——初長編35ミリ『すべては夜から生まれる』(02、以下『すべては』)では、川口さんの他にプロの俳優である西島秀俊さんを起用しましたね。
K:彼は凄いひと。さっき川口君について言ったのと同じで、納得してる、してないの次元で動いてない気が…、もう「そのもの」、そこに存在するだけにみえるんですよ。ブレッソンが、慣れを恐れて同じ人間はむやみに起用しなかったように、たとえば僕らみたいな無知なひとなら、幸か不幸か、それがやりやすいかもしれないと。でも俳優という、要は演じることを職業としていて意識的であるひとが、それをやれてしまう。つまり彼は毎回リセットができてしまう。とても驚いたし、しびれました。
——あの作品で初めて女性をちゃんと撮ったわけですが、難しさみたいなものは感じましたか?
K:基本的に僕は男ばっかり出てるのが好きなんです。女性が出るとしても、どうしても強い女ばかりになっちゃう。だから『すべては』では、自分が苦手なものを意識的に取り入れようとしました。『Two death』は楽というか、さあ男3人で何かやろうとなると、すぐ書けるし撮りやすいし、楽しいし、どんどん進んでいく。結局僕は女のひとをよく分からないというのもあって…、とにかくその辺を入れていこうと、その必要を感じたわけです。
『すべては』には、実は最初の構想段階でもうひとり登場人物がいました。語り部としての老人で、彼がカフェにいて、そこに皆が集まる感じにするはずだった。最初はね…『早春』(56、小津安二郎)をやろうと思ったの。池部良さんの視点で見てみようと。つまり、あそこから数十年後の池部良さんがカフェにいて、現代の若者たちがかつての自分と同じようにやってるのを見たらどうかと。池部さんにも出演を依頼したんだけど、残念ながら実現しなくてその部分を削ることになった。だから実際の作品には少し違和感が残ってるはず。ただその当時の西島さんには池部さん的なものを感じた覚えがあります。
——さらに『砂の影』では、ついに女性が主人公ですね。一種のチャレンジ感はありましたか?
K:チャレンジかはわからないですね。『砂の影』は実際の事件が元にあって…、そもそもこの企画は越川道夫さんからいただいて、つまり最初から自分で書こうと思ってたわけじゃないですし、要はタイミング、必然的にこれをやるという機会が「やっぱりきたな」って感じで。
要は僕が上手く書く術を持っていないのもありますが、やっぱりよく分からない、僕にはこの主人公の女性が。もちろん、こういうひとだって決めることはできる、けどそうやって決めてしまうことが果たしていいかどうか。だから「分からない」まま、そのまま彼女を脚本に突っ込んでいきましたね。
事件の内容は全然知らなかったけど、それに引きずられたくなかったし、資料集めや調査はとくにしなかったですね。予算の制限を含め、ある程度限られた条件でやらねばならないのを最初から分かっていたし…、そういえば最初に越川さんと「これはハリウッド映画じゃない」って話した覚えがありますね。そのときはまだ8ミリを使うことは決まってなかったけど、つまり、とにかく上乗せのやり方とは違うやり方で面白いものができないかなと、そう考えて進めていきましたね。
——ARATAさんが演じた役、あれは創作ですか?
K:あの人物は完全な創作。逆にそっちの方が面白いと思ったし。僕は実際の事件にはそんなに興味が持てなかったんです。どちらかといえば、当事者というよりは、そこに惹かれていく者の話の方が面白いかなと思いました。その視点がARATAさんの中にありますね。ただ、なぜ惹かれるかの理由は、まあ愛なのか勘違いなのか分からないんだけど。
——おそらくそのせいで、あの人物、要はストーカーなんですけど、同時に探偵みたいですね。
K:うん、あとね、そこにちょっとスラップスティックの要素を入れようと思った。良い意味での胡散臭さが出ればいいなと。どこか隙間があるというのかなあ…、僕はそういう人物は一番書きやすい、胡散臭くて、だからこそいちばん生身。
——それにしても前作までと比べ台詞が増えましたが、ただこの作品、もし以前みたいに台詞をもっと切り詰めたとしても、まったく過不足なく物語を語れたと思うんです。
K:まずシンプルな理由で、つまり喋った方が面白いかなと思った。声を聴きたいなという気持ちがあって…。そのあたりは、もしかして以前と変わってきてるのかもしれない。前はやっぱり完成することに向かっていたと思う。隙間を全部埋めて、構図も含めてすべてかっちりかっちりやっていくぞと。でもいまは、こぼれ落ちるものというか、そっちの方に向かってるのかも。たとえばそのひとつとして声があるのかもしれない。俳優さんの声って僕がコントロールできるわけじゃないし、そういう要素が入ってくる必要を感じました。まあこれって当たり前の話なんだろうけど、その当たり前が僕にはなかったんだね(笑)。とにかく、滑り込まされるというか、自分の意図じゃないところに入っていく必要。そこが面白くなってきたと感じています。
——キャメラマンはじめ、いままでとは違うスタッフと仕事するのも、そこに関係あったんでしょうか。
K:その辺りも、自分の意志じゃないところでスタートしてるという感じはありました。以前だったらそれを受け入れられなかっただろうけど、その機会がちょうどこのタイミングでやってきた。「あっ、きた」というか感じ…。一日考えましたけど。
——たとえばキャメラマンのたむらまさきさん、あるいは録音の菊池信之さん、彼らと仕事することに決まって、彼らの以前の作品などを見直しましたか?
