桃まつり presents kiss! 『あとのまつり』 監督インタヴュー 瀬田なつき

昨年より少し早く、今年は梅の季節に開催中の「桃まつり」。
新鋭女性監督たちを集めるこの宴も、今年は、ほとんどメンバーを入れ替え、またもや魅力的な作品ばかり揃えてくれた。そんななか、今回は瀬田なつき監督にお話を伺ってみました。
2006年、東京藝術大学を修了し、卒業制作の初長編『彼方からの手紙』(08)で世間を騒がせた彼女。また『夕映え少女「むすめごころ」』(08)で彼女を発見した方、さらに遡れば、映画美学校在学中の作品『とどまるか、なくなるか』(02)にて、すでに彼女の将来を確信した方もいるでしょう。『あとのまつり』という、今回もまた魅惑のタイトルを持つこの短編では、すでに確立されつつある彼女の宇宙が、新たな要素も加えてさらに広がり出している。
走って、踊って、とりあえず小躍り。潤む涙と、復活のキス。ぼくたちわたしたちは、時間と空間をポケットに生きているのだ。ときどき忘れて、ときどきふと気付く。19分間のフルスロットルの果てに来るのは、いまここに自分たちが生きている実感と、いまここで瀬田さんと同時代を生きている歓びなのだった。
さあみなさん、あとのまつりにならないよう、今夜は渋谷で桃まつりですよ。

前作の長編『彼方からの手紙』(08)同様、今作も冬。寒そうでしたね。主人公の女の子が「今日は1月2日」と語るのですが、あの日付は本当ですか?

そうです、あのシーンは1月2日に撮影しました。ドタバタと1週間ほどで脚本を終えて、撮影は2008年12月の28、29日と1月の2、4日の年末年始4日間でした。実は最初5分程度のものを丁寧に撮ろうかと思っていました。ただ少し話を増やしてみたら、えらく物語が膨らんでしまって、撮影日数も増えてしまった。もっとささやかな感じにしようと思っていたのですが、何か段々と……。こう話すと、瀬田は適当にやっていたと思われるでしょうが、そのときは実際もの凄く必死でした。まあ「あとのまつり」です。

『とどまるか、なくなるか』からずっと、瀬田さんの主人公は少女ですよね。俳優を選ぶ際の基準など、何かありますか?

恥ずかしい話ですが、子供だと現場で色々言いやすいんですね(笑)。深く考えずにやってくれる。今しか映せない瞬間を持っているのが魅力です。手慣れていないといいますか。まず御会いして、台詞を少し読んでもらいます。そこで複数のパターンで読んでもらうんですが、そのたびに変化のあるひとがいいなと思っています。「これが演技だ」という固まったものを持ってない、柔軟で機転が利くひとです。少女役に関しては、中山絵梨奈さんに御会いして決めました。彼女は13才にしてはオトナっぽいんですが、でもギリギリというか、いましかない少女っぽさを残している。

俳優との作業はどうやって?

事前にリハーサルはあまりしませんでした。本読みは形式として一度やって、その際「何か判らないところは?」とも訊ねますが、まあ書いてある台詞が台詞なだけに「判らないというか、これはいったい……」という雰囲気になります。細かい身振りや姿勢などは、本番でキャメラを廻す際に何度かテストしました。「3秒したら動く」とか「合図したら目線を変える」とか、結構細かい指示をしていたと思います。走るのは、もうそのまま本人に任せればいいので「もちろん全力でやってね」と脅し風に一言。その割にはとても楽しそうに映っていました。
おそらく彼らは疑問だらけで演じていたはずです。ただ、いちおう福田佑亮くんにはダッフルコートを着せてマフラーを付けて、ちょっとジャン=ピエール・レオーみたいな雰囲気にならないかなと、期待していました。

決定的な仕草もありましたね。親指で唇をなぞる……。

ええ、やっちゃいました……。勝手にしやがれって感じのあれです(笑)。彼女には彼の名前も出しませんでしたし、おそらくわけも判らず必死にやってくれて、でもスタッフ全員で「んー、ちょっと違うなあ」なんて難癖つけて(笑)。申し訳ないです。

『とどまるか、なくなるか』(02)を作る際、最初ミュージカル映画のプロットを書いたけど上手くいかなかったと仰ってましたが、今回ついにミュージカルをやってしまった。

ああ、たしかに言った気がします(笑)。でもミュージカルは観ていて愉しいですよね。「突然こんなことが起こってしまう」というのが良い。いきなり非日常になるわけです。今回はとにかく、自由な感じでやろうと思っていました。アンナ・カリーナが踊るときのように、気軽な感じがいいなと。それこそ60年代ゴダールのような。でもまさか、あんなことになってしまうとは……。

瀬田さんの趣味はロケハンと聞いていますが。

ゆりかもめを見に行く設定は予め書きましたが、ロケハンは脚本執筆後に開始しました。キャメラマンの佐々木さんは制作もやっていた方なので、色々な場所を知っていて、彼もざっくり調べてくれました。それで、埋め立て地がいいよねとなって、豊洲のあたりをふたりで見に行きました。そのとき「東京オリンピック宿舎予定地」の看板も見つけて「これはいい!」と思いました。また1年後にここを撮りに来たらジャ・ジャンクーみたいになるかもね、なんて話をしていました。そもそもロケハン巡りは大好きです。たしかに、あの辺りは予め目星を付けてました。実際行ってみたら、建設現場のような荒地のような、もの凄く中途半端な感じがいいなと思いました。
自分には、東京で撮りたいという意識がつねにあります。変わっていくような、変わりつるあるような場所で撮りたいです。

瀬田さんのフィルムにはつねに過去、現在、未来が繋がってしまって、同時に存在しています。そしてフレーム内フレームがその装置としてある……。

ここだけではない何処かがあるのではないか、そんな意識があります。わたしが見ている世界とは違う場所と繋がっていくような……。色々なものが並列して進んでいて、現実が歪んでしまう隙間のようなものが映せると面白いと思っています。もちろん、まだまだ実際には上手くいってないと自覚していますが。
本当だと思っているものだけが真実ではないと、そんな漠然とした感覚があるんです。この世界もどこかから操作されているんじゃないかと(笑)。もうひとつの別の視点があるような不安が……。

カット割りは予めきっちり決めてるんですか?

