nobody/Journal/'01_12
~DECEMBER 12/29__up
dated
-『サッカー批評』
13号
-『プラットホーム』ジャ・ジャンクー
-『ギター』あるいは曽我部恵一について
-『[鼠晏]鼠(うごろもち)』川上弘美
-『CUT 2002年1月号
NO.129』
-『光にむかう3つの夢想曲』西周成
-『バニラ・スカイ』キャメロン・クロウ
-『光の雨』高橋伴明
-『まほちゃん』島尾伸三
-『ハリーポッターと賢者の石』クリス・コロンバス
-『アンドレ・ポップ/POPP MUSIQUE』
-『動き出すかつての夢』アラン・ギロディ
-『ワイルド・イノセンス』フィリップ・ガレル
-『カドッシュ』アモス・ギタイ
-『息子の部屋』ナンニ・モレッティ
-『大学ラグビー
早稲田vs明治 12/02』
-『ヴァンダの部屋』ペドロ・コスタ
12月29日(土)
『サッカー批評』 13号
「サッカー批評13号」の特集「ファンタジーの正義」は最近のこの批評誌の中で出色の出来だ。冒頭にあるペレやマラドーナのインタヴューはちっとも面
白くなかったが、ワールドカップ予選に散ったオランダを分析した文章──上田慈夢の「オランダの憂鬱」と永井洋一「ファンタジスタ受難の時代」──は、実に興味深い視点を提示している。1974年のワールドカップでのローテーション・フットボール以来オランダのファンになったのは僕ばかりではあるまい。「オヴァーラップ」「プッシュアップ」「プレッシング」を特長としたオランダのサッカーは今や「世界標準」になってしまった。ファンタスティックなサッカーがまったくファンタスティックではなくなってしまったのだ。でもたとえば98年のワールドカップでの対ブラジル戦、00年のヨーロッパ選手権の対イタリア戦は、それぞれの大会でも屈指のゲームだった。その2試合とも圧倒的にボールを支配しながら、オランダはPK戦で敗れている。そして今回はワールドカップのヨーロッパ予選で敗れた。ヨーロッパのレヴェルが高いと言ってしまえばそれまでだ(後藤健生はスカパーの「ワールドカップ・ジャーナル」でそう発言していた)。杉山茂樹といった評論家なら、その原因を、勝敗を度返しして美しいサッカーを愛するオランダの国民性に委ねるだろう。だが、僕は、ヨーロッパ選手権のイタリア戦の後半あたりにその原因があると考えていた。選手のレヴェルは非常に高いし、ワンタッチでパスが繋がる様は見ていて心地よかったが、そのパスの繋がるリズムがあまりに単調なのだ。後半になるとイタリアはそのリズムに合わせられるようになり、ボールを支配されていても一向に押し込まれている感じがしない。ペナルティ・エリアの周辺を自由にボールが回っているだけで、ゴールネットに吸い込まれる感じがなかったのだ。上田や永井は、その単調なリズムの原因をファンタジスタの不在に求めている。端的に言って今のオランダにはクライフがいないのだ。同様にワンタッチのパス・プレーを中心にゲームを組み立てるフランスにはジダンがいるのだ。確かにルイス・ファンハールのサッカーはアヤックスでもバルサでもオランダ代表でもつまらなかった。ここでは詳述できないが、そういった分析を少なくとも僕は他の文章で読んだことはなかった。
この特集でもうひとつ興味深く読んだのは風間八宏のインタヴューだ。「自由にやんなさいと言われると、どうしたらいいかわからない。(…)高校までいろいろと規則があって、とりあえずそれに従ってればやかったのが、大学に入って、さあ自由だと。何をするかというと、髪の毛染めてくるだけ(笑)。それも皆でそろってやってくる。サッカーでも同じですよ。「これやりなさい」には慣れてるけど、「この結果 出しなさい」とだけ言われると困る人が多いわけです」。指導者は皆たいへんなんだね。
(梅本洋一)
『プラットホーム』ジャ・ジャンクー
冒頭からやたらと「音」が騒がしすぎる。劇団員たちがあつまるところにはラジオから音楽が流れ、街角でもどこでもとにかく人の叫び声やら車の騒音やらずーっと「何か」がなっているのである。街というか、村というか。ともかく田舎の閑散とした場所なのに、である。こんな場所がこんなに騒がしいなんて、ひょっとして街頭スピーカーでも付いていてラジオ放送がずっと流されているのではないかと疑ってしまったほどだ。しかし80年前後の中国、それも大都市でもない地方の町がどこかの商店街のような様であるはずもなく、道では馬が台車を引いていたりして、どこにも街頭スピーカーなんて見つからなかったのだけれど。
しかし映画が進んでいくに連れ、つまりロックバンドになるための旅(旅にでるときにはロックバンドになることを決めた者でしかない)に出発すると、彼等はついには音を生み出す側にまわったにもかかわらず次第に「間」のようなものが生まれてくる。そうした「間」は沈黙と結びつき、ついにはそれが映画の全体を覆い尽くして彼等は故郷に戻ってくるのだ。このようになって始めて、冒頭の喧噪は彼等が聞いていた音、「あの時あの場所」の音なのではなく、「どこかよそ」の音が、あの場に過剰に流入していただけなのだということに気付くのである。そして「あの音」は現実にはどこにもなかったのだと、彼等はうなだれて、再び煙草を吸うのだろうか。
(中根理英)
『ギター』あるいは曽我部恵一について