K:見たけど見てない…、でしょうか。
——画面に関していえば、いままでとはスタイルも何もかもまったく違いますよね。
K:まあそれは、たむらさんと仕事するということに限らず、8ミリを使うこともあるし、いろんな条件から、コントロールするとかではないって感じたんです。とにかく画に関しては、見た目の狙いという方向に向かうこともなく。
画も含めて、自分が考えているものよりも、実際にたくさんのものをもらいました。僕にはフィジカル的な部分が足りない。頭では、たとえば変化を考えられるとしても、実際はそれほど簡単にできるわけではない。経験があるなら別だけど、僕にはやっぱりそれも足りない。口では柔軟さを言いつつも、なかなかそうならない部分がある。なんかね…「引き裂かれた」って感じですよね。でもそれはすごく面白かった。
——セミの鳴き声、よかったですね。まるであれだけで物語を語っているかのように。
K:菊池さんが最初に「蝉でしょ」って言ってね。あれは脚本に書いてあったわけじゃないんですけど、そのあたりは菊池さんにいただきました。
—−この作品、とにかく様々な音がすさまじいのですが、でも以前の作品から、たとえば足音とか、印象的な音がすごく響いてたと思うんです。
K:音や画もそうだけど、僕は「ないもの」から考える。最初からあるものってなると、そこにあまり意識はいかなくて。でもたとえば生活してるとき、目を瞑れば、いろんな音やいろんなものが気になります。何か思い付かなくなったら、そういう作業をしてみる。最初から「あるもの」として全部捉えると洪水になっちゃうし、いちど消してみて、何が必要かっていうのかな、そうやって意識します。
——主人公の女性と暮らす男も、生きているのか死んでいるのか分からない。
K;そう、だからそのまま突入したの。夢か現実かわからない、そのままで。ロケハンの話じゃないけど、ここはひとがいなさそう、ここはいそうっていう境界なんて実はあまりないでしょ。それと同じで、境界はきっちりしない方が面白い。ひとそれぞれに境界はあると思うけど、そんなものは日々変わるわけで、そっちの方に惹かれる。
——何度か砂漠のショットが——そこに主人公の女性もいるのですが——挿入されますよね。これまで甲斐田監督には見られなかったような、まさしく幻想的というか夢幻的な…。
K:うーん、ちょっと変なこと話していいですか? どうして後期のカサヴェテスには、夢みたいなものが出てくるんだろう?
『オープニング・ナイト』(78)から、実際に亡霊や夢が出てくるよね。つまり目に見えてしまうようになった。いったいどうしてだと思う?
蝉の轟音が鳴り止まぬ晩夏、OLのユキエ(江口のりこ)が暮らすのはクーラーもない扇風機だけの部屋。そのうだるような暑さに愚痴をこぼす、モデル志望の彼氏、玉川(米村亮太郎)。婚約もしているふたりの関係は、だが幸福も不幸も麻痺しているように見える。そんな彼女をなぜか執拗に追いかける会社の同僚、真島(ARATA)。子供のような彼に見つめられることでユキエの中に何かが生まれてゆく。そしてあるとき、彼女の世界は反転する。
『砂の影』
監督・脚本:甲斐田祐輔
企画・プロデュース:越川道夫
撮影:たむらまさき
照明:平井元
音響:菊池信之
編集:大重裕二
音楽:渡邊琢磨(combo piano)
出演:江口のりこ、ARATA、米村亮太郎、光石研、山口美也子、足立正生
2008年/8ミリ→デジタル/76分/カラー
第37回ロッテルダム国際映画祭 Strum und drunk部門正式出品作品
2/2(土)より、渋谷ユーロスペースにてレイトショー公開
公式HP:http://sunanokage.com/
公式ブログ:http://d.hatena.ne.jp/sabaku_m/
作品情報、監督およびスタッフ、キャストのプロフィール、8ミリの魅力などなど、『砂の影』を深く知るためのコンテンツが満載。