02.09/25

バイトの前にちょっと時間が空いたので、渋谷のタワレコに行く。ママレイド・ラグの新譜が欲しかったのだ。まだ入荷してない?ああ、そう・・・。そういえば、先週この場所で、日本のフォークって全然省みられないみたいな話を書いたけど、タワレコの試聴機で何故か六文銭と中川五郎を聴くことができる。どういう枠で括られているかというと「喫茶ロック」。なるほど。喫茶ロックについては、喫茶ロック委員会の行達也氏が説明している(http://www.musicdeli.com/deli/delideli/kissarock/index.html)が、ここで行氏は「あくまで雰囲気なんですよ」と言っている。隠れた名曲を再発すること自体は(僕みたいな無知な若者にとっては)ありがたいことだし、それを商売として成立させるためには、明確なコンセプトとそれに基づいた「雰囲気」を作り出すことは重要なことだろう。ちゃんと成功しているしね。だから難癖をつけるわけではないのだが、無知な若者はその「雰囲気」が作られたものであることも理解すべきだと思う。はっぴいえんどや久保田真琴は、彼らが活躍していた時代では「喫茶ロック」でも「癒し系」でもないわけだし、彼らの曲が現在でも「名曲」とされるなら、その位置付けはそれ相応の歴史を経た上での位置付けであるはずだ。こんなこと言うまでもなく当たり前のことなんだけど、あの当たり前のことが簡単に忘れ去られるのが2002年の東京という場所だと思う。例えば、アルバム『六文銭/中川五郎』はアングラレコードクラブ(URC)の第二回配布レコードで、配布された翌月の新宿西口のフォーク集会には5000人の人が集まっている。そのような「雰囲気」の中で、そのアルバムが生れたのは事実だ。事実を絶対化する必要はないけれど、68年の新宿の「雰囲気」と「イメージ」、喫茶ロックの「雰囲気」と「イメージ」、それらを比較して、検証してみる作業は必要だ。ちょっと堅苦しい話だけどさ。

志賀謙太

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