某同人誌の「90年代ベスト盤」にサニーデイの2nd『東京』を挙げたくらい、私はこのアルバムが誰が何と言おうととにかく大好きだ。(曽我部恵一はエッセイ集『昨日・今日・明日』の中でトリュフォーの『大人は判ってくれない』について書き記しているが、)トリュフォーがフレームに収めたエッフェル塔というオブジェの美しさは、彼の眼差しが、例えば『パリの恋人』の中でオードリー・ヘップバーンやフレッド・アステアが「まだ何かが足りない〜」と歌いながらパリのランドマークを見上げる、そうしたよそ者の視線、異邦人の眼差しとほとんど同じものではないかという素朴な驚きからやって来る。そしてサニーデイの『東京』というアルバムは、これもまたよそ者の目に映るひとつの風景のように私には思われる。というのも彼(曽我部恵一のことであるが)は地方都市からやって来た者であるし、このアルバムがリリースされた95年は「はっぴいえんど」の時代ではなかったし、世間は間もなくこのマイナーを受け入れることになる訳だが、メジャーデビュー間も無いこの時点では当然メインストリートに乗っかってはいなかったからである。『東京』では慎み深さも傲慢さも同じように作用しているようである。理想と現実の断面
図のような、「東京」という土地の架空のポートレイトのようなこの一枚のアルバムを私は高校生の頃熱に浮かされたように毎日聴いていた。CDや雑誌、TVのブラウン管経由の大文字の「東京」が充満していた実家の部屋の中で言ってみればこのアルバムに感情移入していたのかもしれない。
サニーデイ解散後、曽我部恵一の初ソロ作品『ギター』が先日リリースされた。95年当時から現在に至るまで恐らく同じ程度は彼に関心を持っているが、関心の焦点は5年前とはややずれた位
置にある。『若者たち』や『東京』の頃は唄のモチーフが“こんな僕”とか“そんな君”だったのに対して、『MUGEN』やとりわけ『LOVE ALBUM』ではそのまんまだが、対象が“愛”だとか観念的なものへ移行しており、実体が無くどこか不気味な印象を持った。だがかといって興味を失った訳でもなくその不気味さがむしろ興味深く、作品そのものよりも「観念を唄っている」という省察の方に関心の焦点は移っていった。それは現在でも同じ事で、『ギター』というCDそのものよりこれが小西康陽と同じレーベルからリリースされているということ、そして双方にとって恐らく親とも言えるだろう存在の細野晴臣に対する聊か挑発的な発言も掲載されている「小西康陽Χ曽我部恵一対談」(クイック・ジャパン最新号)の方がどちらかと言えば作品そのものよりも興味深いと思った。これはもう断言してしまってもよいと思うが初期のピチカートはティン・パン・アレ(鈴木茂、細野晴臣らの70年代のバンド)に、初期のサニーデイははっぴいえんどに似ている。そして双方共に90年代の終りと共に解散しており、皮肉だろうか、去年はティン・パンが25年ぶりに再結成した年であった。この仕組まれたような構図はやはり面
白い。
この移行は音楽を“消費”してゆくことに拠る功罪なのだろうか。しかしノスタルジックになるべきでも、嘆くべきでもない。5年間でサニーデイが変わっていったように、リスナーも90年代と同じではない、ということだ。(単に私が年をとったというんではなく...)『東京』にならラブレターを書くように、熱っぽい言葉を重ねたディスクレビューを書けるが、『ギター』でなら間違いなく違う手法を選択する。どちらがいいでも悪いでもなく、(特権的なのは恐らく感情移入できる時間の方であって、)プロデュサーとミュージシャンの境界が消え、ミュージシャンが相互に参加しあう、固有名詞から為るそうした網目状の相関図の中を私達は潜在的に生きているということである。
(澤田陽子)
『[鼠晏]鼠(うごろもち)』川上弘美 ―「文学界」2001年2月号
最近、川上弘美が書いている文芸誌を見つけると、借りてきて読んでいる。はい、その通
り、『センセイの鞄』ですっかりこの作家が好きになった。わかっている、みなまで言うな。70過ぎたじいさんと40になろうとしている元教え子の恋愛なんてねぇ。おとぎ話じゃん。中年男女の『ハリーポッター』じゃん。シネマライズで2時間待って見る『アメリ』じゃん。そんな綺麗な恋愛あるわけないないよ。…いや、だからわかってるって。
私はおとぎ話がいけないとは全然思わないし、単純に「気持ちいい」ことは大好きだ。確かに「気持ちよく」なるためのありかたやその功罪は常に批判に開かれていなければならないだろうけど、ただ「気持ちいい」というそのひたすら単純な快感も同様に重要なものだし、守られなければならないと思う。そうした意味で『センセイの鞄』は本当に「上手い」小説だ。ここにはセンセイの感情とツキコさんの感情と移り変わる時間がきちんと別
々に、しかし有機的に関係しあって流れている。そして川上はその流れを見失わないことと説話的な効果
を計算することを同時に、しかも丁寧に遂行する。プロの小説家なんだからあたりまえだと言われてしまえばそれまでだけれど、それにしたってこれだけの水準でそれが出来てしまったのは稀な仕事だと思う。
で、それ以来色々と彼女の作品を読んでいて、『[鼠晏]鼠(うごろもち)』もそのひとつだ。題名が示す通
りというかなんというか、主人公の「私」はモグラである。「今ではこの世界に生きているのは、私と妻の両親、そして二人ずついる弟妹たちだけになってしまった」一族に属する「私」は東京でサラリーマンをしている。「人間はよくわからない」といいながら会社に勤め、夜の繁華街で「アレ」と呼ばれる無気力な人間たちを収拾しカシミアのコートのポケットに押し込め、妻と平和に暮らす土の中の住居の一角に大勢の「アレ」を住まわせている。これは明らかに寓話なのだろうし、「私」がモグラであることも「アレ」と呼ばれる人間も何らかの隠喩なのだろう。ふと皇室の人々を、もしくはそれを巡る人々を思わせる個所もあり、もしかしたらその通
