはいいんですけど、やっぱり地方とかだとおそらく音量が小さいんだと思うし。そこがすごく残念というか、体験できていない人がいるんだろうなというのは少し悲しいですね。

――音量によって映画の質までも変わってしまうんですね。

山本そう、どの作品にもドカンポイントがあるので。音でビックリさせたいというのが、……しかしビックリさせるところが大きい音というのは言っててどうかとは思うんだけど(笑)……一番わかりやすいんじゃないですか。大きい音は大きいなという感じで聴かせたいなと思うし、作っていてそこが一番わかりやすい基準なんじゃないかなと思いますよ。大きい音を誰が聴いても大きい音として聴いてもらえないと逆に小さい音は小さすぎることになってしまうし、バランスが崩れちゃうと思うのでせめてそれくらいはやっぱりいい感じで上映したいというのがあります。

――そのドカンポイントというのはどの作品にもあるものなんですか。

山本 『SR サイタマノラッパー』で言えばエンドロールのラップがはじまる瞬間ですよね。ちょっとした間からのドカンという感じ。あの映画はあそこがポイントだと思うし、あそこで気持ちよく鳴ってもらわないと観ている人が気持ちよく終わらないかなというのは考えていて、だから実際の作業でもあそこのタイミングは何回もやり直してますよ。もうちょい後ろかなとか前かなとか、入江監督と一緒に。ああいうのはすごく大事。沖田監督の『後楽園の母』にもあるし。……あ、『亀虫』にはないですね。(今回上映の)冨永作品には……特にないです(笑)。

――ドカンポイントは音の編集をするときに最初から入れようと考えて作るんですか。

山本 さっきからドカンポイント、ドカンポイントと言ってますけど別にそういうもんじゃないですから(笑)。結果として、爆破シーンがあればそこだと思うし、一番音量のピークになるところがここですねというポイントですから。それは演出で盛り上げるというのとはまた別のものですからね(笑)。でも、音が大きければいいというもんじゃないですけど、音が大きいと感じるポイントはやっぱり大事ですね。それとほとんどの作品でたぶん一ヵ所は無音を入れているんですよ。たとえば『ライブテープ』だったら、ハーモニカ横丁の二胡との演奏の後のところにあるし、それは冨永作品にもあります(笑)。
音が大きいことと無音になるということは状態として一番違和感を感じるところだと思うんです。でも、短編だろうが長編だろうが無音が使えるというのはひとつの作品で一ヶ所だけだと思います。音が大きいというのは何回でもビックリさせられると思うんですけど、音がなくなるという感覚は何度も使うと効き目がなくなっていってしまう。だからこそ、その一発は大事。それこそドラマが盛り上がった後にスッと静かにしてみたりだとか、逆にうわーって盛り上がる直前に入れるとか。使い方や効果はいろいろあると思うんですけど、どこかしらに無音をいれるというのはどの作品でもやってますね。

――それを聞くと改めて観直したくなります。それはこの映画祭を楽しむためのポイントにもなりますね。

山本 でもそればかり気にして観たら作品がつまらなくなっちゃう(笑)。あるよということだけわかればいいです。音を左右のスピーカーに振ったり、音を大きくしていることはさすがにわかるでしょうけど、本当はあからさまにやっていることがわかってしまってはいけない仕事なので。そのことを観る人に気づかせずにいかにして作品に乗せるかが仕事だと思います。観ている人が無音を感じていないけど、実はあるよみたいなことですね。
『パビリオン山椒魚』でオダギリジョーさんがダンボールを被されたまま足袋を履く結構長い場面があるじゃないですか。あそこは全体の音がすごくすごくゆっくりとフェードアウトしているんですよ。冨永の映画は編集が短いところは短いんですけど長いところは異様に長かったりする。それは余韻を残すとか、蛇足的な部分をよく見せるという場合が多いんですけど、そこにあんまりがっちり音をつけてしまうと画面に流れている時間とイコールになっちゃうんですよね。僕の中でこういうフェードアウトはシーンが変わったその後もそのカットの状況が続いているなというイメージがあるんです。同じ音のレベルのまま次のシーンに変わってしまうとその場面はそのカットの長さでしかないけれども、フェードアウトで終わると「あの後もしばらく同じ状況が続いたんではないだろうか」というイメージが残るんじゃないかなと。そういうのが体感のレベルで違いがあるんじゃないかなと思って僕は作っているところがあるので。それは無音のポイントなども同じですけど。画に集中してしまうと音まで意識しなくなる、例えば見ることに集中することによって音への意識が徐々に薄れていくっていうのを物理的に、無理やり感覚に訴えかけるような感じをイメージしてつくっています。