ジャンプカットみたいなのが多いですよね。要するに編集では、シナリオ自体はいじりませんが、とにかく良く見えるところを使おうと考えているんです。その結果ジャンプカットが生まれちゃう。本当は時間があればもっと撮りたいのですが、今回は2、3テイク程しか時間的に許されていなくて。自分は編集で結構いじる人間だという自覚はあります。編集で何とかできる!と。いや、これは後ろ向きな発言ですね……。

でも『とどまるか』のときは、それほど編集に力を入れてる印象はなかったような。

そうなんですよね……。要するに技術的な面を「知っちゃった」というのが大きい。何か足りなくても編集で何とかなるかも、音を重ねたら何とかなるかも(笑)と。『とどまるか』の頃はまだ切って貼ってしか知らなくて、まあいまも似たようなものですが……。ただ台詞に関しては、「台詞を覚えられない」と言われ、「それじゃあ覚えなくていいよ」となって、それもひとつの理由で、オフの声を被せる方法に至ったわけです。

それから瀬田さんのフィルムにはいつも「切迫感」がある。

そうですね。切迫感はつねに出そうと思っています。台詞に関していえば、口にしてもらった台詞と台詞の間も抜いて、さらに息継ぎの部分も切ってしまっているので、たぶん息をせずに喋っているように聴こえると思います。

少女時代の終わりや、また『彼方からの手紙』では、それと同時に「父親になる」という非常に大きなラインもある。これも切迫感です。

たしかに。何かのリミットが近い、永遠に続かない、という感覚ですかね。これはわたしが悲観的でネガティヴな人間だからなのでしょうか……?

さて遅れましたが、今年の「桃まつり」はキスがテーマです。ここでのキスシーンでは、まず男の子が横たわっている(死んでいる?)、そこに彼女が近付く。すぐキスするかと思いきや、実際、まずは彼の隣りで一緒に横たわるんです。なぜかあそこにグッと来ました。

ああなるほど。あまり深くは考えてなかったはずですが、とにかく1クッション置きたかったんですね。キスをする前に、少し考える時間が欲しかった。タメというか、フェイントと言うか。

あと風船が飛んでいくとき、飛行機が画面内に入って来ますが、あれは……。

まったくの偶然です。小さいから誰も飛行機に気付かないだろうと思いつつ、ひとり喜んでいたのですが……。気づいてもらえましたか!ただ飛行機に関する台詞と、飛行機のカットを挿入することは予め書いてありました。

ちょっと戻りますが、瀬田さんの書く台詞って、もの凄く気持ち良いような悪いような、奇妙な感じに響くんです。何か参考などあるのでしょうか?

参考はとくにありませんが……、とにかく、あまり意味の強いものは入れないようにしています。あまり説明のない台詞ですね。濱口竜介さんの『PASSION』(08)みたいに、ガンガン本音風の台詞を言わせるのではなく――まあ濱口さんのセリフも結局は同じところに行き着くのでしょうが――空虚な言葉を喋らせたいと思っています。

スチャダラパーのリリックに聴こえる瞬間があるんですよ。

スチャダラパー! よく聞かれるのですが、『彼方からの手紙』のタイトルは、いちおうスチャダラさんに使用許可をいただきました。でもさすがにスチャダラパーを聴きながら台詞を書いてるというのは、ないです。影響は受けていると思いますけど……。でもよく考えてみると、たしかに自分の台詞にリズムを付けるとラップみたいに聴こえる気がします。いつか、やってみたいです。
ちなみに当初のタイトルは『まつりのあと』だったんです。でも桑田圭祐が同名の曲を歌っているのが発覚して、しかも聴いてみたら、まあこれがなんとも渋い曲でして(笑)。それで「タイトル逆にします!」となりました。

*今回掲載したのはインタヴュー抜粋になります。長尺版は小誌次号(5月発売予定)にて掲載します。瀬田なつきさんの魅力さらに満載ですので、どうぞお楽しみに!

『あとのまつり』
2008年/19分/HDV16:9/カラー 出演:中山絵梨奈、福田佑亮、太賀、スズキジュンペイ、三村恭代 スタッフ:撮影・制作:佐々木靖之 撮影助手・スチール:安岡洋史 録音:松浦大樹 音楽:木下美紗都 合成編集:山崎梓 監督・脚本・編集:瀬田なつき 

『あとのまつり』STORY
その街では忘れてしまうことが日常となっていた。だから、その街に住む13歳のノリコたちは、忘れられることも忘れることも恐れないように、挨拶は「はじめまして」にすることにしている。ある日、友達のトモオとふたりで、自分たちのことを書いた手紙を風船に託す。遠くの誰かに、ふたりがこの世界にいたことを知ってもらうために。やがて、トモオはノリコのことを忘れてしまう。

取材・構成:高木佑介、松井宏
写真:鈴木淳哉