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April 7, 2018

『大和(カリフォルニア)』宮崎大祐
田中竜輔

[ cinema ]

 一度としてこの映画には姿を現さない「アビー」のことが、やけに気にかかった。主人公サクラ(韓英恵)の母親である樹子(片岡礼子)の恋人、そしてすでに故人となった日本人女性との間にレイ(遠藤新菜)という娘を持つ、かつて厚木基地にいたとされるアメリカ兵の名である。「アビー」について、その人は自分にヒップホップを教えてくれた最初の人であり、美少女フィギュアづくりに勤しむ兄の健三(内村遥)をアーティストだと褒めてくれた人だと、日本を訪れたレイを連れ回す先でサクラが何気なく伝えるシーンがある。いいシーンだと思った。彼がまったく日本を訪れようとしないことについて、サクラが母親に辛辣な言葉を発している場面もあるが、かつて「アビー」は本当にいい奴だったのだろう。バイト先の流行らない鰻屋を営む「せいいちろう」(塩野谷正幸)と同じくらいに、あるいは普段はオタク趣味にどっぷりだが妹のサクラをいつも気にかけている健三と同じくらいに、そしてアルバイトを掛け持ちして生活を支えつつ子どもたちには嫌な顔ひとつしない母親と同じくらいに、「アビー」はいい奴に違いない。サクラの言葉には、そんなことを信じさせてくれる、心地のよい軽さがある。
「アビー」と出会わなければいまのサクラはない。だが、もし、サクラが「アビー」と出会っていなかったとすれば、彼女は現在をどう生きていたのだろう。優しき「アビー」は、自分の愛した女性の娘に、その青春を捧げようとするだけの何かを教え、同時に自らの不在によってその少女に苦悩を担わせることにもなった。「アビー」に出会いさえしなければ、もしかしたらサクラは高校に通っていたのかもしれない。無用な喧嘩を繰り返しもせず、今よりもずっと安定した生活を送れていたかもしれない。あるいは、もし今もなお彼女のすぐそばに「アビー」がいてくれたのなら、よりずっと生産的にヒップホップと付き合えていたかもしれない。ドンキとセブンと漫画喫茶とモールと未成年禁止のクラブとキャンピングカー以外に、友達と出かけるところを見つけられていたかもしれない。しかし、それらはもう取り返しのつかないことなのだ。たとえば明日突然に「大和」から「基地」がすべて消え去ったとしても、その土地が「基地」以前の「大和」へと戻ることなど考えられないように、「サクラ」と「アビー」もまた、はなればなれであるからこそ、分かち難く結びついてしまっている。
「そのタイトルが示している通り、『大和(カリフォルニア)』は、みずからのうちに二つの場所、二つの空間の入り組んだ関係を含んでおり、そこで描かれるローカルな「地元」の世界は、あらかじめグローバルな動きに深く浸透されている」と、海老根剛が見事に指摘しているように、サクラの生は、彼女の生きる大和という街は、つねにすでに自身のコントロールの範疇を超えた「グローバルな動き」に浸された土地であり、「二つの場所、二つの空間」の目に見える隣接−−金網越しに見える米軍居住地の風景、上空を飛び交うジェット機やヘリコプターとその轟音−−というのは、大和と基地とを結びつけている複雑な関係のごく一部として、たまたま隆起した形象のひとつにすぎない。宮崎大祐監督はオフィシャルHP掲載のインタビューのなかで、厚木基地の敷地内に住む人々は、基本的にそのなかで生活が完結しており、騒音以外にほとんど目に見えるかたちでその存在感を示すことがないと述べている。サクラにとって「アビー」の存在=不在とは、まさに「大和」と「基地(=カリフォルニア)」の間における不可視の関係と同様のものとしてある。もはや視覚的に明確な像として結びつくことはなく、それゆえにこそ決して切り離しえなくなってしまった状況や出来事の数々が、このフィルムにおいては「アビー」という名前だけの存在に集約されているということだ。
 だからこそ、サクラは「アビー」を自らと切り離そうとするのではなく、むしろ自分自身を「アビー」へと変貌させるために、言葉を紡ぐ。レイの言葉に激昂してサクラが言い返した言葉を借りるのなら、「コピー」ではなく「サンプリング」を信念として、つまり自らの存在とそれに関わる事象を素材に、己自身を「他者」へと変えるための方法が、サクラにとってのラップなのだ。そしておそらく宮崎大祐監督にとっての映画もまた同様のはずだ。虚構と分かち難く結びついた現実をもって、もうひとつの現実をスクリーンに屹立させる技芸として、『大和(カリフォルニア)』という映画はある。そんな試みに身を投じることで、サクラは「アイム、インディペンデント」という宣言とともに、もうひとりの「アビー」となる。ゆえに彼女もまた、かつて自分がそうであったような背丈の少女に向き合い、その子に「おうた」を教えることになる。

2018年4月7日(土)よりK's cinemaにて2週間限定ロードショー!