りなのかも知れない。しかしあえて「気持ちのいい」読み方だけを顕揚してしまうと、この小説は時々書き手の距離感がおかしくなって、モグラは何かの隠喩でも、というか擬人化ですらなくて、ただモグラがカシミアのコートを着て人間に混じって働いているように思える瞬間があり、それがたまらなくおかしい。鉤爪でキーボードを打つモグラ、メールを受信するモグラ、ずれたマフラーを巻きなおすモグラ。これが作者の意図する効果
ゆえなのかどうかはわからないし、なにより本当に「気持ちいい」のかどうかも実はよくわからない。しかし読みながら不意に笑いがこみ上げてきて、おそらく資質も方向性もまるで違うのだろうが、大爆笑しながら読んだ宮沢賢治の『蜘蛛となめくじと狸』などを思い出した。
(志賀謙太)
『CUT 2002年1月号NO.129』
「もしこれまでに『スピルバーグの時代』や『キャメロンの時代』があったとしたら、これからの10年は『ソダーバーグの時代』と呼ばれるのではないだろうか。」
(『CUT 2002年1月号』)
もちろん「スピルバーグの時代」も「キャメロンの時代」も無いといえば無い、あるといえばある。そんなことは火を見るより明らかだと、あるいは煙を見るように明らかだと、このテーゼを打ち出した安井豊氏は笑いながら言う。ただ、そのテーゼとの出会いを不可避とした人達はやっぱり、「あるよな」と言いながらたくさんのアメリカ映画を見ないといけないだろうし、そうやって一本一本のフィルムも見ないといけないだろうし、そうやってそこに費やす言葉も変えてかないといけないだろうし、そうやってそうやって・・・ということになる。
でもそれは決して「わかっちゃいるけど、やめられない(やめない)」ではない。ヌ−ヴェルヴァ−グの「作家主義政策」がとことん実践的であったのと同じように、彼らもまた「自由であれ」という義務のもと、アメリカ(映画)を手段として用いる、のみならず、「アメリカ(映画)」を目的として扱う。
だからこそ、その上でこそ、「キャメロンの時代」を通過した上でこそ、それ「以後」として、例えば「統覚のない映画」なる概念が問題とされるのである。なにもそれが絶対じゃあないのは当然ながら、『CUT』が打ち出す「ソダーバーグの時代」はどこに「ソダーバーグの時代」たる根拠、原因をみるのか。
「ソダーバーグ」とは「白々しい程の映画への愛」を持つ、「スピルバーグの時代の申し子」であり、「その産業構造も話法も高密度にがんじがらめになったハリウッドにおける清涼剤」だとされる(その「構造改革」はP109の小西未来氏の文章で触れられている)、もちろん「映像センス」も良し。そして、そうした事実をまとめるのが「ソダーバーグ的メンタリティ」という言葉だ。
この通り、「ソダーバーグの時代」とは反動的である。ソダーバーグのことではない、「ソダーバークの時代」のことだ。確かに、その『CUT』の態度もひとつの態度として無視されてはならないし、むしろそれもまた必然的だと歴史は教えてくれる。「もしこれまでに〜あったとしたら」−それは、「わかっちゃいるけど、やめられない」であり、つまり、先行する二つのテーゼと自らの打ち出すそれとの絶対化と通
俗化なのである。
もしソダーバーグの「構造改革」が失敗でもしたら、きっとその原因は「ソダーバーグ的メンタリティ」に求められるだろう。これは、<アメリカ映画における作家発見>よりも、もっと悪質な反動だと言わねばならない。「スピルバーグの時代」、「キャメロンの時代」が、作家主義「以後」に発明された概念であるのを白々しく忘れながら、なおもアメリカ映画に対して作家主義を用い、さらには全ての原因を「ソダーバーグ的メンタリティ」へと還元させる、これはやっぱり反動ではないか。
あるいは。ソダーバーグのフィルムこそが『CUT』のこうした態度を導きだしているのだろうか。
(松井宏)
『光にむかう3つの夢想曲』西 周成
この作品を観ているとき、私の頭の中には常にA.ソク―ロフがいた。それは単にこの作品の監督がロシアの国立映画大学を出ているからという訳でもなく、また、私が数週間前にオールナイト上映で、『精神の声』を観たからという訳でもない。それはソク―ロフについて、彼を「唯物」と称している文章を読んだということが大きく影響していた。そう、そして、始めてそのフィルムを目にする、この西周成という監督の作品もそれによるものなのだろうか、という議論が頭の中で繰り返し行われていたのである。
否。それが私の出した答えだった。
『精神の声』の中で、私達はアフガニスタンとタジキスタンの国境地帯を警備する若いロシア人兵士達の姿を、その日常生活を目の当たりにする。パンを焼き、昼寝をし、時には前線へ出かける兵士達が約4時間半(第一章は除く)もの間スクリーンには映しだされている。ここで忘れてはならない重要なことは、この作品の中で、彼ら兵士達の「精神の声」は一切、聞こえてこないということである。聞こえてくるのは「暑い・・・」とか「いつまで登るのか」といった日記を読み続けるソクーロフ自身の声のみであり、私達が認識できるのは兵士達の人体でしかありえない。その体が銃撃戦により傷ついていても、また、酒を飲んで陽気に振舞っていたとしても、それによって映画を観ている者がどのように感じようとも、カメラはひたすらその現実を捕えるだけなのである。
『精神の声』についてこのような点をふまえた上で、「光にむかう3つの夢想曲」を考察してみる。『薔薇の香り』、『トランペットを持った天使』、『The