『コンナオトナノオンナノコ』

――そうしたことは監督との話し合いのなかで決めていくものなんですか。

山本 いや、画の編集があがってきてからここはこうしましょうと監督と話をするのは僕はあまり好きじゃないし、そもそも一度形にしてないとみんなわからないですから。でもやっぱり無音のポイントとかはお芝居の心情的な部分が大きいので、ここだろうなというのは編集であがっているのを見て作業していくうちにまずわかりますよね。それで自分なりにポイントはここだろうなと作ってみて、監督に見せてみると、そこで違うと言う人はあまりいないですね。なので、とりあえずまずは勝手にやっちゃってます。

――しかし、そこに監督の考えに対する応答というものがあるわけですね。

山本 そうですね。昔、冨永映画がさんざんわからないと言われていた時期があったわけですけど、当時から自分の中では他人に説明できるくらい噛み砕いて自分の作業としてやっていたんです。それが冨永が考えていることと100パーセント一緒かと言われたらわかりませんけど、それは作品を一番はじめに見た人のひとつの解釈として受け入れてもらって。あの人が作りたいように作ってほんとに誰もわからなかったら、世に出せないじゃないですか。少なくともひとりはわかっているよという状況じゃないと。
だから初期の冨永作品で左右のスピーカーに音を振り分けているのも単に面白いからやっているわけじゃないんです。あれも実際は結構考えてやってました。当時、彼は間があることがすごく嫌だと言っていて、『VICUNUS』のときにはこの人はほんとどうして欲しいんだろうという素材がきたんですね(笑)。いくら隙間が嫌だと言ったってこれだけ台詞のある部分が密集しちゃったらちゃんと聴こえないよとなるじゃないですか。だから仕方なくぎりぎりのところで聴き取れる、それこそ左右に振ったりだとか、音量をいじったりという感じで。彼からの問題定義というか、難しいクイズが出されてたわけですよ(笑)。
結局『VICUNUS』以降、冨永にも「左右に振ってくれ」くらいは言われたことあるけど、「この音はスピーカーのこの位置で」とかステレオというか三次元的な演出は一切言われたことがないです。ただ台詞を重ねたいだけだったら左右のスピーカーに順々に音を振り分けてバンバンやればいいだけですけど、左右をランダムにしてみたり、途中で真ん中も織り交ぜてみたり、真ん中からだんだんと音を外に広げていったりとか、広がっていった音が真ん中に戻るとか……そういうことはたとえば話される台詞自体が外界に向かって発信しているのか、それとも自問的に自分に向かって言っているのかとも関係があると思うし。そういう効果が意識の演出になるのかなというのは冨永にも言わずに自分で考えて勝手にやったりしてました。
とにかく『VICUNUS』のときは試行錯誤という感じでしたけど『テトラポッド・レポート』までいくとこういった音の振り方も結構意識してつけています。そういう意味でも、ソフト化もされていないし、今回『テトラポッド・レポート』はぜひ上映したかった作品です。あの映画は冨永組のスタッフみんな好きな作品で、『亀虫』と合わせて各パートの熟練期ですかね。

――今回のトークゲストには青山真治監督の作品などで知られる録音技師の菊池信之さんを呼んでいらっしゃいます。菊池さんに興味をもたれるというのはどのような点からなのでしょうか。

山本 一番自分がやっている仕事に近いと言ってしまったら失礼なのかもしれないですけど、菊池さんも現場から仕上げ、効果までをひとりでやっているというのが一番大きいですね。作品もいろいろ観させていただいて、興味も持っていました。『パビリオン山椒魚』のときのライン・プロデューサーが青山組と一緒の方だったので、『こおろぎ』の現場を見に行かせてもらってダビングまで見せてもらったんです。ちゃんと下に付いて勉強させてもらってはいないですけど、師匠的な部分を勝手に僕が持っているので。そういう部分ですよね。

