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October 9, 2015

『黒衣の刺客』ホウ・シャオシェン
結城秀勇

[ cinema ]

フィルムによる撮影・上映ではなく、デジタルによる撮影・上映でのみ可能になる映像のあり方があるんじゃないのか、と数日前に書いたばかりだが、『黒衣の刺客』がまざまざと見せるのは、とりあえずフィルムで撮っておけば、あとはデジタルのポスプロで作れない画面なんてない、という圧倒的な事実だ。フィルムで撮影しさえすれば、この世に存在するあらゆる映像はつくりだせる、そんな断言にも似た力強さーーそう呼ぶにはあまりに荒々しい凶暴さーーに満ちた作品が『黒衣の刺客』だ。
全編フィルム撮影という前情報をなんとなく耳に挟んで見に行ったが、見ている間は「もしかしてフィルムで撮影した部分もある、くらいだったか」と思うほど、いわゆるフィルムらしいルックスを統一的に残して仕上げるようなことを、ホウ・シャオシェンはしていない。コーエン兄弟の最後のフィルム撮影の作品だと言われる『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』がフィルムの質感をこれ見よがしに画面に定着させようとしていた(そしておそらくデジタル加工でフィルムの粒状感を付け足してさえいると個人的に思う)のと比較すれば、あまりに明瞭すぎるほどに、『黒衣の刺客』はなにか一貫したルックスのようなものに、微塵も未練を持っていない。冒頭のコントラストの強いパッキリしたモノクロ。赤や紫の浮き立つような発色。かと思えば見事なパンフォーカスの遠景で、これぞフィルムという特有の緑を映したと思ったが早いか、いかにもデジタル的な砂色に褪色した草木を浅い被写界深度で映し出したりもする。そして誰もが気になるあの突然のヴィスタへのスクリーンサイズチェンジ。過去に属するとか、フラッシュバック的な機能だとか言うことはできるのだろうが、正直、一言で言えば、なんでそんなことやってるのか意味わかんない。ただ映画にはこれができるのだ、という断言を繰り返し繰り返し畳み掛けられるような映画だ。
もちろん主演のスー・チーの美しさにも目を奪われるのだが、見ている間中、その背後にいるスタッフの凶暴な仕事っぷりに意識がいってしょうがない。各々がそれぞれに繰り出す規格外な仕事っぷりに、まるで、ホウ・シャオシェン、リー・ピンビン、チュー・ティエンウェン、ドゥー・ドゥージ、リン・チャンといった人々が、この物語の舞台である時代の中国大陸にはいたのかもしれない、武侠と呼ばれたような人たちの生き残りのように思えてくる。映画は美術館に収まるような芸術などではなく、カタギなビジネスでもなく、ましてやコンテンツなどというものではない。もっと危険なものだろ、と胸元に切っ先を突き付けてくるようなこの作品に、腰を抜かすとともに、快哉を叫ばずにいられない。

映画『黒衣の刺客』オフィシャルサイト