Last Sunset』という3つの短編からなるこの作品は「夢」をモチーフにしたと監督自ら語るように、「夢」、「空想」、そして「過去」の映像が混在したフィルムになっている。彼−西周成監督は、そういった非現実的な場面
の多くを、ロシアの趣き深い古都や、風の靡く草原の風景を光と影で演出することによって成立させているが、逆に、それと対する位
置にあり、またそれらの主体でもあるべく「人」や「現実」を私達はこのフィルムに発見することはできない。かといってデヴィット・リンチの『Lost
Highway』ように、それら全てを同じレヴェルで「現実」としてフィルムに収める訳でもない。むしろそれとは全く正反対に、全てが「夢」としての“詩的”で“美しい”映像に成り代わっている。そう、このフィルムは明らかに「現実」が希薄なのだ。
それならば、私は「唯物」の世界を選択するしかないだろう。
(田村一郎)
『バニラ・スカイ』キャメロン・クロウ
この映画は5年程前にスペインで製作された『オープン・ユア・アイズ』(たしか東京国際映画祭のグランプリも取っているはず)のリメイクであり、早々にリメイク権を買ったトム・クルーズがどこまで意識的だったのかは皆目見当がつかないが、見る側としてはどうしたってキューブリックの遺作である『アイズ・ワイド・シャット』を連想してしまう。だって舞台はNYで、共演者は妻と別
れてつきあっている恋人で、『アイズ・ワイド・シャット』―『オープン・ユア・アイズ』って言われたら、関連づけるなというほうが無理な話で、渋谷のツタヤでは『バニラ・スカイ』関連コーナーに『アイズ・ワイド・シャット』が大量
に並べられている。たんなる偶然なのか。はたまた狙い通りなのか。
ネオンだらけの無人の街路をトム・クルーズが駆け抜ける冒頭のイメージがこの作品全体を端的に表している。虚構のダンサーや記号の群れを、「トム・クルーズ」という記号と肉体がどのように突破するか。作品の焦点はそこにしかない。その舞台になるのは、『アイズ・ワイド・シャット』のような精巧なセットではなく、現実のNYだ。
ほぼ忠実なリメイクといっていいこの作品で、クルーズ=クロウコンビはたったひとつ原作にはない仕掛けをしかける。そしてその仕掛けは、オリジナルのどうしようもなく幼児的な独我論の世界を吹き飛ばしてしまう。この映画の前で、というかこの映画のトム・クルーズの前で、インディーズの監督がこぞって撮りたがる精神分析的、独我論的スリラー映画の御気楽さが完璧に露になるだろう。ほんの数箇所、「歴史」を背負った映像を挟み込んだだけで、この映画が描く世界の様相には劇的な変化が起こるのだ。その変化こそ、クルーズ=クロウの突破口で、それは『バニラ・スカイ』の世界をまるごと「トム・クルーズ」という記号と肉体に預けてしまうということだ。要するにここでのトム・クルーズは『トゥルーマン・ショー』のジム・キャリーとエド・ハリスの役回りを同時に引き受けながら、『アイズ・ワイド・シャット』をさらに激化した形で虚構の世界を強引に現実へ開いてしまう。
トム・クルーズのこの「俺」っぷりにはちょっと感動する。だって、「俺がハリウッドだ」ってことでしょ?「NYは俺のもの」とすら言ってるよ。こわっ。いったい何になりたいんだこの人は。『アイズ・ワイド・シャット』以降、常軌を逸してキレまくるトム・クルーズの誇大妄想的快作であり、アメリカ映画がひたすらリアリティを追い求めたひとつの結果
として見ることのできる映画だと思う。ファック!
(志賀謙太)
『光の雨』高橋伴明
「映画『光の雨』は、「あの時代」を描いた作品ではない。高松和平の同名長篇小
説を映画化しようとする「今の時代」を生きる人々の物語である」と、映画『光の
雨』公式ホームページintroindexの冒頭でそう述べられている。
劇中映画に挿入される事件当時のニュース映像を除けば、映画『光の雨』は、映画
の中の映画、その映画を作る人々、そのメイキングビデオと呼ばれるDVの映像、の
3つの部分に分けることができる。この3つの部分は軽井沢周辺の雪山を相似によっ
て知床の雪山に同化させてしまうのと同じ力によって互いに似通っている。言葉、
もっといえば独白のみが映画『光の雨』の中に存在する。
DVの映像は撮影風景を捉えることはなく、劇中映画の登場人物達の顔だけを映し
出す。劇中映画の「自己批判」と全く同じに独白の舞台と化す。「総括」を行うシー
ンを撮影するスタッフは、「総括」される者を中心とした「総括」する者達の円の同
心円上に位置する弧として、役者達を「総括」する。劇中映画で窓に向かう登場人物
達は、奇妙な角度で窓に浮かび上がるCGの自分の顔を通して、役を演じていない時
DVに向かってそうするように、独白する。そもそも劇中映画の物語を語るのは玉
井 潔(池内万作)の独白なのである。死さえもが日付けと供に並べられた名前の字幕だ
けで処理される。
けして対話にならない言葉によって、何の衝突も異和もなく映画の部分からそれを
作る者の部分へ、あるいはその逆へとなめらかに場面は移る。言葉が自分だけにしか
向かうことがないその閉鎖性は大杉漣演ずる監督樽見の現実の事件との距離の近さと
それによる言葉への恐れ故か。しかし彼に代わってメガホンを取る若手監督阿南が始
めにすることは脚本を書き換えることであり、役者達は初めて台詞をもらって喜び、
台詞を消されて憤慨する。タイトルである「光の雨」の映像でさえ、その後に続く台
詞無しにそれが「光の雨」であることを観客に知らしめることはできるのだろうか?
