もう大丈夫かなと思って

──話は変わりますが、地震が起こるというのはどのようなアイディアから生まれたのでしょうか?

三宅 PMSとパニック障害は、これはあくまで大雑把な言い方ですが、からだの中のコントロールできない自然が原因なのだと把握しました。同じように、僕たちのからだの外にも天気や天災などのコントロールできない自然があるよねと連想して、「内外のコントロールできないものに翻弄されながら、なんとか真剣に対応する人たちの物語」という骨格が見えてきました。そして、地震や停電という想定外のトラブルがあったときに栗田科学の人たちがどう動くかということも見えてくるのはきっといいだろう、と。決して慌てず騒がず、落ち着いて対処するのが格好いいですよね。それから、暗闇で声だけを相手の存在を確かめるからこそ、話せる会話があるとも考えました。山添くんが「いつ発症したのか」をどこでどうはじめて話すかと考えていたときに、この日の帰りの夜道なら行ける、と共同脚本の和田さんと話した記憶があります。
 また、どうすれば山添くんの家に藤沢さんが再び入っていけるかも問題でした。小説では映画館を出た勢いで自然と家に行けるんですが、その場面が権利がクリアにならず実現できなかったため、和田さんと一緒に悩んだ箇所です。そこで、地震と停電があって、今日は早めに終業しようとなって、でも電車が止まって藤沢さんは帰れず、山添くんはカフェに入って電車の再開を一緒に待つわけにもいかないし、でもちょうど仕事もハンパだし、だったら家で少し続きをしますかということで、二人が自然と山添くんの部屋に行けるかな、という流れです。

──山添くんの部屋の場面は仕事もしているんだけど、プライヴェートな雰囲気もある場面だと思いました。どのように俳優たちを演出したのでしょうか?

三宅 6畳の部屋のどこに二人がいればあの雰囲気が成立するのか、クランクイン前にいろいろ考えましたが、これといった答えが出ないままでした。ただ、このシーンは撮影中盤の時期だったので、僕も月永さんも秋山さん(照明)もあの部屋の特徴を掴んでいたし、俳優たちとの関係性も出来上がっていたので、これは俳優たちの身体を使って試した方が面白いかもと考えました。それで当日、まずは二人に任せたところ、上白石さんが「まずはここかな」と居間の入り口横に座った。衝突の種になった炭酸水の段ボールの真隣に座るわけですけど、もう二人は大丈夫だし、と。一方の松村さんは「自宅なんでここですかね、パソコンも使うし」とソファーを背に座ることになりました。これで十分しっくりきたんですが、前のシーンでやや巻けてもう少し時間がありそうでもあったので、わざと別の場所も試してみようと提案して、ソファ横並びに座ったりだとかいくつか試しまして、「うん、最初のが一番いいね」とはっきり確かめられるような余裕がありました。その後ジャンプカットのような形で二人の体勢や座り位置が変わりますが、それも二人と一緒に、ポテチをとるなり水をとるなり台所に行くとしますよね、戻ってくる、と本棚が目に入りましたね、あっここでも本が読めるかも、というように発見していって、撮影はしていないですけどそうした流れを実際に動いて、それぞれの居場所を決めていきました。似たようなことを『ワイルドツアー』のときに中学生たちとやっていたんですが、全く体制が違う今回の映画のこの場面でも実践できたというのは、個人的に達成感がありました。

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

──藤沢さんは山添くんを見ているんだけど、山添くんが藤沢さんを見るときは彼女と離れているときであって、近くにいるときは藤沢さんにあまり目を向けない、という関係が映画では何度も見せられると思うのですが、そうした位置関係をお二人が自然に選んだというのはとても興味深いですね。

三宅 たしかに。いまご指摘いただいたことは事前に僕が見えていたものではないですね。役を通して、演じながら発見していったところです。僕が事前に提示した原則ではない。

──松村さんにあまり上白石さんを見ないようにという演出もされなかった?

三宅 松村さんには「向かい合わせで喋るときと、隣り合って喋るときでは出てくる言葉が違ったというような実体験はありますか」というような話をしました。すぐにピンときてくれて、相手の顔を見ないからこそ喋れること、喋れないこと、電話で声が聞こえるだけだからこその安心感もありますよねと。彼は、夜道でパニック障害が発症した時のことをはじめて話す場面も、相手の顔が見えなくなっているから話しやすい場になっているというこちらの仕掛けも、自然と把握されていたように思います。
 上白石さんは「たまたま隣の席に座っているだけ」という藤沢さんのセリフが好きだと反応してくれて、「でもこれくらい信頼があれば、もう隣じゃなくてもなんでも喋れるようにもなっているかもしれませんよね」とあまりにも柔軟なヒントをくれました。そのおかげでこちらも、絶対に4バックとかではなくて、ときにボランチが降りてきてもいいし、ときに3バックになってもいいみたいに、システムに縛られずに済んだ。お二人のおかげで、どこの位置にいても見守ろうとすることができる藤沢さん、見なくても声が聞ける位置にいれば相手を感じることができる山添くん、という個々のキャラクターが立ち上がりました。
 今振り返れば、最後のプラネタリウムの場面、山添くんが中には入れないけれど入口で声を聞くことはできるという状態がラストなので、シナリオにちゃんと潜んでいたともいえるかもしれません。

──位置関係を図式化できないところが面白いですね。

三宅 今回は柔らかくやっていこうという、まあだいぶざっくりした自分達の心構えがあって、各技術部との連携も高まっていたので、事前に決め打ちするところと現場で演出してからプランを決めていくところがいい形で切り替えられました。イン前は自分勝手に不安になってもいた記憶もあるけれど、やっぱり、まずはとにかく俳優がちゃんとキャラクターをつかまえることが大事なんだなと改めて学びました。それができれば、必然的に、一貫したなにかが結果として映画の中に行き渡るものなのかもしれません。

──そうした演出が二人の関係を恋人とも友達とも異なるある種名付けられる前の関係として見せているのではないでしょうか?