――ちなみにですけど、海外で録音の仕事に関してこの人はと意識する人はいますか。

山本 悲しいかな、実際自分が映画を観るときにあんまり録音を気にしてないと思いますね(笑)。同じ作品3回くらい観ないとたぶん気がいかない。普通に映画を楽しんで観ちゃうので。それが一番正しい観方だと思うし。
ハリウッド映画みたいに大きい音を出して後ろのスピーカーからも音を出すとか、そういう部分が凄いかとなるとどうかなというのもあるし。そのような質問されてしまうとゴダールの録音技師フランソワ・ミュジーとかは変なことやってるなと思うし。やっぱり意識はしますけど、自分が同じことをやりたいかというと違うので。普通、劇映画の録音で音を構成していくということは好き勝手にできるわけではないですから。音で意欲的なことをやりたくとも、それが作品の演出に含まれていないとできないことですし。監督が「ここで一発ドカンと出そう」と言ってもらわないとドカンと出せないわけですね。うん、やっぱり普段観るうえではそんなに意識していないかもしれないですね、残念な答えですけど(笑)。菊池さんとか知っている人だったら多少そういう意識はありますけどね。
だから、この映画祭の意図としてはそれを観る側に無理やり意識させるところはひとつあると思いますよ。うっかり観てたけど実はほうらこうなってたんだみたいな。こういう機会がないと本当にそこまで観ないと思うので。

――では、最後に録音映画祭の聴きどころをお願いします。

山本 まずはトークショーが濃いですよね。毎日、来る方に合わせてテーマを変えて話をします。『SR サイタマノラッパー』のときは、入江監督は小説も出しているのでラップも含めた台詞のことを話したいと思っていますし。『ライブテープ』も今回はどちらかというとトークありきの上映です。松江監督と前野さんで『ライブテープ』を語ることはこれまでも沢山やってきましたけど、今回は菊池信之さんと松江監督とで1日、前野さんと音楽ライターの磯部涼さんとで1日トークをやります。僕はこれがドキュメンタリーをやるのが初めてだったんですけど菊池さんは劇映画だけではなくドキュメンタリーの録音もやる方なのでどういう作り方をしているのかお聞きしたいですし、単純に菊池さんと話がしてみたいというのが一番ですね。もう1日のほうは『ライブテープ』の映画版とCD版のミックスのあり方というのが、映画を作っているときから葛藤じゃないですけど、前野さんはこうして欲しいけど僕と松江監督は映画だからこうしたいというのがあったりして。映画でやれないことをCD版でやりましょうというところから同じソースを使って違うものになったとかその辺の話はしたいなと。冨永とは公開待機中の『乱暴と待機』の話までできればと思っていますし、沖田監督ともいろいろ話します。今回上映する『鷹匠』は自分が関わった作品じゃないんですけどたぶん沖田映画の原点だと思うんですよね。あと、鷹を飛ばすときのバサッバサッというあそこはかっこいい!
まあ、録音映画祭といってもまずは気楽に観てもらってトークショーでいろいろと気がついてもらえればと思っています。それぞれ一度作品を観たことがある人は、あえて音を気にして観てもらえるとトークショーがさらにおもしろくなると思います。折角なので普段とは違う映画の観方をということではないでしょうか。映画を聴きに来て下さいということですね。

山本タカアキ(やまもと・たかあき)

1977年静岡県生まれ。録音技師、スタジオエンジニア、サウンドエンジニア。撮影現場での録音から作品の整音、音響効果までひとりで行う。日本大学芸術学部同期の冨永昌敬や後輩である沖田修一、入江悠をはじめ、多くの若手映像作家の作品に録音/整音で参加。今回の上映作品以外にも『くりぃむレモン旅の終わり』(07/監督:前田弘二)、『さくらな人たち』(09/監督:小田切譲)、『となりのとなりのあきら』(09/監督:山下敦弘)、『東京タクシー』(09/監督:キム・テシク)などがある。公開待機作として整音・効果として参加した冨永昌敬監督『乱暴と待機』がある。

SPOTTED63 vol.1
録音映画祭feat.山本タカアキ

日程:7月24日(土)~30日(金)
会場:池袋シネマ・ロサ
時間:21:00~
料金:各回1,500円(全日均一)
詳細はこちらまで http://spotted63project.seesaa.net/

プレイベント

スポポリリズムvol.12プレ録音映画祭
7月21日(水) 会場:ライブインロサ 開場19:00 開演:19:30
料金:予約2,500円+drink 当日3,000円+drink
※予約はLIVEINN ROSA(info@live-inn-rosa.co.jp)必要事項を記入の上
[SOUND PAINTING]『シャーリー・テンプル・ノ-リターン』(『シャーリー・テンプル・ジャポン』リミックス)
池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)×山本タカアキ
[LIVE ACT]P.O.P ORCHeSTRA(『SR サイタマノラッパー』シリーズ 音楽クルー)
前野健太とDAVID BOWIEたち(『ライブテープ』出演)

http://spotted63project.seesaa.net/article/152658893.html

取材・構成:渡辺進也、結城秀勇 
写真:鈴木淳哉