CGによる「光の雨」は独白する顔の映像と同様言葉と共にだけ存在するようにしか
見えない。「今の時代」を「物語る」とは独白をいくつも並立させることなのか。
『ふたつの時、ふたつの時間』で初めてツァイ・ミンリャンと組んだブノワ・デュ
ロムが、インタビューで「私は今まで台詞しか撮ってこなかったのではないか、とい
う思いに襲われたほどです」と語ったという話を思い浮かべた。
(結城秀勇)
『まほちゃん』島尾伸三
「まほちゃん」というのは周知の通り、漫画家兼文筆家兼マガジンハウス的文化狭間労働者(悪口じゃありません。あしからず)であるしまおまほのことで、この写
真集には幼少の彼女の姿が並べられている。潮田登久子と島尾伸三を両親に持つということが、はたして如何なる体験なのか、私には理解しかねるが、まあこの写
真集に収められた写真は、成長していく我が子を記録した、極々一般的なアルバムのようにも見える(当然もの凄く「上手い」写
真ではあるけれど。あたりまえだ。プロなんだから)。
しまおまほは1978年生まれのはずで、ということは私と同い年のはずで、『まほちゃん』を眺めていると、ある種の親しみのようなものを私は感じる。EC版の白い縁つきの写
真を眺めている感じと言えばいいだろうか。5歳年下の私の妹のアルバムを眺めると、その写
真はほぼLC版で縁はなくなっている。
今よりずっと細身の父や皺が少し減るぐらいであまり変化がない母の姿を時折眺めると、彼らが必死になって守ってきてくれたもの、伝えようと努力してきたものに私は気付き、思い返す。島尾敏雄、ミホという、これまた非常に特異な両親のもとで育った島尾伸三が、娘の成長にカメラを向けながら必死に守ってきたものを私は『まほちゃん』から感じ、そうした意味で「極々一般
的なアルバム」と評したのだが、そこで見ることのできるものは、決して目新しい何かではない。むしろそれはうんざりするほど経験済みの何かであり、普段それとして意識もしないものかもしれなくて、要するにノスタルジーですらあるだろう。何の役にもたたない、弛緩した時間、よく晴れた日曜日の午後の昼寝のようなものであるだろう。
そこに留まることは、非生産的であり、怠惰であり、何より傲慢であることは確かだ。しかし、その無為であることの幸福と不幸を必死になって守ってくれていた人がいることを忘れてはならない。それは「愛」であるのかもしれないし、あるいは「親切」であるのかもしれないが、ある種の写
真や映画を見るとき、私はそれに気付き、思い返す。例えば、黒沢清の『蜘蛛の瞳』が開く寂寥とした狂気の世界を見たときなどに。そこにわかりやすい救いはない。かつて守られるべき大切なものが存在した。それを忘れられないのはもしかしたら不幸なのかもしれない。魚が絶滅した後でなお続けられる釣りのようなもので。しかし映画を撮り、写
真を撮り、またそれを見るという行為は、そうした不幸を引き受けた上での行為であるかもしれない。全然ヒロイックな意味ではなくて。
「掌で虫が動きまわる奇妙な感じや、テレビを消した後にブラウン管に残る赤や青の光の渦といった、刹那に流れ行く時間は、その場限りのもので、すぐに空中に消えていく煙に似た危うい体験なのですが、そんなささいな所に気持ちを奪われる楽しみを片時なりとも見つけてしまった不幸にうつつを抜かす幸福を、享受させていただきました。」
― 島尾伸三『ひかりの引き出し』
(志賀謙太)
『ハリー・ポッターと賢者の石』クリス・コロンバス
中学生女子とカップル、及び人生に疲れたOLしかいないのではないかと思われる映
画館にひとりで行ってみた。ベンチに腰掛けて煙草を吸っていると隣の男の子がパン
フを見ている。“Directed by Chris Columbus”の文字が目を掠めて嫌な予感がす
る。『グレムリン』の脚本家というか『グーニーズ』の脚本家というか、あの『ホー
ムアローン』によってマコーレー・カルキン一家を崩壊に導いた男というか、まあと
にかくこの名前が関わった作品を楽しんだ覚えがない。最近では、ロビン・ウィリア
ム スの『アンドリューNDR114』だったか。
そして見てみた感想は、そんなに面白くなくない。楽しめないこともない。とても
煮え切らない感想だが、悪い印象はない。箒で空飛んでるし。 「9と3/4番ホーム」
から列車が出発するし。石像は動くし。わくわくするよ。うん。
それでまあ当然の如くフルCGに近い状態なのだけれど、映画で使われるCGという のは何でも「自然に」見せようとする。それこそ人間の飛行から人体馬足の生物ま で、「表現できないものは何もない」とばかりに滑らかにそれを見せる。 結果そのシーンの多くは、遠近感がおかしくなったようなちょっとした違和感を見る 側にもたらすのだけれど、それはたぶん作る側の本意ではなくて、CGはこれからま すます「自然」であり、「現実的」であることを希求して発達するだろう。ファンタ ジー映画が「現実的」であることを希求するなんておかしな気もするけれど、 “fantasy”の語源である“fancy”が「なんとなく思う、想像する」という動詞であ ることを考えると、それはある種の「知」への意志であるわけで、見えないものを見 ようとする欲求が、いつしか「見えないもの」が存在するという事実を忘れさせるほ ど映像技術の発達を促したとき、スクリーンは「既知」のもので埋め尽くされ、「不 思議なことなど何もない」という意味で、なるほどファンタジー映画はとても「現実 的」なものになるだろう。だから「見たいものだけを見よう/見せよう」というイデ オロギーを批判するということは、存在自体を忘れ去られてしまった「見えないも の」、その「ちっぽけな何か」をどこまで意識するのかという問題と大きく関わるよ うな気がする(ここらへんはboid.net青山真治監督の日記-12月7日とあわせて読ん でもらえると嬉しいです)。