三宅 まさにその通りだと思います。恋人になることを目指す物語ならば、それに応じて二人の立ち位置の駒の進め合いになるわけだけど、そうではないですからね。だから、この物語の途中まではある程度プランもあったりするけれど、髪を切った以降はもう、どんな位置関係でも自由ないい関係という抽象的なものを、具体的に掴まえられたと思います。結果的にあらゆる角度のツーショットのヴァリエーションが生まれていきました。

──原作にはあった周りが二人の関係を邪推する描写は省かれていますが、それでも彼らを見守る人はいます。たとえば二人がデスクでプラネタリウムの原稿を相談している場面では微妙なパンによって後ろからそれを見る栗田社長の反応を際立てています。

三宅 オフィスの椅子の位置をどう配置しようかなと事前にかなり悩みましたが、でも真ん中に二人で奥に社長が見えるというのが決め手でした。

──社長が二人を見るのもいいんですが、一瞬しか見ずに仕事に戻るというのがさらにいいなと思いました。先ほどの話に繋げると、もう見なくても安心な関係に彼らがなったということなのかなと。

三宅 そうですね。撮影の段取りの際に、あのタイミングで光石さんが目をあげさげしたので、いいなと思いました。念の為どうしてあのタイミングなのか聞いてみたんです。本番前か後だったか忘れましたが。すると、「いや、もう大丈夫かなと思って」と。

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

──藤沢さんが栗田科学を離れることを山添くんに告げる場面も辿り着いた関係性が見えてきますよね。

三宅 はじめは、あんな静かな場所でもシュークリームひとつまともに渡せなかったような関係が、プリンターのノイズがあって声が聞きづらい場所、つまり栗田科学という場所の流れのなかで、お互いの人生の重要な決断を話せるくらいの関係になった。カットバックの引き延ばしやドラマチックなものを期待する人もいるかもしれませんが、あの場面ではむしろ関係の軽やかさを獲得できたことに手応えを感じています。藤沢さんが退職届を出す場面も含めて。でもそれは、撮影前から狙えていたことではなくて、撮ってるうちにあの会社が見えてきて、わかってきたことです。

──プラネタリウムの場面で藤沢さんはドームの中、山添くんが外という位置関係はどのように決められたのでしょうか?

三宅 山添くんはパニック障害のためにあの密閉空間には入れないけれど、でも体育館内ならば出口も見えているし、受付業務はやりたいというところが、彼が今、じぶんがいることができる場所なんだと彼なりに発見したわけですよね。そう、だから山添くんはどこにでもいられる人ではない。そのせいで相手の姿が見えないこともあるけれど、でも声は聞こえるという場所で、彼なりに世界を掴もうとしているんだと思います。自分の居場所はここじゃないと思っていた男が最後には元の世界に戻るという物語ではなくて。

──いまおっしゃっていた山添くんのその場にいる方法が映画の最後まで問題であるように、『夜明けのすべて』で重要なのは二人が一緒にいることで決してそれぞれの病や症状が解決されない、ということだと思います。そのあたりは映画全体を通してどのように意識されていたのでしょうか?

三宅 パニック障害は劇中内の期間では治らないし、PMSも終わらない。これはどうしても変わらないことです。でも、なにかは変わったはずで、どうすればそれが発見できるかということのために、できることは環境を用意することでした。藤沢さんは、冒頭と変わらず最後にもまだ雨は降っていて、お母さんのこともあり、世界は苛烈なまま変わらない。けど、大きな決断をした彼女には、なにか目には見えないところで変わったものがあって、それを撮りたいと思いました。山添くんは変わらず炭酸水は手放せないけれど、最初は着ていなかった会社のジャンパーは着ている。そのように変わらないものと変わるものを、演技するための環境や小道具を用意するまでが僕らのできる範囲の仕事で、あとはもう、俳優たちがこの物語と撮影期間を通してどう変化したかを、見事にキャメラの前に見せてくれたように思います。

──「一緒にいることができてよかった」でも「救われた」でもなく、「出会えてよかった」に留まるのが二人の関係らしいですよね。どの段階で山添くんのナレーションを考えたのでしょうか?

三宅 「出会えてよかった」という言葉だけは、もうギリギリまで、松村さんのナレーションを録るギリギリまで悩んでいて、彼が到着するほんと数分前くらいにやっと、あっこれだ、あぶねー、と。いやあ、もっと早くわかればいいんだけれど。

2024年2月6日、六本木 聞き手・構成:梅本健司

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