そして「ハリーポッター…」では透明になれるマントが登場するのだが(「ドラえ もん」のように不思議アイテムがわんさかでてくる、この映画)、それを見ると、実 写の中で使われるCGは何かを「見せる」ときより「見せない」時の方がはるかに滑 らかで、「自然さ」を獲得することに気付く。これは黒沢清の『カリスマ』なんかで もそうで、木の爆発シーンはみんな笑って話題にするけど、洞口依子が日本刀で刺さ れるシーンでも、洞口の脇から覗く刃先を特殊処理で消している(と監督本人が言っ ていた)。「見えないもの」が「見えない」んじゃなくて専ら「見せない」という表 現 の方法として思考されるとき、世界は既知のもので溢れかえり、芸術は「癒し」とし て消費され、……私たちはそんな場所で映画を見ている。それは良い悪いではなく、 ただの単純な事実だ。
(志賀謙太)
『アンドレ・ポップ/POPP MUSIQUE』
2001年もそろそろ終わろうとしているが、1年を振りかえってみて今年3月のピチカート・ファイブの解散は、名目上のもので小西さんは“小西康陽”という固有名でこれまでと大きな変わりは無く活動し続けるだろうとしても、それでも“ピチカート・ファイブ”という名前に終止符が打たれること、これは単にひとつのグループが解散したのではなく、何か言い難いものを象徴しているような気がしてしまうのは確かだ。「さよなら、フランスかぶれ!!」と題された今年12月号の雑誌“relax”は特集に“梶野彰一”を組んだが、自ら職業を「フランス人」と言い放ち、渡仏と「帰国」と言うこの男の捨て身のパフォーマンスには失笑を通 り越してむしろ感動すらしたが、ピチカートの解散、そしてこうした“フレンチ”(=幻想のフランス)を笑いの対象として決定的に開き直ってしまった所に90年代の特に前半を旋風していた“渋谷系”の終焉を見たような気がして、ここにはある感慨があったのを覚えている。
≪20世紀の終りになって、すべての文化が今、アーカイヴされてきている。だから今はどの時代も平行に引っ張り出せるような状態。すべて平等に存在している。そして今は68、69年の音楽の爆発を頼りに生きている人がたくさんいるわけ。60年代の終りにはすべてが揃っている。そして70年代はもうそれを消費する時代だったんだよ。≫(モンド・ミュージック2001)
これは初期のピチカートをプロデュースした細野晴臣の発言であるが、某雑誌で彼と対談したこともあるジム・オルークをここで言われている“60年代をリサイクルする人”の枠の中に入れることは不可能なことではないだろう。何故なら彼は60年代に“takomaレーベル”の経営者兼アーティストとして精力的に活動していたジョン・フェイヒを数年前プロデュースしているのだから。そして、誰も何も言わないが、梶野彰一の盟友ベルトラン・ブルガラは、やや太めの体型やヘタウマな歌声という共通
点以外に、もっと本質的なところでジム・オルークと似ているように私には感じられる。というのも、ベルトランが主宰するトリカテルレーベルから最近発売された“collection
musee imaginaireモ(幻想の音楽博物館?)シリーズの第1弾、『POPP MUSIQUE』でステファン・ルル―ジュと組んでベルトランが“リサイクル”した作曲家アンドレ・ポップの代表曲「恋はみずいろ」が爆発的にヒットしたのは1968年、なのだから。
タワーレコ―ドなんかに行けば、ピチカートも細野晴臣もオルークも、そしてジョン・フェイヒもぜーんぶまとめて“ROCK/POP”というジャンルにひと括りにされているが、そもそも“ポップ”とは何なのだろう。17歳で自身のオーケストラを編成した、略歴からするとエリート中のエリートで、“ポップ”をその名に持つアンドレ・ポップは、様々な場所で“フレンチ・ポップの父”と紹介されているが、ここでは単純にそれに従うとして、“ポップ”とはその幼年期からインテリであると同時に通
俗的であり、つまりごったまぜの説明付かないものだったのである。(ステファン・ルル―ジュはディスクレビューのなかで“ポップ”に当てる単語として“capharnaum(=乱雑に散らかった場所)を選択している。)
ある所では90年代の終焉の象徴があり、そしてそこと決して離れていない場所で60年代のリサイクルが行なわれている。『EUREKA』『月の砂漠』でジム・オルークの音楽を使った青山真治は『シェイディー・グロ―ブ』のエンドロールでピチカート・ファイブの「ウィークエンド」を流しているが、(ひょっとしたらあまりに意外で)多くの人が口を閉ざして来たこの『シェイディー・グローブ』における「ウィーク・エンド」に関してもある言説が投げかけられるような気さえする。が、それはまた別
の話だ。
因みに、トリカテルの“collection musee imaginaireモシリーズ第2弾はイギリスの作編曲家デヴィット・ホワイテカーだそうです。
(澤田陽子)
『動き出すかつての夢』アラン・ギロディ
アラン・ギロディの中編第一作である前作『貧者に注ぐ陽光』のラストで、主人公
が探し求めた架空の動物がフレームの中には収められていないのと同様、本作でも
「かつての夢」が「動き出す」シーンが描かれることはない。最後に主人公が(元)
同僚である老人と方を並べて歩く場面がそうだと言えなくもないが、どちらかといえ
ばそれはスタートラインにようやく並んだといったところではなかろうか。そもそ
も、「動き出す」「かつての夢」とはいったいなんなのか。それは元共産党員の共産
主義者であり同性愛者でありフランス南西部で映画を撮る作者の「かつての夢」なの
かもしれない(事実主人公もまた同性愛者であるし)のだが、「かつての」というの
がひっかかる。「夢」が「かつての」ものになる距離感はどこからくるのか。
前作程ではないにしろ、早口のフランス語で喋る登場人物の台詞を英語字幕でどこ
まで追えたのかはなはだ疑問なのだが、だから具体的な台詞ではなく全体の印象から
得た情報になってしまうのだが、どうやら主人公は閉鎖寸前のほとんど機能していな
い工場に最後に残った何かの機械を解体している、らしい。もっと具体的にわかるの
はこのフィルムに撮られた場面というのは大半が労働時間の終わりも近く西陽が工場
内に差し込む頃であるということ、そして5回程仕事の後にシャワーを浴びるために
服を脱ぐシーンが繰り返されることだ。5回ということは、金曜日に工場が閉鎖する
という言葉が何度か述べられるから、彼はきっと月曜から働き始めたに違いない。し
かしこのフィルムでは時間の経過が曖昧で、「そして次の日」などという字幕がでる
わけではないから彼は一日2回以上シャワーを浴びていたのかもしれない。ただ確実
なのは最後のシャワーシーンは最後の勤めを終えた後だということで、そこから逆算
するしかない。彼が最初拒絶し、後に求めて拒絶される工場長に対する興味はいつ生
まれたのか。わかるのはそれが終わった時だけなのだ。
主人公の役目が、なかば廃墟同然の工場を廃墟=元工場に変えるための外部からの
使者であるように、ギロディはラストで主人公を含めたすべての登場人物の肩書きに
「元」の一文字を付け加える。寂寥感ただよう儀式であるそれを通して、「元」同僚
と「元」主人公は新たな関係をひょっとしたら築けるかもぐらいの期待を見る者に与
える。「夢」が「夢」のままでは何も変わらない。それが「かつての」ものとなって
やっと「動き出す」契機がおとずれるにすぎないのだ。
(結城秀勇)
『ワイルド・イノセンス』フィッリプ・ガレル
映画監督フランソワが新しい恋人リュシイといっしょに彼の両親を訪ね、4人で市場へ。シネマスコープの画面
にはまずフランソワと両親の3人。カメラは彼らを少しの斜め正面からとらえる。両親は買い物。お店の人に何個か卵を頼んでる。フランソワは手持ちぶさた。真ん中ちょい右寄りのそんな3人、画面
左側には彼らとの関係を持たない人々がちらほら、たぶんいた。すると、その画面
左側に突如現れたかのようにして、リュシイがフレームの外から飛び込んでくる。寄り添いながら言葉を交わす恋人達をちらっと見やる母親。どうやら彼女のためらしい、卵をさらに追加する。
そして2人の恋人(息子とそのフィアンセ)の熱い抱擁、もう周りは見えない。そのとき、隣の夫婦(両親)は卵に熱中、恋人達には無関心。そのとき、画面
左側の無名の人々、彼らも当然互いに無関心。いや、本当に無関心かどうかは知らない、けどとにかく、このとき画面
には確実に複数の空間と時間があった、その境界線をぼんやりさせながら。何かが割れた、何かが分割された、じゃなくて、分割が起こった。ズレは無くならないけど、でも互いの限界点において接し合ってる、積極的にでもなんでもなく。そのとき、画面
が広がった、そのとき、僕と『ワイルド・イノセンス』とガレルとが共に属するちっちゃな何かが生まれた、ギリギリで、かろうじて接し合いながら。そんな僕には画面
がほんとにぼんやりとして見えた。でも頭はハッキリしてる。
これ、単なるロマンチックな幻想ではない、とその僕は思った。
(松井宏)
『カドッシュ』アモス・ギタイ
このフィルムにおいて登場人物の顔が切り返されるシーンは登場しない。会話する男女はお互い同じ向きでスクリーンの方向を向いていたり、90度ほどの角度で向かい合いながらもこちらに顔を向けている。それはまるで自らが進んで私たちに見る者に向かって生活をさらけ出しているように見える。
映しだされる男女は何度も服を脱ぎ、それからまた着る。そのストリップショーは、普段厳格に肌を布で覆っていればこそ、よりいっそう艶めかしい姿をさらけ出す。
厳格な戒律のもとに暮らしている彼女たちは、そこから逃れる際にも儀式を必要とする。それは水に浸かり十二回に分けて身を清めるというようなことではない。妹マルカの髪を切るという行為は、姉リヴカが自分自身の体を眺めるという行為は、鏡を通
して自分を見つめるという儀式である。このとき彼女たちは私たちに背を向けるのだ。
その後の彼女たちは、愛する者へとただ向き合う。死を前にしたリヴカの最期の愛撫は、マルカの恋人との愛撫は、今まで戒律に抑えれていればこそ、よりいっそう激しく燃え上がる。そしてそれはもはやストリップショーなどではなく、私たち見る者におかまいなしの姿である。それをのぞき見るのは、私たちにどこかばつの悪い印象を与える。今まで彼女たちの生活を見てきたにもかかわらず、である。
そして最後に唐突ではあるが、このユダヤ教徒の男女を映したフィルムは、円周運動を続ける「エルサレム」という都市のフィルムであると言わなければならない。この映画に登場する男達は、結婚式で、あるいは神学校で弧
を描きながら同じところを何度も回ってはいなかっただろうか。自分自身を鏡で顧みることが出来た女達は、その運動から抜け出そうとするのだが、それにはリヴカのように死を選び運動を停止するか、マルカのように都市を出てしまうしかなかったのだ。そして悲しむべきことに私たちはこのフィルムを前に、ついに出産のシーンを目にすることは出来なかったとも言えるのではないか。
(松井浩三郎)
『息子の部屋』ナンニ・モレッティ
テニスというスポーツは二進法的である。二つの陣地の間をボールが往復する。0か1か。その反復のみによって成立しているのがテニスである。
プレーヤーに要求されるのは、そうした反復を中断させることである。「中断させる」とは厳密に二重の使役を意味しており、自分が「中断させ」たいのではなく、対戦相手に反復を「中断させ」ることをさせたいのである。こうした欲望を共有する二人(あるいは四人)が、自らは反復を継続させ、又同時に相手が反復を中断させるような、そうしたショットを打ち合うことで、二進法的なボールの運動が反復される。
では、反復の中断は何をもたらすのか?0と1の反復の間隙に、サービス権の移動や得点の加算が挿入され、それらの集積の上に勝敗が決定し、試合は終了するのである。制度的に終了できないゲームはゲームではない。
不幸な事故で息子を失ったジョバンニ(ナンニ・モレッティ)は、こうしたゲームの規則から、無自覚に距離を取ろうとする。棺を閉じるネジの差し込まれる音を反復し、息子のために買ったCDのワンフレーズを反復し、自宅と港の往復を反復し、そのようにあるべきだったと仮構された一日を反復する。ワンショットで収められた患者や家族との対話は、あたかも壁を相手に練習するテニス選手のようだ。テニスの壁打ちは、反復を欲望する私と、その鏡像に過ぎない仮想敵との間のボールの往復であって、原理的には永遠に継続可能である。手段と目的が同一化されたゲームは、決して終わることが無い。
そうした壁が、明確な他者へと変化し、ジョバンニの前に顕在化することで、反復のための反復は機能不全に陥る。休日のジョバンニを自宅に呼び出した患者に対する複雑な思いから彼は廃業を決意し、やがて彼の前には生前の息子と関係があったという少女が現れる。形体の上ではワンショットによる対話シーンの間に、切り返しが侵入し、壁打ちの継続を諦めたジョバンニは、消極的にでもゲームへと参画しなければならなくなる。すでに少女は、ジョバンニや彼の家族による手前勝手な期待を、その容姿や、恋人を連れていることで裏切っているのだから。
反復のための反復から中断のための反復へ、おずおずと歩みを進めるモレッティの姿は、私にはとても感動的なものに映った。
(中川正幸)
『大学ラグビー 早稲田vs明治 12/02』
早慶戦の結果から見て早稲田の圧勝と予想されたが、結果は36対34で早稲田。だから学生のラグビーは分からない。それにしても明治のオフサイド気味ではあるが強烈なシャロー・デフェンスは、本当に久しぶりに見た。僕の記憶では早稲田に藤原優、明治に松尾雄治のいた時代以来か。だが、伝統の一戦という以外に、このゲームがラグビーの魅力を欠いていたとすれば、学生たちが試合中にゲームプランを変えることができないからだ。たとえば早稲田はマイボール・ライナウトを失い続け、シャローで来る明治のデフェンスにとまどい続けた。明治は、個人の突破ははかれるのだが、フォローする選手がいつもいない。つまり単に同じことが「反復」されるのだ。早稲田ならばなるべくライナウトにしない工夫や、シャローで来る相手に対し、ラインを深めにすれば、30点差で勝てたろうし、明治ならば──教えられていないので元々無理だろうが──2次防御の網を整備するなり、少しでも良いから約束事を作っておくことで手のひらにあった勝利を早稲田にくれてやることはなかったろう。昨日のサントリー対NECの東日本社会人の事実上の決勝戦では、今日のゲームのようなことはなく、それなりに両チームとも相手に対応していたが、アタックに工夫のあったサントリーが勝利を収めはした。しかしゲームのカタルシスはない。ここでも同じような「反復」がゲームを支配していたからだ。
ラグビーを見る快楽は「反復」を堪能するよりも微妙な「差異」を見つけだすことにある。日本にただひとりいた名コーチだった大西鐵之祐の薫陶を受けた往年のCBの横井章は、相手BK陣との「接近」の過程にこの「差異」を見いだしている。微妙にパスの角度を変えたり、ステップの位
置をずらしたりして、ライン攻撃に毎回「差異」を味付けする(藤島大著『知と熱──日本ラグビーの変革者・大西鐵之祐』文藝春秋社)。今日の早明戦でこうした「差異」は演出されなかった。先日見たフランス対オーストラリアのゲームでは、オーストラリアが執拗に頑強に繰り返す「反復」をフランスの「差異」が1点差で破った。社会人で実力No1のサントリーが模範にするのがオーストラリアのACPであり、早稲田の監督が昨年までサントリーにいた清宮であることは、日本のラグビーの大勢が「差異」より「反復」を志向していることを物語っているだろう。もし早大の清宮が今日のゲームを真摯に反省するなら、次のゲーム以降で、より強固な「反復」を構造化するのか、あるいは微少な「差異」の生成に腐心するか、それによって今後2年間の日本のラグビーの方向性が決定すると言ってよいと思う。
(梅本洋一)
『ヴァンダの部屋』ペドロ・コスタ <フィルム・ネットワーク 映画祭 2001>
11月30日、国際交流基金フォーラムにて『ヴァンダの部屋』を観る。180分という上映時間に、一体この映画がどういうのもなのか想像もつかなかったが、それは最初の数シーンで解決した。部屋の外では解体工事の騒音が鳴り響き、暗い部屋の中では二人の女がドラッグをしている。カメラは固定され、二人を写
し続ける。今にも吐きそうなほど咳き込むヴァンダをカメラはじっと、静かに写し続ける。ヴァンダの咳の音が何度も響き、生々しい。そうやってこの映画は始まった。
映画が進むにつれて幾つかのことが分かってくる。舞台はどうやらリスボンらしいこと。解体工事の進む居住地域にヴァンダやその家族、友人、知り合いは住んでいるらしいこと。ヴァンダは野菜売りをして生計を立てているらしいこと。180分間で分かったことはそんな、ほんの僅かなことだった。けれどもこの180分という、決して短くはない上映時間の中で少しの弛緩もないままスクリーンを見つめ続けられたのは、そこに光があったからだと思う。彼らが住む部屋のほとんどには電灯がなかった。いやあったかも知れないが、少なくともこの映画の中に於いて電灯が付けられることは数えるばかりだった。窓の外から差し込む光、暗がりの部屋の中を僅かばかり照らす蝋燭、街角で焚かれる薪。それらは一時も同じ光量
を保つことはなく、危うく、そこにいる人物、部屋、路地を照らす。夜かと思った瞬間にそれが昼間であることに気づかされることが幾度もあった。その決して一定ではない光の中で彼らは生活をし、ドラッグを打ち、会話をし、生きている。それだけがただひたすらに写
されていた。そしてそこには外から響いてくる解体工事の騒音があった。夜の深い闇と静けさの中再び彼らは会話をし、ドラッグを打つ。それらの行為が幾度も繰り返される。
危うい光の中の人物に目を凝らし、騒音に紛れて聞こえなくなりそうな会話に耳を澄ませ、ようやくこのフィルムを体験できた。リスボンという街を標すものは一つも出てこなく、リスボンを知らない私にとっては、あの街がリスボンなのかどうかも分からなかったけれど、それでもあの街を信じられたのは、きっとペドロ・コスタがそこに立ち、忍耐強く見つめたその視線があったからのような気がする。このフィルムには確実に、在りのままの光と音があったのだ。
今回のフィルム・ネットワーク映画祭2001での上映はこの一回のみであった。この『ヴァンダの部屋』が再びどこかで上映されることを待ち望みたい。
(和田良太)